第8話 宇治旅行

 屋敷を出発した3人は、馬車で宇治に向かう。

 現在の宇治駅(現・宇治市宇治宇文字)に当たる場所で降りると、鼻孔びこうをお茶の香りがく。

「緑茶の匂いがしますね」

「そうですね。市は、お茶は?」

「緑茶が1番好きですよ」

 宇治茶は、


・静岡茶

・狭山茶


 と並んで『日本三大茶』と言われているそれは、鎌倉時代から生産されていたと考えられ、室町時代には、将軍家を始め室町幕府の有力武将により茶園が設けられた歴史を持っている(*1)。

 戦国時代には、新芽にあたる日光を遮って茶の旨味や甘みを高める覆下おおいした栽培(*2)の茶園により日本を代表する高級茶の地位を固め、江戸時代には幕府に献上されるお茶壷道中(宇治採茶使)が宇治から江戸までの道中を練り歩いた。

 そんな歴史ある町が、宇治なのだ。

 亜蓮が尋ねる。

「信長様の為にお土産を買いますか?」

「兄は兄で多忙だから不要ですわよ。幸は欲しいのある?」

「はい。実家用と茶々様、お初様用にお茶と和菓子を買いたいです」

「そうですわね」

 永禄12(1569)年生まれ(1566年、1567年説も)の茶々は、今年で1歳。

 お初も今年生まれたばかりの0歳児だ。

 2人の為にもお土産は、必要不可欠であろう。

 茶々とお初に亜蓮は、興味を抱く。

「お子様は?」

乳母うばていますわ。普段は私が看ていますが」

成程なるほど

「神宮寺殿は、お子様は?」

「好きですね。一緒に遊んだりするのは楽しいので」

 屋敷に居る間、亜蓮の元には沢山の子供達が来ている。

 皆、乳母に育てられているのだが、新進気鋭しんしんきえいの侍に興味を持ち、将棋や囲碁、蹴鞠けまり等で親睦を深めていた。

「では、茶々と初も成長したら遊んで下さいますか?」

「勿論」

「嬉しいですね」

 お市は微笑んで、益々ますます亜蓮と密着する。

 ここまでされて好意に気付かない者は、流石に居ないだろう。

「……49日空けてないのに積極的ですね?」

「毎日泣いていると、前夫ぜんぷが夢枕に立って『次の恋をしなさい』というので、その助言に従っているまでですよ」

「……そうですか」

「神宮寺様は、如何どうですか? 私のことは」

如何どうとは?」

「結婚です」

「!」

 幸姫が目を剥く。

 先に関心を寄せていただけに、奪われた感じが否めないからだ。

「……結婚ですか?」

「私は、貴方のことが好きです」

 現在の宇治駅から約700m先の宇治橋の中央で、亜蓮は告白された。

「前夫の後押しもありますゆえ如何どうですか?」

「……ありがたい話です」

「では―――」

「ですが、そういう話は49日が経ってからにしましょう。流石に信長様に申し訳ないので」

「分かりました。ですが、確認したいのですが、好意自体はありますか?」

「ええ。市のことは好きですよ」

 戦国一の美女にあれだけ積極的に誘惑されて、なびかない男は、世界広しといえども流石に居ないだろう。

 両想いが確認出来、お市は嬉しそうに手を繋ぐ。

「では、婚約者ということで、その先のことは49日後にしましょう」

「お願いします」

 こうも亜蓮がすんなり快諾したのは、実際問題、好意だけではない。

 実利じつりも考えてのことだ。

 お市は信長の実の妹である。

 故に織田家の中では、相当な影響力を持っている。

 戦闘力はあっても背後の力が皆無の亜蓮は、何時いつ孤立無援になるかは分からない。

 その為、織田氏と繋ぎ止めるが必要なのであった。

(市には悪いが、現実主義者リアリストなんでね)

 その病んでいる心の隙を突いたのは正直、良心の呵責かしゃくもある。

 だが、裏切りや謀略が当たり前の戦国時代を生き抜く為には、時に非情な決断も必要だろう。

 一方、幸姫は内心で唇を噛み締める。

(私が最初に好きになったのに)

 失恋ではないが、心が痛む。

 勝者と敗者がくっきりと分かれた、宇治橋での出来事であった。


 宇治橋近くの大吉山だいきちやま仏徳山ぶっとくさんとも 標高131m(*3))の展望台に登り、宇治の街並みを3人は眺める。

「綺麗ですわね」

 5月の花の一種である藤(*4)が咲き乱れる宇治の風景に、お市のテンションは高い。

 この付近は、歴史的に非常に価値がある場所だ。

 展望台の背後には、二子山古墳ふたごやまこふん南墳が鎮座ちんざし、さわらびの道を歩けば11世紀に建立され、平成6(1994)年には、


・上賀茂神社(現・京都市北区)

・金閣寺  (同上)

・仁和寺  (現・同右京区)

・高山寺  (同上)

・天龍寺  (同上)

・龍安寺  (同上)

・下賀神社 (現・同左京区)

・銀閣寺  (同上)

・西本願寺 (現・同下京区)

・二条城  (現・同中京区)

・東寺   (現・同南区)

・清水寺  (現・同東山区)

・醍醐寺  (現・同伏見区)

西芳寺さいほうじ  (現・同西京区) 《苔寺こけでら

・平等院  (現・宇治市)

・延暦寺  (現・滋賀県大津市)


 と一緒に『古都京都の文化財』として国際連合教育科学文化機関ユネスコの世界遺産に登録された、宇治上神社うじがみじんじゃる。

 そして橋を渡れば、平等院鳳凰堂。

 更に少し行けばアニメの舞台にもなったあがた神社も見過ごせない場所だ。

 一方、亜蓮は街よりも川に興味津々であった。

「……」

 双眼鏡を用いて、宇治川(※淀川の京都府名)を凝視している。

 この場所もまた、治承じしょう寿永じょうきゅうの乱(1180~1185)真っ只中ただなかの寿永3(1184)年1月20日に起きた 宇治川合戦の舞台となった場所だ。

「神宮寺様、どうぞ」

 幸姫がお茶を差し出す。

「ありがとうございます」

「お昼なので、弁当もありますよ」

「ありがとうございます。食べさせて頂きますよ」

 感謝を忘れない亜蓮に、幸姫も気持ちがいい。

「侍女に感謝するのは、珍しいですね」

「侍女が居るからこそ円滑に生活が出来ますからね」

「……偉ぶらない男性、初めて見ました」

 戦国時代は令和と違い、男尊女卑の傾向が強い時期だ。

 当然、セクハラと言った概念も無い為、人間関係次第では、相当苦労することになるだろう。

 そんな中での亜蓮は、非常に礼儀正しい。

 侍女相手でも敬語を使い、先述の子育てにも否定的ではない為、女性からすると非常に助かる存在であった。

「偉ぶっても意味が無いですからね」

 亜蓮は微笑むと、弁当箱を開け、お握りを頬張り出す。

「塩加減が効いてて、美味しいですね」

「良かったです。そう言っていただけると」

「幸さんも食べて下さいね」

「はい、そうします」

 お市に奪われた感が拭えない幸姫だが、亜蓮が優しいのは唯一の救いだ。

(正室は難しいだけども、側室ならまだ好機あるよね。父上も側室居るし)

 前田利家の妻と言えば芳春院であるが、実際には2代目藩主・利常としつね(1594~1658)を産んだ寿福院じゅくふいん(1570~1631)等が居るように。

 一夫一妻ではなかった。

 なので、幸姫も別に夫が側室を持っても悪感情あっかんじょうは無いし、自分が側室になってもいい。

 それでも目の前で奪われたのは、ショックであるが。

「あら、もうお昼なのね」

 お市も座り、幸姫が作った弁当を食べだす。

 高身長の男女と戦国一の美女の一行は、展望台で仲良くお昼ご飯を摂るのであった。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:京都府ホームページ 2018年2月12日

*3:京都宇治土産.com HP

*4:GANREF

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