第9話 英主の夢
「ウフフ」
亜蓮の腕に絡みつくお市だが、その本心は違う。
(子を産んだら、その子供を殺してやる)
簡単に殺気を隠したのは、亜蓮に絶望を与える為であった。
我が子を殺して自分も死ぬ―――それがお市が思いついた亜蓮への復讐の
幸いお市は、戦国一の美女だ。
そんな自分が積極的に動けば、どんな男でも
その証拠に、亜蓮は結婚に乗り気だ。
自分が間接的に殺害した敵の妻と結婚するのは、ある種、支配的だろう。
お市を通して織田家に食い入りたい野心家の側面があるのかもしれない。
有望株、と持て
(無欲を装っての野心家……私は更にその上を行くわ)
お市は全身を使って甘える。
「亜蓮♡」
傍から見れば、前夫を亡くして49日も過ぎていないのに、あろうことか、間接的に討ち取った敵に甘えるのは、常軌を逸した行為だろう。
「「「……」」」
違和感に気付いた人々が、苦い顔をする。
しかし、言葉に出すことはしない。
お市は国主・信長の妹。
お市への誹謗中傷(事実に即した意見であっても)は、第六天の魔王を自称する信長の耳に入れば、それこそ悪夢だ。
「「「……」」」
なので、事実に気付いても言葉を飲み込む人々なのであった。
「来たな」
「護衛1人に女官1人……好機だな」
長屋の影に潜んでいた刺客が、殺意を剥き出しにしていた。
彼らは、朝倉氏の残党。
金ヶ崎合戦の敗残兵で、刺客が狙うのは、お市。
合戦の敗因をお市の密告と解釈している為である。
宇治上神社に隣接する、さわらびの道にて、躍り出る。
「
「!」
突然のことで、お市は動けない。
当然、幸姫にも
2人は斬られるのを覚悟したが、それを簡単に許さないのが亜蓮だ。
ニヤリと
「「!」」
刺客は、亜蓮を斬った。
「「あ……」」
2人の声が漏れる。
―——死んだ。
誰もがそう思ったが、亜蓮は倒れない。
「なんだと……?」
目を剥く刺客の手首を掴むと、亜蓮はそのまま取って返す。
「ぐ!」
日本刀は刺客の胸を貫いた。
自分の武器で自分を刺した格好だ。
「……!」
胸から血を垂らしながら、刺客は
「! 神宮寺様?」
慌ててお市が駆け寄り、傷を確認する為に亜蓮の胸元を見る。
そこにあったのは、
「!」
上半身を
よく見れば、
「……だから冷静だったんですね?」
「はい。ご心配おかけしました」
そう言うと、亜蓮は遺体から日本刀を引き抜く。
そして、
「
「……家紋にお詳しいんですね?」
「そうですね」
亜蓮が家紋に詳しいのは、前世で戦国時代を舞台とした国盗り合戦系のアクションゲームを好んで遊んでいた為である。
「死んだかと思いましたよ」
「簡単には死にませんよ。プロ―――
「……良かったです」
遺体を前に、涙を流しながらお市は抱き締める。
(凄い……!)
その横で幸姫は、内心でいたく興奮しているのであった。
「父上、
その日の夜、幸姫は昼間の出来事を詳細に話していた。
そして、自薦する。
「神宮寺様から武道を習いたいです!」
「惚れたのか?」
「はい!」
「そうか……」
前田利家は、苦笑いする。
永禄元(1558)年、芳春院が今の幸姫と同じ年齢の11歳の時に結婚し、出産させたのを思い出す。
当時は何も思わなかったが、今は義父・
愛娘が11歳で精神的に独り立ちするのは、非常に寂しいものだ。
「是非、私を神宮寺様の側室に―――」
「いやいや、
「ですが、父上。母上は私と同じ11の時に結婚し、私を産———」
「当時の俺は、馬鹿だったんだよ。今は駄目だ」
「えー……
「良いから駄目だ。なぁ? まつ?」
「そうですね。
「えー……母上も?」
低年齢での妊娠は、
・流産
・早産
・子宮内で赤ちゃんの成長が遅くなり、育ちにくい可能性が高い
ことが指摘されている(*1)。
20才未満で妊娠・出産し、母になることは、専門用語では「若年妊娠」(*1)というのだが、芳春院の場合は、現在の医学で言えば、その様に
余談だが、世界最年少で出産した人は、ペルー人の少女が持つ5歳7カ月21日(*2)。
1939年5月14日に帝王切開で男児を出産した(*3)。
10歳以下の女性は殆ど月経を経験しておらず、また思春期が始まったばかりの者が殆どで、十分に妊娠や出産が出来る状態になることは殆どない(*4)為、この記録は医学的には極めて珍しいものだろう。
但し、この手は人権問題に関わる為、妊娠及び出産は相応の年頃になるまで待っておいた方が良いに違いない。
戦国時代に現代同様の人権感覚を照らし合わせるのは、困難な話ではあるが、利家は愛妻を難産させた経験から、若年妊娠には否定的な立場である。
「それで幸。奴は空手か何かの
「それは分からないですが、相手の手首を取って返すことで、逆に相手を刺し殺すのは、並大抵の
「だろうな」
聴く限り、芸術性を感じる
(銃が無くても強いのか……)
(今回の事件を機に、更に全国的に奴は有名人になるだろうな)
同時期。
京から遠く離れた薩摩国(現・鹿児島県)では、島津氏15代目当主・島津貴久が病床に居た。
肖像画同様、頭を剃った状態で
「連発式の、火縄銃……か」
永正11(1514)年生まれの貴久は、元亀元(1570)年時点では56歳。
現代感覚だとまだまだ働ける年代だが、「人間50年」のこの時代は違う。
薩摩半島全域を支配下に治めた《島津の英主》も、正史では元亀2(1571)年に57歳で亡くなることになっている。
その前に立つのは、義久。
正史では、島津氏第16代当主になる男で、天正2(1574)年に、
・薩摩国(現・鹿児島県西部)
・大隅国(現・鹿児島県東部)
・日向国(現・宮崎県)
の三州を統一(三州統一 (*5))。
その後も天正6(1578)年、耳川合戦(現・宮崎県
更には、天正12(1584)年、
「父上、種子島の鉄砲鍛冶の
「凄い、な」
M16の伝来は、全国各地の鉄砲鍛冶を興奮させていた。
金兵衛以外にも、
・
紀伊国(現・和歌山県、三重県南西部)根来(現・和歌山県岩出市)西坂本
・
近江国国友村(現・滋賀県長浜市国友町)
等が瓦版を基に独自に鉄砲製作に取り掛かっている。
その為、金兵衛のは日本最速の仕事の早さであった。
「これで、三州や九州も統一が近付くかと」
「だろう、な」
大量生産されたら、戦場が一変するのは確かだ。
然し、貴久は冷静沈着だ。
「油断大敵、だ……桶狭間の
「分かっています」
「生産の、速度を、極力……早める、
「は」
三州統一、九州統一を夢見た貴久だが、寿命的に時間は少ない。
自分の夢を息子に頼み、貴久は目を閉じるのであった。
[参考文献・出典]
*1:命育 HP
*2:The Telegraph 2002年8月27日
*3:Snopes.com 2015年2月7日
*4:公益社団法人・日本産婦人科医会 HP
*5:鹿児島県 HP
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