13
「吉沢らんぷの猪川です。近くまで来たので、寄らせてもらいました」
玄関先に現れた康代に、秋也は気さくに話しかけると名刺を渡す。突然の来訪だったが、特段迷惑そうでもない様子を見れば、康代はすんなりと受けいれてくれているようだ。
「猪川秋也さんね。奈江ちゃんから聞きました。ずいぶんお若い修理屋さんだって。吉沢さんがいらっしゃらなくなって大変だったでしょう」
康代は名刺の名前だけ確認して、彼をねぎらう。
「そうですね、突然だったので。まあ、修理の方は本職なので、ご安心ください。その後、ランプの調子はどうですか?」
本来の来訪目的を隠し、取ってつけたように尋ねてはいるが、実際、修理したランプの調子は気になっていたのだろう。
「はい、調子はいいですよ。ランプがつかないと、夜が明けないみたいで落ち着かなくて」
「そういうものですか」
「そういうものですよ。今日はもう、お仕事は終わったの?」
「休憩中です。って言っても、営業時間はあってないようなものなので、店が閉まっていれば、お客さんから電話が入ります」
そう言って、秋也はスマホをちらつかせる。彼の本業はエンジニアだったか。吉沢らんぷで仕事をしているようだが、毎日修理の依頼が入るわけではないのだろう。
「じゃあ、時間は大丈夫? 和菓子があるから、食べていかない?」
「本当ですか? 甘いもの好きなんですよ。おじゃまさせてもらいます」
「どうぞ」
素直な秋也を楽しむように、康代はわずかに笑むと、彼をリビングに案内する。
「この和菓子、うちの近くにある和菓子屋さんの?」
台所に入り、見覚えのある包装紙を見つけた奈江はそう言う。
「そう、
真紀子は奈江の母だ。佐羽にある実家の近くに、奈江はアパートを借りている。近所にある緑庵は、母の行きつけの和菓子屋だ。
「お母さん、来るんだね」
意外だ。姉妹とはいえ、性格がまったく違うふたりに交流はそれほどないと思っていた。母も伯母の心配をしているのだろう。
「月に一度ぐらいはね。新作和菓子だから、食べてって。おいしそうね。猪川さんにお出ししてあげて」
「うん」
奈江は康代を手伝って、和菓子の乗った皿と冷たい麦茶を、テーブルに腰かける秋也のもとへ運ぶ。そのまま秋也の隣に座り、お皿を眺める。
「ほんとに、綺麗だね」
暑い夏を涼やかに感じる、水色が美しい錦玉だ。坊主憎けりゃ……なんて言葉はあるけれど、おいしそうな和菓子に罪はない。
三人でいただきますと手を合わせ、ひと口食べる。爽やかな甘味の口あたりが優しい。秋也も満足そうに食べている。甘いものが好きというのは本当なのだろう。
「みね子さん、お元気そうだった?」
錦玉をぺろりと平らげた秋也をおかしそうに眺めた康代は、もう一つ食べなさいと、豆大福を彼に差し出しながら、奈江にそう聞いてくる。
「うん、元気だったよ」
「そう、よかった」
「あ、聞いていい? 与野さんがね、彼岸橋のところで拝んでるの見かけたよ。よくあそこにいるのかな?」
麦茶を口もとに運ぼうとしていた康代は、ほんの少し真顔になって、そのまま手をおろす。
「奈江ちゃんは知らないよね。あなたが生まれる前の話だから」
康代はちらりと秋也を見るが、そのまま続ける。
「彼岸橋はね、以前は見通しの良くない交差点で、事故がよく起きたのよ。大抵は、車が塀にぶつかるような小さな事故だったんだけど、一度だけ、彼岸橋まで車が突っ込む大きな事故があってね、みね子さんのお孫さんが巻き込まれたの」
やっぱり、と奈江は息をのむ。
「……亡くなったの?」
「
「舞花ちゃんたちは美乃さんの娘さん?」
「そうじゃないの。当時のみね子さんは長男の
そうだったのか。だから、ポストがふたつある二世帯住宅だったのだ。最初にあの家を見て感じた違和感はこれだったのだろう。
「その後、与野さんのご家族はどうされたんですか?」
豆大福を片手に、秋也が尋ねる。その表情は神妙だ。
「数年前にみね子さんのご主人も亡くなって、心配した娘さんの美乃さんが戻ってきたのよ。道尚さんはつらい場所だからって、ずいぶん、大野には帰ってないみたい。だから、みね子さんが月命日には彼岸橋でお祈りしてるのよ」
「そんなことがあったんだね……」
息をつく奈江の横で、思案げにしていた秋也が切り出す。
「変な話を聞いたことはありませんか? 彼岸橋で落としたものがなくなるとか」
突然、何を言い出すのだろう? と、奈江と康代が同時に彼を見やる。しかし、康代は何か心当たりがあるのか、ハッとする。
「そう言えば……あ、いいえ」
「何かあるんですか? 教えてください」
しばらく、康代と秋也は目を合わせていた。見えない葛藤が伝わってくる。そうして折れたのは、康代だった。
「そうね、猪川さんになら……」
康代は奈江にうなずいてみせる。可愛がっている姪の連れてきた人なら信用できると思ったのだろうか。
「本当にただのうわさなんだけど、彼岸橋に霊が出るなんていう良くないうわさが当時はあったの。彼岸橋で遊んでたらボールがなくなったとか、髪を留めていたリボンがほどけたりとか。見えない誰かがいたずらしてるんだって、子どもたちの間でちょっとした騒ぎになったみたい。だから、みね子さんは今でもお祈りを欠かさないんじゃないかしらね。天国に行けてないなら可哀想だって」
「霊……か」
秋也がつぶやく。
「舞花ちゃんの?」
ついで、奈江が言うと、康代は困り顔をする。
「子どもたちの悪気ない昔のうわさ。今ではあの道路も見通しよくなったでしょう。変なうわさはもうないのよ。……猪川さん、お茶がないわね。淹れるわ」
この話はもう終わり。そう言わないばかりに康代が立とうとする。聞くなら今しかない。そう思って、奈江は尋ねる。
「ねぇ、舞花ちゃんはランドセルに御守りつけてた?」
「御守り?」
「宮原神社の御守り。みね子さんね、大事そうに御守り持ってたから」
もし、舞花ちゃんが御守りを持っていなかったとしたら、みね子の御守りはやはり、おじさんの息子さんがなくしたものかもしれない。
仮にそうだとして、どんな過程を経て、みね子の手に渡ったかはわからないが、彼岸橋でものがなくなるという子どもたちのうわさを信じるなら、その可能性は否定できない気がした。
「そうなの? それは知らないわね。御守りがどうかしたの?」
「あ、ううん。なんでもない。伯母さん、ありがとう。ごめんね、こんな話」
「いいのよ。私も当時はまだ若くて、近くのアパートに住んでたから、うわさを聞いたことがあるだけで、そんなに詳しくないの。美乃さんならいろいろ知ってるだろうけど、あんまりお話にはならないわよね」
「そうだよね」
秋也を見ると、これ以上は聞かなくていいんじゃないか? というように目配せするから、奈江も承知するようにうなずいた。
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