第3話 妻と母

苦い経験が下敷きなので、頭が真っ白になり、名称にも苦心して、遠回りもした。


嫁と姑も考えたが、家族単位でなく、個人単位で捉えると、妻及び母が適切であるが、僕との関係性を考慮すれば、母と妻とすべきかもしれない、正式に言えば元妻だ。




時間の流れを遡ることは、個人的に嫌いだが、便宜上、技巧的に用いることにした。


物事には順序があり、時間は不可逆的であるが、誕生から不即不離の関係である母、人生の一局面で偶然出会った妻を並列的に扱うことは困難なので、主義主張を捨てる。




妊娠六か月前、これ以上結論を引き延ばすことも出来ず、堕胎することを決めた。


生まれて来る筈の命には、一点の過失もなく、問題は僕の家族と僕、妻と僕の関係だけであり、煎じ詰めると僕一人の問題だったのだ、他に選択肢もあったかもしれない。




心理学による防衛機制が働き、記憶が散漫であり、僕の目線であることを強調する。


原則、時間の流れを逆にしているが、曖昧な記憶若しくは説明が必要な場合、前後関係が不明瞭になっており、繰り返しになるが、僕の目線だけであり、公平性に欠ける。




何もかも捨ててしまい、あらゆる柵から解放されて、三人だけで暮らしていこう。


内部告発を切っ掛けとした支店長との確執に疲れ切っており、赴任早々に再度、上司と衝突してしまい「お仕置き部屋」と呼ばれていた部署への人事異動が決定していた。




会社とは縁が切れるが、家族との関係は一時的な問題であると高を括っていた。


自社株を保有しており「期限を区切って、二年間だけ夢であった小説家に挑戦したい」と思い切って妻に打ち明けると「不安定な生活はしたくない」と切り捨てられた。




正月に帰省すると、普段は大歓迎なのにその年だけ、不穏な空気に包まれていた。


「何か言うことないんか」に「年末で混雑していたから、お土産は買っていない」と答えると父が激怒して、紙の束を叩き付けて「これについて、何か申し開きはないんか」




寝耳に水であり「何のことかわからへん」と正直に答えると火に油を注いでしまった。


父の説明によると、営業の最前線からお仕置き部屋に人事異動となり、給与水準が大幅に下がったので、甘やかした母に問題があるので、損失分の補填を求めていた。




伏線はあったが、妻との言い争いは勝ち目がないので、最初から逃げ続けていた。


「十年も勤務していて、何で預貯金がこれだけしかないの」実際に金遣いが荒いことこそ否めないが、換金性の低い自社株と高利回りの保険商品で資産形成を準備していた。




「株とか保険とかでなく、預貯金額を聞いているの」妻は全く聞く耳を持たない。


「これからは私が管理するから、預貯金と保険の名義変更をしましょう」面倒臭かったので、妻の言う通りに委任状を記入して、全ての手続きを一任することに同意した。




「十年間も杜撰な生活をしていたので、小遣い制にします」提示額は厳しかった。


外訪が中心なので、折角の手作り弁当も夕方に食べるしかなく、軽い昼食を別に食べていた、交通費も銀行振り込みだったので、還元されない為、成績が急低下した。




真ん中長男であり、甘やかされて育ったので、逆境を乗り越えることが出来なかった。


僕が一歳になるかならない家の頃、母が入院した為、姉は大人しかったので、喫茶店を経営していた祖母に預けられて、僕は小さ過ぎて父が毎日、保育所に預けていた。




一緒に寝た筈なのに、明け方になると父の布団に潜り込んでいるので、悲しかった。


負い目もある為、尚更母は僕を溺愛して「お姉ちゃんだから、譲ってあげなさい」対照的に「妹なんだから、譲りなさい」矛盾する発言さえ、気にも留めなかった。




世間は思った以上に狭く、僕の愚痴も金融関係に従事する姉妹にも届いてしまった。


同僚に愚痴を言うのではなく、夫婦が向き合って解決する問題が意図せぬ方向へと飛び火してしまい、燎原の炎となり燃え広がっていたが、知らぬは本人ばかりであった。




環境が激変した妻に同情して、父が庇っていたので、母の不満は燻り続けていた。


病弱な妻の代わりに両親が引っ越しの荷造りを手伝ってくれたが、ブランド品を目にした母の不満が憎悪に変化してしまった、心の籠ったプレゼントに対する手抜きだった。




二人の反目も、鈍感な僕は全く気付かず、誰も僕の耳に入れようとしなかった。


妻はマザコンと非難して、母は嫁の尻に敷かれていると父や姉妹に吹聴していたが、其々の立場から調停を試みたものの、母を依怙地にさせるだけで、寧ろ逆効果であった。




都内店舗から大阪府下の新天地に異動になり、心機一転を期していた最中であった。


認知症の疑いのある夫婦の口座で、経済合理性のない乗り換え営業が繰り返されていることを上司に指摘すると陰湿な嫌がらせが始まり、挑発に乗って暴発してしまった。




妻に事情を説明したが「幼馴染と旅行なので、帰宅後に詳細を聞かせて」と言った。


実家の父に事情を説明すると、妻が旅行を決行したことに憤って、態度が一変してしまい「大切な時に、一体何を考えているんだ、お前もお前だ」と怒りを隠さなかった。




僕の家族は一枚岩で僕を擁護したが、妻の家族は新婚なのに余りに軽率と非難した。


「弱い者虐めだけは許さないので、正しい態度だ」裏腹に「誰から給料を貰っているんだ」対立は激化して、収拾が付かなくなり、一時は単身赴任さえも検討された。




この程度のことで躓いて、単身赴任を余儀なくされるなら、この際離婚すべきだ。


父の頑な態度に妻の家族が折れて、お仕置き部屋と呼ばれた部署へ一緒に異動して、二人で助け合って再起を図っていくことに同意したが、妻一人だけ不満が残った。




父が豹変した理由も根深く、女性占い師に判断を委ねる妻の母への不信感を持った。


父の実家に襲い掛かった不幸を切っ掛けにして、祖母がある新興宗教に入信した結果、大きくはないが、先祖伝来の田畑と農家の収入としては、多額のカネを寄付していた。




自分にとって唯一の味方と思っていた父の造反は妻にとって、大きな痛手であった。


新興宗教への不信感もあったが、父にとって最大の不満は、妻と向き合おうとせずに曖昧な態度で逃げ続ける我が子であり、長男である僕の不甲斐なさ、そのものであった。




妻のことを母は、ブランド漁りする下品な女性と毛嫌いするが、実情は異なった。


陸上部で活躍する一方で、学業も秀でた才色兼備の女性であったが、僕と付き合うまでは、スチュワーデス(現、キャビンアテンダント)を目指して、人一倍努力していた。




中学卒業後、僕が合格出来なかった進学校に入学しても夢に向かって、努力した。


諦め切れなかった僕は、駄目元で告白したら「学生らしい、お付き合いなら」返事を貰って、有頂天になってしまい「お互いに一度、冷静になりましょう」切り出された。




二年間の冷却期間、僕は高校生活を満喫していたが、彼女は重病で入院していた。


何となく交際を再開したが、相変わらず僕は自分勝手に振る舞い、彼女を振り回すだけでなく、父を激怒させてことで、学費を止められてしまい、貧乏学生で苦労させた。




証券に就職すると、生来の適当な性格もあり、好成績のお蔭で羽振りも良くなった。


マフラーやセーター等を丹精込めて、用意してくれたのに、僕の方は百貨店で「好きなものを選べよ、ディナーの予約をしているから」言外に若気の至りで、彼女を求めた。




最初こそ遠慮していたが、開き直りを見せた彼女は、次第に高額な商品を求めた。


堕胎及び離婚を決断した夜に彼女が「本当はブランド品なんか欲しくなかった、寂しくかっただけ」本音を漏らした時、意地の張り合いの末、最悪の結末を悔やんだ。




覆水盆に返らず、後悔先に立たず、どんな言葉を尽くしても、戻ることは出来ない。


生んでくれた一番大切な母と一番大好きだった彼女が反目し合った原因は、自分の弱さを糊塗する為、双方に耳触りの良い情報だけを流し続けた挙句、自縄自縛になった。




気こそ揺るぐことはなかったが、体が浮ついてしまって、怒らせたこともあった。


韓国旅行の一週間前に原付で用水路に落ちて大怪我の末、関空で資金が不足して、買い物が出来ずに泣かせてしまい、プレゼントを買えずに詩と野花だけだったこともあった。




悪いのは僕です、その一言と共に勇気を出して、謝れなかったので、水泡に帰った。


上司、顧客、父や母に叱られる夢を見るけれど、防衛機制によって、モザイクが掛かっているが、シルエットだけでも忘れる筈はなく、最後には決まって彼女であった。




許して下さい、叫んでも声が出ないので、一人で目を覚ますと涙が止まらない。


聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言うけれど、素直に謝ることの方が数倍難しいだろう、聞くことは頭の管轄であるが、謝ることは心であり、プライドが邪魔する。




今でも、木綿のハンカチーフが流れると涙腺が崩壊してしまい、号泣してしまう。


彼女は大病によって、不安を抱えていたので、膝詰めで説明してあげて、安心をさせれば良かったのに、面倒臭がってしまい、幸せになる手段であるカネが目的になった。




カネは幸せを得る手段の一つの癖に、肥大化して自己目的化してしまう厄介者だ。


カネは寂しがり屋で群れを成すので、好かれるか嫌われるか両極端であり、気紛れ且つ照れ屋なので、必死になって追い掛ければ、逃げられるが、恬淡であれば好かれる。




カネがないと不便だが、個人の問題で済むが、在り過ぎる不幸は家族を巻き込む。


カネで殆どのモノを買うことが出来るが、所詮はその程度であるが、カネで買うことの出来ないモノは、唯一絶対で掛替えのない存在であるので、相応しい扱いをすべきだ。




皮肉なことに持っている時は、価値に気が付かず、失って初めて有難味を理解する。


その時点では、既に手遅れであり、取り戻すことは極めて困難であるが、気が付いたならば、思い立ったら吉日と行動に移さなければ、時間の経過と共に困難になってしまう。




極めて特殊な例を除けば、お買い物は大好きであっても、押し売りは大嫌いな筈だ。


顧客の愚痴や無駄話は聞くが、基本的に決め打ちであり、提案も結論ありきとなっているが、妻に対しては、一方的に提案するだけで、愚痴や無駄話さえも聞かなかった。




「俺は仕事で疲れているんだ」水戸黄門の印籠の如く、議論を打ち切っていた。


仕事はカネを稼ぐ手段であり、後回しにしてでも幸せになる為、最重要である家庭を蔑ろにするという、優先順位を履き違える大失策を演じて、全てを失ってしまった。




順風満帆であった時期を後生大事にして、起死回生の機会にしか興味がなかった。


カネに魅入られてしまった僕は、手段から目的化してしまい、それに伴う称賛や名誉が忘れられず、幸せになることよりも勝つことに、絶対的な価値を見出してしまった。




彼女の素敵な笑顔が見たくて、道化役に徹した僕は、悲劇の主人公を目指していた。


顔を突き合わせると口論になり、陰りの見える表情に腹を立てる悪循環に陥り、不機嫌の無限連鎖を繰り広げて、一方的に彼女を傷つけて、嗜虐的に世を儚み、憂いていた。




不毛な我慢比べを無意味に継続した為、心身共に疲弊してしまい、限界になった。


楽しい会話もなく、ダブルベッドで背を向け合って、彼女だけ夜更けにソファーに横たわっていることもあり、実質上、シングルベッド、のサビにある様相を呈していた。




感受性が強いのか、涙腺が弱いのか、恐らく両方だと思うが、思い出すと辛くなる。


前述した木綿のハンカチーフ、は未だに克服出来ず、愛という名のもとに、ROOM等は殆ど克服することが出来たが、ほろ苦い思い出を伴う歌謡曲が流れると悲しくなる。




「女が腐ったみたいにメソメソするな」と父は激怒したが、母や姉妹には免罪符だ。


僕に対する母の負い目を、最大限に活用する狡猾な術を心得ており、幸か不幸かは別として、矛盾や破綻を来すこともなく、滞りもなく済んでいた為、竹箆返しを受けた。




離別感の対極にあるのが、母子一体感であり、僕の場合は異常に依存度が高い。


案山子ではないが、母が寂しがるので、定期的に電話をするように、父からも容認されているが、好意に甘えることが当たり前になっており、感謝の気持ちが極めて薄い。




「オレオレ詐欺は、赤の他人でも騙されてしまうのに本物だったら、対処法がない」


三人も大学を卒業させて、かなり悪化した両親の財政状況を妹が診断した際、母の臍繰りを定期的に、僕が援助を受けていた事実を掴んで、絶句して思わず呟いた科白だ。




僕が彼女のことを、母に紹介しなかったことが、双方に不信感を植え付けてしまった。


彼女と音信不通になった後、高校時代に付き合った女性は、真っ先に自宅に招いていたので、母も「今度の子は感じが良いね」とか「前の子の方が良かった」格付けしていた。




コーヒーや紅茶を差し入れて、僕の部屋に顔を出して干渉する母への不満もあった。


母に好印象を持たれる最大の要因は「お母さん似ですね」であり、僕のアルバムを持ち出して、昔話を始めてしまう、彼女が本命だったので、自宅には招かないようにした。




残念ながら、僕の思惑は最悪の方向に進行して、方針変更出来なくなってしまった。


彼女との関係を母は疾しいからだと邪推して、閉鎖的で派手好きな女性と敬遠して、僕が我儘なのは、母が甘やかし手育てたからと彼女は僕に対して、公然と批判をした。




原付で用水路に転落して、重症を負って周囲に制止されたが、韓国旅行を強行した。


彼女も怪我を心配して、中止を強く主張したが、僕は無謀な判断を独断したが、母の印象は最悪になっており、引っ越しを手伝って目にしたブランド品で憎悪に変わった。




夜遊びを覚えたことも彼女が原因だと考えていたが、実際には悪友の影響だった。


学生時代こそ、父の怒りによって学費を止められて、貧乏学生であったが、就職して羽振りが良くなると、抑え付けらえた反動と仕事のストレスで、金遣いが荒くなった。




悪いお手本は、会社の上司や先輩であったが、上場企業に対しての認識は甘かった。


彼女の影響で、僕の金遣いが荒くなったと母は判断して、甘やかされて育ったので、抑々金銭に対しての認識に問題があったと彼女は理解した為、対立は先鋭化していた。




「豆腐の盛り付けは、青葱、鰹節と生姜であり、茗荷はそのままか漬物でしょう」


朝ご飯を作って貰った時、不用意に指摘したことが、彼女を依怙地にしてしまって「私が料理するんだから、文句ばかり言わずに食べて頂戴」取り付く島もなかった。




入社前から20キロも増量していたので「ダイエットして、標準体重に戻します」


食卓からはタンパク質が激減して、茸や海藻等の健康志向のメニューになったので、ダイエットには成功したが、僕のストレスは溜まっていく一方であり、愚痴を漏らした。




世間は予想以上に狭く、金融周辺の業界に勤務する姉妹にも僕の悲鳴は伝わった。


「文句があるのなら、会社で愚痴を言うのではなく、私に直接言って頂戴」彼女は僕を責め立て、姉妹から母に「大好物も全然作って貰えず、悲鳴を上げている」歪曲された。




彼女の指摘が的を射ており、全くの正論であったが、身贔屓に対しては無力であった。


嫁姑が円満でいる秘訣を先輩に尋ねると、妻が母に手料理の教えを乞うことが、近道であると複数回答を得たので、早速、手始めにカレーライスから始めるように依頼した。




母の日と父の日を兼ねて、低反発枕を手土産に単独で訪問することを提案した。


「私の料理に合わせるのが筋であり、何でそんなことしなければいけないの」彼女は反発したが、宥めすかしてやっとのことで、訪問することだけ了承を取り付けられた。




結局、妻はプレゼントだけを手渡して、料理の教えを乞うこともなく、帰って来た。


「料理や後片付けも一切せず、不機嫌に座っていた」母は姉妹に伝え、彼女は僕に「酢豚を出されたけど、私の嫌いなパイナップルが入っていた」初耳の情報であった。




悪意のない父の「まん中長男なので、我儘ですが、お願いします」発言も最悪だった。


父の発言に対して、失言を取り消すよう母は涙ながらに公然と抗議して、決して許すことはなく、妻も父公認の事実なのだから、僕に対する強硬策の継続に自信を深めた。




実家に電話することを、妻が極端に嫌っていたので、顕著なまでに頻度が低下した。


彼女の実家は姉妹だけであり、兄弟が不在であり、典型的な嬶天下だったのに、僕が母に強硬なのに、父に弱腰である一面だけで、戦略を立てたことが最大の失策であった。




何も知らされないまま、人生最悪の帰省を計画して、破滅に向かって進行していた。


妻を庇っていた父の堪忍袋の緒が切れてしまい、僕は只管恭順の意を示して、低頭していたが、妻は反論を試みたので、父の怒りは絶頂に達して、腑抜けな僕を罵倒した。




瞬間沸騰型の父に対して、炭火型の母は、一歩も引かずに粘り強く、長期戦を制する。


妻も母に負けず劣らず、頑固な性格であったので、毎日のようにメールで僕の悪行を報告し続けて、根負けしてしまい、姉妹に相談していた為、包囲網が形成されていた。




日和見で頼りにならない僕は、当事者でありながら、蚊帳の外に置かれる為体だった。


父も同様に下手に言質を与えぬように、返信することを禁じられたので、妻が一方的にメールを送付するだけであり、反応がないことで、過激化する悪循環を辿っていた。




母は無条件に僕に愛を注ぎ、自分にとって都合の悪い父の習慣を改めるよう迫った。


十月十日も腹に宿して、激痛の果てに生んだ我が子は、目に入れても痛くない至宝であったが、言葉は適切でないけれども、夫婦は赤の他人であり、譲歩と妥協の賜物だ。




現実から逃避するのでなく、妻と母と真剣に向き合って、仲を取り持つべきであった。


土地を耕して、種を播き、肥料を与えて、天候に注意しながら、雑草を摘んで、丹精込めて収穫する過程を厭い、他人任せで丸投げしようとした報いを受ける結果になった。




子供の頃、母の靴に百足が潜んでいて、咬まれた時、僕は思わず大爆笑してしまった。


「子供の靴でなくて良かった、可哀相だから」に加えて「お父さんの靴でなくて良かった、仕事に行けないから」聞いた瞬間、僕は大爆笑してしまったことを大いに恥じた。




小学生の頃、ゴルフ場にカブトムシ採集に行って、ベルトコンベヤーに足を挟まれた。


足裏が摩擦熱で焼け爛れてしまい、壊疽しない為、足首から下を切断する可能性もあったが「活発な子なので、切断するのは止めて下さい」母は医師に対して、懇願した。




中学生の頃、サッカー部に入ったが、成長痛を発症すると顧問の先生に手紙を書いた。


傍から見ると過保護であり、友人も選別する為、僕も過干渉に閉口していたが、校内暴力が頻発した世代よりは、若干改善されていたが、左程面倒にも巻き込まれなかった。




高校受検に失敗すると、例年と選抜方式が異なったので、教育委員会に日参した。


当然、判定は覆ることはなかったが、僕のことになると母は目の色を変えて、半ば盲目的に進撃を続けた、自我の目覚めを受け入れられず、仮想敵国に妻を認定していた。




弁の立つ妻の反撃に父も窮して「小娘が、俺の60年を否定するな」絶叫した。


傍らで身を潜めて、嵐の通貨を只管待っている長男の姿に絶望したことであろう、僕の振る舞いによって、妻と母だけでなく、多くの人々に不快な思いをさせてしまった。

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