第2話 一騎当千

 織田信長(1570年時点 36歳)の人物像については、


『彼はちゅうくらいの背丈で、華奢きゃしゃ体躯たいくであり、ひげは少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。

 彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。

 いくつかの事では人情味と慈愛を示した。

 彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。

 貪欲でなく、甚だ決断を秘め、戦術に極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。

 彼はわずかしか、または殆ど全く家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏敬されていた。

 酒を飲まず、食を節し、人の扱いには極めて率直で、自らの見解に尊大であった。

 彼は日本の全ての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。

 そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した。

 彼は戦運が己に背いても心気広闊こうかつ、忍耐強かった。

 彼は善き理性と明晰めいせきな判断力を有し、神及び仏の一切の礼拝、尊崇そんすう、並びにあらゆる異教的占卜せんぼくや迷信的慣習の軽蔑者であった。

 形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位けんい(=高位)に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰等は無いと見なした。

 彼は自邸において極めて清潔であり、自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、対談の際、遷延せんえん(=長期化)することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の家来とも親しく話をした。

 彼が格別愛好したのは、


・著名な茶の湯の器

・良馬

・刀剣

・鷹狩り


 であり、目前で身分の高い者も低い者も裸体で相撲ルタールをとらせることを甚だ好んだ。

 何人なんぴとも武器を携えて彼の前にまかり出ることを許さなかった。

 彼は少しく憂鬱ゆううつな面影を有し、困難な企てに着手するに当たっては甚だ大胆不敵で、万事において人々は彼の言葉に服従した』(*1)


 と、当時の宣教師の1人、ルイス・フロイスは紹介している。

 もっともこのような「絶対君主」的な信長像は、ある歴史学者は信長の実際の言動と矛盾しない適切な描写であると言う(*2)。

 この他、こうした人物像は日本の史料で確認できない部分も多く、このフロイスによる信長の評価を鵜呑みにすることは問題も多いとする歴史学者も居る(*3)。

 その為、実際問題、信長がどんな人物であったかは評価が分かれる(or分からない)というのが実情だ。

 

 続いて羽柴秀吉(同上 33歳)、


 朝鮮使節

『秀吉は顔が小さく色黒で猿に似ている』(*4)。

 ルイス・フロイス

『身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。

 目が飛び出ており、中国人の様に髭が少なかった』(*1)


 と他者から評価され、秀吉本人も、

『皆が見るとおり、予は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ』(*1)


 と語っている。


 最後に徳川家康(同上 27歳)。


 ルソン総督

『彼は中背の老人で尊敬すべき愉快な容貌を持ち、太子(秀忠)の様に、色黒くなく、肥っていた』(*5)


『下腹が膨れており、自ら下帯を締めることができず、侍女に結ばせていた』(*6)(*7)


 家康着用の辻ヶ花染の小袖は、身丈139・5cm、背中の中心から袖端まで59cmの長さがある為、身長は推定155~160cmとされる(*7)。

 

 その3人の前に居るのは、180㎝で目出し帽を被った男。

 男はM16を愛銃として手放すことはない。

 信長が口を開く。

「そのほう、名は何と申す?」

「……神宮寺亜蓮じんぐうじあれんと申します」

「神宮寺? 僧侶か?」

「いえ」

「では、生まれはどこだ?」

「関東———武蔵国(現・東京都と埼玉県及び神奈川県の川崎市、横浜市)です」

「なるほど……顔を見せてはくれんか?」

「は」

 大男———亜蓮あれんは、目出し帽を脱いだ。

「「「う」」」

 戦国三英傑(*8)は、同時に息を飲む。

 その額には、はっきりと風穴の跡があったから。

(……傷のある顔か)

 また、異人いじん(現・外国人)を思わせる風貌ふうぼうなのは、彼が外国系だからだ。

 亜蓮の父親は在日米兵。

 その為、外国人を連想させる顔立ちなのである。

 3人の反応に亜蓮は、察した。

 今度は家康が質問する。

其方そなたは浪人か?」

「はい」

「その……黒い筒はなんだ?」

「説明が難しいのですが……端的に言えば、連発出来る火縄銃といった感じです」

「「「なんと!」」」

 火縄銃は次弾が放てるまで30秒~1分かかる(*9)。

 それが連射出来るのは、戦に大きな影響を与えることは間違い無い。

 信長が提案する。

「神宮寺殿、貴殿の手助けにより、《猿》が裏切者と朝倉を討つことが出来た。その戦功を鑑み、貴殿を雇いたいのだが……どうだろうか?」

「そうですね……では、相応のろく(現・給料)をご用意して頂きたいのですが」

「分かっている。それともう一つ」

「はい」

「その銃を量産したい。解体しても?」

「どうぞ」

 そのまま渡す。

 秀吉は眉をひそめた。

「案外、簡単に渡すんだな?」

 首級を獲ったのだが、補助アシストされたのは、気に食わなかったようだ。

「作り方や直す方法は全部、記憶しているので」

「……」

 M16を献上された信長は、家康と一緒に凝視する。

「やはりどこから見ても火縄銃とは程遠いな」

「神宮寺殿、何発連射出来るのですか?」

「20発ですね」

「「「なんと」」」

「弾倉もありますので、更にその時間を迅速にすれば、弾倉が無くなったり、銃身が壊れない限り、連続で撃てますよ」

「「「……」」」

 亜蓮の説明に戦国三英傑は、しばら茫然自失ぼうぜんじしつになるのであった。


「……」

 亡き夫の頭蓋骨をお市は、仏壇の前で優しく抱きしめていた。

 お市は、


『37歳の時点で、実年齢よりもはるかに若い22、23歳に見えるほど若作りの体であった』(*10)(*11)


 というのだから、元亀元(1570)年現在23歳の今は更に若く見えている。

 当時の絵画集(*12)で美男子に描かれた浅井長政と結婚した夫婦は、「戦国一の美男美女夫婦」とされるのも頷けるだろう。

 そんな夫は既にこの世に居ない。

 一世一代の賭けに敗れたのだ。

 これで、


・茶々(1570年現在1歳 ※生年は1566年説、1567年説もある)

・お初(同    0歳)


 を育てる未亡人となった。

 末子まっしのお江は、天正元(1573)年生まれ(*11)の為、まだこの世に生を受けていない。

「……」

 夫の頭蓋骨が涙の雨で濡れていく。

 戦なので仕方のないことなのだが、それでも悲しいし、討った秀吉が憎い。

(……神宮寺と《猿》め。許すまじ)

 その目は業火に包まれていた。


[参考文献・出典]

*1: ルイス・フロイス

  訳・松田毅一 川崎桃太『完訳フロイス日本史』全12巻 中公文庫 2000年

  一部改定

*2:池上裕子『織田信長』 吉川弘文館〈人物叢書〉 2012年

*3:神田千里「ルイス・フロイスの描く織田信長像について」

  『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』41号 東洋大学 2015年

*4:『懲毖録』

*5:『ドン・ロドリゴ日本見聞録』

*6:『岩淵夜話』

*7:宮本義己『徳川家康の秘密』KKベストセラーズ 1992年

*8: 株式会社レッカ社『「日本三大」なるほど雑学事典』PHP研究所〈PHP文庫〉 2009年12月

*9:名古屋刀剣博物館 HP

*10:『溪心院文』

*11:宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ 2010年

*12:『絵本太閤記』

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