第9話 フンダリケッタリ

ボクは相手の土俵に登るしかなかった。


四番目の保険金受取人も難なく連絡は取れたのだが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)及び双極性障害を患っているので、遠出は無理なので彼女が指定する地元のお店で待ち合わせをした。


遅刻しないように五分前に到着したが、彼女は既に水割りを飲んで酩酊状態で「一人で飲んでも寂しいから一緒に飲もう」と誘われたが「仕事中なのでウーロン茶を」と言うと「雰囲気が出なくて嫌だ」と気分を害したようなので「ノンアルコールビールでは」と尋ねると「特別に許可する」と底が抜けたように笑い出した。


「今日はヨタちゃんの話だよね、でも急かされると気分が落ち込んでしまうから、気を付けてね」と釘を刺された。




ボクは機が熟すのを待つしかなかった。


「さっきから何ジロジロ見ているんだよ」と急に不機嫌になってしまい「何処かでお見掛けしたような気がしたもので」と咄嗟に言うと「すっかり老け込んでしまったけど」と前置きをしてボクにも聞き覚えのある名前を口にした。


大ヒットした女性歌手と漢字一文字だけ変えた名前でアダルトビデオを女性歌手の離婚した実父がプロデュースするとスポーツ新聞の一面を飾った事件の当事者であった。


実父は暴露本を出す等泥仕合の様相を呈していたのに急転直下で事務所から高額な和解金を受け取りながら「アダルトビデオとは全く知らなかった」と自分が被害者であったと吹聴した。


結局、日の目を見ることもなくお蔵入りとなり、一年後に漢字をひらがなに改めて再デビューするも腫物に触る様な扱いのまま燻り続けて引退することになった。


「一瞬だけだったけれど、マスコミにも報道されて、本格的なボイストレーニングもさせて貰って結構楽しかったよ」と話した。


「平気で人の前で裸になれると呆れているんでしょう」と挑発的に言ったので「ボクには無理だけれども呆れてはいません」と答えると「ヨタちゃんと同じこと言うね」と笑った。


「負け惜しみじゃなくて、人より綺麗に生まれて良かったと思っている、お金払って喜んでくれる男もいるし」と語尾を濁した。


「興味ありませんというような顔をして盗み見する男と眉を顰めて非難する女の視線を感じてしまうので、公共交通機関は乗ることが出来ずにお金もないのにタクシーを利用している」と力なく言った。




ボクは彼女の欠伸に不安を感じた。


呂律が回らなくなり、欠伸を繰り返しながら「頭がパンパンになってきた」と呟き「念の為に聞いておくけど、今日は割り勘それとも奢り」と尋ねたので「奢ります」と答えると「ボトルを入れて、妹を呼ぶね」と携帯電話で話し始めた。


「二人きりだと警察の尋問みたいで、嫌なの」と言って黙ってしまうと10分後に妹が到着すると「引退してスナック始めた時もチーママやっていたんで、妹に何でも聞いて」と紹介されるとお辞儀をした。


「全体的には似ているけど、お姉ちゃんとは」と言いかけたので「どちらともお綺麗です」と言うと「お世辞は止めて下さい、余計に惨めになります」と言われた。


険悪な雰囲気にはならず「お姉ちゃんは特別なんです、子どもの時からお店の人がおまけしてくれましたから」と言って二人の生い立ちから話し始めた。


東京の下町にある商店街で祖父の代から乾物屋を営んでおり、祖父の亡き後も祖母が差配をして裕福であったらしいが、父親が家業を顧みずにお祭りと稽古事、特にのど自慢に夢中だったので、祖母が亡くなると歯車が狂い始めてしまった。


酒を飲み暴力を振るう父に愛想を尽かせた母が出奔した時、年の離れた中学生の長兄は殆ど家には戻らず四年生の次兄、二年生の姉と幼稚園の妹だけが残され、三年生になる頃には、姉が母親代わりに家事を切り盛りするようになっていた。


お店の人のおまけは可愛いこともあるが、不憫に思ったのではないかとボクは一瞬心に浮かんだが、慌てて飲み込んだ。


姉が五年生になり女性らしさが発露してくると母の出奔の要因となった暴力が彼女に向かい始め、義務教育も放棄して高校生や中学生の溜まり場に出入りして家に帰らないようになった。


今では信じられないことだが、大人びた雰囲気と体型を持ち合わせており、年齢を偽って水商売で稼ぐようになると次兄と妹の小遣いだけでなく、人手に渡ってしまった乾物屋の代わりに父が始めた工務店の支えにもなっており、下町から繁華街へ水商売から風俗へと更なる稼ぎを追い求めた。


妹は下町の水商売で踏み止まり、高校だけは卒業して働きながら通信制の理容学校に通っていたが、引退後はスナックをしたいと言う姉に従って繁華街の水商売が本業になっていった。




ボクは話をヨータさんに向けたかった。


ボクの思惑とは反対に妹の話は延々と続いており「姉とは顔形全て敵わないし、困った時には何時でも助けてくれて、一家の大黒柱なので父親が亡くなった後は長兄も一目置いている」と大いに自慢をした。


自分も双極性障害で通院及び投薬もしているが、日常生活には差支えがないから若い時から苦労している姉に恩返しをしたいと心情を吐露した。


複雑な家庭事情をボクが口を挟む理由もないので、黙っていると姉妹共に肩に入れ墨があるが、姉は風俗に入り輪郭だけで自分は完成したけども素人に頼んだので不格好なだけであり、温泉に入浴するにもテーピングが必要なので後悔していると話した。


姉も妹も売春と薬物によって旧少年院法による初等少年院及び中等少年院に該当する女子少年院で禁固若しくは懲役に二回ずつ収容されており「私の敷いたレールの上を通っているので、最初からリンチされずにVIP扱いで楽をしている、二十歳になったら真っ当になろうと体を張って生きてきた」と姉は語り「結局、帰る場所がないから悪い仲間同士が助け合って生きている、甘える対象がないので、構って欲しかった」と妹も答えた。


男性と比較して精神年齢の高い女性は暴力だけでなく欲望の対象としても標的にされ易く、犯罪に巻き込まれる可能性が高く、加齢と共に働く場所が限定され、過去の体験がトラウマとなって苦しみ続ける事実を考えると暗澹たる気持ちになった。


生きる場所を求めて累犯に及ぶ弱者と制度を悪用して甘い汁を吸い続ける知能犯によって、前者に対しても厳しい目が向けられる悪循環を是正する根幹は教育の機会平等を担保することが急務である。


米国の国務長官を務めた「砂漠の嵐」作戦における米軍制服組のトップである統合参謀本部議長を務めた最初のアフリカ系アメリカ人であるコリン・パウエルの軌跡を思い、日本にも必要だと感じた。


姉も自分も何故か年上好きで付き合うが、所謂出来ちゃった結婚で同年代と入籍して別れてしまうので、子供は成人や中高生になると言い、姉はバツ三で自分はバツ二だと明け透けに語った。


ドメスティックバイオレンスを経験すると高い確率で負の連鎖が生じること及び依存性が高く、歪なファザーコンプレックスが現れることが頭に浮かんだが、ヨータさんに百人百様であり、統計的に有為でない分析を戒められていたことも思い出して封印した。


寝息を立てて船を漕いでいた姉が「さっきから詰まらないことばっかり、ベラベら喋ってんじゃねぇよ、ヨタちゃんの話を聞きに来ているんだよ」と一喝すると「お姉ちゃん、ごめんなさい」と本気で怯えているのが一目で分かったから可哀相であったが、ボクが言うべきことを代弁してくれて助かった。


ずっと話を聞いていたのか、偶然目を覚ましたのかは分らないが、彼女達の背景を知るに必要な情報を入手出来たので、心底有り難いと思った。




ボクは二人からヨータさんの話を聞いた。


酩酊状況にあり、記憶障害の可能性さえ否定出来ない彼女よりも妹の発言に重きを置かざるを得なかったが、二人の見解に相違が生じる際には両者の主張を併記した。


アダルトビデオ業界から引退したのは、彼女が二人目の子供を身籠ったことが直接の誘因になったようだが、姉妹二人で繁華街にスナックを開店した時に懇意にしていたスポーツ新聞が記事として取り上げてくれたのを有名人が大好きなヨータさんが偶然に見付けて訪問したことだった。


時期的には三番目の保険金受取人である彼女が最初にヨータさんとの関係を断ち切ろうとしていた頃であり、同時に複数の女性と付き合うような器用なことは出来ない性分からも疑いの余地はなかった。


初回訪問の際は、彼女はお世話になった方々への挨拶回りで不在であり、妹がヨータさんの接客をしたのだが、妹はその事実を隠してヨータさんと話していたが、遠方に居住していたので、延長せずに帰宅すると告げると「ごめんなさい、お姉ちゃんは今日10時以降の出勤になっていて、ずっと騙していました」と泣き出した。


ヨータさんが「楽しかったから、また来ます、騙したとか大袈裟な話じゃない」と諭すと「お姉ちゃんと違って私は美人じゃないから、本当は怒っているでしょう」と食い下がると「お姉さんと比較して、ない物強請りするのではなく、自分だけの魅力を大切にした方が素敵だと思う」と言い残して帰った。


翌週も同じ時間にやって来ると姉妹で出迎えるとお決まりの「三大○○クイズ」や得意のカラオケで二人の心を掴み、常連とも仲良くなった。




ボクは強烈な個性を見せ付けられた。


店の売り上げへの貢献も勿論のこと給料日前や雨天、混雑しない曜日に来店する配慮も喜ばれたが、何よりもカラオケやゲームで盛り上げる流れを熟知しており、シャンパン等の振る舞い酒は競争心を煽る時機を捉えるので喜ばれた。


盛り上がっている時は扉や窓を少し開けることで、一見客を引き寄せることも教えてくれたので、姉の知名度と妹の客捌きによってすぐに繁盛店となり、手狭となると繁華街により近くてかなり大きな店舗に移転することが出来た。


姉妹の誕生日を開催することもヨータさんがゴールデンウィーク、夏休みの出費で客足が遠のく、九月に実際とは異なる姉の誕生日を企画して五日間連続で行い、初日に自らクリスタルのネックレスのプレゼントとシャンパンを開封したことで弾みが付き、連日大盛況に終わった。


クリスマス、正月だけでなく、厳寒の影響で同じく客足が遠のく二月にこれまた実際とは異なる妹の誕生日を企画すると「調子に乗るから誕生日でなく、バレンタインにする」と姉が主張したが「バレンタインだと差別化が出来ない」と水曜日から金曜日の三日開催として、シルバーのネックレスとシャンパンを開封すると二番煎じでありながらも、大盛況であった。


この記憶だけは幼年期から姉のお下がりに甘んじてきた妹が大いに主張したので、真偽は定かではないが概ね記載の通りであったと推察されたが、結局イベント開催の効果を実感すると一般店員の誕生日もアクセントを付ける為、単日開催で実施された。


店舗の大型化に伴ってこれまでは相手にもされていなかったおしぼりや酒類の調達先も色々と柵があり、単純な問題ではなく今までの人脈以外からの恐喝に近い売込みがあったので、ヨータさんに相談して解決して貰うこともあった。


土曜日や日曜日に個人的な飲食を共にする機会も増えて、常連客限定のオフ会を開催するに至って、身内同然の扱いを受けていた。


ヨータさんの大阪への転勤によって、出張で四半期に一度程度の来店となったけど姉妹が立ち上げたブログに顔出しOKであったので、その都度紹介されるだけでなく東日本大震災のボランティア帰りに作業着で来店した時には多くの反響があった。


その後、ヨータさんが東京本社勤務となったので、店舗を訪ねてみると跡形もなくなっており、姉の携帯電話は留守番電話にもならずに不通状態になっていた。


姉はヨータさんと妹が連絡先を交換することを極端に嫌っていたので、連絡の手段はなくなった。


付け加えると自分以外がヨータさんと呼ぶことも嫌がって苗字にさん付けを強いていたのだが、ヨータさんが堅苦しいからと是正を求めると自分だけはヨタちゃんと言って差別化を図っていた。




ボクは付かず離れずの関係を聞かされた。


半年以上も音信不通であったが、突然姉の携帯電話から連絡があり「住む場所がなくなったから、嫌でなければ同棲して欲しい」と一方的な依頼があった。


勤続二十年記念の旅行券を利用して北海道に滞在中であったが、予定を切り上げ自宅に迎えると翌週には妹と元常連が引っ越しを手伝いにやって来た。


「お前の恋愛問題のゴタゴタで面倒になってしまい、結局閉店に追い込まれて体調も崩してしまった」と妹夫婦を詰り続け、険悪な雰囲気であった。


夕食も運転しない姉妹だけ晩酌をして、ヨータさんの懐具合を尋ねていたが「切り詰めた生活すれば十分だ」と主張する妹に対して「お前とは立場が違うから生活費でなく、お小遣いが30万円なければ無理だ」とヨータさんを蚊帳の外にして口論し続けた。


ローン返済中のマンションも引っ越しを希望して出来る限り希望に応えようとしたが、三か月苦心した挙句「ヨタちゃん、色々頑張ってくれて嬉しかったけど、やっぱり無理です、今晩荷物を引き取りに来ます」と書置きを残して深夜二時に寝静まった頃に男性同伴で夜逃げ宛らに連れ去って行った。


その後、二回り以上年上の著名クリエイターと入籍したが、不況の煽りを受けて資金繰りに窮するとバツ三となり、妹も夫の体調不良を二人三脚で乗り切り絆が強まると思いきやバツ二になると悪びれる様子もなくヨータさんの前に現れた。


理容師免許を保有する妹は美容院で見習いをしながら美容師免許を取得して自立する努力をしていたが、姉はヨータさんと同棲を再開しても熟女クラブに勤務しても結局はヨータさんを頼るので「衣装等を考慮すると持ち出しになるから」辞めるように諭したが「三か月もあれば太い顧客を捕まえるから」と拒否して過去の栄光に縋り、笊で水を掬うように虚しい日々を過ごした。




ボクは涙ぐましい努力に感心した。


デジタルタトゥーと呼ばれ、過去に出演したアダルトビデオが制作会社の倒産若しくは故意に裏ビデオが流出していることを気に病み、病状を悪化させていることも理解出来たので、ヨータさんも解決に奔走したこともあったが、リベンジポルノの取組みにより若干の進展は見られたが、結局はいたちごっこに終始してしまい虚しい結果に終わった。


シングルマザーや水商売等の経験しかない立場の弱い女性のセカンドキャリアを支援に加えてドメスティックバイオレンス、性暴力や搾取の被害救済にも関心を持ち始め、姉に対してはカウンセリングを受けて病状が回復したら回顧録や講演活動等を通じて社会に訴えるよう励まし続けた。


彼女も少しずつだがその気になり掛けていたものの重度のフラッシュバックにより退行すると「頭を撫でて、良い子、良い子と言って」や「ギュウッと抱きしめて離さないで」と幼児期に不足していたスキンシップを強く求めるのだった。


アニマルセラピーも効果的であり、週末には近隣の公園でかなり長時間の犬の散歩も出来るようになり、ヨータさんと一緒であれば電車やバスにも乗れるようになった。


父親の葬式では長男が「皆様、献杯(けんぱい)のご発声を」と言ったので、乾杯(かんぱい)の間違いかなと思って、妹と二人だけ乾杯と大音声で叫んだ。


「不祝儀の席では乾杯でなく、献杯が正しい」と長男に窘められて、非常識と無知を少しだけ反省したが、姉妹にとっては正解だった。


母親とは父親の死後、交流が再開して三人でカラオケやパチンコを楽しんでいる。


今回の面談もヨータさんの突然死で受けた衝撃で塞ぎ込みがちであったけれども現実を受け入れ、ヨータさんの意志を継いで生きていく第一歩を踏み出す機会と捉えていた。




ボクは恒例となっている質問をした。


「あなたはヨータさんのことを恨んでいませんか」と尋ねると「いつも優しく受け入れて我儘を聞いてくれたので、感謝の気持ちしかありません」と答えた。


「あなたの周囲にヨータさんを恨んでいる人の心当たりはありますか」と尋ねると「過去の柵から一切決別していたので、心当たりはありません」と答えた


「直近の連絡は何時ありましたか」と尋ねると「亡くなる直前も一緒だったので、不測の事態が起こった際には保険会社からの連絡を待ち、妹と同席することも指示されていました」と眦を決して、力強く答えた。




ボクは気になった点を幾つか質問した。


これまでの面談では形式的な質問だけで終了したが、今回は聞き流すことは出来ないことがあった。


最初は妹に対して「引っ越しを手伝ってくれた元夫はヨータさんを恨んでいませんか」と尋ねると伏し目がちに姉の反応を窺いながら「恨むような関係ではないよね」と姉に助けを求めた。


「身内の恥を晒すのは忍びないですが」とこれまでの呂律が回らない補足的な立場であったのとは一転して立派な前置きをして「私は性を商品若しくは武器と割り切っていますが、妹はお酒が入ると優しくされたり、お願いされたりすると体を許してしまうので、昼ドラのように泥沼になってしまいました、元夫は一番真面目に向き合い我儘も許してくれて私も安心していましたが、男性機能を失ったことで妹が我慢出来なくなり、離婚に合意してくれましたが、今でも愛してくれているようで、恨むという言葉とは縁遠い人です」と理路整然と答えた。


次に姉に対して「深夜に荷物を引き取りに来た著名クリエイターはヨータさんを恨んでいませんか」と尋ねると「ヨータさんのことは秘密で友達夫婦の元に身を寄せていると説明していました、ヨータさんも引っ越しているので、全く存在も知らない筈です」と明快に答えた。


最後も姉を指名して「おしぼりや種類の調達先を解決した件と未解決に終わったデジタルタトゥーの問題でヨータさんを恨んでいる人はいませんか」と尋ねると「信じて頂けるかは分りませんが、軽い気持ちで相談すると一切の情報の提供もないまま解決出来たと思ったら、今回は無理だったという結論しか話してくれませんでした」とだけ答えたが、何かを隠しているようには見えなかった。




ボクは上司に口頭で報告をした。


直近の状況を考慮すれば内縁関係を否定する材料もなく、保険金受取人としては何の問題もなかった。


今回も死を匂わせる遣り取りこそ認められたが、不測の事態があればという仮定の話であるのでそれについても特にコメントはなかった。


唯一言及があったのはおしぼりと種類調達先とデジタルタトゥーの問題であったが「あくまでも生命保険会社であり、捜査機関でもないので、私的な感情によって危険な行動を取ることだけは避けて下さい」という指示であった。




ボクは聞きたいことが山ほどあった。


持って回ったような表現でなく、単刀直入に四番目の保険金受取人を芸名で名指しにして「ご存知ですか」と尋ねると「三番目と四番目はヨータ君に紹介されて会ったことがある」と言って「前者は水商売の経験こそ長いが、詐欺師に手玉に取られて途方に暮れていたのを少しだけ助けてあげたけれど、後者はヨータ君では全く歯が立たない」と答えた。


理事長は険しい表情をして「保険金受取人がヨータ君を殺したと疑っているのか」と尋ねたので「それはないと思っています」と答えた。


「権力及び暴力を頼ることを良しとしなかったヨータさんが理事長の名刺を利用したのでしょうか」と尋ねると「それは私が一番知りたいが、ヨータ君は酒と女が鬼門だったので、魔が差したか功を焦り過ぎていたかもしれない」と答えた。


「功とは具体的には何ですか」と尋ねると「シングルマザーや水商売等の経験しかない立場の弱い女性のセカンドキャリアを支援する取り組みを有名な彼女を看板に考えていたかもしれない」と呟くと逆に質問をした。


「生命保険会社としての調査であれば、それ以上首を突っ込まない方が賢明だ」とボクに鋭い眼光を向けたが「上司にも同じように警告されました」と素直に答えた。


「それなら意地を張らずに方針に従うべきだ」と忠告されたが「仕事も継続しますが、これはヨータさんだけでなく、僕自身の問題です」と怯まずに胸を張って答えた。


「ヨータ君も「オレオレ詐欺」や「故買」等の分野で警視庁の協力者として行動していた」と理事長が観念したように衝撃の事実を教えてくれた。




ワタシは居合の極意鞘の内を知った。


暴対法の成立によって表立ったみかじめ料は稀になったが、おしぼり、マット類、観葉植物、装飾品、浄水器、空気清浄器等に形を変えて日々若しくは月々の備品となり、年の瀬前に酉の市で販売される縁起熊手は年々の挨拶と顔繋ぎとして占める割合がより大きくなっていった。


「そのことを知っていながら、昔ながらの人脈を利用する横車を押していたのに、敢えてヨータさんを試した」と言ったので「ヤクザマンション理事長の名刺ですか」と尋ねると「ヨータ君も気が大きくなってしまい、私にも内緒のままデジタルタトゥーにも挑戦してしまった」と言ったので「その結果どうなったのですか」と尋ねると「みかじめ料みたいな小さな話ではなかったので、ヤクザマンションに監禁されてしまい、私にも名刺が本物かどうかの照会が来たので、身元を引き受けると共に矛を納めさせた」と肩を落として搾り出すように答えた。


「ヨータ君は人が良いから誰に対しても性善説の立場を取るけども善意を信じて行動しても悪意に対しては無力だ」と力説したので「ヨータさんは性善説でなく、独自の性白説の立場を取っており、相手の言動を慎重に見極めます」と擁護した。


「朱に交われば赤くなる、件の女性をどう判断するか」と質問されたので「処世術に長けているので、ヨータさんを試したかもしれませんが悪意ではないと思います」と答えると「リベンジポルノは無過失だが、彼女は違う」と断言したので「無過失ではありませんが、無視出来る過失による被害者であり、弱者である事実は譲れません」と答えると「自由と安全は両立すると思うか」と矢継ぎ早に質問を浴びせた。


「安全は為政者の立場からすれば治安と置き換えられ危険です」と答えると「自由は制限されるべきか否か」と聞かれたので「上意下達で制限するよりも他人の自由を侵害しない範囲で、自由を謳歌すべきと個人が律することが理想と考えます」と答えた。


表情を一変させて「名刺を誰かに見せたか追跡調査をしていた」と言うので「ワタシを試していたのですね」と尋ねると「居合の極意は鞘の内、戦略の基本は非戦、非攻、非久だ」と教えてくれた。


木箱に入った新疆ウイグル自治区で取れる和田(ホータン)玉を聖獣である二頭の豼貅(ひきゅう)が向き合った模様に彫ったお守りを首に掛けてくれた。




ワタシも理事長に同志と認められた。


「ヨータ君も解放後は流石に青菜に塩だったけど、転んでも只では起きない強かさを見せて、監禁先のカレンダーに比と泰が多いことに気が付き、特殊詐欺グループが海外展開している事実を嗅ぎ付けた」と顔を綻ばせて語った。


理事長は海外旅行こそしないが、海外に多くの知己を持っており、現在は台湾の要人、華僑の大人等を通じて中国共産党による人権侵害の情報を収集しており、その危機的な状況打開する活動も支援していた。


要人や大人とは席を共にすることを敢えて避けているようであったが、一人の亡命華人を紹介してくれた。


「彼は今でこそ日本に在住しているが、現在は広西チワン族自治区と呼ばれる旧広西省の名門一族で文化大革命が最も過酷であった広西虐殺で父君が処刑され、母君と命からがら香港経由で亡命してきた」と説明した。


「ヨータさんとは私も親しくお付き合いしていたので、残念です」と握手を求められ、一枚のパンフレットを手渡された。


東トルキスタンに独立を


中国侵略国の東トルキスタン人に対する想像できない抑圧


1949年{東トルキスタン}が中国共産党に侵略され、中国政権により「新疆ウイグル(XUAR)と呼ばれた」新疆は新しい領土を意味する」


それ以来、中国はこの地域を植民地化し、一連の抑圧的な政策を通じて東トルキスタン人のアイデンティティーを根絶しようとしている。現在、東トルキスタンにいる数千万人以上のウイグル、カザフ、キルギス及び他の人々が、中国侵略国により、虐待を悪化させ差別を制度化し同化を強化することにより、絶滅寸前です。(中略)


私達は貴方様から欲しい事:


政府に中国の東トルキスタン占領を認めるように圧力をかける。


拘留/投獄された東トルキスタン人の命を救うために国際社会に訴える。


東トルキスタンの問題について貴方のコミュニティに呼び掛ける。


#IndependenceForEastTurkistanに貴方の声を加え、東トルキスタンでの大虐殺に対して話す事。


(東トルキスタン人民協会配布資料を引用)


 「チベットも過ぎ去った記憶として、絶対に風化させてはいけません」と在日華人は携帯端末の画面をワタシに見せて言った。


独立国家であったチベットは、1949年に口火を切った中国の侵略で、戦闘によって人命損失の危機にさらされ、続いて共産主義のイデオロギーと文化大革命(1967~1976)に代表される計画によって、普遍的な自由さえも失ってしまった。しかし、最悪の事態は既に過ぎ去ったかのような誤った認識がまかり通っている。(中略)


再三再四、国債法を犯す中国のこれらの破壊行為は、注目はされているが、未だに罰されることなく繰り返されている。


(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所チベットハウス・ジャパンホームページを引用)




ワタシは順序を弁えずに貪欲に聞いた。


理事長は「今日は一日一緒に行動してヨータさんのことを彼から仕入れて下さい」と言って僕達二人だけを残して帰った。


ヨータさんのことを色々と聞いたが「ヨータさんのことを口で説明するのは難しい」と電車で移動するので、最寄りの駅まで急いでいると首相を揶揄して野次っているデモ隊とすれ違った。


「天安門広場でやれば、間違いなく逮捕され場合によっては処刑される」と囁き「日本人は自分達が如何に恵まれているかを理解していない」と続けた。


意外に思ったので「米国と中国による二大強国の時代が到来するのではありませんか」と尋ねると「米国の時代は内部から矛盾が噴出しており、中国は問題外です」と感情を交えずに答えた。


「亡命者としての希望的観測ではありませんか」と尋ねると「富裕層は権力闘争に辟易して国外への逃避を図り、希望のない若者は蛇頭に身を委ねて治安悪化の輸出若しくは五毛党と呼ばれる公安部の出先機関として利用されて、害悪を世界中にばら撒いています」と答えると黙ってしまった。




ワタシは機織りがある民家に案内された。


部屋には染物や古布が整然と並べられ、種類や工程等が日本語及び英語による説明書と丁寧な割織の和装及び小物類が綺麗に陳列されていた。


少し待っていると初老の夫婦が奥から現れて「遠くから来て頂きましてありがとうございます」と丁寧な挨拶をして「ヨータさんはお得意さんであり、亡くなった一人息子とも短い間でしたが、同年代とあって懇意にして頂きました」と懐かしむように語った。


彼らの一人息子は小学生からインターナショナルスクールに通学して、父の意向で空手と柔道を母の影響で茶道とピアノを嗜み、大学は米国に留学して、米国を代表する携帯端末メーカーにカリスマ創業者に憧れて就職して、カリスマ創業者が一時的に追放された危機的な状況で単なる製品でなくミュージシャンやアーティストと交流して文化にまで押し上げた立役者であり、日本だけでなく環太平洋地区のトップであった。


本人も堅苦しく本名で呼ばれるよりもクリスチャンネームを好み、誰からも愛されており、日本と海外及びビジネスとボランティアの懸け橋を担う人物であった。


ヨータさんとは両親を通じてボランティアへの協賛を依頼して交流するようになり、理想とは懸け離れた日本の金融市場改革でも意気投合していた。


初対面で図々しくも協賛を依頼した結論から言えば「お金だけの関わり方はしません」と毅然と答え「障害は不便であるが、決して不幸ではないという考え方に基づいた作品を手掛けているので、もう少し時間を下さい」と深々と頭を下げた。


業務でも中国からの撤退も辞さない厳しい交渉を指揮しており、自身が参画した短編映画の世界プロモーションは佳境にあり、それらが落ち着いたら真剣に話し合うことを約束して別れた。


欧米の映画祭に向けての壮行会を都内で開催した直後に体調不良を訴え、緊急入院したまま帰らぬ人となってしまった。


母親は「息子を慕って数多くの人が民家に足を運んでくれるので誇りに思う」と気丈に振る舞ったが、父親は「息子と一緒に温泉に背中を流し合いたかった、涙も枯れてしまった」と素直な心情を語った。


中国出張の際は、細心の注意を払って移動手段は米国本社が指定するハイヤーを利用して、飲食物は水を含めて現地では調達しないようにしていたのに、まさか安全と思っていた日本国内で」と言葉を詰まらせた。


「骨董市への出店も遠ざかっていたが、ヨータさんは時折訪ねて、慰めてくれていたのにこんなことになってしまって」と嗚咽を繰り返した。


「日本の警察は息子の死も最終的には事故死と判断して、捜査を打ち切ったが」と無念さを滲ませた。


辞去して次の目的地に向かう途中で「日本の警察は一年弱で事件性なしと判断したが、外交的な判断と相続手続き等の国内の事情を考慮した妥協の産物だ」と亡命華人の彼は正面を見据えたまま断言した。




ワタシは地域活動の現状を聞いた。


次の目的地に到着して気付いたが、最初の保険金受取人である女性の住所となっていた屋形を紹介してくれただけでなく、色々と取り計らってくれた先輩の日本家屋であった。


「京都では本当にお世話になりました」とお礼を述べると「こちらこそ、楽しい時間を過ごすことが出来ました」と荘重な客間へ案内されると亡命華人の彼は初対面でないことに驚いたようだった。


「最近は現役のことは現役で決めると言って、あまり情報が入って来ないので、ヨータ君のことも事後報告として知った次第で面目ない」と頭を下げて知る限りの情報を提供してくれた。


地域活動を担う青年経済人と言えば青年会議所が先駆者であるが、商工会議所及び農業協同組合の青年部だけでなく多種多様な異業種交流会に溢れている為、二十歳から四十歳の制限がある青年会議所は衰退の一途を辿っており、「修練、奉仕、友情」のスローガンも下積みが面倒臭いと敬遠されて四十歳手前まで入会しない傾向が目立って来た。


短い期間でも全力投球する人は大歓迎であるが、例会を実施するのに不可欠な委員会活動は不参加で飲み会だけ幹部と同年代なので大きな顔をして現れる人も多かった。


バブル期は金融、不動産、建設業界が営業人員を派遣していたが、双方にとって思惑外れを招く結果となっており、地域ボランティアから入会したヨータさんは異色の存在だった。


飲み会で一気飲みの強要、カラオケのリモコンを後輩のカバンに入れる下品な悪戯をヨータさんは先輩であろうが容赦なく弾劾したので「空気の読めない奴」と嫌悪され、京都会議の問題もあり「不遜な奴」と孤立無援の状況を招いた。


中小規模であるが、無理に無理を重ねて東京ブロックのトップを輩出したこともヨータさんにとっては不幸が重なった。


トップのセクレタリーとして主要メンバーが出向して人員不足となった為、ヨータさんも名前だけと言われて理事者でもある副委員長に就任したが、ブロックでの要職を兼任する委員長は事もあろうか理事長初心にもある相撲大会のエントリーを失念した。


ヨータさんは若手中心の委員会を鼓舞して乗り切ったが、例会への上程の不備や外資系親会社の無理解によって「前門の狼、後門の虎」に挟み撃ちに遭い、志半ばで退会せざるを得なくなった。


実際には追い詰められて退会したのだが、先輩の奔走で大阪転勤による止むを得ない事情であったと配慮が為された。




ワタシは地域における選挙も聞いた。


ヨータさんは東京の本社勤務となると東京郊外に戻ったのだが、三番目の保険金受取人と同棲する為、電車で一時間程度の区内に居所を移した。


途中で副委員長を投げ出して迷惑を掛けた当時の理事長とは同年代でもあり、細々と交遊を続けており、先輩が主催する会にも名を連ねていた。


二期で勇退して筆頭副市長に後事を託す予定であった女性市長は前副市長が突然病に倒れたことにより、意に介さない三選となってしまい病後の前副市長と事前交渉の場が設定されたが、市庁舎の建設について折り合いが付かず、交渉決裂に終わり無風と思われた事前予想を覆して直接対決の修羅場に変貌してしまった。


先輩は実質上の指揮官である選対本部長代行となり、現場を預かることになったが実績を考慮して当初は楽勝ムードが漂っていた。


ヨータさんは市庁舎建て替え反対を声高に挙げる団体の代表発起人が元国労委員長や自治体向けコンサルタントといった魑魅魍魎が蠢いているので、対抗策を打ち出すべきだと主張したが、市長本人の「嘗ての同志と誹謗中傷の泥試合を演じたくない、正々堂々と実績と公約だけで勝負します」とハッキリ宣言したので、採用されることはなかった。


対立候補の主張は市庁舎の高層階を民間に販売するPFI方式で実質費用負担がないという聞こえは良いが、立地及び更新時の権利関係の縺れによる災害時のリスクを考慮していない絵空事であった。


最悪なことに浮いた費用で老朽化した駅前の再開発を検討することを公約に掲げていたが、件の団体等の事務所もあり、過去から曰くつきの物件であることは担当であった前副市長が一番知悉している筈だった。


公職選挙法で失職した人物が主導して、利権に蠢く集団に甘い媚薬を匂わすことで究極の「同床異夢」と禁断の「呉越同舟」を実現させた。


主導者の周辺には地権者の支援を受けた元市議会議長の影も見え隠れしており、与党が開発計画で支援者に利益誘導し、野党が開発計画に反対する振りをして占拠する馴れ合い政治の縮図そのものであった。


既定路線のように通常は対立候補を立てる革新政党も今回は前副市長を応援することになり、保守政党は中立を維持すると言いながら、地元国会議員や緑色の旋風で都議こそ不在であったが、前職は公然と前副市長の応援演説に参加していた。


市長の演説会には支援者が「頑張って下さい」と掛け声を掛け反応は上々であったが、対立候補の演説会は基地反対のデモ隊が用意する極彩色プラカードと極めて似通った特徴を持った集団が突如現れて物々しい雰囲気であり、病後で呂律の回らない前副市長は前面には出さない作戦であった。


極彩色プラカードはドイツの建築家であるブルーノ・タウトが絶賛した純和風の桂離宮でなく、酷評した大陸風の日光東照宮といった趣であり、事実行進には大陸系と見られる偵察部隊が動画撮影をしていた。


案の定、新聞報道でも元同志の一騎打ちと対立を煽りたて、市庁舎建て替えと多選批判で注目の選挙として連日報道した。


ヨータさんは多選批判だけでも前回の舞台裏を説明して、四選ではなく実質上は二選であると批判を躱すべきだと進言したが「前副市長の健康に関する機微情報であり、明らかにすべきでない」と却下された。


事態はヨータさんの懸念した通り進行し、SNSを駆使して若者の不満が「雨後の竹の子」のように拡散され、駅前の100円ショップでは不審者による店員の傷害事件、内縁の妻による熱湯と鈍器による殴打による殺人事件だけに留まらず、桜の名所でもある公園の名称にもなっている池での老人の自殺によって安全、安心を脅かす不可解な怪事件が多発した。


先輩はヨータさんを呼び出して「議員は自分の当選にしか関心はないが、地元は近所内だけでなく親子間でも分裂してしまい、禍根は十年じゃ済まない」と上層の横暴が下層の皺寄せになる悲嘆を口にした。


「革新政党が長期間に亘って京都府政に影響力を行使出来たのも目先の利害得失による妥協の産物であり、脛の傷によって真綿で首を絞めつけるように影響力を行使して、二期目以降に露骨に締め付けを強化したので、次回は総力戦で臨まなければ将来に禍根を残します」とヨータさんは逸早く次回以降を見据えていた。


出口調査では拮抗した状況となり開票を待つ事務所で放送局が撤収を開始し、対立候補の事務所へ雪崩を打って異動し始めたことで敗北を確信した。


落選が決定するとヨータさんは号泣し、先輩も男泣きをしていたが、任期が僅かになった市長は「ここにいる人の期待に沿えず、申し訳ありません、敗戦の責任は全て私にあります、皆様が代わりに泣いて下さったので、私は泣きません」と気丈に挨拶をした。


青年会議所出身の代議士の多くは親米及び親台であり、その関係上から情報に通じており、ヨータさんを介して同行の亡命華人も知遇を得たようであった。




ワタシは最後に辿り着いた街を訪ねた。


最後の目的地は埼玉と接した区内であり、旧街道と並行するように走る私鉄沿線の旧宿場町であった。


鉄板から煙が立ち上がる昼から飲むことのできる居酒屋を訪ねると頭にタオルを播き、店の名前をプリントしたTシャツの店主が手を休めて話してくれた。


「ヨータ君は元AV女優と一緒なので、目立っていました、自分も大阪出身なので粉物と肉吸いが美味しいと言って、よく来てくれました」と言ってこの街とヨータさんについて独自の観点を交えて説明してくれた。


店主は下町にある繁華街でホストを振り出しに飲食店を中心に板前やコックまで転々した後、この街で八百屋を経営していたが、隣駅に大規模スーパーが出来たのを潮に鉄板焼き居酒屋を共同経営者と出店した。


駅前ビルはパチンコ屋と居抜きとなって放置されており、商店街もシャッターが目立っており、隣駅に進出した大規模スーパーによって、淘汰された残滓とも言える惨状であった。


隣駅は自衛隊の駐屯地周辺の旧赤線地帯であり、反対側の隣駅は旧日本陸軍の軍用飛行場が存在していたので、戦後は特殊慰安施設協会(RAA)の施設が設置されていた。


「商店街も日用品を商う店よりもパチンコ店や雀荘、カラオケスナック等の遊興に耽る店が目立つでしょう、食い逸れた高齢の元暴力団員が生活保護を受給しながら、放蕩三昧だが、取りっ逸れが絶対ないので日掛け金融による典型的な貧困ビジネスが横行している有様であり、教唆している側にとっては鵜飼いも同然に私腹を肥やしている」と内幕を暴露した。


「生活保護受給者への睡眠導入剤や精神安定剤の過剰供給は医療費の高騰だけでなく、脱法ドラッグ等の二次的な犯罪を誘発し、人工透析患者は高額医療費と身体障害者一級の手手帳による自治体による助成金によって本人負担が殆どない為、医療機関による争奪戦が繰り広げられ、贈収賄事件まで発生している」と医療制度の闇をも断罪した。


「正義感に燃えるヨータ君は憤慨して、働ける人は働くべきだと説得していたが、元来が正業に着けない横着者であり、暴対法により社会復帰は困難な状況なので暖簾に腕押しで反対に面倒臭い奴と徐々に敬遠されていきました」と正直に打ち明けた。


パチンコ業界や消費者金融へのリースによる融資で拡大させ、不良債権処理に絡む証券化によって法律と会計処理の盲点を突く実態と乖離した規制緩和と言う名の錬金術による果実を独占することで、業界最大手に育てた稀代の政商と人材派遣業の守護神としての発言を繰り返す御用学者や雀の涙でしかない生活の糧を最後の一滴まで絞り尽くす新興宗教等貧困層を食い物にする勢力を具体例によって糾弾した。


正社員と派遣社員の断絶によって、金銭面は勿論のこと様々な軋轢を生み、不機嫌の連鎖による不安定な雇用は出生率を低下させて急速な高齢化による社会保障費を幾何級的に増加させ、無間地獄の様相を呈している。


高齢者と言う名の御神輿を若者が担いでいたが、気が付くと騎馬戦になり、将来的には肩車状態になってしまうが、選挙を意識して抜本的な改革は高齢者に阿ることで先送りされ続けている。


「宝くじは総務省、競馬は農林水産省、競輪及びオートレースは経済産業省、競艇は国土交通省が管轄する公営ギャンブルであり、パチンコは公営でこそないが、警察庁が甘い汁を吸う構造となっており、国家公認の貧困ビジネスだ」とヨータさんは舌鋒鋭く追及していた。


「地元の人にとっては勝手知ったる公然の事実であり、昼から競馬、競輪、競艇等の公営ギャンブルを放映している店と一般客向けのお店が存在して、両方が出入りするお店では空気を読みながら共存しています、自分は大阪の場末出身なので、違和感はありませんがヨータ君は新興住宅街出身なので」と語尾を曖昧に語った。


直接的に批判はしなかったが、ヨータさんもワタシも温室育ちで社会の裏側について認識不足であることを指摘していることは間違いなかった。


野党は既得権益者である組合員を優遇するだけで、派遣労働者を無視する有様であり、与党から「同一労働、同一賃金」が上程されるに至っては存在意義を失っていると言っても過言ではない。




ワタシは理事長が通う喫茶店に行った。


ヤクザマンションに隣接する喫茶店は抗争が起きると銃撃や青竜刀による殺傷事件に巻き込まれるその他の喫茶店とは異なり、暗黙の了解によって人工的な非武装中立地帯となっており、暴力団の組員も理事長とママに丁寧に挨拶をして、大人しくコーヒーを楽しむ場所となっていた。


ヤクザマンションには三十超の組事務所が存在するが、暴対法で制限された現状では間違いなく受け入れ先はないので、ご近所トラブルは御法度であった。


「今日一日、ヨータ君の足跡を訪ねた感想は」と質問されたので「ワタシの知っているヨータさんは経済畑で考える人でしたが、多方面に関心を持っていたので、大変驚きました」と素直に述べると「日本人は世界で一番安全で住み易い国であることに気付かず、文句ばかり言っているので、誤った印象を世界中に発信をしたり、福祉を食い物にする輩は後を絶たず、結局自分達の首を絞めている事実に鈍感になっています」と亡命華人も言葉を挟んだ。


長身の亡命華人が突然立ち上がった腕を組んでワタシを見下ろして「中国の国家主席はこうです」と言い、椅子に掛けて莞爾にワタシに微笑み掛けて「日本の天皇陛下はこうです」と差異を態度で表現した。


「中国は民を顧みず私腹を肥やすが、意に適わないと親兄弟と雖も容赦なしに粛清する歴史を繰り返しており、油断することは出来ません、日本は危機意識が薄く、尖閣諸島で海上保安船に体当たりした船長も政治的判断で穏便に帰国させてしまった」と具体例を指摘した。


民主化運動の在日支部事務局長である亡命華人は「毒物を盛られて前後不覚の状態や路上で暴漢に襲われることもあり、骨董を通じた交際だけだったが、ヨータさんに迷惑を掛けてしまった」と慟哭した。


「事故か事件なのかも結論が出ていないのに自分を責める必要はありません」と理事長は肩に手を置いて慰めた。


「エデンの園に在住しているが、邪悪な蛇の如く、ソドムやゴモラのように吹聴する人達はパレスチナ、レバノン近隣では北朝鮮の現実を意図的に無視して、無責任な言論の自由を謳歌している」と理事長が締め括った。


北朝鮮による拉致被害者の家族は長期に亘って、国会議員や報道機関によって不当な扱いを受け、高齢となった現在も翻弄され続けている。




ワタシは再度大阪に行く必要を感じた。


古傷を抉るような痛みを避けてヨータさんの元妻は保険金受取人からも完全に削除されているので、対象外と思い込もうと暗示を掛けていたのだが、ヨータさんの軌跡を辿るには逃げられないことを確信した。


更に大阪勤務時代のヨータさんが何を考えて、どのような行動をしていたかも明らかにしなければ全容解剖には覚束ないことも合わせて認識した。


参考文献


「チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝」木村肥佐夫 中公文庫


「蛇頭(スネークヘッド)」莫邦富 新潮文庫


「言ってはいけない中国の真実」橘玲 新潮文庫


「倉木麻衣ソックリAVで大騒動くらもとまいさんの引退後」日刊ゲンダイオンライン


「倉木麻衣の“芸能界最悪の父”山前五十洋さんの意外な評判」日刊ゲンダイオンライン


「ファザーファッカー」内田春菊 文春文庫


「日本の聖域(サンクチュアリ)」「選択」編集部編 新潮文庫


「累犯障害者」山本譲司 新潮文庫


「片翼チャンピオン」平山譲 講談社文庫


「リーダーを目指す人の心得」コリン・パウエル、トニー・コルツ著 井口耕二訳 飛鳥新社


「現職VS前副市長の一騎打ち東京・三鷹市長選」TOKYOMXNEWS


「ここがヘンだよ!市庁舎新築市民の会」ミタカノイス


「ニッポン ヨーロッパ人の眼で見た」ブルーノ・タウト 講談社学術文庫


「雍正帝 中国の独裁君主」宮崎市定 中公文庫


「拉致と決断」蓮池薫 新潮文庫


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