法務省男女共同参画推進本部少子化推進室からのお知らせです。

駄文科卒

啓発動画を再生します。

(今夜でキメられそうだな…!)

 俺こと、八木啓二やぎけいじは期待に胸を膨らませていた。

 俺のような都内に勤める平凡な独身サラリーマンにとって、週末の土日二連休は貴重だ。そこに加えて、見目麗しい女性と夕食となれば、黄金にも等しい価値がある。

 彼女とはマッチングアプリを通じて知り合い、これが3度目のデート。お互い気心も知れてきて、いよいよ関係を進める時が来たと思っている。

 イタリアンレストランからの帰り道、彼女が栗色の髪をかき上げ、耳元でささやく。彼女の髪が街の明かりを受けて光る。

「色々と仕事の愚痴を聞かせちゃってごめんね。啓二さん、何か話しやすいんだよね。」

 少し濡れたような彼女の声に、俺は軽く返す。

「別に気にしなくて良いよ。少しでもストレス解消になれば何よりです、お嬢様。」

 そう、気にする必要はない。俺は右から左へ聞き流してたんだから。

「やだも~。…でも、ありがと。こんなこと吐き出せる人、他にいないから。」

「ホントに?」

「いないわよ。同僚はみんな男ばかりで、やれセクハラだコンプラだとかいって、遠巻きにしてるだけだもん。男ばかりで連れ立って飲みに行って、私なんか飲み会にも呼ばれないのよ。」

「マジか。でも、そっか…俺だけって、なんかうれしいな。」

 彼女と見つめ合う。少し潤んだ瞳。彼女の頬が赤いのは、先ほど飲んだワインのせいだけではないはず。

 ここぞとばかりに、俺はフックを使う。

「実は、いいワインが手に入ってさ。でも、一人でワイン一瓶って何日もかかって風味が落ちるし、なかなか手が付けられなくて。だから…二人で一緒に飲もう。」


 深夜11時過ぎ、都内の俺の部屋。とっておきのワインは、俺と彼女がすでに空にしている。

 カウチの上でまどろむ彼女に、俺は体を重ねていく。

 彼女はぽつりと、

「…イヤ。」

「ホントに?イヤなら止めるけど?」

「バカ。」

 彼女はブラを外せとばかりに、少し上半身を浮かせる。

 俺は脳裏に何か引っかかるものを感じながらも、彼女の背に手を伸ばして……視界の隅を、ワインの空き瓶がよぎった。ワイン、すなわちアルコール。


 その時、八木に電流走る――!


 俺は彼女から飛び退く!

 目の前に特大の危険物があることに気づき、身構えたままじりじりと後ろへ下がる。

 彼女は体を起こしながらいぶかしげに、

「どうしたの?」

「駄目だ。これは犯罪になる。」

「犯罪?何言ってるの?」


 俺は自室のノートPCを立ち上げ、彼女に法務省のウェブサイトを見せた。

「刑法第177条、不同意性交等罪?これがどうしたっていうのよ?私も貴方も大人だし、同意してるじゃない。」

 俺はページをスクロールし、

「ここだ。」


『不同意わいせつ罪・不同意性交等罪では、「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」の原因となり得る行為・事由として、以下の8つの類型が例示されています。(中略) (3) アルコール若しくは薬物を摂取させること又はそれらの影響があること』


 彼女はこめかみを指で揉みながら、

「つまり、どうすればいいわけ?」

「少なくとも、アルコールが体に入ってる状態では駄目だ。一旦、酔いを醒まさないと。」

「いや、レストランで飲んで、さらにふたりでワインを一瓶空けたから、多分明日まで残ってるわよ。」

 酔いはともかく、男女のいい雰囲気はとっくに消え去ってるわけだが。

 もうなるようになれと、俺はさらに言葉を重ねる。

「念のために、文書を取り交わした方が良いな。出来れば公正証書で。」

「公正証書て。」

「写真入りマイナンバーカードは作ってる?」

「写真無しなら作ったけど、どこに仕舞ったか分からないわよ。」

「なら、実印と印鑑証明書がいるな。それと公証役場を予約しとかないと。」

「…いやマジで?マジなの?これ。」


 週明け早々、上司に睨まれながら有休を取り、彼女と公証役場に向かう。

 寒々とした事務所の中、彼女と二人並んで座り、公証人が同意書を読み上げるのを聞く。

「…甲乙が同意する性行為の内容については、次の各号の通りとする。1.接吻。2.女性器に男性器を挿入する行為……」

 平日の、しかも面倒な手続きなのに、わざわざ実印と印鑑証明書を持ってきてくれた彼女には感謝しかない。だが、彼女の表情は死人のそれに近い。おそらくは俺もそうだろう。

 さらに同意書の読み上げは続く。

「…本同意の当事者は、それぞれ相手方に対し、次の各号の事項を確約します。1.自らが、暴力団、暴力団関係企業、総会屋若しくはこれらに準ずる者又はその構成員…」

 暴力団排除の定型文だが、これでよかったんだろうか?以前仕事でやった契約では、もっと条項が多かったはず。いや、地域差があると聞いたおぼえがあるな。

 長々とした読み上げがようやく終わり、公証人が告げる。

「以上の内容で同意するのであれば、同意書3通に署名と押印をしてください。甲乙それぞれに1通、公証役場で1通を保管します。」

 俺と彼女は顔を見合わせ、

「「やっぱり止めます。」」


 当事者双方の同意のない性行為は違法です。

 同意の確定には、公正証書をご活用ください。

 法務省男女共同参画推進本部、少子化推進室からのお知らせでした。

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