第4話 無職と無色
一番苦労したのが、根雪のような常識を改めたい自分、反発する自分との葛藤だ。
平日は決められた時間に目を覚まして、変化の乏しい行動を熟して、休日前から休日に向けての準備をして、典型的な休日の選択肢から淡々と過ごして、永続的に反復する。
スーツを着用する人種よりも、私服若しくは作業着の人種を見下す偏見を持っていた。
スーツこそ、使う人間の象徴であり、使われる人間を使役するが、使う人間にも頭を使う、を筆頭に人体の部署による優劣、カネ及び気まで様々で、使えない人間は論外だ。
猛暑及び厳冬も関係なく、屋内で執務出来る人種の優越性に酔い痴れて、感謝した。
四季の変化を自分で感じるのではなく、他人から教えられる愚かしさを、意識することもなく、寿司詰めになり、不愉快な空間で過ごす人生の浪費を、敢えて無視していた。
スーツを纏い、ネクタイを締めて、整髪料で塗り固めると、無敵になった気がした。
米搗きバッタの如く頭を下げながら「お前ではなく、持っているカネだ」と嘯いて、自分を誤魔化さずには、自尊心を保つことが出来ない、抑々「当たるも当たらぬも八卦」
働くとは「はた」を「らく」にさせることだと書いた文章を見付けた記憶がある。
子供の頃、教育テレビで働くおじさんという番組を観て、路上や公園に屯する働かないおじさんを軽蔑していたが、その境遇になると、其々の背景に思い至る優しさが欲しい。
満員電車の切符も貰えない、哀れな自分に対する嫌悪感で押し潰されそうになる。
何の意味もなく、乗り込もうと考えたが、コロナ禍の状況で、火中の栗を拾う馬鹿馬鹿しさに気付いて、踏み止まった、働かざる者食うべからず、人生初の不眠症に陥った。
歌舞伎町は昼夜逆転しており、大音量で深夜に起こされると、眠ることが出来ない。
深夜の定刻になると絶叫する声が、僕の安眠を妨げて、不眠症で体調を崩してしまい、追い打ちを掛けるように、間違って扉を開けようとする酔っ払いに、恐慌を来した。
生命の危機を感じたので、夜の歌舞伎町に飛び出して、光と音を求めて彷徨い続けた。
鍵が閉まっていたので、助けと求めて叩き続けた「近所迷惑なので、止めて下さい」と素気なく断られて、次の扉を叩いていると「閉店したので、営業時間に来て下さい」
落ち着きを取り戻すと病院前の公園には、立ちんぼや酔っ払いの群れが蠢いていた。
最も忌み嫌っていた筈の連中であったが、否定的な感情は一切起こらず、寧ろ生命力に満ち溢れた純粋且つ神聖な存在のように思えた、僕が一番欲しかったものを口遊んだ。
歩き疲れて、帰宅すると騒音も気にせず、泥のように眠り、正午まで冬眠した。
話し相手が欲しくて、ガールズバーに入って、深夜の絶叫を話すと「それって、ラスソンでしょ」理解出来ない僕に「ホストクラブのラストソング」補足説明をしてくれた。
一番売上げたホストが、太客である姫(最もカネを貢いだ)に捧げる歌だそうだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言い得て妙であり、実際に恐怖の対象から、だから人間っていいなと、少しほっこりした気持ちになっている僕の中で、化学変化が起こった。
昨晩、訪問した二件に腹を立てていたが、昨今の状況を鑑みると当然の自衛手段だ。
気を取り直して、二件目を訪問すると「昨日は失礼しました、タレコミとか怖いんで」覚えていてくれたんだと幸せな気持ちに包まれると、何もかもバラ色に変わっていた。
気が付くとカラオケが始まり、年配は演歌若しくはグループサウンズを熱唱していた。
若者は流行の歌を只管本人に寄せて、悦に入っており、一体感を感じられず、バラ色がセピア色に染まり、帰りたくなった「良かったら、一曲如何ですか」と水を向けられた。
店の雰囲気を壊さない為、出来るだけ履歴の中から選択をするように教えられた。
自動車ショー歌を選択すると年配の心は掴んだのは良いが、承諾も得ずに割り込んで来たので、腹を立てて拳を効かせて撃退しようと考えたが、寸止めで踏み留まった。
「お兄ちゃん、若いのに上手いね、日本酒は飲めるの」返事よりも先に御猪口が来た。
「昭和歌謡にも興味あるので、ご一緒に歌って貰えますか」若者に話し掛けられたので「是非ご一緒しましょう」銀座、赤坂、六本木よりも和やかな新宿方式が気に入った。
自分の歌以外に興味を示さず、次の曲を探す乾いた雰囲気が、一変するのを感じた。
カラオケの巧拙により、優劣を競うのでなく、自分の歌いたい曲の反応を見ながら、一体感を醸成していく過程こそ、本当の醍醐味だと気付かせられる、貴重な機会となった。
採点機能を過信すると正確さだけを追求するので、無味乾燥で味気なくなってしまう。
極論を言ってしまえば、点数を競うカラオケは時間の無駄であり、原曲とは違った個性こそ、最も重要な要素だと思う、横並びを標榜しながら、点数を競う日教組の呪縛だ。
蝶よ花よと育てられて、生き馬の目を抜く社会に投げ出さると適応障害を起こす。
容赦ない弱肉強食こそ、国際社会の象徴となっており、話せばわかると説得を試みた宰相は凶弾に倒れた、残念ながら力による裏付けがなければ、基本的人権も存在しない。
紛争地域だけでなく、覇権争いの過程で、勢力均衡が成立しているか否かの差だ。
シマウマやガゼルが群れから脱落して、ライオンに食べられる映像を見て、可哀相だと涙を流しても、飢え死にを免れた現実は無視されて、慮外に葬り去られてしまう。
平気で牛肉を食べているが、十倍以上の穀物を費やして、飢餓地域を意識しない。
食物連鎖によって生態系が規定されるが、人間は発達した脳が生み出した道具及び技術を駆使して、超越した頂点に君臨しながら、只吾足るを知るに至らず、口を求める。
不機嫌は伝染して、場の雰囲気を悪化させるが、上機嫌は笑顔の連鎖を生み出す。
泣いている人がいれば、寄り添う優しさが必要であり、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだと出来る限り、意識するように心掛ければ、少しだけ生き易くなる。
雨が降っているだけで、陰鬱な気持ちになるのは、抑々晴れを期待していたからだ。
傘や合羽、長靴を新調していたならば、雨が待ち遠しい筈であり、作物が成長するのには必要不可欠な要素であり、それ自体には積極的若しくは消極的な意味はあり得ない。
出る杭は打たれるので、金太郎飴式教育の弊害は、大器晩成を許さないことにある。
早生まれになると、一年弱も発育が遅くなり、三つ子の魂百までの通り、固定化されてしまい、消極的な正確になりがちなので、配慮が必要となることを家族も理解すべきだ。
四月生まれなので、恩恵に恵まれるだけでなく、幸い男女差も周囲に理解があった。
出来ないことを責めるのではなく、出来ることを褒めることで、逆境を乗り越える耐性が強化されるので、目標達成による充実感を味わい、更なる好循環を誘発出来る。
長男に対する過度な期待も、兄弟間に隔絶を生む可能性を孕む旧弊の一つである。
早熟であるが故に、失敗を恐れて消極的になり、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥を体現してしまうので、結果よりも過程を重視して、質問する力こそ考える力の源泉だ。
学ぶは真似ぶ、の筈であるが、模倣を蔑む風潮によって、想像力の芽を摘んでしまう。
幼少期に必要なのは、暗唱や反復による長期記憶である基礎学力の向上なのに、受験戦争の前倒しによって、短期記憶に偏重した暗記や過去問題の詰め込みを改めるべきだ。
和やかな雰囲気になった中で、顰め面でデンモクと睨めっこする一人の若者がいた。
端正な顔に不似合いな悲壮を漂わせた表情なので、彼のことを周囲に尋ねると「大学受験に失敗した浪人生が、売れないホストに身を落とした屑だ」侮蔑を込めて唾棄した。
地元では文武に秀でた英才の誉れも高かったが、大学受験の失敗で道を踏み外した。
ニューフェイス、万年補欠、ブルペンエース、昭和枯れ薄等の悪辣な綽名によって、嘲笑対象になっていたが、意に介していない。
堅苦しく思い詰めた面立ちで、砂糖より甘い曲を切々と歌う違和感に興味を覚えた。
早い時間に立ち寄り、意識的に彼の傍に座るように心掛けて、通い続けると「最近、一緒になることが多いですね」以外にも穏やかな、優しい表情で語り掛けられた。
赤蕪で有名な福島県にある市町村出身であったので、僕も簡単な自己紹介をした。
子供の頃から、神童の誉れ高く、家族の期待を一身に背負って、最高学府の文Ⅰを目指しており、全国模試でも合格圏内であるA判定評価だったので、自分を過信していた。
受験当日も意識して、普段通りの行動を心掛けていたが、却って裏目に出てしまった。
抑々自宅ではなく、ホテルに宿泊していたので、窓からの景色も枕の高さも全く異なっており、初めての東京ではなかったが、前日から歯車が狂ってしまい、気が動転した。
東京には空がないと悲嘆した、芸術家の言葉を思い出して、息が出来なくなった。
惨憺たる結果に終わってしまい、東京で浪人生活が始まったが、実感が涌かず「悪夢なら覚めてくれ」只管念じて過ごすも、益々気が滅入るだけで、無間地獄に苛まれた。
「記念受験なので、一年後に追い掛けるから」慕っていた同級生が現役で合格した。
好意を持っていた訳ではなかったが、惨めな結果を受けて、関係に隙間風が生じて、顔を合わせるのも億劫、次第に苦痛となって、次第に疎遠になり、音信不通になった
彼女には何ら過失もないのに、傍らに寄り添うだけで、惨めな気分になってしまった。
存在や人格を否定するような、暴言を吐いてしまった後で自己嫌悪に陥るが、同じ過ちを繰り返してしまうので、本郷から歌舞伎町に引っ越して、消えることを心に決めた。
失った自信を取り戻す為、歌舞伎町を象徴する職業で頂点になろうと安易に考えた。
自意識過剰及び過大評価の塊であり、知性が存在せず、風采も冴えない同僚が次々に指名を獲得していったが、観ると登る、で評価が全く異なる富士山男と揶揄されていた。
ワンルームに二段ベッドを二台も詰め込む現代の蟹工船が定宿となり、抜け出せない。
一時の興奮と快楽を得る為、身を持ち下してしまい、水商売から風俗嬢に転落して、文字通り風呂に沈められる現実を目の当たりにして、凝り固まった常識がブレーキを踏む。
自分は覚悟さえ決めることの出来ない、中途半端な人間だと囁く、自分と対峙する。
水商売や風俗嬢が主要客であり、枕営業も辞さない第二部よりも、ビジネスタイムで働く女性を対象にした第一部が主流となり始めると勝機ありと踏んだが、当てが外れた。
売掛金が回収出来ずに飛んでしまった、同僚の哀れな末路も数多く、見続けてきた。
華やかなスターホストも、所詮は裏社会とズブズブの太客に生殺与奪、一瞬先は闇の世界であるが、尻尾を巻いて逃げる訳にないかない、前門の狼後門の虎で身動き出来ない。
狡猾な大人に手綱を握られた鵜であり、白猫でも黒猫でも鼠を取る猫が珍重される。
未成年であることを隠して、踏み倒される事例も過去にはあり、No.1ホストが有名AV女優に啖呵を切られる場面にも遭遇することもあった、ある女性が思い浮かんだ。
No.1になる以前に必ず越えなければならない壁があり、それがラスソンだ。
一日の最高売上を獲得すると、最後に実現してくれた姫にお礼の一曲を捧げる権利を得ることが出来る、残念ながら一度も恩恵に浴していないが、毎日練習は欠かさない。
営業自粛期間であり、八時閉店で眠った街で大箱以外に営業している店は殆どない。
二十四時間営業の中華料理店及び歌舞伎町に集積する喫茶店チェーンは、煌々と明かりを絶やさず、同伴アフターで三密状態になっているが、その片隅で彼は僕に語った。
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