41 「死を恐れない勇気」
「――はっ! はっ!」
ニハマチの額に
剣技を剣技によって相殺させながらシュークリィムが言う。
「多流を引き出すのはとても上手い。体内での使い方が見事だ。しかし、体の表に現れる状態を整える技術がまだまだだな。全力で斬りつつも、俺のように発汗を抑え、状態を一定に留めよ」
「うんっ! 分かった!」
「多流はイメージ次第では何でもできる。――そう思い込むことが肝要だ。慣れれば止血さえできるようになるぞ。――次は防御だ」
攻守を後退し、シュークリィムの苛烈な剣技がニハマチに浴びせられる。
――王城にきて約二週間。シュークリィムとの訓練は一日のほぼ全てをかけて行われ、さらにそのほとんどが彼との斬り合いだった。
元々、多流を用いることで常人離れした体力の維持を可能にするニハマチだったが、シュークリィムとの多流を用いた訓練は日が昇って沈むまで延々と続き、繊細かつ出し惜しみを許さないものだったため、その内容は過酷を極めた。
彼に指導するシュークリィム自身もニハマチと同じレベルの訓練を行っていると言えたが、汗一つかかず、一日の終わりにも微塵の疲労も見せずに館へ帰っていく。
性格の浮き沈みもなく、穏やかで一定。訓練をしている間もそうでない間も平常な様子を見せるシュークリィム。彼の剣撃を必死に受けながら、ニハマチは思った。
(普段から、どれだけ多流を意識した生活を送っているんだろう。もしかして、寝るときも多流を……? いや、さすがにそれはないかな……)
正午過ぎ、庇の下で飯を食ってから再び太陽の元へ。シュークリィムと訓練を再開しようとしたところで、アルーシャから声がかかる。
「午後は俺とだ。よろしく頼む」
「うん! よろしく、アルーシャ!」
ニハマチとシュークリィムの訓練には、アルーシャとフレイ、もしくは日によって別の騎士が混ざり、基本的には四人二組になるという形だった。
アルーシャの希望でニハマチとの訓練に混じった形だが、同じぐらいの背格好の人間と斬り合う方が純粋な剣術の修行になりやすいということもあり、シュークリィムは快く許可した。
ニハマチ、シュークリィムとアルーシャ、主にフレイの四人で、ひたすらに訓練に打ち込む日々が続いた。
そんなある朝、ニハマチは早朝から起きて騎士としての仕事をこなそうとしていた。それは井戸の水汲みだ。
西にある海から東に流れるエーヌ川。その真上に王都は存在する。よって王城の南側、正門から見れば右側と言える方に川がある。ニハマチは南の翼棟から外に出て、城を囲む木々の中を川に向かって下った。川まで距離があるが、川と繋がる地下水を汲める井戸が、昔は森だった木々の中にある。
水を組む樽を積んだ荷車を引き、石の道を歩いていくと、向こうに木を伐採した開けた空間が見えてくる。
すると、そこには先客の姿があった。ニハマチは遠くから声をかけた。
「アルーシャ?」
アルーシャは水浴びをしていたようで、腰に巻いた布しか身につけていなかった。
頭から桶で水を流したアルーシャが、小走りに荷車を引いてくるニハマチを振り返る。
「おはよう。水汲みか」
「うん! 朝いない時って、ここに来てたんだな」
アルーシャが頷く。
荷車を井戸の手前で停車させ、ニハマチは至近距離で見たアルーシャの体に驚いた。
全身の至るところに、緩やかに湾曲する赤い線の痕が走っている。
「アルーシャ、凄い
「ん? そうか。君に裸を見せたことはなかったな」
特に恥じらう様子などはなく、アルーシャは自身の腹の辺りを見た。
騎士の館と呼称される城の一画、その下にある一階には、使用人たちも使う浴場がある。浴場は湯を沸かしている間なら好きに使えるので、騎士たちは訓練後や朝など、思い思いの時間に風呂に入るのだ。
ニハマチは浴場で騎士たちの裸体を見たとき、何人かの体の部位にアルーシャの全身にあるような赤くうねる線状の痕があるのを知っていた。
流痕というのは、個人が持つ素質によって異なる容量を超えて多流を使おうとしたとき、器である体が耐えきれず、皮膚などが膨張する現象の痕跡である。膨張したあとに痕が残るかどうかも体質によるらしい。
主に剣を振るために使う腕や手首に現れている者が多かったが、アルーシャほどの流痕は他に類を見ないほどだった。もはや夥しいほどに絡み合う流痕は桜色の紋様を作り出し、そういった部族の出だと言われれば信じてしまうほどだった。
腹から視線を上げてニハマチの胴体をまじまじと見つめるアルーシャが言った。
「そっちこそどうなんだ? 気を失いそうになるぐらい我を忘れて力を使うことがある君のことだ」
「俺は全然ないよ。ほら!」
訓練以外のときに着ているチュニックをめくって腹を見せる。健康的な色をした滑らかな肌に、少年にしては逞しい腹筋が乗っかっている。流痕はなく、直近の訓練で出来た打撲痕があるばかりだ。
「不思議だ。あれだけ使っておいて」
「うん。多流を使ったあとに痕が出てきたことはないかな。俺、血管は浮き上がりやすいんだけどね。たまにそのまま破裂しちゃうんじゃないかと思ってどきどきすることがあるよ」
「そうだな、君みたいに見境なく多流を使っていれば、皮膚がちぎれるなんてこともありそうだ」
「シュークリィムは血も止められるって言ってたよ。だから、血管が破裂するぐらいに使ってもそのたびに自分で直せば、多流を使い放題なんじゃないかな。――そうだよ! いいアイデアじゃないか!?」
「多流によって限界を迎える体を多流によって修復できれば、無限に使い続けることが可能――面白いが、面白いだけだ。そもそも、それでは多流の使用を修復に割くことになる」
アルーシャがまじまじとニハマチの顔を見る。ニハマチは首をかしげた。
「君、発想力は柔軟だが……何ていうか……」
「……もしかして、『馬鹿』? よく言われるから平気さ!」
「! いや、思ってない! 馬鹿だとかは思ってないが……」
アルーシャが誤魔化すように咳をした。井戸の縁に置いてあった布で体を拭き、綺麗に畳んだ服を広げて着る。そして、井戸のひも仕掛けを黙々と引き始めた。水の汲まれた木製のバケツを取り外し、荷車に積んだ樽の蓋を開けて注ぐ。
「あ、俺の仕事だからいいのに」
「水浴び後のちょうどいい運動だ」
二人は井戸にあるもう一つのバケツを使い、交互に動くことですぐに水汲みを終わらせた。
満杯の大きな樽を四つ積んだ荷車をニハマチが押して進む。石の道には紅葉の絨毯が敷かれ、時折葉の間で虫が顔を覗かせた。
ニハマチがわざわざ彼らを踏まないように気を付けて進んでいると、傍らを歩くアルーシャが神妙な面持ちで言った。
「……シュークリィムさんから聞いた。絶帝と戦う約束をしている、とは本当か?」
「うん」
「それも、死ぬか殺すかの決闘らしいな」
「……うん」
水汲みをしている間に朝日は昇り、木漏れ日が紅葉の赤を鮮やかに照らしていた。
アルーシャは言葉を継がず、二人は黙々と城までの道を行った。アルーシャは、ニハマチが黙っているときは黙っているやつだということを知っていた。大人しいときは案外大人しく、素直で、口を滑らせるときはあるが、意外と無駄口は叩かない。
訓練を共にする二、三週間を経て、彼の意識はライバルというより、大切な戦友という感覚に変わりつつあった。それも、自分よりもはっきりと強い相手だと認めている。彼にとってニハマチは、友であり師でもあった。
アルーシャはこの静かな時間がとても心地良く、そして、正直に言えば年の近いニハマチの存在が嬉しかった。
木々を抜け、王城の立派な外壁が現れた。一旦荷車を止めてふうと息をついたニハマチを、少しだけ前にいたアルーシャが振り返る。
「俺が君にしてやれることはない」
ニハマチはぽかんとした顔でアルーシャを見た。彼は対照的に真剣な表情で、
「しかし、お前がかの男と戦うというなら、俺もその近くにいたい。見せてはくれないか。君たちの戦いを」
ニハマチは彼が言っていることを理解した。
(……本気で言っているみたいだね)
そして、不安を微塵も感じさせないあっけらかんとした顔で言った。
「駄目だ。俺と彼の約束は、俺たちだけのものだからさ」
「見えるところで見るだけだ。……と言っても駄目か?」
ニハマチが首を振る。
「アルーシャの気持ちは嬉しい。俺も、戦う時に誰かが見ていてくれたら心強いよ。でも、俺たちの約束はどちらがどちらかを殺すかなんだ。誰も割って入ることはできない」
からりとした表情で言ってのけるニハマチ。そんな彼の目を見ていられなくなりアルーシャは目を逸らす。俯きがちになって呟くように言う。
「……君は、凄いんだな。正直、俺は自分より強いと分かっている者にそんな風に立ち向かえる勇気はない。……決闘の日が明日だとして、君はどういう気持ちでいるつもりだ? 戦いにどう臨む?」
「俺は……」
ニハマチはその日が来るときのことを考えた。脳裏にキツツキとパントマ、森の動物たちの姿が浮かぶ。
(彼らと二度と会えないのは寂しい。「死ぬ」というのがどういうことなのか、最近分かるようになってきた気がする。朝を迎えるたび、彼の手が俺の喉に迫ってくるのを感じる。……でも)
「恐れはあるよ。シュークリィムも言ってた。それは悪いことじゃないって。――でも、逃げはしない。俺はここからもっと遠い場所に行かなきゃならないんだ」
「遠い場所……離天か。この世界と別の、もう一つ存在すると言われる世界だな」
ニハマチが頷く。
――アルーシャはふと息を詰まらせた。ニハマチの瞳。その奥に煌々と輝く得体の知れない光に。
輝く目でニハマチは言う。
「かの地は混沌と邪悪に満ちている。人を喰らうモノ。それを喰らう人。人を喰らう人……かの地を救わないと。それが、俺たちがいるこの世界を救うことにも繋がるんだ」
アルーシャは、
「■■■・■■■■……もう一つの世界。俺は必ずそこに行く。明日死ぬかもしれない日を迎えるとき、俺はただ己を鍛えるよ。立ちはだかるのが誰だとしても、俺は越えていかなくちゃならない……死ぬ訳にはいかないのさ」
ニハマチは再び馬車を引いて城の門の一つに入っていった。
アルーシャは立ち止まり、彼の背中を見て呟いた。
「……死を恐れない勇気。そんなものじゃない。あれはそんなものでは……」
落ち葉の掃き清められた石畳を、アル―シャは納得のいかない表情で歩いていった。
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