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 自嘲ぎみに彼女は笑う。


「猪川さんはあまりそういううわさ話を、好んでするような人じゃないので」

「そうね。そうかも。あ……、さっき、秋也くんはらんぷやにいるって言いましたよね? 吉沢さんが亡くなって、気になってたんです。まだ営業されてるの?」

「はい。今は修理だけなんですけど」

「そう、修理だけ。やっぱり、遥希に遠慮してるのかな」

「遠慮……ですか?」


 友梨は何か知ってるのだろうか。秋也がらんぷやをかたくなに継がない理由を。


「私と遥希は、高校のときから付き合ってたんです。秋也くんは高校は違ったけど、らんぷやでアルバイトしてたから、私とも顔見知りで」


 奈江は黙ってうなずく。


「いつだったかな。遥希がね、らんぷやは秋也くんが継ぐんだって話してくれた。だから、私はそのつもりでいたの。遥希がそれなりの企業に就職して、プロポーズもしてくれて、ずっと彼と幸せにやっていけるって信じてた。それなのに、結婚式の招待状を出したあとに、やっぱりらんぷやを継ぐって言い出して、相談もなしに仕事を辞めちゃったの」


 あきれるでしょう? と、友梨は力なく笑う。


「遥希さんはらんぷやをやりたかったんですね」

「そうね。きっと、そう。フランスに留学するからついてきてほしいって言われたの。お金の心配はいらない。吉沢のお父さんが援助してくれるからって。……正直、どうなのかなって思っちゃった」


 ため息をつき、友梨は足に抱きつく恵麻の頭をなでる。


「別れたいって言ったら、遥希ね、フランスに行くのが嫌なら、日本で待っていてほしいって言うの。そういう話じゃないよって言ってもわかってもらえなかった。遥希はまっすぐで、信じた道を間違いないって思う人だったから、私や秋也くんの気持ちなんてわからなかったんだと思う」

「遥希さんの心変わりを、猪川さんはどう思ってたんでしょうか」

「秋也くんは吉沢のお父さんに恩があるって、いつも一歩引いてたから、遥希のしたいようにしたらいいって言ってた。でも内心は、らんぷやをやりたがってたはず。遥希なんかよりずっと、彼は努力してたから」


 それは、吉沢や遥希が亡くなった今でも変わらないのだ。秋也はずっと遠慮していて、やりたいことをやりたいと言えずに苦しんでいるのだろうか。


「それで、今でも遠慮してるって思うんですね?」

「想像ですけど、修理しかやってないなら、そうじゃないかな。遥希は夢絶たれたのに、自分は夢を叶えたらいけないなんて思ってるのかも。秋也くんならありえない話じゃないかな」

「優しい人ですよね」

「本当に人一倍気をつかうよね、秋也くんって。ご両親がいないから、はやくひとり立ちしたがってたし、周りにわがまま言ったらいけないって、頑張ってるように見えたかな。それなのに、遥希は自分の気持ち優先で、私ね、違和感があったのよ」

「だから、別れる決意を?」


 遠慮がちに尋ねると、友梨はすんなりとうなずく。


「悩んだし、迷ったけど、そうした方がいいと思ったの。でも、遥希はなかなか納得してくれなくて、私ね……嘘ついちゃった」

「どんな……?」


 思わずそう言うと、友梨は奈江へと目を移し、思い切ってというように吐き出す。


「子どもの産めない身体なんだって、嘘ついちゃった。遥希ははやく子どもが欲しいって言ってたから、すぐに別れてくれるって思ってた。でも違った。すごくショック受けてたけど、友梨の死ぬ確率が下がったならそれでいいって言うの。笑っちゃった。最低だよね、私。だから言ったの。真に受けないでよ。好きな人ができたなんて言わせないでって。……最後の最後まで嘘つきだったの、私」

「じゃあ、遥希さんは嘘を信じたままだったんですか?」


 友梨はそっとうなずく。


「でもね、私が決めたことだから、後悔はしてない。婚約破棄して、人生失敗したなんて言われたこともあったけど、全然失敗だなんて思ってない。主人に出会えて、恵麻が生まれて、本当に今はあの決断は間違ってなかったって思ってる」


 そう力強く言う彼女だが、さみしそうな表情を見せてしゃがむと、シェードの頭をするりとなでる。


「シェードはね、遥希がフランスに行くから引き取ったの。もしかしたら、あの瞬間だけは遥希への未練があったのかもしれない。今でもね、少しはあるのかも。遥希には生きていてほしかったって。素敵な人に出会って、幸せになってもらいたかったって……」


 消え入りそうな声でそう言うと、彼女は寄り添う恵麻を抱いて立ち上がり、どこか吹っ切れたような笑顔を見せる。


「秋也くんにはよく会うの? 私ね、彼のデザインするランプが好きだったの。私にも作ってって言ったら、そのうちな、なんて言われて、それっきり。もし、オーダーメイドのランプを作る日が来るなら、私を秋也くんのお客さんにしてって、伝えてくれない?」

「昔から、ランプのデザインを?」

「そうなの。ビンテージランプの販売も楽しいけど、ひとりひとりのお客さんの要望に合わせたランプを作るのも夢の一つだなんて言ってた」

「夢がたくさんあるんですね、猪川さんって」

「本当にそう。いつか、夢を叶えてほしいな。応援してるって伝えて」

「はい、必ず」


 奈江が力強く快諾すると、友梨は「そろそろ行かなきゃ」と、頭を下げて立ち去った。




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