42 「狩り、ハブルク」

「――準備はできたな」


 王城の正門と真反対の位置にある裏門で、木々を背に立つ男が言った。

 ――男の名はハブルク。全身を銀色の鎧に包み、頭を丸く剃った色白の背の高い男で、年の頃は40後半ごろ。王国騎士団のおさである。

 ハブルクの前に横二列になって並ぶ30名ほどの騎士たちが、ぴしりと足を揃えた。

 後列にいたニハマチも隣の騎士を真似して遅れがちに踵をくっつけた。


「神聖な森での狩りだ。ダリウス王子の生誕日を祝うための肉を、俺たちで狩る。……もはや恒例行事のため強く言い含める必要もなさそうだが……神の住まう聖なる森だ。命のありがたみを知り、粛々しゅくしゅくと狩りをするように」

「「「はっ!」」」


 騎士が声を揃える。

 ニハマチは遅れて、慌てて大きな声で返事をした。騎士たちが笑いを堪えながら佇立する。我慢できなかった数人が彼を見遣った。

 騎士団長はあくまでも厳かな表情を保って言った。


「よい返事だ。ニハマチ、何を狩るかは分かっているな?」

「猪です! 団長!」

「うむ、そうだな。――ドッゲル! 猪が何かは分かるな!?」

「分かるに決まってんだろうが! 馬鹿にするのも――」


 ドッゲルの隣に立っていた目の大きな大男が彼にげんこつを喰らわせて黙らせた。騎士団長は若干不愉快な顔をしたあと、声を張り上げて言った。


「出発だ! 行くぞ!」


 神聖なる森――ホルの森は城の北東にあり、大陸を東西に分ける白蛇山脈まで広がる針葉樹の森だ。王城の北にある門から外周の木々を抜ける小道を行き、一行は草原を渡って森に辿り着いた。

 背の高い木々の間を縦二列に並んだ騎士たちが進んでいく。ニハマチは梢につかまってさえずる翠色の小鳥を見上げながら、隣にいるフレイに聞いた。


「クオリ教は、動物の神様を信じているんだよね」


 目を細めて森の澄んだ空気を吸い込んでいたフレイが答える。


「うん。動物の神様は三体いらっしゃって、この森にいるのは一角獣の神様、ホル様だな」

「神様は森を歩いてるの?」

「ホルグは一本角のウシだ。彼らが神様という訳じゃないが、いわば神の姿をとったもの……依り代みたいなものだな。間違えて狩ったらこうだ」


 言って、剣で首を切り落とす仕草をした。


「それか、ハブルク様から死ぬまでケツ叩きの刑だ」


 ニハマチが笑う。


「それは嫌だね。俺、尻はあんまり鍛えてないかも」


 隊列を率いて進むハブルクが立ち止まる。彼は枝と落ち葉を手際よく集めると、火打石で火を起こして焚き火を作った。煙が枝葉の間から空まで立ち昇る。


「ここを集合地点とする。三人か四人で一組となり、各自猪を見つけてこい。一匹捕まえたらここに戻るように!」

「「「はっ!」」」


 騎士たちが組を作り、思い思いに散らばっていく。 

 ニハマチの隣にいるフレイが言った。


「ニハマチ、一緒に組もうぜ」

「うん!」

「――俺も混ざろう」


 と、アルーシャの声。


「なんだあ? 狩りが始まってんのかよ」


 隊列を無視して歩いていたドッゲルがようやく合流して言った。 

 アルーシャがムッと口をすぼめ、腰の短剣をドッゲルに向ける。


「お前、規律は守れ」

「アルーシャ、お前とは何だ! 俺は騎士団に20年以上いる。団長よりも年上だ!」

「――ちょっといいか」


 割り込んできた声はハブルクのものだった。 

 厳格そうな顔に笑みを一切浮かべず、整然とした足取りで近づいてくる。


「なんだ珍しく怒ってんのかよ団長どの。俺あ年上だが確かにお前は団長だ。騎士団でいっちばん偉い……」

「四人だな……ニハマチを借りてもいいか。ちょっと話があってな。残りの三人で狩りに行ってもらいたい」

「はい。いいですけど……?」


 フレイがそう答え、ハブルクはニハマチの肩を掴むと焚き火の方へと連れていった。

 焚き火の前で胡坐を組み、ニハマチにも同じことをするように促す。


「ずっと挨拶が遅れていてすまんな。我らが王国騎士団に入ってくれて礼を言う。団長のハブルクだ」 


 焚き火の横から手のひらを差し出す。ニハマチは手を握り返した。 


「どうだ、騎士の生活は馴染んできたか?」

「うん! ぼちぼちね」

「うむ。王国の騎士だからといって気負う必要はない。これからもぼちぼち励みたまえ」


 足元にある枝を拾い、品定めするように眺めてから焚き火の中に投げ入れる。


「クラウスの手紙を読んだ。遠い古都から来たそうだな。よく一人で樹海を越えられたものだ」

「一人じゃないよ。三人で来たのさ」

「そうなのか。では、他の二人は王都にいるのか?」

「彼らとは別れたのさ。また一緒に集まるんだけどね。俺たち、お互いの目的があるからさ」

「ほう。冒険という訳だな。冒険はいい。俺も若い頃には色々な場所へ旅をしたものだ……」


 ハブルクは腕を組み、昔を懐かしむように目を細めて宙を見た。


「離天という場所に焦がれたことも……」

「おじさんも!?」


 首を伸ばし、目がきらきらと輝く。


「君も離天を目指しているらしいな。クラウスの手紙には書いてなかったが、シュークリィムから聞いた。君はそれを語るとき、夢物語ではない、本気の目をしているとな」

「うん。離天は本当にあるんだ。夢の話じゃないよ」


 噓偽りのないその瞳に謎めいたものを感じてか、ハブルクの瞳孔が伸縮した。


「……ニハマチ、俺はな、離天というのは、多流に満ち溢れた世界のことだと思っているんだ。この世界よりも多流で実現できることが数多くあり、この世界にない技術や生物、未知なる大陸が存在する世界だ」


 それを聞いて、ニハマチが興奮しきった様子になる。


「うん! 俺もそう思うよ。そういう世界だと聞いている」

「君も同じ意見か。離天には巨大で不可思議な生物、この世には存在しない鉱石もあって……」


 ハブルクの目がニハマチのように輝く。


「竜が空を飛び、人が翼を持つ。宙に浮かぶ陸、大地を穿うがつ滝、降りやまぬ雨、季節を変えてしまう雷光。――未知と希望に満ちた世界だ。俺も、らしからずわくわくしてしまう」


 そう言って、ハブルクは表情を崩して笑う。


「うん。あながち間違いじゃない」


 純とした表情できっぱりと言うニハマチ。ハブルクは好奇心からか目を丸くした。


「ほう? 別の考えがあると言うのか?」

「別というか……何て言うのかな。そう見ることもできると思うよ。色んなモノが存在するということは、新しい発見や驚きに満ちていることだと、確かにそう言えると思う」


 ――語る少年の表情にふと影が刺す。


「でも、裏を返せば色んな考えとルールが存在するということなんだ。もちろん、はっきりと強い方、弱い方もいる。強いモノは弱いモノを蹂躙じゅうりんしようとする。……残念だけど、離天は希望に溢れた世界なんかじゃないんだ」


 ハブルクが息を吞む。そして神妙な面持ちになって、


「……面白い考えだ。そう捉えたことはなかった。恐らく、伝承や偶然から彼の地を知り、離天を追い求める者はみな、そこが地獄か天国かで言えば天国のイメージを持っているだろう。……では、君は離天が希望の世界ではなく、絶望の世界だと考えるのだな」


 ニハマチは困ったように唸り、考えるために俯いた。


「どうだろう……絶望というには違うかもしれない。希望を持って生きている人や、そういったものと無縁の場所もあるだろうから。でも、離天という世界を全体で見たとき、希望の世界とは到底言えないそうなんだ。混沌と暗黒の世界らしい」


 ハブルクは手のひらの上に顎を置くと、少年と同じ高さで鋭く彼を見た。


「そんな恐ろしい世界に自ら望んで行くと。恐怖と混沌に満ちていると分かっていてなお

「うん。俺は行かなければならないんだ。使命というやつさ」

「使命……か」


 焚き火に視線を落とし、再びニハマチを見る。


「私は君という存在を大きく勘違いしていたかもしれない。成程……異空間と呼ばれる場所で育ち、絶帝と決闘の誓いを交わし、自らが離天に行くために生まれたと断言するか……魂消たまげたな。ここは神がおわすと言われる森だが、君はまるで、神から使命を受けた使いのようではないか。自分の生まれについて、他に分かっていることはないのか?」


 ニハマチは首を振り、


「俺は、俺が離天に使命を持っていることしか知らないんだ。今の話も、異空間にいた俺の仲間たちから聞いた話なのさ」


 ハブルクはため息を吐いて頭を振った。


「……世界は広い。君のような子供がまだ、古都にいたというのだから。……騎士を何人か連れてクラウスを労いに行かねばならんな。騎士団が導いた出会いに感謝だ」


 ハブルクは思い出したように、


「そうだ、クラウスの様子はどうだった?」


 ニハマチはにこりと笑んで、


「彼は古都で町廻りというのをやっているよ。この国の騎士みたいな、街を守るための仕事さ。彼は古都の色んな人に頼られていたし、慕われていたみたいだから安心して」

「そうか、あいつらしい……――やつめ、さては古都で居心地が良くなっているな。この国に戻る気を失っていてもおかしくない」


 ニハマチは気持ちよさそうにタバコを吸うクラウスの様子を思い出してからからと笑った。


「そんな感じがしたよ。もう一人のジュースって人も、古都が好きになったって言ってたよ」


 ハブルクが安堵半分困惑半分といった様子で眉をしかめる。


「まあ、気に入るような街で幸いだ――何より、古都は謎に包まれているからな。彼らを送りだすときに不安がなかった訳ではない」


 クラウスの話をそこで締めくくると、ハブルクは腕を伸ばしてニハマチの上腕を掴んだ。筋肉を確かめるように何度も握り直す。


「よく鍛えている。シュークリィムから聞いているぞ。君が途轍もない逸材であるとな」


 そして背筋をすっと正し、雰囲気を変えた。


「君に話……というより確認しておきたいことがあってな。そのため、二人きりにさせて貰った」

「うん……確認しておきたいこと?」

「――戦の話だ」


 そう言って、まなじりがきりりと上がる。風が吹き、炎が強く揺さぶられた。散る火の粉の間から、ハブルクの顔が覗く。


「騎士団には今、18歳に満たぬ子供の騎士が四名いる。騎士見習いを含めれば大勢いるがな。その中でも君とアルーシャは特に若い。……正直、戦に出してよいのか悩む若さだ。将来有望な君たちをみすみす死なせる訳にはいかん」


 ニハマチも真剣な表情になり、


「戦がもうすぐ始まるのかい?」


 ハブルクは目を瞑って首を振った。


「分からん。明日にでも起こるかもしれんし、数年後かもしれん。しかし、大陸はもう、常に戦乱の気配をはらんでいるのだ。……内外ともにな」


 炎によって生まれる影によって、表情に深い皺が浮かぶ。


「話は見えるか?」

「うん。国の中で……反乱というやつだね。その可能性もあるし、外の国と争いになる可能性もある」

「うむ。そういうことだ。……ニハマチ、君が騎士団にいる以上、戦が始まれば君を戦場に駆り出さねばならん。世界は広いが、この国も広い。我々は王国の各地を視察し、多流を持つ有望な者をこちら側に引き入れる努力を行っている。……しかし、全ては把握しきれん。多流を日々研究している我々だからこそ分かる。どんな不穏分子が潜んでいるかは分からぬのだ。さらに、ここ数年で良からぬ動きをするものもはっきりと存在する。

「どうする? 君が嫌だというなら、無理強いはしない」 


 ニハマチはからりと晴れた表情で間髪を入れずに答えた。


「是非仲間に入れてくれ。俺も戦いたい」

「戦争とは遊戯ではない。残酷で、非情で、救いようのないことも……」


 重々しい声音で、口を引き結んでニハマチを見据える。威厳を伴ったそれは、一種の脅しのようですらあった。しかし、ニハマチは晴れた表情そのままに決然と答えた。


「大丈夫。全部、覚悟はできてる。……俺、戦いたくてうずうずしてるんだ!」

「ふむ……」


 じっとニハマチを見詰める。そして、彼の瞳の奥に意思の強さを見たとき、ハブルクは表情を緩めた。


「承知した。戦が起こったとき、君が参加することを認めよう。……驚かせるようなことを言っておいて何だが」手を伸ばし、ニハマチの頭に置く。

「君の力には期待している。国のため、民のため、存分に剣を奮うのだぞ。よいな?」    

「うん! 頑張るよ!」


 ハブルクが勇ましげな顔で頷く。そして立ち上がると言った。


「我々も猪を一匹狩るとしよう。立て」

「はっ!」

「うむ。その返事を欠かさぬように」


 日が中天に昇る前に猪を見つけ、ハブルクが弓矢で射って仕留めた。

 二人が焚き火のところまで戻ってくると、既に全ての組が猪を仕留め終え、焚き火の周りを大きな猪の死体がぐるりと囲んでいた。


「ハブルク! おめえがドベ・・でどうすんだ! 俺あ始まって二十分で捕まえちまったぜえ! がははは!」

「彼と話をしながら狩りをしていたのだ。歓迎の挨拶も何もないままだったからな」


 片腕で猪を引きずるハブルクが言う。


「倉庫に運ぶぞ。ソトンとフレイは一匹ずつ訓練場の裏に持っていけ」

「「はっ!」」

「訓練場に持っていくのかい?」


 ニハマチがハブルクを見上げて聞く。ハブルクは左頬に皺を作って言った。


「うむ。今晩は焼肉だからな」

「焼肉!? やった!」

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