12
奈江が門にたどり着いたときには、老女の姿はなかった。家の中へ入ってしまったのだろう。
それにしても、娘さんと二人で暮らしているにしては立派な家だ、と奈江は白い家を見上げる。
表札には『与野』とだけ書かれているが、二世帯住宅だろうか。玄関は一つだが、ポストは二つある。駐車場には車はなく、可愛らしい籐風のカゴのついた自転車が一台あるだけ。ふたり暮らしにしては、どこか、アンバランスさを感じる家だ。
秋也も何か感じているのだろうか。しばらく門の中をしげしげと眺めていたが、何も言わないから、奈江はチャイムを鳴らす。待ってみるが、反応がない。しかし、留守じゃないのはわかっている。もう一度鳴らそうか迷っていると、左手にある窓が開き、ひょっこりと白髪の老女が顔を出す。
「どなたさん?」
「あっ、はじめまして。前橋康代の姪で、奈江って言います。伯母のおつかいで、おじゃましました」
奈江が頭をさげると、いぶかしそうにしていた老女が、一変して人なつこい笑みを見せる。
「康代さんの姪っ子さんかい。話はよく聞いてるよ。どうなさったかね」
老女が与野みね子で間違いなさそうだ。
「お野菜、持ってきたんです」
「それはわざわざ。悪いけど、こっちまで運んでくれんかね」
みね子は難儀そうにひざを折ると、窓を大きく開く。
「庭に入っちゃって大丈夫ですか?」
「ああ、かまわんよ」
奈江は秋也に、すぐ戻りますね、と伝えると、みね子のもとへと足早に向かう。
みね子のいる部屋は仏間だった。窓際に立派な仏壇が見えている。
「いま帰ってきたところで、なんにもなくて悪いね。娘も買い物に出かけてるみたいでね」
「全然、大丈夫です。朝、収穫したナスとししとうです。よかったら、召し上がってください」
もてなしができなくてと、申し訳なさそうな顔をするみね子に紙袋を差し出す。すると、みね子は手に握りしめていた何かを、仏壇の前にある
何気にその所作を眺めていた奈江は、ほんの少し、息を飲んで振り返った。門の前からこちらをのぞいている秋也が、思いの外、遠くて、首を傾げる彼に首を振って見せる。
「ありがとうねぇ」
手から紙袋が離れて、奈江はふたたび、みね子へと目を向ける。
「こちらこそ。近いうちに、伯母がおじゃますると思います」
「足をけがしてるって、娘に聞いたよ。お大事にと伝えて」
「はい。じゃあ、すみません、失礼します」
ちょっとした世間話が奈江は苦手だ。何を話していいのかわからず、会話をあっさりと切り上げる。しかし、今はそれだけじゃなく、はやく秋也のもとへ戻りたい気持ちがあった。
笑顔のみね子に頭を下げると、奈江は急いで門へと駆け戻る。
「どうかした?」
血相を変える奈江を見て、心配そうに秋也が尋ねる。
みね子が窓を閉め、カーテンを引くのを見届けた奈江は、門を離れながら、少々興奮気味に話す。
「みね子さんが持ってたんです」
「持ってたって、何を?」
「御守りです。紺色の、宮原神社の御守り」
「御守り……?」
秋也が眉をひそめる。
「間違いないです。交通安全の刺繍がされてたし、おじさんが探してた御守りとまったく同じものなんです。どうして、みね子さんが……」
「ちょっと待て。宮原神社の御守りだろう? 近くなんだし、まったく同じものを持ってても不思議じゃないけどな」
「そっか……」
奈江もすぐに、そうかもしれない、と納得する。みね子が経机に御守りを置いたとき、とっさにあれはおじさんのものだと思い込んでしまった。冷静に考えてみたら、彼の言う通りだ。
「ほかに何か見たか?」
しかし、秋也はそう尋ねる。おじさんの御守りではないと断定するのもまだ早いと思っているようだ。
「見ました。机に、ご主人だと思いますけど、みね子さんと一緒に映った優しそうな男の人の写真と……」
「写真と?」
「赤いランドセルを背負ったおさげ髪の女の子の写真が並んでました」
奈江は声を落とす。
「女の子?」
「たぶん、小学一年生ぐらいの。可愛らしい女の子でした」
「お孫さんかな?」
「そうかもしれないです。でも、お孫さんの写真を仏壇の前に置くなんて……」
あまり考えたくなくて言葉を濁すが、秋也はごまかさない。
「亡くなってるのか?」
「わからないです。そんなこと聞けないし。……みね子さん、御守りを女の子の写真の前に置いてました。きっとさっき、彼岸橋のところで、御守りを握りしめながら祈ってたんだと思います」
「じゃあ、女の子は……」
さすがに、秋也もそれを言うのははばかられたのか、口をつぐむ。
お互いに困惑顔をしながら、彼岸橋まで戻ってきたとき、奈江から先に口を開く。
「伯母さんなら、何か知ってるかも」
「気にはなるよな」
「聞いてみます。あの御守りがどうしても気になって」
「俺も行っていいか?」
「猪川さんも?」
急な話だ。ちょっと戸惑う。
「俺も気になることがあるんだ」
「でも……」
「いきなり、男を連れていったら驚かれる?」
おどけるように言うから、奈江は途方にくれる。目をそらしたら、彼は苦笑する。
「冗談だよ。早坂さんって、かなり真面目なんだな。気をつけるよ」
何を気をつけるって言うんだろう。扱いにくい女だと思われたかもしれない。そう思いつつ、案内してくれる? と、人なつこく笑う彼を突き放すこともできず、奈江は彼と一緒に伯母の家へと向かった。
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