第5話 イロコイザタ
ボクは愈々核心に迫る行動を開始した。
四名の保険金受取人も順番の通り連絡を取ることにしたが、初めの一歩からいきなり躓いてしまった。
最初の保険金受取人として記載されている女性の住所は京都にある花街の屋形を方住所としており、真正面から連絡して会社名と保険金受取人となっている事実を伝えた。
「現在所属していても個人情報保護法及び業界の通例として本名は絶対に教えられないし、既に所属していなければ尚更対応しかねる」と紋切り型の門前払いを食らってしまった。
何故ヨータさんが屋形に所属する女性と接点を持ったのかも不明であり、会社としても個人情報保護法を明確に示されてしまえば全くお手上げの状態であった。
今更ながら同期にこれ以上の負担を掛けることも憚られ、ヨータさんの両親やお姉さんに問い合わせることは内容が内容だけに絶対に避けるべきと考えると幸先は悪いが、文字通り八方塞がりの状態となり、早くも行き詰ってしまった。
ボクは骨董市通いを止めずに継続した。
ヨータさんが復讐を盛んに口にしていた背景を思い切って理事長に聞いてみると「残念ながら、結論は不倶戴天の好敵手と一緒で安易に暴力に頼ろうとしていた」と答えた。
「憎しみは憎しみの連鎖しか生まない」ことを繰り返し、一度恥部を晒してしまうと「持ちつ、持たれつ」の関係が構築されて、これからも「付かず、離れず」に一生付き纏われることになるからと考え直すように何度も説得した。
「バッターボックスに立ってバットを振ったが、当たらなかった若しくは凡退しただけなので、バットを振ったのは自分だと諦めるべきで、手段は兎に角成功した人間を恨んでも仕方がない」と冷たい言い方をした。
「綺麗な女の人もお金や素晴らしい宝物も全部自分が所有しているが、器が大きいから全部貸してあげていると考えてみたら楽しくなる、まずは目の前にいる人を褒めて気分良くさせることが大事だ」と説明した。
「なかなか、その境地には至れません」と苦笑いしたので「ヨータ君は酒と女が鬼門だから気を付けて」と当時90キロ近い体重を落とすことを冗談抜きで厳命していた。
理事長の回想を聞いているとヨータさんが酔うと饒舌に語る「嘘はいけないは虚言か真実か」を思い出した。
大人は単純に「嘘はいけません」と口を酸っぱくして繰り返すが、本当にいけない嘘は人を陥れる為、謀る嘘だけであり、子供が「お父さんは総理大臣です」と言うような他愛のない嘘は何ら罪もなく、登山の際に「大丈夫、荷物持ってあげようか」と聞かれた時に「大丈夫です」と答える優しい嘘は円滑な人間関係を構築する上で必要不可欠な思いやりと強調した。
ヨータさんの思い出話をしていると忘れていた大切な時間に向き合うことが出来て、心を閉じていた期間の長さを改めて実感させられた。
こちらからは何も言わなかったが「以前に骨董市にも来たこともあるヨータ君の元同僚なので、明日にでも連絡してみたら」とシンクタンクのロゴマークが入った名刺一枚を渡された。
ボクは避けていた過去と対峙した。
ヨータさんとボクは内部通報を繰り返し、法人課の鼻摘み者になってしまっていた。
永過ぎた春の末、結婚したヨータさんの元妻は文字通り才色兼備であり、「大病さえなければ、私は今のように燻っていないはず」と無念の思いを捨て切れずにいた。
派遣社員としてリテール事業推進部に配属された彼女は内部通報の結果、会社と対立していたヨータさんの現状を詰り、ヨータさんが姉妹に漏らしてしまった愚痴の結果、両家が対立する最悪の事態を招いてしまった。
「弱り目に祟り目」とは上手く表現したもので、ヨータさんとボクの関係に楔を打つように人事異動でヨータさんはシンクタンク、ボクは大阪府下の支店に配属、ヨータさんの家庭の事情にも絡んで自然と疎遠になってしまった。
ボクはヨータさんの元同僚に連絡した。
システム及びコンサルタント部門を保有しない為、元々脆弱であったが外資系親会社によるセクターアナリストの一本釣り後の容赦のないコストカットと親会社銀行の都合によって翻弄され続けた哀れなシンクタンクは、沈み掛けた船の如く転職者が後を絶たず元同僚もその一人であった。
比較的拘束されない職場だそうで、当日のランチを伴にする約束を取り付けることが出来た。
初対面なのに旧知の友人であるかの如く振る舞う彼は古都の旧帝大では天文学を専攻してハワイ観測所に派遣されていた片手間にヨットやヴァイオリンを嗜む趣味人でもあり、堅苦しいシンクタンクの雰囲気を一変させたヨータさんとは特に懇意にしていた。
「最初はバリバリの営業マンと聞いて典型的な猛烈社員を予想しており、一歩引いていたがベルカーブ(正規分布)を横にしたのが効用無差別曲線かと真剣な表情で質問するので大爆笑してしまった。
「「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を実践して、一切知ったかぶりをしなかったので、吸収力が凄くあり、教えられることも多かった」と懐古した。
今では当たり前であるが投資信託の資産別リターンの時系列ランキングを開示して短期乗換型営業に警鐘を鳴らし、長期分散投資を啓蒙したが残念ながら現場の悪弊は一向に改善されなかった。
日経平均をドルベースで評価することで海外機関投資家の動向を予想し、ITバブルの最中に見る影もない銘柄入れ替え後も旧指数銘柄と比較評価する等既存の殻を破った考えにも共鳴した。
大人の事情でお蔵入りとなった「M&Aにシナジーは存在するのか」に関しては救済型で買い叩かれた一部の例外を除くと「勝者の呪い」に悩まされており、シナジーは存在しないことが過去の分析からも統計的にも有為であると証明された。
天文学への未練が残っていた為、「面白くない」が口癖になっていたが「面白くないのは君の考え方だ、面白きこともなき世を面白くしていこう」と高杉晋作の辞世の句を引用して喝破された。
「ヨータさんが通っていた大学院の課題を任され、知人が所有するヨットのクルーやオーケストラの第二ヴァイオリンに勝手に所属させられたけど本当に楽しかった、所詮人生八十年の暇潰しと言っていたけど半分強で逝ってしまった」と滴る涙を隠さなかった。
ヨータさんは外資系親会社から落下傘でやってきた所長の自分及び上司への甘さとは裏腹に徹底的な弱い者虐めに反発し孤軍奮闘していたと寂しそうに語った。
思い出話は尽きそうになかったが、本題である京都の屋形について質問すると「京都にいたけど一度も通ったことはないけど、それは多分JC(青年会議所)だと思う」と東京郊外の青年会議所の連絡先を示し「ヨータさんの話だったら何時でも都合付けるから、また連絡して」と両手で握手して別れた。
ボクは東京郊外の青年会議所に連絡した。
理事長と約束して事務局を訪ねたが「十年以上前に三年弱所属しただけで、中途退会しているので、現役では誰も知らない」と不審死した人間との関係を勘繰られることを明らかに警戒していた。
京都の屋形との関係を問い質すと「京都会議の際に先輩のご厚意で利用しているが、ヨータさんが不義理をしたことで大変迷惑を掛けたと聞いています」と答えた。
遠慮がちな態度の専務理事が申し訳なさそうに「私達現役と話していても埒が明かないので、当事者である先輩に連絡しますから、直接訪問しては如何ですか」と水を向けてくれた。
約束を取り付けてくれて部屋を辞去した時「色々と地元ならではの柵があって難しいですが、私はヨータさんの薫陶を受けました」と小声で言ってくれたので、沈んでいた心が少しだけ晴れやかになった。
立派な日本家屋を訪問すると「嫌な思いさせて申し訳ありません、年端もいかない女の子を雁首揃えて見捨てようとした癖に「現役のことは現役で決めます」と居直っている次第です」と話して概略を教えてくれた。
厳しい「仕込み」と「見習い」を終えて愈々「店出し」を迎えた舞妓が突如出奔してしまった事件であったが「詳細は屋形で聞いて下さい」と電話を一本入れてくれた。
ボクはやっと辿り着くことが出来た。
翌日、最初の女性に関する糸口が見つかったことを上司に報告し、約束の日に出張する為、準備に取り掛かった。
屋形の女将は「先日はヨータさんのこととは露知らず大変に失礼致しました」と丁寧に頭を下げ、客間に案内してくれた。
「あの頃は丁度私もおかあさんになりたてで仕込みと見習いで女の子が突然辞めてしまうことが続いて焦っていました」と語り始め「それが店出しから半月で東京に出奔して、屋形の宝であるぽっちり(帯留め)まで持ち出したとあって我を見失っていました」と思い出すように話してくれた。
屋形のぽっちりは瑠璃の池、翡翠の岩に真珠、珊瑚、瑪瑙の錦鯉を泳がせている贅を凝らした素晴らしい明治工芸であり、高級外車も十分購入出来る代物であった。
厄介者扱いして京都に返すべきだと声高に主張する現役幹部の意向を無視して「これは人身売買に該当する可能性を含む著しい人道問題である」と強硬に主張し、独断で先輩に報告して避難場所の確保を依頼した。
京都の屋形も黙っている訳もなく「未成年者略取若しくは誘拐だ」と反論し泥沼に陥るように見えたが、ヨータさんは身の潔白を証明する為、ぽっちりの返却を京都に申し出ると共に「彼女の身元保証人と称する男が親類でもなく、悪徳金融ブローカー若しくは女衒である」と訴えた。
言われなき誹謗中傷と憤ったが念には念を入れて確認をすると彼女は新潟市内の中学校を卒業見込みというのは真っ赤な嘘であり、中越地震の被災者で全住民が一時避難することになった旧山古志村出身であり、後に合併する長岡市へ避難していた家族であることが判明した。
家族の為にと思って、我慢して京都に来たのに騙され続けて一層困窮している現状を弟から聞いて、ヨータさん達に助けを求めたのだった。
その後、京都と新潟の関係者により、悪徳業者を排除して彼女の家族との正式な契約書を巻き直すことで晴れて彼女は半月後に京都へ無事戻った。
ボクは念願の対面を心待ちにしていた。
年季奉公を勤め上げた彼女の近況を尋ねると舞踊、三味線、お囃子、唄等の芸だけでなく茶道、行儀作法も日頃の努力が認められ立派に育った彼女は芸妓になる際には流派によって、所作が著しく異なる立方(たちかた)ではなく、差異が少なく且つ減少傾向にあるので、需要が逼迫している地方(じかた)を迷わず選択した。
そして晴れて今春から故郷に近い新潟の古町に友好的に転籍したと顛末を聞いた瞬間頭の中が真っ白になってしまった。
勢いよく出張した結果、空振りに終わってしまったことをどのように上司に報告しようかと途方に暮れていると「今日は特別に馴染の方に呼ばれており、この後に宴席があるので、京都に来ています」と言って彼女を呼んでくれた。
ボクは新潟中越地震を殆ど知らなかった
「お初にお目にかかります」と挨拶をし、「ヨータさんは私の恩人です、こんなことになってしもて」と言ったまま涙ぐんで無言になってしまった。
少し落ち着くと「けど、うちは何があっても前向いて生きていくと決めたんどす」と力強く宣言すると「うちのおじいちゃんはいろこい名人と呼ばれていました」と目を輝かせて言うので、僕が呆気に取られていた。
「いろこいというのは錦鯉のことです」と笑って旧山古志村は錦鯉の発祥の地であり、江戸時代から続き、当初は食用であったが突然変異によって色彩豊かになり、観賞用として珍重され続けていた。
明治時代にはいろこいと言う名称は新潟県によって禁止されて錦鯉と統一されたが、年寄りにはいろこいと言う名称の方が馴染深く普通に使用されていた。
彼女の祖父は毎年品評会の上位に名を連ねる名人であり、孫達の学費を稼ぐ為にと老骨に鞭を打って丹精込めて育てていた。
2004年10月23日に新潟中越地震が発生し、「いろこいが心配だから様子を見てくる」と祖父は言い残して飛び出すとそのまま帰らぬ人となってしまった。
ボクは郷土愛を羨ましいと思った。
ヨータさんが最初にぽっちりを返還することを話すと「絶対いやや」と駄々を捏ねていたが「絶対にまた会える」と確約したことで漸く頷いた。
舞妓から芸妓になった時には「屋形の宝やからあげるわけにはいかないが」と言っておかあさんが代わりに見た目はそっくりのペンダントをプレゼントしてくれるとこれからもずっと妹達に受け継がれていく方が良いと素直に思えた。
祖父が養鯉に精を出す反面、本来は食用であった鯉が突然変異によって色鮮やかになって高値で売買されていることに対して常々疑問に感じていた父は稲作中心の農業を黙々と営んでいた。
勿論、祖父に批判的であった訳ではなく、祖父を尊敬していたが、自分の性に合わないと割り切り、夢を追うよりも地道に家族を守ることを信念としていた。
祖父の口癖は「これからは女の子も勉強して東京を目指すべきだ」と言い続けており、成績も常に上位で進学を希望していたから祖父亡き後、京都で舞妓になることは挫折と感じ、当初は落胆していた。
郷里に残った弟は祖父の夢と父の背中を比較して悩み、養鯉の道を志したものの郷里の誇りであるが、錦鯉生産組合による体制が整備されており、父同様に馴染めないことに気が付き、料理の道を歩み始めていた。
豪雪地帯の冬は厳しく、孫には苦労させたくないと懸命に働いた祖父であったが、困難を避けることは結局、家族が離散することに気が付いた弟はお姉さんと共に新潟で地元の文化を続けたいと修行に励んでいるのだと目を輝かして姉に語りかけ、遠く離れてずっと暮らしていたので、古町で小料理屋を待機場所として営み、姉弟で一緒に切り盛りしていこうと心に決めていた。
休日には離れて暮らしており、出来なかった親孝行と祖父の墓参りを心掛けていた。
ぽっちりに対する思いも自分だけが独占するのでなく、明治の超絶技巧を屋形の宝として引き継いでいく方が有意義であり、これからも京都と新潟を結ぶ懸け橋になりたいと胸を張って語った。
祖父と父の関係はヨータさんが「証券は隔世遺伝で子供は親の嫌な面を見て嫌い、孫に至って憧れる傾向があるが、このような株屋体質を改めて、個人ではなく家族単位で資産管理を強化して、家族にも理解されるように努力していかなければ未来がない」と酔うと熱く語り出すことを思い出していた。
ボクは女将にも同席して貰った。
彼女が保険金受取人になった経緯を尋ねると「ヨータさんから離婚して名義変更が必要になったので、普通養子縁組を希望され、婚姻は困るけど大恩のある人なので、実家の両親にも相談すると一も二もなく賛成してくれたので、その通りさせて頂きました」と答えた。
実際には出会った時には既に離婚していたが、そのことは伏せて「最近は何か連絡がありましたか」と尋ねると「何かあったら自分から申請せずに保険会社からの連絡を待つように念押しされました」と答えた。
「それは何時のことですか」と尋ねると「半年前です」と答え、「何か変わった様子でしたか」と尋ねると「電話なので特に気づきませんでした」と答えた。
「誰かヨータさんを恨んでいる人に心当たりはないか」と尋ねると「感謝することはあっても、恨む理由はありません」と答えた。
「契約を反故にされた悪徳業者がヨータさんを逆恨みして、命を狙っていることはないか」念の為に尋ねると「京都と新潟の弁護士を利用したので、ヨータさんの存在は一切口外していません」と自信を持って断言した。
保険金受取に必要な調査は全て終了したので、帰ろうとすると「今日はヨータさんを偲ぶ会と言っても湿っぽいのではなく陽気に執り行うので、是非参加して下さい」腕に手を回すと強引に茶屋に連れて行かれると会場には青年会議所の先輩も参加していた。
ボクは女性の逞しさに希望を感じた。
酔う前に女将に「彼女を手放すことを惜しいと思いませんでしたか」と単刀直入に問うと「そりゃ今でも惜しいと思います、けど自分だけ良ければという発想は自分自身の首を絞めるだけです」と話した。
芸妓の絶対数も激減しているが、幸い京都は舞妓、芸妓を育てる基盤があるので、人材の供給地として存在することに意義があるのだと断言した。
実際に伝統ある教徒は五花街が競い合い、「都をどり」「京おどり」「鴨川をどり」「北野をどり」「祇園をどり」が独自に盛況を呈するまさに「人材の宝庫」であった。
「雨降って地固まる」の典型であり、日本各地の花街も時代の変遷と共に寂れつつあったが、今回の件が契機となって地元企業の共同体等によって暗い影を持つ存在から文化の担い手として再評価され、各地で再生への取り組みが実施される起爆剤となった。
新潟は北前船の中継地として大いに栄え、明治時代には東京を凌ぐ人口でもあったが、日本海側は工業化の波に乗り遅れてしまったことで今でこそ「裏日本」と揶揄されるが、江戸時代は徳川幕府の方針により大河川に橋を築くことが禁止されていた街道筋よりも船便が物流の中心であり、加賀百万石を中心に文化の担い手でもあった。
地元出身の首相である田中角栄が提唱した「日本列島改造論」で裏日本を犠牲にして表日本が繁栄する構図を解体し、農工商が三位一体で繁栄出来る国土の再編成を目論んだものの、思惑通りにはならずに立派な庁舎等のハコモノ行政と新幹線や高速道路といった交通網が整備されただけで皮肉なことにストロー効果だけを如何なく発揮して過疎化を加速化させる結果となってしまい四苦八苦しているので、花街の活性化は地方創生のモデルケースとして大いに期待されていた。
ボクは実り多い京都出張を惜しんだ。
報告書を纏めて上司に報告すると「養親が成年且つ既婚者であり、養子が年長者でなければ普通養子縁組は容易に受理され、保険金受取人となることは何の障害もない、問題は何故そのような複雑な手続きを取ったのかその動機なので、順番に保険金受取人の調査を継続して下さい」と指示された。
週末の骨董市でボクはずっと気になっていた「なんでヨータさんは青年会議所に入会したのですか」という質問を理事長に投げかけてみた。
「ヨータ君じゃないから分らないけど」と前置きした上で「最初は憎しみに凝り固まっていたヨータ君も発行体や法人の顔色ばかり窺って、個人投資家を蔑ろにする仕組みそのものを問題として捉えるようになっていた」と説明してくれた。
ヨータさんはボクと答えのない議論を続けることを喜び「俺は猪武者だから」と謙遜して「お前は理論家であり哲学者だ」とボクを持ち上げて考えを引き出そうとしたことを思い出し、ソクラテスの産婆法を用いていたのだが、理事長とは反対の立場で臨んでいたのだと懐かしさと寂しさ半々の感傷に耽った。
「ヨータ君は意外に頑固で私が社会の三悪として医者、弁護士、議員を過去の経験を含めて話した時、何て言ったと思う」と質問されたので「親が世襲させたいと願うのは美味しい職業であり、議員を除いて子供の時に遊ぶのさえ我慢をして勉強しなければならない可哀相な人達です、遊びを通じて社会性と人間関係を学ぶ機会を奪われたからです」と答えると目を丸くして驚き「ヨータ君は君の受け売りだったの」と言ったので「ヨータさんとボクの共通認識であり、どちらかの受け売りではありません」と答えた。
「君は個人情報保護法についてどう思う」と尋ねられたので「戦前の隣組を意識したのかもしれませんが、家族主義を無理矢解体した為、個人主義が何たるかも理解できていない状況であり地方の過疎化と都会の孤独を加速化させていると思います」と答えた。
「暴対法についてどう思う」と尋ねられたので「暴力を肯定しませんが、残念ながら暴力は存在します、パレート最適に従い落伍者は存在します、明治維新は浪人や没落士族の存在を無視しましたが、坂本龍馬は北海道開拓による活用を夢見ていました」と明快に答えた。
「君とはヨータ君と同様のお付き合いが出来そうだ」と言って肩書毎の名刺を渡して「お守りとして持って、何かの際には利用して下さい」と言ってくれた。
折角の好意なので、有り難く頂くことにして名刺入れの中に納めはしたが、これ以上危険な橋は渡るつもりは毛頭なかった。
ましてや緊急事態において名刺ジャンケンが果たして効果的であるかどうか却って藪蛇になる可能性が高いと感じたので、文字通りお守りとして持つことを心に決めた。
理事長はボクの心を見透かすように「実際にお守りになるかどうかわからないが、何かの際には見捨てることは絶対にない」と自分に言い聞かせるように言った。
「これだけは忘れないで欲しい、日本人は安全を水や空気のように当たり前に存在すると考え、自由と両立すると無邪気に信じているが、米国では子どもでも二律背反の選択であると常識的に認識され、中国では為政者が恣意的に提供している厳然たる事実を片隅に置いて自分の常識を盲信せずに行動して下さい」と諭すように言った。
参考文献
「おおきに財団」(公益財団法人)京都伝統技芸振興財団ホームページ
「つなごう山古志の心」山古志オフィシャルサイト
「振袖さん・留袖さん」柳都振興株式会社ホームページ
「京の花街「輪違屋」物語」高橋利樹 PHP新書
「日本列島改造論」田中角栄 日刊工業新聞社
「怨念の系譜」早坂茂三 集英社文庫
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