第5話 トラブル

 奈美はデザインの最新作を昨日、自宅で仕上げて気分よくしていた。軽い朝食を取って、はずんで店へ出掛けた。

 店には先に店長の信枝が来ていた。信枝が仕入の既成品を陳列台に並べている。

「先生、おはようございます」

と、信枝が挨拶した。


「おはようございます」

奥へ行こうとすると、信枝が声を掛けてきた。


「先生、ファッション村山からの仕入で、付属品が壊れている洋服二着ありました」


「そう、持って来てください」

と言って、奈美は自室へ向かった。


「これなんですが」

と言って、奈美に渡した。


 それを見ると付属品のアクセサリーは明らかに仕損じ品であった。これはどう考えても仕入先で傷付いたというよりは、元々アクセサリーを製造した所のミスのように思えた。しかし、一応は仕入先に苦情を言うより仕方がないと思った。

「店長、私から村山の方に注意しておきます。不良品はまとめてこちらに持ってきてください」

と言うと、信枝は返事をして出て行った。


 それから、ファッション村山へ電話を掛けて苦情を申し立てた。相手側は平謝りで、代わりの品を持って来ると言った。

「申し訳ありませんでした。もし、店頭にでも出ていたならビロード様に大変なご迷惑をお掛けするところでした。早速、代わりの品をお持ちしたいと思いますので、よろしくお願いいたします」

と担当の課長から言われ、電話を切った。


 午前中に、ファッション村山の課長ともう一人の男性がビロードを訪ねて来た。もう一人の男性は、名刺を出して丁寧にお辞儀をした。この男性はアクセサリー河野の社長で河野純一と言った。奈美は名刺を見て、何故、二人で来たかという疑問が解けた。

「この度は誠に申し訳ありませんでした」

と、課長は深々と頭を下げて謝った。


「この商品の付属品は私共で製造したものでございます。誠に申し訳ございませんでした」

と、今度は河野が頭を下げた。

 河野は制作の途中で仕損じに気付いてはじいてあったものが、間違って製品に混入してしまったと説明した。


 奈美は河野の謝り方に好感を持った。とかくこうした問題で、第三者的にファッション村山をかばおうとする馬鹿者がいる中で、河野はそうしなかった。たとえば、『私共の全面的なミスで、ファッション村山様には何の落ち度もございません』ときた時だ。人を馬鹿にするのもいい加減にしてと、言いたくなると奈美は思った。

 もし、仮にビロードがお客様にこの不良品を売ってしまった時に、ファッション村山やアクセサリー河野がお客様に、『ビロードには、落ち度や責任はありません』というようなものだと思った。それでは、お客様に対して失礼だと思った。落ち度のない者に対して文句を言ったお客様の立場がなくなるからであった。奈美は、お客様に仕入先からのチェックを怠った事を反省し、謝る事しか考えられなかった。

 それは、ファッション村山もアクセサリー河野も分かっているようで、謝り方に注意を払っているように感じた。


 河野はそうした、相手側の気持ちを逆なでするような言い方を決してしなかった。河野は紳士的に只々謝っていた。詫びを入れた後、奈美をランチに誘った。奈美は河野純一という名前が気掛かりだったので、河野の誘いを受けた。

 河野はショッピングアーケードを抜けて、落ち着いた雰囲気のレストランへ入った。ここは奈美もよく来るが、昼食より夕食が多かった。河野は近くに何軒かの得意先があるらしく、ここへ来るとこのレストランを気に入って寄るようだった。



 奈美は先程から気になっていたことを河野に尋ねた。

「もしかして、河野社長は藤原勝也さんのお知合いですか」


「はい、友人です。初対面とばかり思っていましたが、何処かでお目にかかっておりますか」

と、尋ねた。


「いいえ。藤原夫婦の離婚の証人になられていませんか」

と、単刀直入に尋ねた。


「ええ、成りました」

と、不思議そうに奈美を見た。


「私も離婚の証人に成りました」

と、微笑んだ。


「そうでしたか。私は森下先生が証人として署名する前だったので、知りませんでした。でもよく覚えておられましたね」

と、感心した。


「字は違いますが、学友に同姓同名の人がいました。順番の順ですが」

と、理由を話した。


「奥さんやお子さんたちが安心して暮らせるのが一番ですから、そこを言いました」

と、やさしい目をした。


「不思議な縁ですね。でも、河野さんで良かったと思います」

と、笑みを浮かべた。


「離婚というのは大変なエネルギーが必要なんでしょうね。私は独身だから、経験ありませんが」

と、河野は言った。


「今では、三組に一組が離婚していますよね。因みに、私も独身ですが」

と、奈美は照れ笑いをした。


「でも、独身は正解かもしれませんね。女性が結婚して幸せを感じられるかと考えていると、この年になってしまいました」

と、神妙な顔をした。


「女性の心理を読み取っているんですね」


「いいえ、分からないから独身なのでしょうね。話しが別な方向になってしまい申し訳ありませんでした」

と、恐縮した。


「いいえ、もう気にしないで忘れてください。別な話になったのは私のせいですから。でも、改めて仕事のお話がありましたらおいで下さい」

と、奈美はやさしく言った。


「もし、よろしかったら仕事だけでなく、改めてお逢いしたいです」

と、真面目に河野は言った。


 奈美は今日が初めての河野に好感を持っていたので、やさしく頷くのであった。それから二人は親しく交際するようになっていった。純一は交際を深めて行く間に自分が夢見て来た生活が奈美となら出来るような気持ちになって来た。

 奈美は今までになく、恋に落ちている自分を感じているのであった。そして、今まで以上に純一といる時間を大切にしたいと思っていることに気付いていた。いつしか、このままずうっと一緒にいたいという気持ちにかられるのだった。しかし、まだ奈美は自分の感情の欲する意味を理解できないでいる。

 そんな時、奈美は初めて妊娠に気付くのだった。今までなら、避妊には神経を使って、間違っても妊娠するようなことはなかった。しかし、奈美は一番妊娠しやすい日に、避妊を怠った。45歳になり、出来る事なら純一との子供であれば、欲しいという気持ちが芽生えていたのだった。

 


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