第3話 ある夫婦の死別

 神宮寺亜蓮の自衛官時代の階級は、3佐(少佐に相当)。

 退官後、義勇軍に入った後も階級は少佐だ。

 その為、何かとこの階級に縁があるのは、確かである。

 元亀元(1570)年5月1日。

 そんな優秀な軍人である亜蓮は、織田信長から用意された屋敷で過ごしていた。

 織田軍と徳川は現在、再建中だ。

 金ヶ崎合戦直前の永禄13(1570)年4月20日(太陽暦:5月24日)、京を発つ際、両者の連合軍は3万も居た(*1)。

 合戦の織田軍の被害については、


『人数崩れけれども宗徒の者どもつつがなし』(*2)

『信長・松永悉昨日京迄引退了、廿五日人数二千余も損歟ノ由也、近日江州牢人衆蜂起、浅井手ヲ返シ色立ト云々、實歟不知』(*3)


 と記録され、4月30日(同:6月3日)に京に帰った際の信長の供は僅か10人程度であった(*4)。

(戦には勝ったものの、再建には時間がかかるだろうな)

 縁側に座ったまま、池を優雅に泳ぐ鯉を眺めていると、

「もしもし」

 背後に人が来た。

 直後、振り返った亜蓮は、その首に手刀を叩きこもうとする。

 相手次第では、首の骨が折れるほどの勢いだ。

 しかし、寸前で停止させる。

「う」

 目の前に居たのは、絶世の美女であったから。

 その美しさは、


・37歳の時点で、実年齢よりも遥かに若い22、23歳に見えるほど若作りの体(*5)(*6)。

・「天下一の美人の聞へ」(*7)(*8)

・「天下第一番の御生みあれ付」とあって貴人として尊敬された(*8)(*9)


 と記録されている為、その容姿の美しさが想像出来るだろう。

「……私の首をし折ろうとしましたね?」

「……癖でですね。申し訳御座いません」

「いえ、武人としては当然のことです」

 お市も信長の妹だけあって軍事に理解がある。

「隣に座っても?」

「どうぞ」

「失礼します」

 お市は座ると、左隣を指し示す。

貴方様あなたさまも座って下さいませ」

「分かりました」

 隣に座ると、お市は尋ねた。

「何故、戦功を羽柴殿にお譲りされたので?」

「譲ったというか、どさくさ紛れに奪われた感じですね」

「……では、夫を殺すつもりだったと?」

「いえ、裏切った理由を調べる為に生け捕りを目指していました」

 浅井長政が義兄・信長を裏切った理由は、現在に至るまで判っていない。

 俗説ぞくせつとしては、「朝倉氏との同盟関係を重視した」というのが有名だが、これは江戸時代の創作物が由来であり、学術的にはこの裏切り以前における朝倉氏との同盟関係の存在は、


亮政すけまさ(1491~1542 浅井氏初代当主)

・久政(1526~1573 浅井氏2代目当主)


 の代を通じて否定されている(*10)。

 もっとも当時の国衆は複数の大名に服従することが可能であった為、長政は六角義賢から離反した際に義景に臣従し、信長の上洛に際して信長にも臣従したものの、義景と信長が対立した結果としていずれかとの従属関係を破棄する必要に迫られた説もある(*11)。

 こうした背景から亜蓮が長政の生け捕りを目指すのは、当然のことであった。

「……では、羽柴殿の暴走と?」

「そうですね。殺害に関しては、自分は一切関知していませんので」

「……」

 責任逃れ、とも解釈出来る発言だ。

 が、実際問題、亜蓮は戦後の論功行賞ろんこうこうしょうの場において自分の手柄を主張アピールしていない。

 そして現場に居た、


・織田信長

・徳川家康

・池田勝正(摂津池田氏当主、池田城主)

・明智光秀

・松永久秀

・朽木元綱

 

 らにお市が事情聴取を行った所、誰もが「秀吉の暴走に見えた」と証言している。

「……そうですか」

 お市は隠し持っていた暗器の使用を中止した。

 回答次第では、亜蓮を殺害後に自殺する予定だったが、すんでの所で彼は救われた形だ。

 亜蓮が言う。

「お節介かもですが」

「はい」

「殺気は抑えておいた方が良いですよ」

「!」

 驚いて見ると、亜蓮は微笑んでいた。

「暗器もちゃんと隠しておいた方が返り討ちにう可能性を低くさせるかと」

「……気づいていたんですね?」

「プロ―――玄人くろうとですからね」

「……」

 お市は小さく両手を上げた。

「降参ですね」

賢明けんめいです」

 亜蓮は、笑顔で続ける。

「それとお子様のことを考えて下さい」

「!」

「父を亡くしたお子様は、次に母を亡くすのは、あまりにも可哀想です」

「……」

 茶々とお初の顔が、お市の脳裏によぎる。

「……申し訳御座いません」

「自分ではなく、お子様に謝って下さい。一時の感情で自分を見失わないことです」

 まるで僧侶の説法せっぽうのような口ぶりだ。

 しかし、正論なので、お市は何も言えない。

「……ずるいですね。完敗です」

「はい?」

「貴方のことが気に入りました。許してあげましょう」

「は、はぁ……」

 よく分からない言葉に、亜蓮は戸惑うばかり。

「では、失礼しました」

 お市は立ち上がって去っていく。

「?」

 亜蓮の頭上には、「?」が沢山浮上するのであった。


(面白い男)

 2人の会話をふすま越しに聴いていた濃姫(1570年現在 35歳 (*12))は、ほくそ笑む。

 《美濃のまむし》と呼ばれた、道三流斎藤氏初代当主・斎藤道三(1494? ~1556)の娘だけあって、その雰囲気は非常にボーイッシュだ。

 信長の妻であるが、濃姫は亜蓮に関心を寄せ始める。

「西美濃三人衆(*13)!」

「「「は」」」


・稲葉良通(=稲葉一鉄 美濃国曽根城主)

・安藤守就(美濃国北方城主)

・氏家直元(=氏家卜全ぼくぜん 氏家氏12代当主)


 が呼ばれる。

 3人は、濃姫が美濃国(現・岐阜県南部、愛知県のごく一部)に居た時からの知り合いだ。

「あの者を徹底的に調査しなさい」

「「「は」」」

 3人は一礼し、去っていく。

 1人残された濃姫は、考える。

神宮寺じんぐうじ、貴方は何者なの?)

 名字としての由来は、甲斐国(現・山梨県)が起源ルーツである(*14)。

 清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)武田氏族(*14)。

 現代日本では珍しい名字とされ、名字としての8545位、人数としては約920人しか居ない(*14)。

 珍しい名字であり、名乗っている人々も少ないことから調べるのは、難しいだろう。

 起源を考えると、甲斐国出身なのだが、亜蓮は戦国三英傑との面談で「武蔵国出身」と答えている。

 甲斐国と武蔵国は、地理的に隣同士なので、そういう意味では誤差の範囲内だろう。

(それにしても運の悪い男ね。んでいる女に優しい言葉をかけるだなんて……どうなるか予想出来るじゃないの)

 お市と長政は戦国きってのおしどり夫婦として知られていた。

 夫の死を知った時は、半狂乱になっていたほどだ。

 そんな女性の心に亜蓮の運命は、自明の理であろう。

(馬鹿な

 濃姫は内心でケラケラとわらうのであった。


[参考文献・出典]

*1:『言継卿記』

*2:『朝倉家記』

*3:『多聞院日記』元亀元年5月1日

*4:『継芥記』

*5:『溪心院文』

*6:宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ 2010年

*7:『祖父物語』

*8:岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣出版 1999年

*9:『賤嶽合戦記』

*10:太田浩司「浅井長政と姉川合戦: その繁栄と滅亡への軌跡」サンライズ出版

   2011年

*11:著・長谷川裕子「浅井長政と朝倉義景」

   編・樋口州男 戸川点 野口華世 他『歴史の中の人物像―二人の日本史』

   小径社〈小径選書 4〉 2019年

*12:編・黒川真道 『国立国会図書館デジタルコレクション 美濃国諸旧記』

   国史叢書 1915年

*13:宮本義己「美濃三人衆の去就―織田信長の美濃経略―」『歴史手帳』6巻1号

   1978年

*14:名字由来net

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