43 「宴」
猪を担ぎ、一行は王城までの帰路を行った。
城に着くと、一階にある食物倉庫で天井から猪を吊るす作業をし、騎士たちは日が沈むまでの数時間ばかりを訓練に費やした。
みなが汗をかき腹も空いたところで、訓練場の裏手にある幾つもの切り株だけが残された空間に向かった。
そこには既にフレイと、ソトンという上半身の筋肉がどっしりと大きく怜悧な顔の男が準備をしていた。皮を剝いだ二匹の大猪を鉄の棒で貫き、木で作った二つの支柱に架けて焚き火で炙っている。
近くに二つの切り株をまたぐように大きな鉄板が置かれており、その下にも焚き火があった。鉄板の表面は猪から取った脂が塗られてつやつやと光っている。
騎士たちが好きな場所に腰を下ろす間に、二人は長大なナイフを使って猪を様々な大きさにそぎ落とし、鉄板の上に惜しみなく並べていった。近くの地面に鉄のトレイがあって、小振りなナイフがたくさんと、幾つもの皿が積んであった。
フレイは肉を鉄板に放りながらトレイを指差して言った。
「好きに食べてくれ。そこにナイフがある」
腹を空かせた騎士たちが一斉に動き出す。我よ我よと皿とナイフを手にとり、あるものは素手で、巨大な鉄板から火の熱さも知らぬように肉をかっさらっていく。
「まだ焼けてないのもある! 腹を壊していいなら好きにしろ!」
フレイが嬉しそうにいい、調理係の二人はせわしなく動き続ける。そのうち騎士たちも自分で猪を削いで肉を焚き火で直接炙ったりして、一同は食事に
ニハマチは鉄板の側に立ち、皿へ丁寧に肉をよそってナイフで上品に食べていた。食べ方は綺麗だが、一口で大量の肉を頬張って咀嚼し、飲み込んだかどうかのうちにまた皿に盛り付けていく。
「んー!」
自分たちで獲ったこともあってか、新鮮な猪肉が格別に旨い。
するといつの間にか隣に立っていたアル―シャが、彼に負けじと鉄板の肉をナイフでよそった。口に頬張り、頬の片側をもぐもぐと動かしながら言う。
「君の強さの秘密……食事の量にも関係がありそうだ。君が食った分だけ俺も食う。隣で食わせてくれ」
「いいけど……」
(大丈夫かなあ……)
ニハマチが口に肉を入れるたび、アルーシャも同じように口に詰め込む。明らかに咀嚼が遅れ、ハムスターのように口を膨らませた彼が言った。
「ハブルクさんに呼ばれていたな。戦の話だろう」
「ふん? ほうして?」
「俺も問われたんだ。子供のお前が共に騎士として戦うかどうかは、お前次第だとな。俺は迷いなく答えた」
アルーシャは、お前も同じだろうと言うようにニハマチを見た。肯定の意で頷き、口の中のものを飲み込む。
「……怖い?」
じっとニハマチの目を見詰めながら咀嚼するアルーシャ。よく噛んでから飲み込み、顔を顰めてみぞおちの辺りを拳で叩いた。息を吐き、凛々しい表情になって言った。
「――怖いな。とても怖い。騎士たちと何度も手合わせしたんだ。自分より強い相手が味方にも敵にもいることくらい、良く分かっている」
アルーシャは凛と目を細め、
「戦場では相手を選べない。偶然、突然にぶつかったものが自分を上回るものであれば」
ニハマチはごくりと唾を飲んだ。
(アルーシャは、俺よりもよく理解している……)
「その時点で『死』だ。戦場では偶発的に幾つもの死が積み上がる」
アルーシャが俯く。左手の皿が震えていた。――それが恐怖か高揚か、ニハマチには分からなかった。
そして、凛と清らかな顔の少年はぎゅっと目を瞑った。呼吸が速くなったのか、肩が何度も上下する。落ち着けるための深呼吸に変えてから彼は目を開けた。
「ニハマチ、俺は、騎士団に来る前は『
「るじん、かい?」
「『流』れるに『人』と書く。即ち、多流の素質を持つ者の集まりだ。世界に多流が溢れる前から存在し、騎士団よりずっと前から多流を扱っている。俺は彼らが大陸の各地に作った道場の一つにいた」
「じゃあ、流人会を辞めちゃったんだ」
「スノウ様が騎士を連れて道場に来たんだ。チェルシィ兄弟も元流人会で、俺と同じ経緯でここに来た。俺とは別の道場だがな」
「チェルシィ兄弟?」
「――知らないのか。シュークリィムさんと弟のプレーツェルさんの二人のことだ」
「シュークリィムさんってお兄さんだったんだ」
(知らなかった。兄弟で騎士団にいるんだ。弟の人も強いのかな?)
「流人会には達人と呼ばれる剣士がいる。その一人がシュークリィムさんだ。流人会でも最強の剣士だと思う。俺はそれを疑わない」
拳を強く握る。
「達人は他にもいる。あの人ほどじゃないとは言え、シュークリィムさんのような凄まじい剣士は他にもいるんだ」
アル―シャはそこで険しい表情になり、ゆっくりと深呼吸を挟んだ。
「……流人会は多流を極めんとする者たちの集いだ。彼らにはあまり善悪の基準というものがない。多流使い同士以外に多流を使ってはいけないという鉄の掟があるにせよ、道場の外に出れば誰も咎める者はいない。
「結論を言えば、彼らは底の底まで多流の使い手なんだ。多流を試せる絶好の機会があれば、
表情が更に険しくなった。鍛錬を積む日々を過ごす彼の額に、少年らしからぬ厳かな皺が薄っすらと浮かぶ。
「流人会は元々、心技体を学ぶ場所ではない。多流を知覚できた者が惹かれ合い、偶然に出会って高め合うために作られた秘密組織だったらしい。それがいつしか剣術道場として公に現れだした。とはいえ、悪人が集った会ではないから、力を悪のために実行しようという考えの者はまずいない。そんなものがいたとして、必ず清い考えを持つ者によって淘汰されてきたはずだ。……しかしだ。それは彼ら自身の話。仕える者が違えば正義は違う。我らが敵対する相手に流人会の者がいれば、相手せざるを得ないだろう。
「――厄介なのが、恐らく現実的に、最もそうなり得る男が存在することだ」
「それは……その人を知っているんだね」
「騎士団にいる以上、俺はシュークリィムさんが最強だと信じている。……しかし」
拳を一層強く握りしめる。左手の鉄の皿に指が食い込み、みしみしと捻じ曲がった。
「シュークリィムさんに匹敵する……もしかすればこの大陸で最も強いかもしれない達人がいる」
(オストワールよりも強いかもしれない人……!?)
「達人の名は、ディダスティン。俺がいた道場で師範をしていた男だ」
「ディダス……ティン」
「――ワインを貰ってきたぞー!」
いつの間にやら複数の大樽を転がしてきた騎士がそう叫んだ。もう一人、籠の中に鉄ジョッキを詰め込んだ騎士が樽の側にそれを置く。
賑やかな夜の宴が始まった。
「うおら! これで二十勝だ! がはははは!」
「ちくしょう! もっかいだ!」
ドッゲルの周囲に、彼を腕相撲で負かそうとする者たちの輪が出来ていた。
――また別のところでは。
「だからあ! 心が大事なんだよ! エリンは人を見た目で選ぶような女じゃない!」
額の上空で巻き毛がぴょこぴょこと跳ねる青年――ヤーンが語気を強めて言う。
「分かってる。だから、心でもあの
茶髪の方――フォンデマーが挑発するような唇の形で言う。
「お前みたいなナルシスト、エリンは絶対にお断りだろうぜ!」
「はっは。女の気持ちが分かってるように言いやがる」
「……お前ら」
さらさらとした青い髪を真っ直ぐ下ろした、どことなくキツツキに雰囲気の似ている面長の騎士が口を挟む。
「『犬ひまわり』にいるお嬢さんの話だと思うが」
「そうだ。……なんだ。お前もその口か? 悪いがエリンは俺かステューに惚れてんだ。ややこしくすんなよ?」
「……いや、俺はそこまで女に興味はない。エリンという女、王都の外れで娼婦をしていると聞いたことが」
「え、マジ? ……だ、だからどうしたってんだ! どんな生まれだろうが関係ねえ! 貧しい出の可哀想な子ってことなら尚更だ。俺が守ってやらないと!」
「ああ……だからその。お前たちは客稼ぎとしてしか見られてないというか……エリンという女に関わった男は全員言ってたぞ。
「「……」」
二人が顔を合わせる。
茶髪が言った。
「俺らって鈍い?」
青髪が頷き言う。
「すげえ鈍い」
フレイと数人の騎士はしみじみとワインを飲み、ニハマチを含めた何人かは未だに肉を食うことに心魂を注いでいた。アル―シャは途中でギブアップし、庇のベンチまで行ってぐったりと休んでいた。訓練場の裏の空き地を木々の隙間から辛うじて覗ける位置で、遠目に大食いたちをげんなりとした目で見ている。
今日の騎士団の日課には参加していなかったシュークリィムが、スノウと更にもう一人、自身と同じ坊主頭で見た目も似ている、彼より少し背の高い細身の男を伴ってやってきた。
「ふふ。盛り上がっている」
「盛り上がっているな! 私も一杯やろうか!」
「俺も羽目を外します。スノウ様、酒比べでもしませんか」
「やる気だなシュークリィム。――酒に自信のある者は私のところへ来い! ハブルク! お前もだ!」
「スノウ様……失礼ながら、既に酒を飲み過ぎていまして……」
「まあまあ無礼講じゃないか! 酒は幾らだって入るだろう!」
「精進致します……」
そのやり取りを聞きながら肉を喰らうニハマチが、彼の隣にいる少年より目のぱっちりとした大男――『ぎょろ目のサンヴァン』に訪ねた。
「なあ、なんでハブルクさんはスノウさんのことを『スノウ様』って呼ぶの? ハブルクさんは団長だから一番偉いんじゃないのかい?」
「ニハマチ。
肉をかっくらいながらサンヴァンがぶっきらぼうに答える。
「――え! マスグローグっていうのが王様の家?」
「そうだ。お前、ずっと騎士の館ばっかりにいて王族にも顔合わさんだろうが、無礼はするな? 子供だからって許されん」
「分かった! すれ違ったら地面に頭が着くぐらいに下げる!」
「そりゃやりすぎ。だが愛嬌があるから、良し」
ニハマチはにっこりと笑うと、肉を飲み込んで吊し猪から直接肉を剥ぎ、鉄板にひょいひょいと放った。
「お前いくら食う気?」
ニハマチは残り半分ほどになっている、2メートルを超える大猪を見て、
「全部……は無理かな。でもこれの半分以上は食えるよ!」
「若さって
ぐったりとしたアル―シャは項垂れて一点を見詰めていた。
すると、側に誰かが座り、彼の背中をさすった。
アル―シャは頭を上げて溶けそうな目でその人を見た。――燃えるオレンジの髪、レヴィだった。
「酒を飲まされたか?」
「いえ。肉を食べ過ぎました。ニハマチみたいに強くなるために、彼と同じ量を食べていたら……」
「無茶をする」
レヴィが優しげに微笑む。彼女がさするのをやめると、アル―シャは何とか体を起こして言った。
「レヴィさん、今日は朝から外していましたね」
「ああ。お偉いさんを交えて会議があってな。一か月後の生誕祭に向けての話だ」
「生誕祭ですか。シュークリィムさんも行っていたようですが、騎士を集めた意味が分かりません。――もしかして、かなり重要な会議でしょうか」
「勘が鋭いなアル―シャ。生誕祭に厄介な来賓がいらっしゃるようでな。その方々が無礼をしでかさないか、目を光らせろとのことだ」
――アル―シャがはっと目を開け、その凛々しく澄んだ目でレヴィを見た。
「まさか、
レヴィはアル―シャに向ける母親のような笑みを潜め、面長のきりりとした顔に険しい表情を浮かべて頷いた。
「そうだ。スタンシュッド公爵が自ら来るらしい」
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