第10話 ノコルサクラモチルサクラ

ワタシは事前に情報を整理した。


ヨータさんと元妻は中学生の同級生で紆余曲折を経て束の間の婚姻を過ごし、永過ぎた春を体現するように双方の家族を巻き込んで離婚したことは伝聞で聞いており、名古屋時代には一触即発の場面にも遭遇していた。


元妻の気性は激しく、ヨータさんの妹からの一方的な伝聞によると完全に尻に敷かれていただけでなく、派遣で証券の中枢であるリテール事業推進部に配属されるとヨータさんの悪口を吹聴して散々迷惑を掛けたと聞いていた。




ワタシは元同僚にも状況を聞いた。


元同僚はワタシの依頼に対して当日の夕方に定時退社をして時間を取ってくれた。


シンクタンク出向時には既に泥沼の状況に陥っており、関係修復は不可能であった為、元同僚は元妻のことを話題として聞いているだけで、実際に会ったことはないと正直に話して、一方的な伝聞になることを考慮すべきであると事前に示唆した。


日本の金融全般に該当する悪癖として発行体の意向を優先させて、投資家に不利な条件を押し付ける傾向であるが、外資系親会社は極端に時価総額上位のラージキャップ以外は見向きもしない偏向姿勢を明確に打ち出していた為、投資家の立場を強化すべきであるとするヨータさんは会社の方針を否定する許されざる存在であった。


元妻は微妙な会社の事情を考慮せずに名古屋時代に遭った憎むべき仕打ちへの意趣返しとしてリテールを重視する一派への誹謗中傷を繰り返し、会社は言質を取った形で粛清を実施した。


夫婦喧嘩を家庭内で納めることが出来ずに会社に悪用されたことは痛恨事であり、諸外国では国内では対立しても対外的には一致団結して国益を重視する伝統があるが、日本では国内での不満を海外で吹聴して国益を損なう行動を取る勢力が存在するが、ヨータさんの泥沼離婚劇もその典型だと断言した。




ワタシはお姉さんにも話を聞いた。


東京郊外におけるヨータさんの足跡を報告すると「戦後日本は家長制度を否定して、核家族化を推進した為、殆どの日本人は故郷から切り離された存在となり、私達兄弟も典型例ですが、ヨータは住めば都を頑なに実践するので、有事の際には蜥蜴の尻尾切りに遭わされるだけだと心配していました」と正直な感想を述べた。


話題を元妻に向けると普段は朗らかな態度を豹変させて「私達、家族には完全な禁忌なので、両親に話を聞くことは絶対に止めて下さい」と釘を刺された上で一方的な見方であることも事前に説明をしてくれた。


「母のヨータに対する溺愛は子どもの頃は反発も感じていましたが、自分自身が息子と娘を育てると男の子が幼児期に女の子と比べると弱いことを実感しました」と切り出すと「ヨータとは二歳、妹とは五歳離れているけど幼稚園の頃はヨータの方が弱弱しく母がヨータの味方をしなければ、押し潰されて卑屈な人間になっていたと思います」と冷静に語った。


「母は幼稚園や小学校で勉強した出来事を夕食の時間にヨータに尋ねることで、分らないことは私に助言させ、妹にも歌を合唱させたりしてヨータの自発性を育みながら子ども達に予習復習をさせていたことを今にして思い至りました」と懐かしそうに語った。


「母方の祖父は資源不足に悩む国家の為に鉱山技師として南方を調査していましたが、敗色濃厚になった戦争末期に現地で招集されて、協力関係にあったビルマ国民軍と英国軍の挟撃に遭って戦死しまいましたが、残念なことに結局、遺骨は戻らず仕舞いでした」と声を落として語った。


「祖母と母の期待を一身に受けてヨータは古都の旧帝大で法律を学び判事若しくは検事を勤めて弁護士を開業するという将来に本人を置き去りにして鼓舞していましたが、ヨータは私立大学の経済学部に学び、妹は母による硝子の天井によって、商都の旧帝大で金融工学を専攻しました」と淡々と語った。


「厳格な祖母の死はヨータにとっては雁字搦めにされた頸木からの解放であり、母の夢を叶えることが出来なかった慙愧に堪えられない複雑な思いを抱えるに至った最初の一歩でもあります」と静かに語った。


「私達家族は阪神大震災で亡くなった大学時代の彼女に対する思い入れが強過ぎて、元妻は微妙な空気を感じ取って反発したのでしょう」と配慮が足りなかったとの反省も口にした。


最後に「この問題は、私達家族も当事者であり、偏向に満ちた色眼鏡を掛けている状態なので、中学校からの親友から説明を聞くのが、一番中立且つ穏当だと思います」と結論を述べた。




ワタシは連休を利用して帰省した。


中学校からの親友に元妻との面談を実現するべく依頼をすると共にヨータさんのご両親にも連休に帰省するのでお墓参りをする予定であることを連絡した。


実家に付くや否や両親がヨータさんの実家を訪問する段取りを決定していたので、一緒に訪問した。


一人っ子でもあり、両親、特に母親の愛情を一身に受けながらも実家から足が遠退き、敬遠していたワタシが五年間の沈黙を打ち破って頻繁に帰省することを怪しむ気持ちを押し殺して、歓迎する気持ちを抑え切れない両親の態度を見ると申し訳ない気持ちと感謝の気持ちを相半ば意識していた。


複雑な感情を抱えつつもヨータさんの墓前では、神妙な気持ちが勝って素直な気持ちでありのままの現状報告をした。


翌日には中学校からの親友に元妻との面談の可否を確認すると「残念な報告で申し訳ないが、元妻は一年前に亡くなっており、当然のことながら面談は適わない」と結論だけを告げられた。




ワタシは元妻との馴れ初めから聞いた。


中学校からの親友は同時に元妻とは幼稚園以来の幼馴染でもあり、喪失感は大きいだけでなく、ヨータさんの家族と元妻の家族が相克の末に決裂したことは不本意であると同時に心痛の種でもあった。


中学三年間をずっと同じサッカー部に所属していたものの、一年生以外のクラスは別であったが、良好な関係にあったヨータさんから元妻への思いの丈を聞かされた時、長距離走に一所懸命に打ち込んでおり、日に焼けた元妻を女性として意識していなかったので、気軽な気持ちで橋渡し役を買って出た。


元妻もヨータさんに好意を持っていることを聞き出したが、告白を断られるよりも不良グループに目を付けられることを恐れて忍従を貫いた。


ハッキリしたことは元妻が長距離走だけでなく、明確な目標に向かって日々努力するので、学力もトップグループであり、ヨータさんの姉が通う校区外の進学校を志望校にしていたことだけだった。


その事実を突き付けられるとヨータさんは目の色を変えて勉強するようになり、元妻の志望校も射程圏内に入った。


例年であれば、校区外の進学校を滑っても校区内に回されるだけであったが、不幸なことに校区外の隣町にある学校が極端な定員割れを起こしていたことにより、ヨータさんは元妻と離れるだけでなく、多くの友達とも離れることを余儀なくされた。


校区外の進学校だけに人気が集中する傾向に歯止めを掛ける為、前例を覆して非常措置を発令したので、ヨータさんと同じ立場の父兄から教育委員会に抗議が寄せられたようであったが、当然の如く結果は微動だにしなかった。


意を決したヨータさんは卒業式の日に元妻に告白をして「友達から始めましょう」と実質上の了承を得たのだった。


当時は今のように携帯電話が普及しておらず、元妻から頻繁な自宅への電話を注意されると自然消滅したと聞いた。




ワタシは前回よりも詳細に聞いた。


元妻が大病して入院していたことは幼馴染である親友の耳にも届かなかったので、ましてやヨータさんが知る由もなかった。


阪神大震災で命を落とした女性との交際が始まろうとした時、元妻が現れて微妙な三角関係が存在したことは町議会議員から聞いていた通りの内容だった。


証券に身を投じて学生時代の貧乏生活から脱却したヨータさんは昭和の歌謡曲そのまま田舎から都会に染まっていく主人公のように奔放に振る舞った。


ヨータさんの家族は「元妻が派手好きでブランド品を買い漁っていた」と言ったが「多忙なヨータが乗り気でない元妻に手っ取り早く、百貨店でブランド品を買い与えていたのが実情だ」と親友は証言した。


口論になるとヨータさんは言い負かされてしまうので、懐柔する常套手段と考えていたようだが、元妻の受け取り方は疾しいことがある証拠だと結論付けた。


名古屋で起こった最低のクリスマス以来「証券と聞くだけで、拒否反応を起こしてしまう」不信感の塊となり、元来の気性の激しさを伴いヨータさんを追い詰めていた。


それでもヨータさんは粘りに粘って説得を続け、次のような文面でプロポーズの手紙を送った。


けっこう


って言うか


こう見えて


んーっと


しゃいなので


ようするに


うまく言えません


一番目の文字を横に読めば「結婚しよう」になるのだが、元妻にはこれも不興であり、プロポーズは面と向かって言うべきだと非難し続けた。


「人生は糾える縄の如し」と言うが、相性が悪かったのか、時期が悪かったのか、それとも両方共に悪かったのか二人の結婚生活は躓きの連続だった。




ワタシは否応なしに渦中に巻き込まれた。


歴代首相の指南役と呼ばれた碩学や紅白出場記録を持っていた女性歌手を垂らし込んだ女性占い師を信じて元妻の母親が結婚式を来年に延期するように主張したことで、ヨータさんの家族は不信感を持つようになった。


彼女の経歴は金と暴力に塗れ、強者には徹底的に媚びて、弱者を貪り尽くす現代社会の縮図であり、メディアによって寵児に祭り上げられていることに対し、生理的な嫌悪感を抱いていた。


ヨータさんの父親も実家に不幸が重なったことがあり、年老いた祖母が新興宗教に嵌ってしまい、身代を傾けるまで注ぎ込んでしまったので、尚更拒否反応も強かった。


元妻の母親も娘の大病を切っ掛けに女性占い師の書籍に縋り、関連商品や挙句の果てに墓石購入まで口にして家族の猛反対を受け、見送ったものの亀裂を生じさせていた。




ヨータさんの資産は、現在のワタシが関与している生命保険と証券の株式が殆どであって預金が極端に少ないことに「証券や保険等資産ではない」と発言したことも「ヨータの職業を理解していないのか」と大顰蹙を買ってしまった。


ヨータさんは過激な言動を控えるよう懇願したが、元妻は間違っていないと拒否し「自宅にいると気が伏せるから」と派遣会社に登録した。


結婚前は損害保険会社に勤務していたが、派遣会社が気を使ってヨータさんが勤務する証券のリテール事業推進部を紹介したことが最悪の悲劇を生む結果となってしまった。


これらの事情はヨータさんの妹から聞かされており、ワタシは伝聞だけで一方に肩入れをすることを控えていたので、旗下を鮮明にしない煮え切らない態度もヨータさんの妹を苛立たせた。




ワタシはバブル崩壊後の迷走を考えた。


財テクと地上げによって一億総マネーゲーム化の終焉は大蔵省銀国局長による総量規制と「平成の鬼平」と喝采を浴びた日銀総裁による金融引き締めによるバブル潰しの破壊力は抜群であった。


失われた二十年の幕開けに国益よりも省益を優先する官僚と決断出来ない議会の混乱により有効な手立てを打てないまま外圧に屈する形で後にオールバックがトレードマークの首相は「鉄の女」と呼ばれた英国首相のビッグバンに因んで日本版ビッグバンを唐突に提唱した。


Free(市場原理による自由な市場)Fair(透明且つ信頼される市場)Grobal(国際的で先進的な市場)の改革三原則を掲げた。


理念こそ素晴らしいが半死半生の重病患者であった日本経済にとっては、劇薬以外の何物でもなく、実際に金融機関の倒産ドミノによって国益が損なわれ「ハゲタカ」と呼ばれる外資系金融機関の草刈り場と化した。


時期や方法も事前予想を検討せずに成果のみを求めた結果、一番重要な「誰の為に」という観点が抜け落ち、阿鼻叫喚の「血の池地獄」にしてしまった。




ワタシは蒔いた種の結果に慄然とした。


北海道拓殖銀行の破綻を契機とする護送船団方式が揺らぎ、メガバンクの再編へと繋がる過程で青い(う)さぎは系列信託銀行を選択し、山一證券を切り捨てた。


愈々という段階に陥り永年の友好先である赤いきつねから外資系親会社の支援に急転直下の綱渡りがあった。


現在の親会社である緑のたぬきは大阪の銀行による東京の銀行を丸呑みする段階で業界第二位の支援を決定した。


そのような不安定な状況にあって、ヨータさんとワタシの内部通報は獅子身中の虫であり、忌み嫌われていた。


元妻が派遣されたリテール事業推進部はバブル期に悪名高い営業特金で成り上がりながらも直近は米国にいた為、矢面に立たされずに外資系親会社との提携に舵を切った黒幕であり、担当副社長と社員組合委員長経験者である営業担当常務に詰め腹を切らせた張本人である社長により、創設された外資系親会社時代におけるGHQであった。


緊急事態に乗じたクーデターで基盤が安定しないので、外資系親会社主導のラージキャップ以外の切り捨て、強みであるリテール営業を強化するのでなく、発行体の都合による引き受けで皺寄せを投資家に丸投げにして顧客満足度を悪化させた。


ワタシが会社を去った後、ヨータさんは孤軍奮闘して徹底した投資家重視を主張していたが会社の方針と真っ向から対立した為、弾圧されて「臭い物に蓋」とシンクタンクでも飼い殺し状態であった。


リテール推進部は会議室で方針を決定する為、コンビニエンスストアと提携して店内端末で証券取引が出来るサービス等の「臍で茶を沸かす」企画を推進し、ヨータさんの罵詈雑言は元妻を通して筒抜けとなっていたことに逸早く気が付いたのが、生命保険の運用部門に配属されていたヨータさんの妹だった。


当時は渦中にあり、中途半端な情報で介入することに躊躇していたが、今になって言えることはヨータさんと元妻が判断する問題であって、善意であろうと悪意であろうと第三者が口出しすべきではないという基本方針こそ間違いはなかったが、それを実現する助力を惜しむべきでなかった。




ワタシはマッチポンプの役割を演じた。


変額年金販売の不正は業界の問題として改善したが、資格取得者の年会費負担は販売管理費の負担増を伴うので、外資系親会社にとっては問題外であり、更新研修で横行するカンニングは個人の問題と封殺された。


公益法人や事業法人の運用担当者への新規公開株の露骨な優先割当は外資系親会社の方が顕著であり、リーマンショックにより社会問題化するまで仕組債及び通貨オプション等の高収益商品の見返りに利用されていた。


内部通報者への憎悪をヨータさんは一身に受けて満身創痍の状況にありながら、家庭内に降って涌いたトラブルの挟撃に遭う憂き目に晒された。


発端はヨータさんの預金通帳を元妻が印鑑変更を伴って、強引に自分名義に変更したことを妹に気付かれて問い詰めたことだった。


積立保険の存在は把握していたが、元妻は有価証券に興味がなく、ヨータさんの家族は存在を知らなかったので「あまりにも資産が少ない」と騒動を起こした。


ヨータさんは営業時代に前場に顧客の株式注文が皆無である日に会社融資を利用して自社株を購入する習慣があり、思惑通り安値である程度纏まった金額を保有していた。


ヨータさんは騒動の蚊帳の外に置かれ、元妻からも家族からも事実関係の確認はなかったので「寝耳に水」若しくは「青天の霹靂」の事態であった。


詰問に遭った元妻は気分を害して自分の両親に不満を爆発させたことにより、今度はヨータさんが呼び出され、夫婦の共有財産で揉めることの不快感だけでなく、ヨータさんの内部通報を「会社から給料貰っていながら、恩知らずな行為は即刻中止しなさい」と警告されると「不法行為しているので、会社に改善を求めているのであり、第三者への漏洩と異なり正当な行為です」と反論すると「公務員であれば国に忠誠を誓えば良いが、給料を貰っている会社の判断に従いなさい」と再度警告された。


ヨータさんは「残念ながらご意向には承服出来ません」と述べて辞去し、その瞬間に別居することになり、二人の手から離れて両親同士による離婚に向けた協議が始まった。


「四面楚歌」の元妻がヨータさんの家族に対して「家族全員が「ヨータ・ヨータ教」の信者か」と最後に叫んだ事実が歩み寄れなかった二人を取り巻く家族の不幸であった。




ワタシは思わぬ人物と面談した。


離婚協議は火を見るより簡単であり、共有財産は婚姻期間に築かれた部分であり、ヨータさんが婚前に保有していた資産は対象外となる為、元妻名義となった資産の返還だけが焦点であった。


預金通帳の名義を元に戻し、追跡調査は禍根を残すので、ヨータさん過不足はありません」と証言することにより回避された。


親友が離席すると少し経って、一緒に伴って現れた男性は元妻の父親であった。


離婚前に外資系親会社による全株買収による上場廃止が実施された為、ヨータさんは纏まった現金を手にすると両親には内緒で元妻に婚姻期間から言えば過大であるが、永すぎた春も考慮した金額を手渡していた。


元妻の大病が再発すると現金書留を利用して僅かながらも仕送りを続けて、携帯電話とメールを利用して交流は続いていた。


元妻の父親は目頭に涙を溜めて「私達の世代は滅私奉公が当たり前でしたが、社会情勢の変化に気付いていなかった、不祥事企業の顛末を見届けて改めて思いましたが、娘可愛さで却って不幸にしてしまいました、信じた人に付いて行きなさいと突き放すべきであった」と搾り出すように語った。




ワタシは理事長の言葉を思い出した。


ヨータさんの不器用な優しさを元妻は大病をしたことへの同情であると受け取り、居心地の悪さを感じており、名古屋でクリスマスの惨劇を経験した後は何をしても贖罪であると開き直った。


ヨータさんは「時間を掛けて、ゆっくり夫婦になれば良い」と考えていたが、皮肉にも周囲が猶予を与えなかった。


理事長はバブル崩壊後に人生相談を兼ねた万屋を経験したが「相談者が憐憫若しくは同情と感じると見下されたと敵意を抱き、安易に共感を口に出すと他人には理解出来ないと防護壁を築いてしまうので、事柄ではなく感情に寄り添って受容することしか出来ない」と」語った言葉は、人生の酸いも甘いも経験した至言であると深く胸に刻み込んだ。


参考文献


「細木数子 魔女の履歴書」溝口敦 講談社α文庫


「京都に蠢く懲りない面々 淫靡な実力者たち」湯浅俊彦+一ノ宮美成+グループ・K21 講談社プラスアルファ文庫


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