第8話 ハハヒトリムスメヒトリ

ボクは何故か既視感に囚われた。


三番目の保険金受取人は前の二名とは違って、住所及び連絡先に変更はなく、容易に連絡が取れ「一人娘の友達や保護者の目があるので、都心にある生命保険会社にお伺いします」と約束を取り付けた。


開口一番「お久しぶりです、十五年も前になる上、私も普通のおばさんになってしまったから忘れていますよね」と挨拶をした。


東京郊外の地下にある看板にはパブとあったが、スナック、ラウンジとの差異がボクには分らないけども一般客からは死角になったボックス席でヨータさんと堂々巡りの議論をしていた。


「もう聞き飽きました、お為ごかしで会社は変わる、一緒に変えるといって内部通報した結果、状況は悪くなり、最早ジリ貧じゃないですか」と突き放すと「言いたいことは分るけど夜明け前が一番暗いのだから、今が踏ん張り所だ」とお決まりの科白で翻意を促した。


「ヨータさんはシンクタンク出向だから他人事ですが、ボクは大阪府下のリテール営業ですよ」と心情を吐露すると「名古屋時代を思い出して、リテール営業の常識を打ち破ってくれ」と弱弱しく懇願した。


ヨータさんとボクの理想である商品よりも情報提供で信頼と資産を積み上げる営業は、ITバブルによる手数料至上主義への回帰によって法人顧客への仕組債販売の見返りに運用担当者に新規公開株を割り当てる錬金術の前に手痛い敗北を喫した。


項垂れるヨータさんは見たくないので、振り返らずに階段を駆け上るとママが追い掛けて来て近くの喫茶店で「盗み聞きして申し訳ないけど、闘う前に諦めて逃げて悔しくないの」とだけ言ってお店に戻った。




ボクはもう一度だけ挑戦すると決めた。


名古屋での新規開拓と法人課での経験を活かしてヨータさんとボクの理想を体現しようと意気込んで大阪に乗り込んだ。


外資系親会社によって上場企業は囲い込まれており、中堅企業や公益法人も大阪法人課の管轄となっており、最悪なことに集中配属の弊害が顕著になっていた。


大阪府下の支店にも新人が数名配属されており「新規開拓なんて新人に任せて顧客に張り付いて収益に特化しろ」と命令された。


顧客との馴れ合いを避ける為、担当者は短期間で異動するが、富裕層は保守的であるので、資産管理担当と地域密着で護民官若しくは大目付のような役割を担う人材を育成しなければ、顧客との利益相反は解消出来ないというのがヨータさんとボクの持論であった。


疑問であったヨータさんが青年会議所に入会したのもボクが敵前逃亡してからも理想に向けて一人で邁進していたのだ。


全面的に受け入れてくれた元同僚がボクに対して一瞬だけ怪訝な態度を示したのも「ホールセール重視でリテールを蔑ろにする日本の金融システムが脆弱な最大の理由である」と言うヨータさんの理想を支持していたからだった。


前任者との同行訪問も「この人は投信」や「この人はデュアル債」挙句の果てに「この人は困った時の最終処理場」と切り捨てた時には吐き気さえした。


支店長と特養施設に老夫婦の同行訪問前に事前説明で「夫婦とも認知症の疑いがあるので、短売(短期売買)ルールに配慮して三か月に一回は課長同行で、半年に一回は支店長訪問で乗り換えます」と説明を受けた。


逡巡したが「お断りします、家族と連絡を取った上で同席して意向を伺うべきです」と伝えると「あっそう、店の大切な客はやれんから、好きなようにやって」と淡々と言い渡された。


通常配属後三か月は予算が免除されるが、それらの特権も剥奪され、誰にも無視され続け、ゴールデンウィークにはヨータさんに退職の挨拶をするだけに上京した。


ヨータさんと元妻の関係が最悪な時期であり、同様の問題をボクもヨータさんの妹に抱えており「女性が販売主体である保険の常識を覆し、男性コンサルタントを売りにしている保険会社に転職し、夢であった小説家を目指します」と話すと前半は無視して「小説家は天職だと思う、初版本の献呈を楽しみにしています、くれぐれも体調には気を付けて頑張って下さい」が最後の言葉であった。


商品性を理解するだけで、顧客に合わせて変幻自在のヨータさんに対して、事前に脚本を作り込むボクを冷やかす科白を意趣返しで言った心算が予想外に賛同されてしまった。




ボクは回想から現実に引き戻された。


「お店でヨータさんと激論を交わしたことも、最後に喫茶店に一緒に行ったことも覚えています」と伝えると「お節介な真似をした結果、半年も無駄にさせてしまってごめんなさい」と頭を下げた。


「後ろ髪引かれるような状態を却って吹っ切れたので、無駄であったとは思っていません」と伝えると「ゴールデンウィークにお別れの挨拶にいらしていましたが、その後はヨータさんとはお会いになりましたか」と尋ねられ「結局、一度も会わず終いでした」と正直に答えた。


少し躊躇したが、職務上も必要なのでヨータさんとの関係を尋ねると「元妻と離婚するまではママとお客さんよりも姉と弟に近い関係でした」と答えたので「離婚が成立した後はどうですか」と一歩踏み込んで質問した。


「その前に私自身の話からさせて下さい」と言って、彼女の生い立ちから話し始めた。




ボクは彼女の話に耳を傾けた。


「私は三姉妹の末っ子として生まれ、待望の男子を期待していた父は母の気持ちを斟酌することなく、大いに落胆したそうです」と話し始めた。


満洲で糧秣を担当していた父は、終戦の際にシベリア抑留の憂き目に遭い、1949年に帰国すると引揚者への偏見から就職を諦めて税理士資格を取得して開業した。


「時流に乗って成功した反面、家庭を顧みることがなく、実質的には母子家庭で育ったようなものでした」と話し、意向などお構いなしに「姉妹の誰かに婿養子を取らせる」と常日頃から高言していた。


母方の祖父も満洲にいたが、内地に復帰して地方都市の兵器工場で監督官として終戦を迎えたことを思ったが、彼女の気持ちを考えて口にするのは控えた。


高校を卒業すると都内百貨店の美容部員として勤めたが、一日でも早く父から自立したかったので、父が嫌っていた叔母の世話で東京郊外のスナックでも働き始めた。


天職だったようで一年足らずで独立して大家である果物店の地下に「フルーツパブ」と銘打って女子大生に接客させると入店待ちの行列が出来るほど繁盛した。


長女も駆け落ち同然で逃げるように家を出ると大人しい次女が事務所を手伝い、有望と思われた所員と結婚をしたが、期待通りに税理士資格を取得することが出来ずに肩身の狭い思いをしていると聞いた。


経済的な成功を収めると男性に支配若しくは束縛されることは絶対に避けたいが、子どもが欲しくなり、誰にも相談せず所謂「精子バンク」を利用して、片腕であったチーママに店を任せて最短の産休期間で誕生したのが一人娘であった。


彼女にとって一人娘は自分の分身であり、成功と自由の象徴でもあり、何よりも掛替えのない宝物であった。




ボクはヨータさんの登場を待ち侘びた。


片腕であったチーママの存在を仄めかしたが、所詮女子大生の就職までのアルバイトなので、その時点でナンバーツーに過ぎない。


男性チーフに至っては、アルバイトの送迎と料理や掃除だけを求めるだけの為、スカウトして優秀な人材を獲得しても仕事与えられるに失望して定着する筈がなかった。


産休期間を任せたチーママとチーフも帳簿類が杜撰で不透明であることを指摘すると二人して翌日から失踪してしまった。


日々全力疾走し続けていたので、バブルに踊らされることなく、恩恵だけを享受することが出来たが、潮目の変化にも付いて行けずに取り残されていた。




ボクは我慢の限界に近付いていた。


キャバクラやガールズバーの参入により、「フルーツパブ」のフルーツこそ外していたものの場末感は否めなかった。


何故、遊び慣れていたヨータさんが立ち寄ったのか今でも不思議だと首を傾げ「多分、元妻との別居で寂しさを紛らわす為、梯子酒で酩酊していたことと開店二十五周年の花輪に物珍しさに引き寄せられたかもしれない」と含み笑いをした。


既に女子大生を誘引する存在ではなかったので、フリーターや元ヤンママ、シングルマザーといったラインアップであったが、閉店までカラオケを唄って満足気に帰宅した。


翌晩、一人だけメールアドレスを交換していたので「こんばんはママだよ、昨晩は来てくれてありがとう、恥ずかしいけど一目惚れしちゃった、また来てね」と思い切ってメールをした。


今となっては本気だったのか、久しぶりの新規顧客を逃がすまいと必死だったのかは思い出せないそうだが、ヨータさんは遅い時間に顔を出すと「昨晩は酔っ払って何も覚えていません、何か失礼なことをしましたか」と不安げに尋ねた。


それもその筈で昨晩は常連が沢山来店しており、ヨータさんとは一度も同席していなかったのだが、億尾にも出さずに二人で話し込み、離婚協議中で昨日から別居していることを聞き出した。


それからはチーフにお願いして特製の夕食だけでなく、休日や朝食も冷凍して用意し、洗濯物や身の回りのことにも気遣って、心の隙間を埋めるように献身的に尽くした。




ボクは背筋が冷たくなるのを感じた。


羨望若しくは陶酔の感情を抑え切れない彼女の眼差しは、ボクの忘れ去った記憶の淵から時空間を超えて鮮明に蘇った。


「保険販売の不正は、保険業界の悪弊は関係ありません」とボクが強弁すると「正直に報告すれば、馬鹿を見るだけだ」と反論するヨータさんに「赤信号皆で渡れば怖くないではなく、皆死ぬ」と断言した。


「アナリスト及びFPの年会費なんて損得の議論だから後回しにしましょう」とボクが一歩引くと「努力が報われないことが問題なのだ」とヨータさんが一歩も引かなかった。


「特定日買付型投資信託の不正の根本原因は、初日営業です」とボクが指摘すると「ダマテンやマカサレに該当するので、間違いなく有価証券取引法に違反する」とヨータさんも同意した。


IPOに絡む新規公開株のバーター取引に関しては問題の根が深く、お互いが感情的になってくると固有名詞が飛び出す恐れがあったので、社外では決して議論をしないという暗黙の掟を守っていた。


消防法に違反すると思われる構造のVIP席と呼ばれる一角で水曜日と金曜日は和服を装い、それ以外の日にはカクテルドレスを纏ったママが楽しそうに頷きながら聞いているのが、異様に感じていた。


ヨータさんはママ以外には、陽気にカラオケやお決まりのゲームで馬鹿騒ぎをしていたが、二人きりになると自分の考えを整理するのに話せて聞かせた。


接待交際費の厳格化、労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(以降、労働者派遣法)と携帯電話の普及によって経済が悪化するというのは、今になっては当たり前であるが、ヨータさんはママを相手にシンクタンクや大学院で聞き齧った話題を自家薬籠中の物に仕上げた。


一般的に男性社会はFollowMe(俺に付いて来い)型指導者によるTopDown(上意下達)手法によって決定する傾向が多いのに対し、女性社会はAfterYou(君に付いて行こう)型指導者によるBottomUp(合意形成)手法によって決定される傾向が多いという議論が一番のお気に入りであった。


皮肉なことに忌み嫌った父親と同じく男性社会そのものであり、過去の成功に囚われないように反省し、常に背伸びして片意地を張ることで失われた青春を取り戻そうと必死だった。




ボクは関係のないことを思い出した。


明治の銀行家は人、大正は事業、戦後の高度成長期になると不動産に貸出を実施したので、バブル景気に浮かれて崩壊後は回収一辺倒になってしまった。


証券外務員は存在自身が矛盾そのものであり、収益の源泉が顧客の手数料で利益相反関係にあるので、情報に対する一定手数料と利益と連動する収益体系が求められる。


銀証一体化は顧客の利益を阻害するので、日独の銀行主導型から脱却して米英のようにリテール、ホールセールを分離して市場主義型に移行しなければ国富が棄損する。


本来はお喋り好きな彼女が一方的な聞き役に徹していた鬱憤を晴らすようにヨータさんの受け売りの議論を延々と話し続けた。


何故か「子曰」若しくは「舎利子」で始まる古典を思い出しながら、ヨータさんの妹と食事をした時の遣り取りを思い出していた。


黙々と食事をするボクに「黙っていないで何か話してくれないと気詰まりでしょう」と催促するのだが、一人っ子のボクの家では「今日のテストどうだった」とか「あの子のお母さんは水商売しているから、付き合ってはダメ」と母が一方的に話し掛けるので、曖昧に返事をするだけだった。


ヨータさんの家も食卓には父の存在はボクと同様なかったが、ヨータさんの母親は「ヨータ、今日学校で楽しいことあった」とか「今学校で習っていることを教えて」と話し掛け、姉は助言をして妹は質問をするので、ヨータさん中心に会話が弾み、ごく自然に「ヨータ・ヨータ教」が形成された。


店員に対してボクが横柄な態度を取ると「兄は時々父親以外の家族に暴君のように振る舞うこともあったけど、基本的には母、姉、妹三人の顔色を窺っていたけど、ボクは誰に対しても傍若無人で一緒に居て恥ずかしい」と苦情を言った。


ヨータさんの母親は語尾に「しよう」や「してくれたら嬉しい」と肯定文で誘導した対し、ボクの母は「しない」や「してはダメ」と否定文で禁止をした。


まだ若かったボクは指摘に対して腹を立てて「遠回しな表現でなく、嫌いなら嫌いとハッキリ言ってくれ」と不機嫌に言うと「願望を言ってだけなのにムキにならなくても」と言い澱むと「ヨータさんはヨータさん、ボクはボクだ」とだけ言って押し黙った。




ボクは本題に戻す為に話しに水を差した。


壊れたレコードのように滔々と話し続けるので「元妻との離婚成立後はどうなりましたか」と質問すると「年上のおばさんだけど付き合って欲しい」と思い切って言うと「その心算でしたけど」とあっけなく付き合うことになった。


「元々、お店では苗字で呼ぶように徹底していましたが、一つだけ条件を出した」と言うので「それはどういう条件ですか」と尋ねると「若いから浮気してもいいけど、お店の女の子には手を出さないで」と下を向いて恥ずかしそうに呟いた。


「気掛かりだったのは、当時二年生だった一人娘のことでした、お客さんに海やスキー等に連れて行って貰うことはありましたが、あくまでもお客さんでおじさん以上おじいさん未満の男性ばかりでしたから」と言い澱んだ。


最初は浦安市のテーマパークに一緒に行きましたが、行列に並ぶだけだったので「今度はヨータ君と一緒に乗ろう」と言っても「ママがいい」と泣いて聞きませんでした。


次は数少ない幼馴染の家族と一緒に二泊三日で伊豆大島に海水浴に行くと初めこそ余所余所しかったけれど、年上の女の子と同級生の男の子がヨータ君に懐くと「ヨータ君、浮き輪を押して」と言って独り占めした。


お店で「今晩、遊びに来て」の合図は他のお客さんには唄わせない大好きな定番でしたが、お店よりも自宅で一人娘の家庭教師をして待って貰う機会の方が増えました。


お手伝いさんや家庭教師を雇っても我儘放題で、長続きしなかった一人娘が一緒に遊びながら勉強もする習慣が付いたことや一人でシャンプー出来るようになっていたのは驚きでした。


挙句の果てにヨータさんが不在時に夜のトイレで「ヨータ君を呼んで」と言い張り、夕食も「ママよりもヨータ君が作った料理が美味しい」と駄々を捏ねたのには嬉しいような悲しいような複雑な思いでした。


「年上だからヨータ君ではなくてヨータさんと呼ぼうね」と言っても相変わらず「ヨータ君、ヨータ君」と呼び続けるので、根負けして諦めました。


ヨータさんは自宅に泊まりに来ることはあっても元妻と暮らした家には一歩も踏み入れさせてくれませんでしたが、年上の引け目もあり言い出すことは出来ませんでした。


「ヨータさん、ヨータ君を使い分けていましたが、本当はヨータと呼びたかったけど年上なので遠慮していました」とも吐露した。


「父の意向で簿記を学ぶ為、商業高校に通ったけども本当は保母さんに成りたかった」と言うと「お店とヨータさんのマンションを売却して、ローンを組めば何とかなると思うので、夢を実現させたら」と真剣な表情で言ってくれました。


疎遠になっていた父も高齢で税理士を引退する意向があると二番目の姉から聞いていたので、相変わらず免許取得できなかった旦那と事務所を売却して高齢者向け賃貸住宅を経営する予定だと聞きました。


ヨータさんにその話をすると「乳幼児と高齢者の組み合わせは双方にとってメリットがあるので、一階を保育園で二階を高齢者向け賃貸住宅にしたら」と何気なく言ってくれました。


迂遠な表現でしたが、ヨータさんなりのプロポーズだったので、嬉しくて二番目の姉に早速電話を入れてヨータさんの提案を伝えると「近いうちに一緒に挨拶にいらっしゃい」と祝福されました。


翌週に三人揃って、久々に両親と二番目の姉の元に挨拶に行くと一人娘である孫が生まれたことは二番目の姉から聞いていたから知っていたが、近くに住んでいるのに何もしてあげられないことが寂しかったと母が打ち明け、父も隣で黙って頷いていました。


五年以上離れていた為、父も母も年を取っており、腰も曲がって幾分小さくなっていることを申し訳なく思いました。


税理士事務所を売却して、一階を保育園、二階以上を高齢者向け賃貸住宅にするという提案も諸手を挙げて賛成してくれましたが、ヨータさんの職業を尋ね「保育園が事業として軌道に乗るまでは今の立場を維持します」と話した。


「立派なお仕事されているので、その方がよいでしょう、気が強い子連れの姉さん女房で申し訳ありませんが、よろしくお願いします」と父が口上を述べました。


三方良しであるこの計画に綻びが生じたのは、父の口上によって生じた小さな波紋が次第に大きくなったからでした。


三人分の飛行機を予約してヨータさんの両親に挨拶に行くことになりましたが「やっぱり無理、ヨータさんのお母さんが子連れの姉さん女房を受け入れてくれる筈がないもの」と言ってヨータさんの説得も聞く耳を持たずに中止しました。


これを切っ掛けにお互いに擦れ違いが生じてしまい、お店や自宅への往来も遠ざかってヨータさんの大阪への転勤で二人の関係は一度終息を迎えました。




ボクは先輩等の話と照らし合わせた。


彼女と過ごしたこの期間はヨータさんにとって私生活では元妻との離婚調停という難事があり、仕事ではシンクタンクでの留学生インターンの処遇や幹部等のお手盛り出張を内部通報して外資系親会社のホールセール偏重によって完全に干されて東京郊外の青年会議所に所属していた時期であった。


両者痛み分けの結果、外資系親会社の本体である銀行に出向するが白人至上主義及びシステム開発投資不足による内部事情に幻滅していた時にリーマンショックによる株式売却で突如提携解消となり、急遽証券に呼び戻されることになった。


企業情報管理部でM&Aコンプライアンスを担当していたヨータさんは持ち前の正義感と潔癖症で杜撰な出張等の経費管理だけでなく、契約書の不備や情実人事を浮き彫りにした。


当初こそ親会社銀行に頼りにされていたけど、優越的地位の濫用及び銀行出身の役員によるインサイダー疑惑を指摘するに及んで口封じの為、大阪に転勤となった。




ボクは東京に戻ってからの話を聞いた。


「勿論、父の口上だけが原因ではありません、二年生だった一人娘も六年生になっており、少女の殻を脱皮して大人の階段を上り始めていました」と言い澱み「誰の庇護も受けずに守り続けたお店ももう少しで開店三十周年だったので、有終の美を飾りたい気持ちも抑えられませんでした」と正直に話した。


「今から考えると魔が差したとしか言えませんが、開店三十周年で区切りをつけると旧来の常連で飲食店を手広く経営していた人に勧められてラーメン屋開業の手引きを受けましたが、最初から行き詰まり一年も持たずに閉店してしまいました」と打ち明けました。


「新居建築と合わせて虎の子の貯金を使い果たしてしまい、改めて保母さんを目指しましたが、年齢の壁の存在を知らされ、介護の仕事を始めました」と淡々と語った。


「お店の女の子やお客さんにも閉店後は極力連絡を取っていませんでしたが、ヨータさんは情報を手繰り寄せて、探し出してくれました」と表情に明るさが戻った。


「両親とも一悶着ありましたが、高齢者向け賃貸住宅の家賃を一部貰っても介護の仕事だけではローンの支払いも厳しく、一人娘の学費を考えると渡りに船でした」と話した。


「家賃と食費等の援助を受けながら、ひとつ屋根の下で生活が始まりました」と言って「自分自身が高校中退だったので、大学進学を望んでいましたが、本人の希望はコンピューターグラフィックの専門学校でした、ヨータさんはこれから汎用性よりも専門性が重視されると賛成しました」と声を落とした。


「ヨータさんはシングルマザーや水商売等の経験しかない立場の弱い女性のセカンドキャリアを支援する取り組みを考えていたようですが、以前と異なって私には先立つものがありませんでした」と肩も落として話した。


「あれだけ懐いていたヨータさんが居なくなると当初こそ悲しんでいましたが、中学生になると一切何も言わなくなりました」と話して「単なる同居人と思っていたけど介護から疲れて帰るとリビングでヨータさんと一人娘がテレビを観ているだけで苛々しました」と興奮気味に言った。


ある日、リビングから一人娘がヨータさんに「ヨータさん、ヨータ君どっちで呼べば嬉しい」と言って「別にどっちでもいいよ」と答えると「じゃあ、ヨータって呼んでも大丈夫」と聞こえたので、頭が真っ白になって、一週間以内に荷物を纏めて出て行くようにお願いしました。


「それ以降は資金繰りや一人娘の進路について心配してメールがありましたが、極力返信はしませんでした」と話しを終えた。




ボクは業務上で必要な質問をした。


「あなたはヨータさんのことを恨んでいませんか」と尋ねると「二度に亘る誠意に対して踏み躙る様な行動をとってしまい後悔はしていますが、恨む理由は一切ありません」と答えた。


「あなたの周囲にヨータさんを恨んでいる人の心当たりはありますか」と尋ねると「ヨータさんはお店でも人気者でしたので、嫉妬している人は沢山いますが、とても殺意を抱く人はいないと思います」と答えた


「直近の連絡は何時ありましたか」と尋ねると「亡くなる半年前から週末に電話がありましたが、声を聴いてしまうと、まだ未練が残っていたので」と搾り出すように言って、スマートフォンを扱いながら「亡くなる三か月前に届いたメールです」と言って画面を見せてくれた。


件名:【重要】私に何かあった時は


本文:その後、如何お過ごしでしょうか、進路希望は二人で話し合いましたか、大切なことなので自分の考えを押し付けないようにして下さい。


掲題の事態が起こった際には2000万円の保険金受取人になっていますが、もし事前に知ることがあっても請求は行わずに生命保険会社からの連絡をお待ち下さい。


それ以前に必要であればご連絡下さい。


               ヨータ


「恥ずかしい話ですが、義兄が大病を患った上、両親も高齢でこれ以上甘えることは出来ないので、月々のローン負担や学費を考えると喉から手が出るほど必要としています」と心情を吐露した。


オフィス街には不釣り合いな最近の若い女性向けの衣装で身を包む彼女は「和服やカクテルドレスを戦闘服として生き抜き、年上である自分の存在を意識した時、乳幼児という名の中性的存在から少女を経て女性に変貌を遂げる一人娘さえも競争相手として意識してしまった」と今は亡きヨータさんを偲んで高層階からの景色を眺めながら佇んでいた。




ボクは報告書を纏めて上司に提出した。


彼女からのメールを転送して貰った画面も見せたが「口頭でなく証跡として残ってはいますが、一般的な内容なので胸に止めておきましょう」と素っ気なかった。


前の二名は養子縁組を利用していたが、大阪への異動により中断期間はあるものの内縁関係を疑う要素は見当たらなかった。


上司も一言だけ「実子がない場合、法定上養子と認められるのは二名だから、その辺も考慮したのでしょう、引き続き次の女性を調査して下さい」と簡単な感想だけだった。




ボクは元同僚との約束を実行した。


毎年仕事の調整が付けばバイロイト音楽祭へ足を運ぶドイツ通である元同僚は音楽祭と訳されることも不満で「音楽に限定せず、祝うと言う意味だ」と力説した。


「ゴールデンウィークや真夏に実施される日本的オクトーバーフェストは商業的だ」と続き「ドイツはビール純粋令の精神によって大麦、ホップ、酵母及び水以外の原材料を使用することを認めていないが、日本には「なんちゃってビール」が多過ぎる」と一人で憤慨していた。


「まぁ、怒ってばかりいるとビールも不味くなる、男二人で角突き合せて飲むのも無粋なので、ヨータさんのお姉さんと三人で大いに楽しみましょう」と言って空いていた席を確保した。


「楽しく飲みましょう」とは言ったものの話題の中心はヨータさんになりながら、決して暗い雰囲気ではなく、思い出話に花を咲かせる陽気な内容であった。


ヨータさんの実家を訪ねて一緒に妙見山に登ったことを伝えると「ヨータの葬式以来、帰省出来てないので、お気遣いありがとうございます」と喜ばれた。


ヨータさんの怒りの矛先は顧客の利益にならない仕組債を親会社銀行が優越的地位の濫用によって販売する手法であった。


非営業の本社部署では外国人社員の処遇等と多岐に広がって会社の核心的利益と対立しており、人事部の介入により産業医や国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院に通院させられていた。


相槌を打つだけで発言は殆どなかったヨータさんのお姉さんが「企業情報管理部では、親会社銀行出身の役員によるインサイダー疑惑だけでなく、銀行法で禁止されている業務収益を証券経由でM&Aに包括させて実現する通称請求書発行業務と呼ばれるスキームを問題視し、公益法人営業部及び事業法人営業部では親会社銀行による寄付金や貸付金若しくは担当者への新規公開株を優先配分する見返りに仕組債を販売する手法、外資系証券とのジョイントベンチャーでは中小企業への貸付金を経営者個人で仕組債を販売する手法を内部通報しました」と言った。


「その結果、報復人事によって職場を短期間で転々として降格の憂き目に遭いました」と続け「金融庁への公益通報は業者保護の壁で不発に終わり、厚生労働省は民事上の問題については介入出来ないと公益通報者保護法を所管している消費者庁を紹介され、公益通報を理由とする不利益な取扱い等の労働問題は都道府県労働局に相談するように盥回しにされ続けました」と涙ながらに訴えた。


最近では仕事を制限されている鬱憤を晴らすようにボランティアや政治に関心を示しており「道の駅移転問題」も直接は聞いていなかったが、何らかの形で参加していたと判断した。


シングルマザーや水商売等の経験しかない立場の弱い女性のセカンドキャリアを支援する取り組みに関しては二人には相談していたようで其々の立場で賛同して必要に応じて関与することも約束していた。


最後は愁嘆場の雰囲気もあり、楽しく飲むという本来の目的からは若干逸脱してしまったが、有意義な時間であった。




ボクは週末には骨董市で報告をした。


理事長は三番目の女性は良く知っており「悪い女性ではないが、ヨータ君は他人の幸せでなく、自分の幸せを求めるよう何度も助言した」ことを話し「具体的な内容こそ控えるが、ラーメン屋開店を手引きした常連との金銭トラブルには自ら関与した」と明らかにした。


「世の中は殆ど出来レースで決定しているから、多少の不合理には目を瞑らなければ命が幾つあっても足りない」と諭すと吉田松陰によるもう一つの辞世の句である「かくすれば、かくなるものと、知りながら、已むに已まれぬ、大和魂」を持ち出したので、寛政の改革を風刺した狂歌「白河の、清き流れに、魚住まず、元の濁りの、田沼恋しき」で返すと自重することを約束した。


渡来人と一括りにする裏にある遣日使の弊害から国風文化への転換や明治維新における和魂洋才の精神を忘れてしまった戦後教育の現代史軽視と自虐史観を改める必要性は二人にとって喫緊の課題であった。


理事長曰く「第一次世界大戦後のパリ講和会議にて日本が主張した人種的差別撤廃提案が否決された経緯、大東亜会議の開催及び第二次世界大戦後の闇市における騒擾は教訓として胸に刻み込まなければならない」と大局的な世界観と卑近な繁華街の現状を比較して語った。


大東亜会議に参加した汪兆銘の日本批判「上下不貫徹、前後不接連、左右不連携」は現在にも当て嵌まり、チャンドラ・ボースの日本評価「日本という国が偉いことは認める、良い兵隊がいるし、良い技術者もいて、万事結構である、ただし日本には、良き政治家がいない、これは致命的かもしれぬ」は至言と言わざるを得ない。


「結局、不都合なものは見えないように暗渠化してしまったことで、汚水の処理能力を超えても先送りして、見えない振りをし続けて来たことで臨界点に達して逆流し始めている」と断言した。


「繰り返しになるが、ヨータ君は酒と女が鬼門だと自制を促していたが」と苦悩を滲ませて語った。


参考文献


「夢顔さんによろしく 最後の貴公子近衛文隆の生涯 上・下」西木正明 文春文庫


「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康 文春文庫


「ゾルゲ事件 尾崎秀美の理想と挫折」尾崎秀樹 中公文庫


「人種差別から読み解く大東亜戦争」岩田温


 彩図社


「黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち」


深田祐介 文春文庫


「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男「東声会」町井久之の戦後史」城内康伸 新潮文庫


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