第4話 公家の密談と鉄砲鍛冶の意地

 亜蓮が織田信長からあてがわれた屋敷で過ごしている間、立て直した織田軍と徳川軍は、近江国(現・滋賀県)と越前国(現・福井県嶺北地方等)に攻め入る。

根切ねぎりじゃあ!」

  細身で端正な顔立ちの前田利家(1570年現在 31歳 他説にのっとれば34歳、33歳の可能性も)が、三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造りの槍を振るう。

 《槍の又左》の異名を持つ、約180㎝の大男が率いる軍の猛攻により、越前国は戦場と化す。

「鬼だ! 鬼が来たぞ!」

「逃げろ!」

 利家の軍隊は、苛烈かれつに一向宗を弾圧する。

 実に約1千人が磔刑たっけい釜茹かまゆでに遭ったのだ(*1)。

 一乗谷城いちじょうだにじょう(現・福井県福井市)へは、柴田勝家が担う。

「殲滅しろぉ!」

「「「応!」」」

 蜀(221~263)の将軍・張飛ヂャン・フェイ(? ~221)を連想させる巨漢の髭面の叱咤激励に、柴田軍の士気は高い。

 元々、


『信長の重立ちたる将軍2人中の1人』(*2)

はなはだ勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人」(*3)

『信長の時代の日本で最も勇猛な武将であり果敢な人』(*3)


 とルイス・フロイスから評された猛将の家臣だけでも名誉なことなのだ。

 その上、今回の戦は意趣返しの意味合いも強い。

 裏切者の仲間である朝倉を攻めるのは、非常の士気が高まるのも自然のことわりだろう。

 一方、近江国では、羽柴秀吉による小谷城おだにじょう(現・滋賀県長浜市)攻めが行われていた。

「突撃!」

 一番槍を務めるのは、16歳の脇坂安治。

 次点は14歳の片桐且元だ。

「クソ! 甚内じんない(※安治の通称)に負けたわ!」

助作すけさく(※且元の通称)は、まだまだ修行が足りぬな!」

「何を!」

 現代感覚で言えば、高校2年生と中学2年生が戦場に居る状況だ。

 いかに日本が荒れていた時代かが分かるだろう。

 後に《賤ヶ岳七本槍》に数えられる2人だが、残りの5人は、まだ初陣ういじんを飾っていない。


・平野長泰(1570年時点 11歳)

・福島正則(同上     9歳)

・加藤清正(同上     8歳)

・糟屋武則(同上     8歳)

・加藤嘉明(同上     7歳)


 なので、七本槍の中では、2人が最速という訳になる。

「「は!」」

 槍を持った2人は、戦場を駆け巡る。

 攻撃するだけで簡単な仕事だ。

 やがて、小谷城に火の手が上がる。

 正史では落城直前、お市と3人の娘たちが解放されたが、こちらの世界線では既に安土城にお市と茶々、お初が居る為、その心配は無い(お江は生まれる前)。


 嫡男ちゃくなん万福丸まんぷくまる(1570年当時 6歳)

 庶子しょし井頼いより(同上 0歳)

 ※史実での生年は元亀3(1570)~天正2(1574)年の間


 等、男児は報復措置対策の為に処刑される。

 幼子おさなごであっても容赦しないのは、かつて平清盛が源頼朝を許したことで、その後、平家が滅亡に至った事例がある為だ。

「号外! 号外だよ!」

 織田・徳川連合軍の戦闘の様子は、瓦版かわらばん(現・新聞)で煽情的せんじょうてきに報道される。

 中には無惨絵むざんえのような、筆舌し難い絵を掲載する瓦版も。

 娯楽が少ない時代は、古代ローマ時代の剣闘士グラディエーター等に代表される様に。

 残酷なものも娯楽の一つだ。

「凄いな。織田は」

「流石、逸早いちはやく上洛を果たした御仁ごじんだけある」

 飛ぶ鳥を落とす勢いの信長に公家たちも注目せざるを得ない。

「地方の武将だが、その能力は本物でおじゃるな」

「幕府が衰退期にある今、次の政権は織田が最有力候補でおじゃるな」

 室町幕府の滅亡時期については、一般的には元亀4(1573)年)7月に15代将軍・義昭が信長によって京都から追放された時点が語られている。

 その他の説としては、とも幕府(*4)(1576~1588 (*5))説もあるが、前者が教科書等では採用されている。

 多くの公家は、既に室町幕府を死に体レームダックと見ており、次の政権運営に足りる人材を探している状態にあった。

「近衛殿、貴殿はどうお考えで?」

 水を向けられたのは、近衛前久このえさきひさ(1570年現在 34歳)。

 史実では永禄11(1568)年に足利義昭との対立の末、朝廷から追放され、帰洛きらく出来たのは、天正3(1575)年のことであった。

 この世界線での前久は、有志ゆうしの公家の協力により、密かに帰洛を果たしていた。

「瓦版が全て真実かは分からないが、先日の金ケ崎合戦で突如現れた正体不明の侍が気になるな。6尺(約181・8cm)もあり、投げやりも得意で黒頭巾くろずきんを被った猛者は、今後、戦の世を終わらせる鍵になるかもしれぬ」

「おお」

「では、そやつが仕官した織田が次代じだいに最も近しい人物と?」

「恐らく……」

 前久は腕組みをする。

「ですが……これはかんにはなりますが」

「「「はい?」」」

 他の公家たちがにじり寄る。

 近衛家17代当主・近衛前久は、公家の中で有力な人物だ。

 かつては上杉謙信と盟約を結び、足利義栄将軍就任にも大きく関与した。

 これほど政治に積極的な公家は、中々なかなか居ないだろう。

 烏帽子えぼしを揺らしながら前久は言う。

「その者は、いずれ大物食いになるかと思われます」

「「「……」」」

 話を聴いた公家の視線が瓦版の記事に行く。

「この者が気になりますでおじゃるね」

「そうでおじゃりますね」

 公家の界隈かいわいでは、亜蓮が話題トレンド入りするのであった。


 火縄銃を日本で初めて導入し、国産化に大きく貢献したのは、種子島第14代当主・種子島時堯たねがしまときたか(1528~1579)である。

 しかし、彼は注目し、命じただけであって実際に現場で活躍のは、刀鍛冶かたなかじ八板金兵衛やいたきんべえ(1502~1570)だ。

 彼は天文12(1543)年、2挺の火縄銃を手に入れた時尭に鉄砲製作を命じられ、製作に着手した((*8) ※火薬の研究を家臣・篠川小四郞)。

 そして、2年後の天文14(1545)年に国内初の国産鉄砲製造に成功する。

 命じられてから2年後での成功は、早いと見るか遅いと見るかは人それぞれだろう。

 が、今まで銃が無かった日本を考えると、2年は途轍とてつもない早さかもしれない。

 それが現代のものづくり大国・日本の遺伝子の可能性も考えられるだろう。

 そんな金兵衛だが、元亀元(1570)年は没年の時期である。

 5月の時点ではまだ存命だが、それでも史実では9月8日(10月7日)に死没が迫っている為、時間は無かった。

「……」

 よぼよぼの金兵衛は、種子島で本土から届いた瓦版を凝視する。

 人間50年とされた時代に70歳近くまで生きれたので、現代の感覚では大往生だろう。

 それでも死の間際にこんな記事を読んでしまった以上は、行きたいという気持ちが強くなっていく。

「ごほごほ……」

 布団に吐血しながらも、瓦版に掲載されたM16の絵を和紙に模写していく。

 独自の視点からの考察も忘れない。

「銃身は……このくらいか。いや、もう少し長いか。連発式となると、一体、どういう仕組みなんだ? 特殊な絡繰からくりなのか?」

 ぶつぶつ呟きながら研究を続けるのであった。


[参考文献・出典]

*1:編・花ヶ前盛明『前田利家のすべて』(新装)新人物往来社 2001年

*2:『フロイス日本史』

*3:フロイスの書簡 1584年1月20日付

*4:久野雅司『足利義昭と織田信長 傀儡政権の虚像』

  戒光祥出版〈中世武士選書40〉 2017年

*5:山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』

  ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉2019年

*6:『歴代古案』

*7:「尊経閣文庫所蔵文書」『上越史』337

*8:『鉄炮記』

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