第6話 シオツチノヲジ

ボクは次の保険金受取人に着手した。


京都の屋形を方住所にした前回の調査も苦労したが、今回の保険金受取人の住所は世界的に著名な指揮者等も卒業した私立としては最高峰の評価を得ている音楽大学の女子寮であり、敷居が高く困難な調査になることが容易に予想出来た。


正面から女子寮及び学校法人に対して問い合わせをしてみたが、予想通りの個人情報保護法を盾にして「当学園関係者以外の第三者に対する情報照会及び情報提供は一切行っておりません」と取り付く島もない冷淡な対応であった。




ボクは前回に続いて元同僚に連絡した。


相変わらず十年来の知己であるかの如く、親しい態度のヨータさんの元同僚は「京都の件は解決しましたか」と聞いたので守秘義務違反とならない範囲で状況を報告した。


「ヨータさんらしいエピソードです」と言って感無量といった表情で「日本の教育の元凶は文系と理系の分断です」と吐き捨て、受験戦争こそ激しいが、実験もない文系は入学さえすれば「ところ天方式」で卒業出来るので、実社会に出ても怠け癖が抜けず現状維持を画策する傾向が顕著だと嘆き、2008年に成立した国家公務員制度改革基本法も名称だけで結果的に換骨奪胎されて終了した。


入学しても各種資格試験を目指す人は努力するが、所詮は手段ではなく目的なので合格後は既得権益の護持者として行動することが「日本の最大の不幸だ」と断言した。


彼の口振りから新興国である合衆国よりも欧州に傾倒しており、特にドイツに愛着があるのは「コーンスターチの入ったものはビールと認めない」や「ワグナー以降の音楽は停滞している」等の発言から予想された。


以前のボクであれば、一昔前に外国出身のコメンテーターが「ワタシタチノクニデワ」と枕詞の如く使用しており、同様の発言をする所謂「出羽守」に嫌悪感を持っていたが、違和感もなく素直に腹に落とし込むことが出来た。


元同僚は舌鋒を教科別の弊害にも範囲を広げ「株価予想が出来ない動きのことを経済学ではランダムウォークと呼び、物理学ではブラウン運動と呼び、数学ではウイナー過程と呼んでおり、これこそ自然界におけるエッジ効果の悪弊を体現している」と嘆き、省庁でも縄張り争いと予算獲得で不効率が生じていると言って、経済産業省のIT、総務省のICT、文部科学省のAIは主導権争いと足の引っ張り合いをして、国益より省益の実現に躍起であると批判した。


「CDの最大収録時間が74分に決定されたのは、指揮者でもあったソニーの会長がカラヤンの第九に合わせたので、フルトヴェングラーは収録出来ない」等の雑談も効率性だけでなく、目の前にいる人を大切にすると楽しい時間と感じられた。




ボクは気になっていた質問をしてみた。


「ヨータさんと話しているみたいで、勝手にテンション上がってしまってごめんね、ところで今日の用件は」と聞かれたので「用件ではないが、何故ヨータさんが青年会議所に入会していたか教えて欲しい」とずっと気になっていた質問した。


「ヨータさんを一番理解しているのが君だと思っていたので、少し意外だった」と前置きをして「ヨータさんは日本経済が停滞している一番の理由は大企業を重視する対極にある個人を軽視する風潮だと考え、外資系親会社が金融機関向けにバーゼルⅢ対応の資産管理の精緻化を推進する莫大な費用の一部を個人投資家向けにも拠出することを提言していた」と説明した。


「同調していた副所長が最大手に転職するとヨータさんは完全に孤立して本体向けのコラムを執筆するだけの閑職に追いやられていた」と続け「本体の役員から大学院への進学と青年会議所に所属して個人営業への起爆剤を開発するように密命を帯びていた」と教えてくれた。


「証券のビジネスモデルが顧客と利益相反関係にあり、資産管理型の報酬制度を構築する必要があるとヨータさんに吹聴したのは君だと聞いている」と珍しく語気を強めてボクに迫った。


全くその通りであったが、ヨータさんを焚き付けるだけ焚き付けて、炎が燃え盛る直前に梯子を外すようにヨータさんを見捨て、敵前逃亡したのがボクだった。


彼はボクを非難するのではなく「時期尚早で致し方なかった」と励まし「だから今、こうして弔い合戦をしている」とボクに言い聞かせるように声を振り絞った。




ボクは用件を切り出すことにした。


愈々用件を切り出す時だと観念して「今回の調査対象者が音楽大学の女子寮が住所になっており、行き詰ってしまったので、オーケストラ関係者に紹介を依頼したい」と正直に打ち明けた。


「それならコンミスが卒業生なので聞いてみるよ」と言ったので「コンミスでなく、ミスコンですよね」と質問すると「流石にツボ押さえているね、ヨータさんもいたら絶対間違える」と大笑いしながら主席ヴァイオリン奏者のことをコンサートマスター略してコンマス、女性の場合はコンサートミストレス略してコンミスであることを教えてくれた。


因みに彼は本格的なクラシックのオーケストラとは別にゲーム音楽専門のオーケストラにも所属しており、件のコンミスは後者で一緒であり、ヴァイオリンの技術だけでなくゲーマーとしても超一流だと付け加えた。


彼は名残惜しそうに「一両日中に結果は連絡する、ドイツビールの祭典であるオクトーバーフェストに今年は是非一緒に行きましょう」と約束して別れた。




ボクは手掛かりを期待して待っていた。


翌日、元同僚から連絡があったが「コンミスから演奏会に一度だけ参加したことを指摘され、自分自身も会っていたことを思い出した」と話し、ヴァイオリンの腕こそ現役の音大生で問題なかったが、厳格な母親によって英才教育を施されていたので、ゲームも禁止されていて世間知らずのお嬢様であった。


楽譜だけじゃ駄目だと団員の声もあって一週間の合宿を実施して彼女はコンミスの指導で演奏楽曲のゲーム体験にも参加させることになった。


残念ながら彼女は他人のゲームを見ているだけで、会話にも参加しない受け身な姿勢だったので、当初は「クールビューティー」と持て囃していた面々も「能面」や「サイボーグ」と裏で批判する者も現れた。


しかしながら、大学の先輩でもあるコンミスの指導によって演奏にも何とか抒情性が加わって素晴らしい出来栄えとなったことで正式加入を期待していたけど打ち上げにも参加せずに別れの儀式もなく消えてしまった。


「コンミスに同窓会名簿も確認して貰ったけれど、現住所が更新されずに不明となっていることが判明した、あれだけのヴァイオリン奏者が忽然と消えるのは通常はあり得ないことだ」との連絡だった。


落胆していていることを声色で感じ取った元同僚は「兎に角謎に包まれた彼女であったが、当初はヨータさんの紹介で参加していたけれど、東京での保護者だとヨータさんのお姉さんが行き帰りの送迎や色々とお世話をしていた」と教えてくれた。


「労働法制の学会で偶に会うこともあるので、連絡先も調べようか」と気遣ってくれたが「先日、面談したので大丈夫です」と言って電話を切った。


専門分野はクオンツやアルゴリズムでありながら労働法制にも関心を持つ元同僚が興味を持つ活動分野の多彩さに改めて驚いた。




ボクは再度お姉さんに連絡した。


最初の女性に関する情報を守秘義務違反に抵触しない程度で話すと「ヨータらしいけれど、両親には流石に伝えられません」と言って「身内の恥を晒すようですが、家族はヨータを隠語で王子と呼んでいました」と淡々と話した。


「最初は髪を延ばすと襟足で巻き髪になるので、母がトランプのジャックに似ていると言って王子と呼んでいたが、姉妹の中では可哀相な人を見ると着ている物、特に靴下を脱いであげてしまうからです」と無表情で語った。


姉妹の分も含めたお菓子だけでなく、祖母が買い与えた玩具も「埋めて遊んでいたらなくなった」と言っていつの間にかあげてしまうので「お兄ちゃんが王子様ならパパは王様なの」と妹が母に質問すると「パパは農家の次男坊」と鬼の形相で答えたので、それ以降は禁句として触れないようにしました。


二番目の女性のことを質問すると「未成年就労と搾取の疑いがあるとヨータが私に訴えたことが発端です」と言い「六本木にあるエルドラドという名前のナイトクラブに連れて行かれました」と淡々と語った。


トップレスの女性がポールダンスを踊り、アクアリウムに全裸の女性が泳いでいる怪しげな店舗だったので「この店に私を何の為に連れて来たの」と問い質すと明らかに未成年にしか見えない色白の女性を指名して「お姉ちゃん、彼女を助けてあげて」と私の弱みに付け込むように魔性の笑顔で両手を合わせて拝んでいました。


「込み入った話をするのは、別料金で鏡張りの壁に設けられた別室でプライベートダンスを申し込むようになっている」と説明も聞かず、私は東京労働局の名刺に携帯電話の連絡先を記載して彼女に渡してヨータの分も料金を精算して「こんなお店に頻繁に通っているなら止めなさい」と厳命すると「大学院の同級生に誘われて、偶々来たら彼女に会ってしまって」と悪びれなく言いました。


「あの頃は私も若かったので、ヨータの為体に腹を立てていましたが、短くて不幸な結婚生活の末に独身生活に戻ったことを配慮すべきだったと反省しています」と悲しげに語った。


翌日、彼女から携帯電話に連絡があり、新宿の喫茶店で待ち合わせすると「助けて下さい、軽い気持ちでホストクラブに行ったことで支払い払い切れない請求があり、今のお店で働かされています、このままでは学校も退学になってしまいます」と号泣しながら私に縋り付いて訴えた。


「私達の家族はヨータに対して甘過ぎるのかもしれません、でも自由奔放なヨータを受容していたのですが、元妻は鋳型に嵌めようとしたことで特に妹の激しい反発を招きました」と言いながらも彼女の現住所と連絡先を教えてくれた。




ボクは市外局番から住所を検索した。


宮城県塩竈市に該当する為、事前に上司に周辺の案件と合わせて訪問すべきかと尋ねると「不確定要素が多数あるので、アポイントだけ確実に取って、他の予定を入れるべきではありません」と回答を得た。


驚くべきことに地元にある水産物仲卸市場を代表する大店であり、電話には彼女の母が出たので、用件を切り出すと「ヨータさんの知人であれば、喜んでお会いします」と簡単にアポイントが取れた。


英才教育を施した厳格な母のイメージがあったので、拍子抜けしたが指定された日時に訪問すべく事前準備に取り掛かった。


指定された会社事務所を訪問すると待っていたのは彼女の両親だけであった。




ボクは母から家族の事情説明を受けた。


無口で無骨な父と饒舌で華やかな母の差異に多少違和感もあったが、母の説明に耳を傾けることにした。


母の父であり、彼女の祖父(以降、祖父で統一)は代々網元で塩釜港を全国でも有数の鮪水揚げ量にした立役者の一人であり、塩竈神社氏子崇敬会の要職も務める所謂「地元の名士」であった。


跡継ぎの兄がいた為、稼業には一切関与せず仙台の別宅で当時は珍しかったピアノの英才教育を受けており、塩竈に戻るのは盆と正月だけであった。


学問はいらないと言う祖父に反発した兄は東京の大学に入学すると時代を席巻していた全共闘に身を投じ、母も予定通り東京の音楽大学に入学した。


仙台では天才少女と持て囃されたが、東京では授業に付いて行くのも精一杯であったけれど持ち前の負けん気で研鑽を積んでいた。


音信不通になっていた兄が皮肉にも理想に燃えていた筈の学生運動で、よりによって身内による内ゲバで無残な最期を遂げるとあれだけ気丈であった祖父も脳梗塞で半身不随になってしまった。


「私は音楽の道を夢半ばで諦めるより仕方がありませんでした、そして自分の夢を叶える代わりに、体力勝負で一般的に女性にとって不利なピアノでなく、ヴァイオリンの英才教育を娘に託してしまったのです」と言い終わると本人が現れた。




ボクは彼女に当時の事情説明を受けた。


「小学校から週一回の東京でのレッスンと母の毎日の猛特訓は仕方がないものと諦めていました」と言って「大学の先生には感情の起伏が感じられず、ソリストは無理だと宣言されてしまいました」と悲しそう言った。


「魔が差したのでしょう、親しく声を掛けられた同級生二人に連れて行かれたのがホストクラブでした、全然楽しくなかったけど、結局何かから逃げたかったのだと思います」と振り返った。


「一人は親が尻拭いをして、もう一人は退学することを条件に親が支払ったと聞いています」と言って「私は親に頼れません、2011年3月11日の東日本大震災で会社、本宅だけでなく、別宅も甚大な被害で両親の安否も一時は不明でした」と話した。




ボクは父が饒舌に語るのに驚いた。


「塩釜湾は大小多数の島々が浮かぶ松島湾の奥に位置している為、津波の高さが減衰されて2・1mで他の都市と比較すると恵まれていましたが、車が流される阿鼻叫喚の有様でした」と語った。


「塩竈と仙台で二人の安否を確認すると、恥ずかしい限りですが、東京にいる一人娘のこと忘れてしまっていました」と話して「家業のことに無関心であった妻が再建に向けて協力してくれました」と言った。


「四月中旬にヨータさんが娘の事情を説明に来ました、最初は強請りと警戒していましたが、漸く事の重大さに気が付き身代を売ってでもお金は用意します」と伝えた。


「未成年に対する飲酒や相応しくない労働を許すべきでない」と言って、労働基準局のお姉さんも紹介して頂き、任せて下さいと言ってくれました」と声を詰まらせた。


「それだけでなく、感情の起伏がない弱点の克服も熱心に取り組んで頂いたようで、お蔭様で無事卒業出来ました」と涙を拭うと「先代のお世話になって丁稚奉公から仕えていた性分で、妻に何も言えなかった自分が弱かったから、家族を崩壊の危機に陥らせてしまったのです」と目を瞬かせていると小さい子どもを連れた若い男性が現れた。




ボクは若い男性と子どもの存在を察した。


「妻の東京での出来事は本人及び両親から聞きました」と話し「妻とは幼馴染でありながら、殆ど接点はありませんでした、なぜなら乳母日傘で海水浴は眺めているだけで、小学校は仙台で通っていたからです」と訥々と語った。


「東京の音楽大学を優秀成績で卒業したのにオーケストラに加入せず、地元に戻って母と音楽教室を開くと聞いた時は猛反対しました」と言って「二人にとって音楽は楽しむものでなく、復讐であり苦行になっていたのです」と結論を述べた。


「1965年に設立された協同組合連合会塩釜水産物仲卸市場も設立時367店舗から2011年東日本大震災の当時147店舗で2020年現在93店舗にまで減少し続けており、私達のような若い力が求められています」と熱く語った。




ボクは幸せそうな家族を眺めていた。


「今日は近所の公民館で生徒さんと私達の発表会がありますので、是非ご覧になって下さい」と誘われると断る理由はなかった。


発表会はヴァイオリンとピアノ以外は趣味の領域を超えなかったが、笑顔が輝く心温まるものであった。


彼女は孤独と義務の世界を迷いながら、本当に探していた「青い鳥」にどうやら辿り着いたようだった。




ボクは職務を果たす必要があった。


彼女が保険金受取人になった経緯を尋ねると「ヨータさんから普通養子縁組を希望されて、幸い彼も両親も反対しなかったので、その通りさせて頂きました」と答えた。


「最近は何か連絡がありましたか」と尋ねると「何かあったら自分から申請せずに保険会社からの連絡を待つように念押しされました」と答えた。


「それは何時のことですか」と尋ねると「半年前です」と答え、「何か変わった様子でしたか」と尋ねると「電話なので特に気付きませんでした」と答えた。


「誰かヨータさんを恨んでいる人に心当たりはないか」と尋ねると「感謝することはあっても恨む理由はありません」と答えた。


「未成年による飲食の支払いを拒絶されたホストクラブや未成年労働で家宅捜索を受けたナイトクラブがヨータさんを逆恨みして、命を狙っていることはないか」と尋ねると「東京労働局と警視庁が協力して捜査が進んだので、ヨータさんの存在は一切口外していません」と自信を持って断言した。


地元の人々は風光明媚で海産物の集散地として繁栄する塩竃の魅力を語る時に鹽竈神社の由縁を誇り、天孫降臨や海幸彦山幸彦の神話での重要な役割及び人間にはなくてはならない塩の作り方を教えた神様であることを説明した。


この後、打ち上げを兼ねた慰労会があると慰留されたが、今回は居場所もないので辞退させて頂いた。




ボクは塩竈出張を複雑な心境で終えた。


報告書を纏めて上司に報告すると「実子がいない場合は二人まで普通養子縁組は容易に受理され、保険金受取人となることは何の障害もないが、あまりにも用意周到過ぎて気になります、三人目は闇雲に連絡する前に背景を調べて下さい」と指示された。




ボクは複雑な気持ちを吐露したかった。


骨董市で理事長に今回の結果も守秘義務の範囲で報告して「理想主義に燃えて若い世代が全共闘に身を挺して参加しながら、内ゲバによって仲間を粛清したのはどうしてなのですか」と尋ねた。


「私は当事者ではないから分らない」と答えたので肩透かしを食ったように感じたが「当時の大学は限られたエリートだけのものだったから、私なんかは生活していくことで必死だったけれど、彼らは時代の空気感で自分たちが社会を変革するという使命感を感じていたのだろう」とだけ説明した。


饒舌に語るよりも妙に納得出来た「多くの死傷者を出した東日本大震災を切っ掛けにして家族が再生したと言い、口を揃えて鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神(しほつちのをぢ)のお蔭だと言うのに違和感を覚える」と正直に話した。


「生き残った人達も心に傷を負っており、言いたくないこともあるだろう、何かの「せい」にするのでなく何かの「お蔭」にしたら当たり障りがないのではないだろうか」と諭すように言った。


民俗学の大家であり「日本人とは何か」という問いの答えを求めて、日本列島を調査し続けた柳田國男にして「日本人の可能性の極限」と称した南方熊楠による神社合祀令の反対運動により「鎮守の森」の伐採による大規模な自然破壊から救われた経緯を語った。


「結局、全てモノでなくヒトの問題で偽物や贋物も真面目な習作や倣古もあれば、悪質な模造もあり、ヒトでなくココロの問題に行き着いてしまう」と結論付けた。


「皮肉なことに日本人が見向きもしない骨董を再評価したのも、江戸時代末期から明治時代に陶磁器が破損しないように詰められていた浮世絵を印象派が評価して、パリ万博で空前のジャポニズムブームとなり、本国では頗る評判の悪かった印象派を最初に評価したのが、日本の白樺派だった、因みに欧州から詰め物として利用されたのが、河川敷でよく見るクローバーことシロツメクサです」と美術史を披歴した。


「偏見は良くないが、古くはアンダーソン土器や唐三彩の例があり、比較的新しいものでは青銅器だけでなく南部鉄瓶までも偽物工場で組織的に製造し、泥棒村まで存在するので、素人は日本人の目の前で中国語を話す集団及び個人には出来る限り近付くべきではない」とも付け加えた。


ヨータさんに教えて貰った「販売の極意は円錐にあり、影絵として三角、円その他欲しい形を見せれば良い」と「しつこいと熱心は360度反対でありながら紙一重に位置し、無関心の180度対極にある」を思い出していた。


参考文献


「絶対音感」最相葉月 新潮文庫


「連合赤軍「あさま山荘」事件」佐々淳行 文春文庫


「中核VS革マル 上・下」立花隆 講談社文庫


「ブリッジプロジェクト」塩釜仲卸市場ホームページ


「鹽竈神社の由来」志波彦神社・鹽竈神社ホームページ


「森は海の恋人」畠山重篤 文春文庫


「鎮守の森」宮脇昭 新潮文庫


「白樺たちの大正」関川夏央 文春文庫


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