35 「相部屋」

 騎士団の訓練場は、王城の北東にある騎士の館の三階部分と一体化した岩窟、及び岩窟を抜けた先の開けた屋外で構成されていた。

 今まさに、円形の試合場にて、二組の黒いブーツがそれよりも遥かに漆黒の金属の床材を踏み鳴らしていた。


「腰が引けてるぞ!」


 立ち上げた金の前髪を額の上で浮かせてカールさせた青年が言う。

 青年の剣を躱し、もう一人の茶髪の青年が言った。


「お前がチビだから! やりづらい!」


 確かに、金髪の青年は160前半といった背丈で、茶髪の青年と優に10センチは差がある。 


「チビのお前にあの娘が振り向くとでも?」茶髪が余裕そうに笑う。

「分かっちゃいないな。エリンはより男らしい男を選ぶ。分かるだろ!」

「勝った方が!?」

「だろうさ!」


 ニハマチは木剣で戦う二人の斬り合いを、岩窟の入り口の近くに設けられた白い屋根の下、立ち並ぶ同色の柱の側に立って見詰めていた。彼の背後で、庇である屋根の下に設けられた木のベンチに座る騎士三人が、何やら野次を飛ばしている。


(二人とも、多流の使い方がかなり上手い。騎士団のみんながこうなんだろうか?)


 口を引き結び、ニハマチは真剣な表情で分析した。


(でも、もっと捻った・・・方がいいね。あれだととどこおるから――)


 そんな彼の肩に、誰かの手が置かれた。

 振り返って見上げた先に男がいた。美しい黄金の髪。ふわりとして真っ直ぐな髪には上品な花の香りが漂う。

 男は、その香水の匂いにふさわしい気品のある笑みで言った。


「君がニハマチだね?」


 艶のある声。ニハマチは男を見たこの一瞬で、彼が明らかに他の騎士たちと違う存在であることに気付いた。服装は騎士たちと変わらないが、雰囲気が圧倒的に異なる。 


「騎士団の副団長をやっている、スノウだ」


 右手を差し出される。握り返し、ニハマチは驚いた。分厚く、マメの多い固い手。


「む? いいね。良い手をしている。素振りをしているな」


 スノウも同様にニハマチの手に興味を持ったらしい。

 ニハマチは頷く。不思議な森を出てからも、拾った木の棒などで素振りはしていた。


「クラウスの手紙を読んだよ。強くなりたいんだね?」

「うん」

「なら、まずは私たちの訓練を見ているといい。ここで彼らの剣捌きを見てから、岩窟の訓練に君も参加させてあげよう。――来てすぐに訓練はキツイかな?」

「ううん。すぐにでも強くなりたいんだ。俺に多流の使い方を教えてくれ!」


 スノウはニハマチの頭に手を乗せた。


「手紙に書いてある通りの子だ。積極性は修練に役立つ。うんと強くする。『今よりもっと強く』、だ」

「ほんとに!?」

「なんせ、我らが騎士団だ」


 嬉しそうに顔を綻ばせたニハマチは、試合中の二人に視線を戻した。


「あの二人、ただ剣を競ってるだけじゃなさそうだね」

「ほう? 分かるか?」


 スノウが言葉をぶつけ合いながら斬り結ぶ二人を見る。


「あの二人は、同じ女性を取り合っているのさ。そりゃあ気持ちも入る」

「ふーん。『修羅場』ってやつかい?」

「いや。男と男の清々しい勝負だ」

「勝負なら俺も好きだよ! ――よし。勝った方と俺が戦う!」

「……うん? そ、それは違うくないか?」


 スノウはニハマチを岩窟の中に案内した。冷やりとした岩窟内は壁の燭台で明るく照らされ、蟻の巣のように幾つかの大きな空間があった。

 空間の一つ、殺風景な洞窟内にテーブルが幾つか、その上に数十個の小石が積み上げてあった。

 ニハマチが一番高い石に手で触れるとスノウが言った。


「これを使って多流を測ろう。石は全部で30ぐらいある。一個でも浮かび上がれば素質があるし、十個以上浮かべばかなり保有量が高いと言える」


 小石から伝わる力に応じて、ニハマチは多流を込めた。

 すると、石が浮かび上がって指を離れ、見えない鎖で繋がっているかのように他の小石も浮かび始めた。


「いいぞ。……八、九、十を超えた! まだいけそうだな。――む!?」


 石はみるみるうちに間隔を開けて連結された塊となって浮かび上がり――とうとう、テーブルに乗っていた全ての石が浮遊、空中で静止した。


「おお……! 素晴らしいぞ少年! シュークリィム以来だ! 騎士団一の多流使いがいるんだけどね。僕らで多流の研究を始めて以来、彼ぶりの――四年ぶりの『総浮かび』だよ!」


 多流を引っ込める。石たちは一番下のものからゆっくりと落下して、ほとんど元いた位置と変わらないところに落ち着いた。

 ニハマチは今朝の食堂でのことを思い浮かべた。坊主頭の、他の騎士たちと違う服を着ていたあの男。


(彼が一番強いということかな?)


「クラウスはどのぐらいだった?」

「彼は特訓を重ねて26,27個だったはずだ」

「それじゃあ、多流は俺の方が多いってこと?」

「そうも単純ではないが、おおむね間違いではないだろう」


 ――次の空間。ニハマチは装飾のない鋼の剣を渡された。彼が対峙する壁際には大人一人よりも大きな青い石版があった。


「その剣は多流が込めやすいように『流素りゅうそ鍛造』されている」

「……りゅうそ鍛造って、何のことだい?」

「そうか、古都の外から来た子供だったな、君は。――流素というのはね、多流を使うときに用いるもとのことを言うんだ。そんなに難しく考えなくていい。古くから呼称されていた多流という呼び名と同じ意味だ。この剣は流素を込められていて、こういった武具、または奇々怪々な道具を僕たちは『流具りゅうぐ』と呼ぶ」


 ニハマチは剣を見詰め、柄を握る手に意識を集中させた。剣の内部から、力が伝わってくる。


「青い壁に剣を打つんだ。流素に反応して光るようになっているんだが――手本を見せてあげよう」


 スノウは壁の前まで移動すると、腰から剣を抜いて、高く掲げた剣を素早く振り下ろした。

 壁の上の方を剣先が走り、そのあと、白い光がそれを追うように縦に現れた。


「普通に打つとこんな感じだが、剣を握る手に力をイメージしてやると……」


 再び打つ。次に現れた線は、剣身が最初に触れたあたりの白い光が膨らんで上下左右に伸び、縦線の方が長い十字の線となった。


「こういう風に、模様を描ける」剣を納める。「多流というのはイメージが大事だからね。初歩的だが、とても良い訓練だ」


 スノウは腰を回して少しニハマチの方に体を傾けると、彼の右肩に手を置いた。


「さあ、好きなように模様を思い浮かべて、壁を打つんだ」


 ニハマチはきっと目を細めると、一つ深呼吸をした。


(模様……模様って言われても、上手く浮かばないな。あまり複雑なものはやめた方がいいだろう。イメージするのが難しいなら、剣に流れていく力の広がりを意識して――)


 芯の一本通った乱れのない動きで剣を振り下ろす。スノウがその一瞬の剣捌きを見て瞼を動かした。

 打った剣を素早く引き、最初の一点にじわりと染みのように光が現れる。

 すると、染みは上下左右どころか複雑で規則的な広がりを見せ、壁に拳大の雪の結晶じみた模様を作り出した。しかも、煌々と強く輝いている。


「どう?」


 スノウが言葉を失ったように固まる。そして、がっちりとニハマチの両肩を掴むと、興奮冷めやらない表情で彼を思い切り揺さぶった。


「君! どこで多流を習った!? 先生はいるのか!?」

「せ、先生は……」


 ニハマチの脳内にたくさんの奇天烈な動物たちが浮かんだ。彼は、その中から特に多流の訓練をしてくれた動物を思い浮かべ、


いて言うなら、猫かな? ……犬?」

「猫みたいな顔の先生か!?」


 ニハマチは困り顔で頷いた。

 スノウはやっと肩から手を離すと、まだ信じられないといった様子で壁を見詰め、両手を振り上げた。


「先生がいるならあとで紹介して貰おう。とにかく、君は凄いぞ! 見たことがない! ニハマチ、君は今年で何歳だ?」

「うーんと、13だったかな? 冬に生まれたらしいから、もうすぐ14!」

「そうか。君はまだまだ伸びしろがある。さあさあ、次の訓練だ!」


 この日の午後は、スノウに連れ回されて様々な訓練をすることとなった。

 多流に反応して動く紙に触れ、意図通りに動かす。流素鍛造した黒い鉱石――通称「黒石」に拳を打ち込む。正座で意識を高める――


「日が暮れてきたな。晩飯の前に部屋に案内しよう。空いている部屋があったはずだ」 


 スノウに連れられ、騎士の館の二階にある、部屋が並ぶ廊下を歩く。

 しかし、彼は一周して最初の位置に戻ると、頭の後ろに手を当てて言った。


「済まない。空いている部屋はなかったな。うーむ……」


 スノウは考え込み、


「相部屋になるしかないが……うむ、そうだな、この部屋にしよう」


 歩きながら喋るスノウ。一つの部屋の前で立ち止まり、ニハマチを案内した。


「左側の寝床に荷物を置いてくれ。さ、訓練のあとは飯を食って風呂だぞ、ニハマチ!」

「うん!」


 それから食堂でうんと飯を食べ、騎士用の大浴場で汗を流し、ニハマチは案内された部屋に入った。

 寝床に背中から思い切り飛び込み、布団の感触を味わう。とても充実した一日に、ニハマチはにやけ顔を止められなかった。


「ふふふふ。旨い飯だったなあ……」


 ベッドの上をごろごろと転がる。 


「ふふふ。……ふふふふ……」

「――なんだお前は」


 突然の声に、ニハマチは上体だけで起き上がった。

 そこには紺のチュニックを着た、ニハマチと近い年の頃に見える少年がいた。


「やあ! 俺はニハマチだよ!」


 快活に言う。そんなニハマチに、少年は沈黙し、


「……」


 渋い顔をした。


「部屋を間違えたか……」


 と呟き、去っていく。

 ニハマチは不思議に思いながら、部屋を間違えたんだろうと納得した。

(いっぱい部屋があるもんね)

 ――数分後、部屋の扉が開いた。来訪者はスノウと、先ほど来た少年だった。

 スノウが顔を崩して笑っている。


「いや、すまない。悪かったなアルーシャ。彼はニハマチだ。今日この城に来た新しい子だよ。クラウスの推薦なんだ」

「クラウスさんの……分かりました。スノウ様の決定に逆らう気はありません。仲良くできるよう努めます」

「いい子だアルーシャ。ニハマチ、アルーシャと仲良くな。この子は根が真面目なんだ。堅物そうに見えるけど、意外に楽しい奴だぞ」

「そんなことはありません」


 どこか掴めない表情でアルーシャは言った。スノウは彼を残して片手を上げて去っていく。

 アルーシャは真っ直ぐ自分のベッドに向かうと、さっさと寝転んで壁を向いてしまった。

 ニハマチは声をかけるべきかどうか悩み、彼の背中を見詰めた。すると、アルーシャがくるりと寝返りを打った。視線を動かさずに顔を持ち上げ、無駄のない動作でベッドに腰かける。

 向かう合う位置になった彼は、僅かに視線を下げてニハマチを見据えた。


「ニハマチ」

「うん」

「俺は君に負けるつもりはないぞ」

「う、うん」

「騎士団にはまだ副団長の座が一つ空いている。若く、多流の素質がある者――つまり団の将来を担える人物が適任だ」

「君は副団長になりたいということなんだね」

「そうだ。君もそのために団に来たんだろうが、俺を追い抜けるとは思わないことだ。――おやすみ」


 そう言って、素早く眠ってしまうアルーシャ。少し丸まった彼の背に、ニハマチは少し抑えた声で言った。


「うん。おやすみ!」


(な、なんだろう。ドキドキするな……)

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