第3話 ボクダケガイナイセカイ

ボクは基本に立ち戻ることにした。


翌朝、新聞社へ連絡して訪問して詳細を確認したが、何ら新しい事実を得ることなく「骨折り損の草臥れ儲け」であったが、階段から転落する寸前「助けてくれ」と叫び、最初に介抱してくれた人に只管「許してくれ」と言い続け、今際の際に「これで何もかも」と搾り出すように呻き、事切れたことだけ漸く聴き出すことが唯一の収穫だった。


警察署に照会すると警察官が警察医に検視への立会いを要請した場合、同時に検案も実施されるが、制度上は別物であり死体検案書は警察には公布されず、遺族等に公布されているからと取り合ってくれず、新聞社から入手した情報に関しては警察では関知していないと門前払いを食らった。


医師の守秘義務、個人情報の管理業務は死者に関しては適応外であると食い下がってみたものの守秘義務違反でなく、遺族との関係において不適切な個人情報の第三者提供に該当すると論破され、遺族の同意がなければ開示出来ないと頑なに拒否されてしまった。




ボクは次の一手を考える必要に迫られた。


正規の報告書と文書化出来ない過去の経緯を上司に報告すると「出身会社だから多少は知っていると思っていましたが、正直に申告してくれて助かりました」と言った。


お役御免だと胸を撫で下ろそうとした刹那「契約者にとって生命保険を利用する一番の理由は何ですか」と質問され「争族対策として円滑な遺産分割、流動性対策として納税資金の準備、評価減対策として相続税の負担軽減ですか」と答えると「優等生の模範解答ですが、それは一番ではありません」と言ったので「渡したい相手を前以て、指名出来ることですか」と尋ねると「ちゃんと分っているじゃないですか、新聞社の情報によって事件性があると判断しましたので、このまま継続して下さい」と澄まして答えた。


「最後の女性とは因縁もあるから適任ではありません」と具申すると「仕事を選り好みしてはいけません、そして短絡的な思考を改めて下さい、核心を突くのではなくて周辺と言っても反社や半グレは論外です、この写真を持って都内の骨董市を回って下さい」と言われたのでネット検索していると「当社は生命保険会社ですから何よりも生命を大切にして、くれぐれも猪突猛進は慎んで下さい」と言って自室に帰った。


口煩い上司とばかり思っていたが、頑なに証券での成功体験に固執して我流を貫いていた自分に気が付いた。


「保険は三角(短期間でも保障)預金は四角(積み立てた分だけ)で株式は互角(損得は半々)だ」とは上手く表現していると口遊んでいた。




ボクは何かに導かれているようだ。


実際には骨董市とフリーマーケットの線引きは難しく、骨董市と謳っていてもフリーマーケットと変わらないことも多く、逆に大規模フリーマーケットでは思わぬ骨董の拾い物が見付けられると人気があり、時間の経過と共にフリーマーケット優位が揺るぎない状況であった。


都内のフリーマーケットのスケジュールを再度ネット検索すると曜日に関わらず固定日に開催されるのは稀で土曜日及び日曜日に集中しており多い日には二十箇所以上で開催されており、神奈川県、千葉県、埼玉県までエリアを拡大すると収拾が付かないことが分かった。


途方に暮れて優先順位を決めかねているとボクの願いが通じたのか、都合の良いことに同期から携帯電話に電話が入った。


「ヨータさんの件で至急伝えたいことがあるので、先日の喫茶店で19時に会いたい」と言うので渡りに船の申し出であり、勿論快諾した。


約束である19時の少し前に大きいバスケットを持参して待っていると19時を少し過ぎた頃「遅れて申し訳ない、息子を進学塾に送り出して、直接来る予定だったが、ヨータさんのことを私も知りたいと女房が付いて来てしまったので」と恥ずかしそうに同期が言うと「当たり前でしょ、私にとってもヨータさんは憧れの人だから」と悪びれずに同期の隣に深々と腰を下ろした。


同期が語った話を時系列に説明するとヨータさんが会社に批判的になったのは他社に先駆けて取り扱いを開始した変額年金販売の組織的な不正からである。


これは生命保険募集人と変額保険販売資格を順次取得していく過程で過度の予算が課された結果、無資格販売が横行して有資格者が押印だけする当社のみに存在する不正と物理的に面談が不可能である顧客を郵送だけ若しくは代筆で契約締結する業界全体に存在する不正を内部通報した。


結局は企業体質や組織的な関与は一切認定されず、個人の資質の問題に矮小化され「大山鳴動して鼠一匹」とばかりに有耶無耶に終了させられてしまった。


これは証券だけの問題ではなく、生命保険の販売体制も杜撰であり、伝説的な生保販売女性が書いた書籍では「正々堂々」を謳っているが、実際には筆舌には耐え難い裏側を持つ業界全体の体質も一因であった。


資格試験は初期の段階では絶対数を増やす為、合格者数を求めて合格率が高いが一定数に達すると次第に権威を求めることにより難易度が上昇するというヨータさんの助言によって、いの一番に取得したのは良かった。


残念なことに管理職の倫理観の欠如によって、有取得者も未取得者も一色単に予算化されることで品質管理が疎かになり、内容を精査せずに有資格者が同行したと強弁して不正契約を強いる体質を憂いてボクはヨータさんを焚き付けて改善を求めた。


二番目が、証券アナリストやファイナンシャル・プランナー資格の年会費が自費であるにも関わらず有資格者数を公式発表しているのは適正な経費負担義務を怠った搾取であると断罪し、それに絡み更新期間と継続研修のある特定非営利活動法人(NPO法人)日本ファイナンシャル・プランナーズ協会と更新の必要のない一般社団法人金融財政事情研究所があり、組織包みで継続研修を実施しているが、カンニングが横行しているのは一般会員の権利及び社会全般の信頼を著しく棄損する行為であると内部通報した。


遅れ馳せながら前者の経費負担は改善されたようだが、組織的な不正はヨータさんが狼少年であるかのように吹聴され、人事上の報復措置を受け続けているようだ。


顧客とは関係がなく、社内限の経費の問題なのでボク自身はあまり関心がなかったが、寧ろヨータさんの方が過剰に反応した。


三番目は月一回に買付日が指定されている特定日買付型投資信託の販売であり、特定日まで約定連絡がない点を利用して、証券特有の悪弊である初日営業にも絡んで適当な顧客で予約を入れ、正式な約定が入る度に密かに予約を取消していくのだが、「ダマテン」若しくは「マカサレ」に該当する可能性もある由々しき問題であるとの認識はボクもヨータさんも同一の見解であった。


最後はボクが退職する直接の原因になったIPOに絡む新規公開株のバーター取引であり、投信販売若しくは資金導入を約束することで優先的に配分する悪弊を市場の健全性を阻害する要因であると断罪した。


伝説的な営業マンであった都心の支店長が学校法人や公益法人の担当者への過剰割当に絡んで、逮捕直前となり最悪の事態を回避する意味で退職して、地場証券の社長に転身する等、社会的にも大きな反響があった事例であった。


当時は当たり前のように投資信託販売や資金導入手段として安易に活用されており、リーマンショックで歪な構造が露見するまで、文字通り無法地帯の様相を呈していた。


ヨータさんがバーター取引を断固拒否したのは「悪銭身に付かず」で結局は解約と出金を盾に過剰要求となって苦労する先輩を見ていたからだった。


個人に関しては自分の資産なので、新規公開株を要求するのは仕方がないが、法人担当者の場合はオーナー社長を例外として、プロパー職員は真面目であるが、天下り及び銀行出向者の「虎の威を借りる狐」ぶりは目に余った。


労働組合や生活協同組合は比較的清潔であり、学校法人や宗教法人はバーター取引として手数料の塊である仕組債が販売され、リーマンショックによって「天網恢恢疎にして漏らさず」の通りとなった。


書生論に被れた潔癖症でボクは社会正義を錦の御紋の如く振り回すだけで、ヨータさんの経験に裏打ちされた顧客本位を旗印に地道に実践する路線を捻じ曲げ、より尖鋭化させて過激な主張に強引に軌道修正させた「マッチポンプ」と言われてもある意味では仕方がない。


ヨータさんの薫陶を受けたボクにとって新規開拓は運用規程の作成、業界平均や動向等あくまでも顧客の利益に資する情報提供により、新規開拓をするガチンコ勝負が当たり前と考え、毒饅頭とも呼ばれる露骨な袖の下を担当者に与えることにより法人取引で手数料を回収する「虎の威を借りる狐」との八百長は市場全体の信頼を揺るがす禍々しき問題だと禁止を求めて立ち上がった。


志半ばで個人的な事情も絡み敵前逃亡を企ててしまいヨータさんを孤立無援の状況に追いやってしまったので、これらの独立性を維持していた時代若しくは外資系親会社時代の出来事については、ボクも行動を共にしており、最低限は把握していた。


銀行が親会社となったことで綱紀粛正が徹底されたとばかり思い込んでいたが、実際には親会社銀行の紹介客に金利水準のみで決定される仕組債を文字通り販売するだけの販売代理店に成り下がっていた。


優越的地位の濫用が日常化し、禁止された録音機能がない個人携帯で情報交換する例が多発している状態が当然の如く組織包みで頻発していた。


背後からの不意打ちを潔しとしないヨータさんは上司に改善を求めた時点では既に厄介者扱いされ、内部通報するや否や人事報復を受ける負の連鎖を繰り返していた。


同期の口調から察すると会社よりもヨータさんの頑迷さに非があると考えているようであり、葬儀さえも関与しないで存在を抹殺するネガティブキャンペーンの嵐が吹き荒れているように感じた。


居心地の悪さを覚えたが、情報収集の手段であると忍従し続けていると同期の横から「もうお迎えに行く時間になったのでお願いします、私はもう少し話して帰ります」と言い放つと「ずっと黙って座っていると言っていたから連れて着たのに」と不服そうに言ったが「たまには自由にさせて」の一言で勝負の行方は決着した。


帰り間際に「信じたくないかも知れないけど、ヨータさんが怪しい連中と懇意にしているのは間違いない」と断言して「巷でヤクザマンションと揶揄されている建物に頻繁に出入りして、管理組合の理事長とも懇意にしている証跡が多数ある」と口にして足早に退散した。




ボクは見て見ぬ振りをして生きてきた。


「サンドウィッチありがとう、美味しかった」とバスケットを返すと「あの頃は楽しかった」と懐古する口調で呟き「別に現在に不満がある訳じゃないのよ」と言った先から前言をすぐに否定した。


あの頃はヨータさんを中心にボク、不倶戴天の好敵手や同期と支店の女性を含めて河川敷でバーベキューやキャンプ、岐阜県に足を延ばしてスノーボードを楽しんでいた。


過酷な仕事だけに息抜きは思い切り、楽しみ時には羽目を外すこともあったのは夜の街での馬鹿騒ぎと同様であった。


彼女は最初のうちヨータさんが目当てだったようだが、元妻であった女性と遠距離恋愛中で相手にもされなかったので、ボクに標的を変えたけれど、その当時はボクもヨータさんの妹に好意を寄せていた。


その次に不倶戴天の好敵手にも猛アプローチを掛けていたようだが、紆余曲折あって、やがて今の旦那である同期と深い仲になって結婚した。


ヨータさんは強制こそしなかったが、妹にボクを好意的な人物として紹介してくれたのだけれど、妹ではなくヨータさんとの関係をより重視してしまったので、結局はボクに愛想を尽かして不倶戴天の好敵手と結婚してしまった。


新人課を終えると憧れであった法人課への配属を争ったのもボクと不倶戴天の好敵手であり、甲乙付けがたい成績であったが、ヨータさんが不倶戴天の好敵手を「付け玉野郎」若しくは「付け太郎」と呼んで毛嫌いしていた為、ボクに軍配が上がったという噂も絶えなかった。


不倶戴天の好敵手も花形であるリテール事業推進部に栄転し、会社派遣による海外留学の切符を手に入れ、MBAを取得するや否や後ろ足で泥水を掛けるようにして外資系証券へ転職してしまった。


ヨータさんに対する敵愾心を抱き、手段を選ばないマキャベリストの不倶戴天の好敵手は彼女を利用してヨータさんの妹との接点を作って、まんまと乗り換えに成功して当初の目的を達成した訳だった。


単純なボクが見ていた風景はこの程度の認識であり、不倶戴天の好敵手という大袈裟な表現も周囲が、ただ面白がって盛り上がっていただけだと思っていた。




ボクは女性には敵わないと認識した。


彼女の指摘は全く別次元の解釈であり、テーブルの上で握手しながらテーブルの下で足を蹴り合っている外交と似通った「仁義なき戦い」の世界であった。


抑々最高学府を目指して一浪したが、古都の旧帝大で妥協した心算も当てが外れ、滑り止めと考えていた私学の雄、しかも看板学部である政経学部を卒業しながら、野心家でプライドの塊である不倶戴天の好敵手にとっては人生の汚点若しくは屈辱的な敗北と考え、学閥よりも実力勝負である証券を選択した最大の理由であった。


首都圏への配属を強く希望するも名古屋であったことも不満であり、態度にも表れた結果、思わぬ苦戦を強いられる一方で、ヨータさんの薫陶を受けたボクは地獄の苦しみを味わった夏季休暇以降は頗る順調な滑り出しを切っていた。


焦りを感じる一方で、彼はヨータさんと新人課長が「犬猿の仲」であることを最大限に利用しながら、ボクとヨータさんの素行調査を申し出ることで課長の寵愛を獲得して、三位以下を凌駕する二強体制を構築する強かさを見せた。


新人課長の露骨な態度に嫌気が差した他の二人は早々に見切りを付け、結局もう一人も退職した為、打たれ強くて天性の風見鶏である同期を含めた三人だけ残った。


旧国鉄系や旧電電公社系の大口IPOで新規開拓をしている時は、頻繁に訪問した顧客の返信封筒を不倶戴天の好敵手に横取りをされることも度々あったが、現場を抑えることは出来なかったので、ヨータさんは「挑発に乗らず正々堂々と勝負しろ」と憤慨するボクを宥め続けた。


ヨータさんもボクも集団行動は苦手なタイプだったが、不倶戴天の好敵手は京都の素封家が実家である同期が所有するオフロードカーで支店の女の子を誘い、美味しい思いをさることによって、同期さえも手懐けることにも成功していた。


ヨータさんの結婚の際には、遠距離恋愛中であった元妻にはヨータさんの素行調査を報告して不安感を煽り、ヨータさんの妹には元妻の出所不明の噂を吹聴して破綻の原因を陰険に画策していた。


彼女も不倶戴天の好敵手に最大限に利用された為「愛しさ余って憎さ百倍」で我慢が出来ない心境あるのに、肝心の同期は不倶戴天の好敵手に尻尾を振り続けていることが許せないのだ。


「リーマンショックの煽りを受けて外資系の撤退に伴って奴(不倶戴天の好敵手)が臆面もなく、戻って来てヨータさん排斥の中心になっているのよ」と言って顧客にとって「不機嫌な商品」である仕組債は手数料の塊であり、ハイリスクローリターンなのでヨータさんは運用規程で債券のみが運用対象の法人限定とすべきと主張していた。


所謂「黒目のガイジン」で日本人をカモにする外資系出身の彼にとっては「目の上のタンコブ」で親会社銀行にとっても仕組債は「打出の小槌」であるので、寧ろ半グレとの交際は巧妙に嵌められた罠だと断言した。


これらの事情をヨータさんに伝えたが笑って「心配してくれるのはありがたいけど、俺はそんなに弱くないし、彼(不倶戴天の好敵手)も根っからの悪党ではない」と取り合ってくれなかったことが、返す返す残念で仕方がないと号泣してしまった。


後輩から退職の意向を聞くとヨータさんは「そうやな、センスなさそうだからその方が賢明だ」と軽く言う、誤解しないで欲しいが十分悩んだ上での相談なので、無理に止めないことは本当の優しさだと思う。


それにも拘らず、ヨータさんが公私に亘って最悪の苦境にボクが突然退職を申し出ると「絶対に辞めるな、一緒に闘ってくれ」と懇願されたのに「証券には夢も希望もなく、未練も全くないので、無責任なことを言わないで下さい」とヨータさんの再三再四の慰留を振り切って退職したのだった。




ボクは上司に判断を委ねることにした。


翌朝、いの一番に昨日聞いたことを報告すると「事件性を窺わせる興味深い内容ではありますが、会社同士の関係性を考慮すべき問題であり、一方で伝聞と憶測だけなので警察が動くことはないでしょう、まずは先方に連絡してみます」と個室に戻っていった。


午後になって苦虫を噛み潰したような顔で現れると「お話になりません、新聞報道の通りでそれ以上もそれ以下もなく、事件性はありませんと一歩も譲りません」と言って憤懣やるかたない表情のまま「何を聞いても一切ノーコメントで挙句の果てに故人を冒涜する言説には法的手段も辞さないと人事部だけでなく法務部からも正式に通告されました」と憤懣遣る方なしといった態度であった。


思った以上に強硬な態度に怯んでしまい「万事休す」と呟くと上司が「売られた喧嘩は買いましょう、明朝に兵庫県の実家を訪問して下さい」と有無を言わさず指示された。




ボクは記憶を辿りながら実家へ向かった。


ヨータさんの実家は福知山線からローカル電車に乗り換える辺鄙な場所だったがボクの実家より少し大阪寄りなのでヨータさんはボクを田舎者扱いしていた。


最寄りの駅を降りると巨大な新興住宅地の反対側にある開発業者が途中で破綻した為、虫食いになっている上、上下水道の敷設で一悶着あったので、近隣住民の交流は少ないと聞いていた。


巨大な新興住宅地ではなく、寧ろボクの実家と比較すると農家若しくは公営住宅に類すると思われるが、生憎ヨータさんの母親も教育熱心で近隣住民からは変わり者扱いされていた。


実家のあった場所を尋ねると家屋はそのままであったが、草に覆われ廃屋の体を成していた。


嫌な予感は当たった表札も既に取り外されており、両親が何処かへ引っ越したのは明白であった。


近隣住民に尋ねても「特に交流はありませんでしたから」と関わり合いを拒否される有様で昼前に漸く「ここは山奥だからと妹さんが心配して大阪に駅近の高齢者向きマンションをプレゼントしたらしいですよ、持つべきものは親孝行な娘ですね」と皮肉交じりに教えてくれた。




ボクは消息が掴めないことを連絡した。


「馬鹿野郎、出張したけど引っ越して居ませんでした、これから帰りますだけで済む訳ないだろう」と普段は温厚な上司が自分の独断で命令したことは棚に上げて怒鳴ると「三十年以上経つので望み薄ですが、取り敢えず出身校を訪問してみます」と答えて電話を切った。


小学校はその当時を知る先生は居なかったので無駄足に終わってしまったが、中学校では教頭が当時のヨータさんのお姉さんを担任しており「弟は独善性が強く、反骨精神の塊であったので、評判は最悪であったが、お姉さんはそんな弟を庇い続ける模範生でした」と思い出話に花を咲かせそうな予感がした。


機先を制して「現在はどうしていらっしゃるのですか」と尋ねると「地方の国立大学を出てから労働省(現在は厚生労働省)に入省して東京労働局に勤務していると聞いていますが」と歯切れの悪そうに答えたのを折に失礼させて貰った。




ボクはお姉さんの存在を忘れていた。


上司に報告すると「態々出張する必要もなかったが、折角だから両親に親孝行して明日の午後に出社して下さい」と慰労されたが、生憎証券を辞めてから一度も帰省していなかったので、今回も実家に立ち寄る気持ちは更々なかった。


翌朝、出社すると「君も大人として我儘を通さず「親孝行したい時には親はなし」になってしまうぞ」と警告されたが無視をした。


ヨータさんのお姉さんは結婚後も職場では旧姓を使用していたので、容易に連絡出来ると楽観していたが「労働行政の観点から公益通報者保護法に関与する為、消費者庁に出向中です」と素っ気なく連絡先を教えてさえくれなかった。


縦割り行政の弊害に悪態を吐きながら消費者庁に連絡すると暫くして本人から折り返し電話があり、本日昼休憩に都合を付けてくれて面談することになった。


名刺交換をすると「お久しぶりです、お名前はヨータの口から退社後もお聞きしていました」と丁寧な挨拶に始まり、ヨータさんが真ん中長男で母親に溺愛され、お姉さん自身も初めての守るべき対象であったヨータさんのことが愛おしくて仕方がなかった様子が窺えた。


ヨータさんと妹が父親似でお姉さんは母親似なので異なる印象を受けたが、言葉の端々からヨータさんへの愛情が溢れ、涙ながらに語る口調は苦悶に満ちていた。


母方の祖母は古い人だったので、チョコボールも男の子は茶色のピーナッツ、女の子には赤いキャラメルを購入してヨータさんはあっという間に食べてしまい、翌日から仮病を使って「お姉ちゃんがチョコボール分けてくれたら治る」と言って強請った。


学校の友人を連れて来ては、姉妹のおやつも振る舞ってしまうので閉口したが「それでも家族に愛されていました」とハンカチで目を覆った。


証券に入社すると友人の話は一切出なくなり、弟が欲しかったヨータさんはボクの名前だけ家族にも伝え、一人合点して「妹と結婚させて本当の弟にすると言い張って、妹を困惑させていました」と語った後、核心に迫る部分を教えてくれた。


ヨータさんは子供の頃から正義感が強く、弱い者虐めを決して許さなかったので、自分よりも他人のことに巻き込まれていたのが実情です。


度が過ぎた行動は自分の首を絞めるだけと警告しましたが、更に労働畑の私にパワーハラスメントの事例を尋ねて来たので、「典型的なトナミ運輸、愛媛県警、オリンパスの事例を挙げて無謀であるからと再三再四に亘って自制を促しましたが、子供の頃から言い出したら絶対に聞きませんので」と声を詰まらせ「労働局で労働法の矛盾と闘い、消費者庁で練り上げた公益通報者保護法は財界の圧力で無力化されてしまい最愛の弟さえ守ってあげることが出来ませんでした」と嗚咽した。


「普段は威勢が良いお調子者で外面が良いのに、肝心な時には内弁慶で「お姉ちゃん助けて」と言って私の後ろに隠れていたのを思い出してしまって」と後は言葉にならなかった。


休憩時間という限られた時間もあるので両親の転居先だけ教えて貰い、お礼を述べると「私でお役に立てることがあれば何時でも言って下さい、弟の敵討ちをお願いします」丁寧に頭を下げて見送ってくれた。




ボクは一筋の光明を見たような気がした。


早速、上司に報告すると「素晴らしい報告ありがとうございます、両親の了解を得ることさえ出来れば死体検案書を閲覧することも可能です」と言って「無駄足を踏まないように予め連絡だけして下さい」と付け加えた。


教えて貰った電話番号に連絡すると聞き覚えのあるヨータさんの母親が出て、訪問の希望を述べると「週末は鉄道会社が開催するハイキングに参加するが、平日であれば何時でも大丈夫です」と快諾を得たので、月曜日の午前中に訪問する運びとなった。




ボクは逸る気持ちを抑え切れなかった。


土曜日は情報収集した結果を纏め上げ、いくつかの仮説を立てて、今後の方針を検討していたが、証券の拒絶を考えると骨董市での情報収集を始めるべきだと考えた。


翌日は生憎の小雨模様だったので都心にある神社の境内で開催される骨董市の出店は疎らであった。


会主を訪ねてヨータさんの話を切り出すと「証券の人なら理事長を手伝っていたけど、今日は雨模様だから出店していない」と告げられた。


折角なので他の出店者にも同様に質問を切り出すとヨータさんは当初こそ大量に購入していたが、最近では手伝っているだけで購入していなかったこととマンションの管理組合の理事長だけでなくオークションの相談役や神社崇敬会の顧問等を担っており、理事長、相談役、顧問だけでなく多数の呼称が用いられていた。


神社の祭事は諸説色々あるが室町時代に発生したと言われる的屋が裏では一切を取り仕切る為、所轄の警察署だけでなく公安警察も関与する複雑な構造なので、幅広い経歴と様々な肩書は頼りにされ好意的な出店者も多かった。


反面、薄緑色の表装に台湾の国旗、故宮博物院と記載された悪質な模造品を販売していると「骨董市の品位が下がる」と言って罵倒して、中国人観光客の値切りに唯々諾々と従うと「フリーマーケットと一緒にされると敵わない」と聞こえよがしに言って揶揄されるので、明確に敵意を示す出店者も複数存在した。


「あの店を覗いているのが顧問」と好意的な出店者が教えてくれたが、小柄な身体であるが鋭い眼光と好意的とは思えない遣り取りであることを感じ取ったので、退散することにした。




ボクは自分の立ち位置を掴めなかった。


ヨータさんの両親はボクの訪問を心から喜んでおり、特に母親は「ヨータが名古屋支店だったから二十年ぶりかな、あの時は本当にごめんなさいね」と頭を下げた。


忘却の彼方に封印していた苦い思い出が蘇ってしまった。


ヨータさんの実家は家庭菜園を子供の頃はさつまいもを大人になってからも万願寺とうがらし、オクラと里芋を栽培し、里芋の収穫は家族の一大行事で全員が集合していた。


ヨータさんの元妻は姉妹だけの家庭に育ったので、庭仕事は男の仕事と毛嫌いをしており、理由を付けては参加しなかった。


そこで白羽の矢を立てられてしまい都合三回も参加したのがボクだった。


ヨータさんと父親と妹が掘り役で母親とお姉さんが里芋の炊き込みご飯と芋煮を作り役で和やかな雰囲気であり、一人っ子のボクにとっても居心地の良い行事であった。


三回目に母親が芋茎(ずいき)を捨てるのが勿体ないとお浸しを作り、ボクが食べた瞬間舌に強烈な刺激を感じた次の瞬間、激しく嘔吐してしまった。


幸い大事には至らなかったがヨータさんが「事前に下調べもせず毒を盛った」と母親を詰った。


「他人の失敗を責めるべきでない」と父親が諭したところ「私が悪いのだからお父さんは口出ししないで下さい」と母親が反論したことで嫌な雰囲気になってしまった。


母親は「兵糧攻めにあった際、予め城壁に塗り込めて食べていたと死んだ父から聞いたので」と一言だけ弁解をした。


ヨータさんの妹は「兄は父親以外の家族に対しては暴君の如く振る舞う時があるので、抗議して欲しかった」と被害者であるボクが一貫して傍観者であり続け、ヨータさんに対して無批判で従順な態度にも阿諛追従の徒であると判断し、立腹したようだ。


言葉の綾であるが元妻がヨータさんのことを「内弁慶」だと嫌悪感を示す切っ掛けになった場面にも遭遇したボクは居た堪れなくなってしまった。




ボクは念願の法人課に配属された。


ヨータさんと机を並べることになった最初のクリスマスに元妻を名古屋に招待していたので、課長が「今日は早帰りで各々家族サービスをして下さい」と退社した折を見てヨータさんが席を立った。


運悪く性質の悪い先輩が「今日は付き合えよ」と誘い「ご一緒させて下さい」とボクが咄嗟に言ったのを無視して「ヨータを誘っているんだ」と絡むと「予定があるので一時間だけなら」と妥協した。


証券の飲み会が一時間で済むわけがなく「お前の彼女も呼べ」となり、ディナーをキャンセルして合流すると勝気な元妻が不機嫌であることは火を見るよりも明らかだった。


途中でボクが「おしどり夫婦」の話をすると元妻は顔を紅潮させて怒り、ヨータさんの顔が蒼褪めて「それ以上、何も言うな」と表情が物語っていた。


セクシャルハラスメントの嵐だけでなく、酌婦扱いに業を煮やした元妻が「もう私帰ります」と席を蹴ったので、その場で突然解散となりヨータさんも必死で説得したが最終便を利用して有無を言わさずに帰宅してしまった。


ヨータさんは極端に自分に甘い母親と基本的には与党であり続ける姉妹に囲まれて育った為、手強い反対野党である女性の扱いに慣れていなかった。


不幸な出来事により、ヨータさんと元妻、ボクと妹の関係がギクシャクした隙間風が吹いたが、ボクは苦手感が先立ってしまって手を拱いており、不倶戴天の好敵手が間隙を縫うように元妻と妹の対立を煽り、翻弄されてしまった。




ボクは現実に引き戻された。


「折角だからヨータに挨拶をして下さい」と父親に仏間に通されると「無様な死に方で本当に親不孝者です」と父親が搾り出すと「ヨータは悪くない、みんなに愛されていたのに証券へ就職したのが不幸の始まりだった」と母親が憤慨した。


父親が「幼稚園の卒園式が終わると小人料金をお母さんが払いません」と大騒ぎする変な潔癖症と表現すると母親は「曲がったことが大嫌いで正義感が強かっただけです」と擁護した。


「何もかも就職してから歯車が狂い始めてしまった、学生時代は生徒会長や運動部でも花形で皆に愛され、常に太陽系の中心であったのに証券では嫌われ変人扱いされ、挙句の果てに発達障害や統合失調症にされてしまった」と悔しがった。


「入社記念に臍繰りで購入した自社株も大阪支店に在籍したヨータさんの後輩に好き勝手にされてしまった挙句に三洋電気で紙屑にされてしまった」と口に出した。


堪り兼ねた父親が「人前で恥ずかしい振る舞いはいい加減に止めなさい」と窘めると「お父さんは子育ても家事も嫌なことは一切私に任せっ切りだったので、ヨータが死んでも悲しくはないのですか、汚名を着せられたままでは成仏出来ません」と詰るように吐き捨てた。


真ん中長男と一人っ子の相違はあるが何となくボクの境遇に似ており、暗澹たる気持ちになってしまった。


肝心の死体検案書を拝見させて頂くと酩酊状態にあり、誤って階段を踏み外した為、落下、死因は脳挫傷、他に擦過傷、打撲全身にあり、薬物反応及び事件性なしと記載されていた。


母親の強い要請で実物をお借りすることが出来たが、文字通り無味乾燥で事件性を窺わせる記述は穴が開くほど目を通してみたが一切記載されておらず、上司への出張報告を考えると沈鬱な気持ちとなった。


転落する間際に「助けてくれ」と叫んで、介護されている時に「許してくれ」と譫言のように呟き、事切れる直前に「これで何もかも」と囁いたと新聞社で聴き出した事実を比較しているうちに日中の疲れもあり終着駅の東京まで熟睡してしまった。




ボクは出張報告で一芝居打つことにした。


死体検案書という圧倒的な事実に対し、お姉さんと母親の思いは個人による希望的観測以上の評価を与えることは出来ず、ボクは余りにも当事者と関係が深過ぎた。


死体検案書の書式


一、氏名、性別、生年月日


二、死亡したとき


三、死亡したところ及びその種別


四、死亡の原因


五、死亡の種類


六、外因死の追加事項


七、生後一年未満で病死した場合の追加事項


八、その他特に付言すべき事柄


九、検案年月日、検案書発行年月日砥石の住所・署名・捺印


(厚生労働省ホームページ「令和2年度死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」より抜粋引用)


書式を踏まえると当たり前のことではあるが敢えて「助けてくれ」と「許してくれ」も「これで何もかも」の記述は一切見られなかったことを強調した。


上司の反応は予想通り「当たり障りのない死体検案書を守秘義務及び個人情報の第三者提供を勿体ぶって警察が出し渋った事実と証券の異常な拒否反応を考慮すると中止する理由は全く見当たりません」と珍しく大音声で宣言し「引き続き必要な時間と費用を気にせずに同時並行で日常業務を遂行して下さい」と指示を出した。


参考文献


「正々堂々のセールス」柴田和子 東洋経済新報社


「実録 頭取交替」浜崎裕治 講談社プラスアルファ文庫


「ホイッスルブローアー(内部告発者) 我が心に恥じるものなし」串岡弘昭 桂書房


「山口組三代目1 野望編」飯干晃一 徳間文庫


「山口組三代目2 怒涛編」飯干晃一 徳間文庫


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