17 「怪しい男」

 それからまた、養い所での仕事を続けるニハマチだったが、人攫いの件が解決するまではここにいようと決めていた。養い所にいるときも、仕事で街に出掛けるときも目を光らせていたニハマチは、怪しい人物を一人見つけていた。

 17時頃、まだ赤みがかった光の残る頃に、ニハマチは屋敷の二階にある窓から敷地の外側にある街道を見ていた。

 果たして、街道に繋がる路地の一つから、目的の人物は現れた。

 灰色のハンチング帽で目が隠れている中年の男で、やや背が高かった。使い古しのコートを着ているが、野暮ったい感じはない。この人物は養い所の前の街道に、17時~19時ごろによく現れるのだ。ニハマチはクーパー家に行く以前から男の姿を見たことがあるのを覚えていた。

 観察していると、その人物はただ街道を歩いているだけという様子ではあるが、養い所を囲む石塀が途切れた入口のところで、ちらりとこちらの方を見てから、歩みを速めたり遅めたりするということはなく通り過ぎていった。

 ニハマチは別の日に、男に直接話しかけてみようと考え、石塀の近くの生垣に隠れて待ち構えた。男が来ることはなく、また別の日に再度張り込みをした。

 生垣の草の中に息を潜めて、今日の晩ご飯は何だろうと思いを馳せていると、足音が聞こえた。底の低そうな革靴の、ややゆっくりとした歩幅の音。


(あの人だ)


 ニハマチは少しだけ緊張しつつ、その男が入口までくるのを待った。自身の傍を足音が通り過ぎたところで、ニハマチは音を立てないように石塀沿いを並進した。

 入口のところでこちらをちらりと見ただろうというタイミングで、ニハマチは男の前に神出鬼没と現れて立ち塞がった。


「やあ、こんにちは!」

「うおっ! こ、こんにちは」


 突然の出来事に男は焦った様子だった。ニハマチがにこにこと見詰めてくるので、ハンチング帽の下のやや細い目付きの男は、戸惑いがちに言った。


「どうしたんだ、君?」


 ニハマチは背後にある養い所を指差した。


「ここに住んでいるのさ。なあ、おじさんは養い所というのは知ってるかい?」 

「あ、ああ。拾いなんかを働かせてる場所だよな。そうか、ここの子供なんだな、君は」


 ニハマチは男の顔を下から覗き込んだ。


「うーん?」

「な、なんだい?」

「おじさん、よくこの辺りをうろうろしているよね。もしかして――俺たちを攫おうとしている訳じゃないよね?」


 直球の物言いに男はぎょっとして目を丸くした。


「俺はただの通りすがりだ。最近人攫いがあるというのは俺も知っている。……君も、よ、夜道には気をつけるんだぞ」


 そう言うと男は足早に立ち去った。

 ニハマチはにこにこ顔に疑問を張りつけて、男の後ろ姿を見送った。


「うーん。……怪しい、のか?」


 後日、また後日と張り込んだ。しかし、男は養い所の方をちらりと見たり、あるいはただ素通りするだけで、こちらへ侵入しようという感じはなかった。

 ある日、男がまた養い所の前に現れたので、ニハマチは庭に身を隠しながら観察していた。やけに、ゆっくりと挙動不審に館の方を気にしながら歩く男を見ていると、突然、彼の首が誰かの腕に引き寄せられた。

 驚いて後ろを振り仰ぐと、夜に眩しい黄金の髪と、情熱的な瞳があった。


「き、君は……」


 腕を巻き付けてきたその女は、クーパー家へ向かう馬車に侵入していたあの自由奔放な女――養い所を抜け出しては街で寝泊まり酒場で飲んだくれのやりたい放題という話を聞く、養い所一の問題児と名高い女、テリオンだった。


 テリオンは豪快に笑んだ。「おい、新参しんざんのガキが何をしてやがる? 教えてくれよ」


(よりにもよってこの人に見られていたのか……)


 ニハマチは指を自分の唇に当てると、「しっ! 今は静かにしてくれないか」そう言って男の方を見た。

 テリオンはその視線を追った。


「あの男が気になんの?」

「うん」


 すると、「ああ」と言って訳知りげに、


「あいつは西の方にある酒場でよく見かけるぜ。お前、気になるならその酒場に行くか?」

「それは本当かい?」

「本当だ。土曜か日曜にしょっちゅう見かけるなあ。そんときに酒場へ行けば、会えんじゃねえか」そう言うと、テリオンは腕の力を強めた。

「ついでに私に付き合えよ。名前何だっけ、お前」

「俺はニハマチだよ」

「くく。ニハマチか。吞んだことは?」


 酒のことを言っているのだろうと、ニハマチは首を横に振った。


「なら決まりだ。酒の味を教えてやるよ。今週の土曜日だ。すっぽかしたらタダじゃおかねえぞ?」


 脅迫じみた口調で囁かれ、ニハマチは半笑いで頷く。にやりと笑うテリオンの目が爛々と輝いていた。

 土曜、テリオンとニハマチは連れ立って夜の養い所をこっそり抜け出すことにした。大寝室のある建物を出ると、テリオンが裏庭で待っていた。彼女は「ところでさあ」と前置きしてから言った。


「あの男、何でそんなに気になんだ?」


 ニハマチは、件の男が怪しい男ではないかという説明をした。


 テリオンは腰に手を当てながら、「ふーん。お前、腕っぷし大してなさそうだけど、その男が暴力奮ってきたとして、そんなチビっこい体で戦えんのか?」

「大丈夫さ! 俺、こう見えて体の内側はかなり強いからね」

「はは! 体幹だけじゃどうもならねえ体格差ってのはあるけどなあ……ちょっと待ってろ」


 テリオンは屋敷に入っていくと、すぐにまた戻ってきた。彼女の手には、骨董品のような錆びた剣が握られていた。


「うわあ……ぼろぼろの剣だね」

「言ってろ。ただのぼろい剣じゃねえぜ」


 テリオンが剣を構えた。脱力されただらしのない構え。しかし、やけに隙がない。誰かに師事された構えではない、自身で編み出したような感じがあった。

 すると、彼女から「力」の流れが起こるのをニハマチは感じとった。


(……! この人、力を使えるんだ)


 途端、不気味な力が瘴気のように溢れた。それは彼女からではなく、錆びた剣から発生していた。――まるで、コリンと馬術訓練をしていた際に遭遇したあの得体の知れない力のような感じがして、ニハマチは咄嗟に言った。


「だ、だめだ!」

「あ?」


 すっと力が引いていく。ニハマチはほっと胸をなで下ろした。


「何だよ? おもしろいもん見せてやれたのにな」

「とにかく、だめだ。それは人攫いの犯人を見つけたときにでも使ってくれ」

「あっそ」テリオンは腰の鞘に剣を収めた。


 二人は養い所をばれないように抜け出すのに成功すると、酒場がある西の方角に向かった。

 通りに面した酒場は軒先にも幾つかの丸テーブルがあり、中から暖かなオレンジ色の光と大人たちの賑わいが見えた。


「うわあ……!」


 仕事の帰りに酒場はたびたび通りがかるが、実際にその場に行ったことのないニハマチは、興味津々に中を覗き込んだ。

 テリオンはL字型のカウンターへまっすぐ向かうと、短い方の横向きの席に座った。ニハマチも隣に座った。酒場の全体を見通せる席だった。

 酒場の主人らしきスキンヘッドの男が、二人を見て笑った。


「レオ、また悪ガキを連れてきやがったな」

「いや。私が無理やり連れてきた。酒を飲んだことがないっつうんでな。ビールと肉料理頼むぜ」

「了解、お嬢さん」


 酒を子供の頃に飲むのはあまり良くないという知識を持っているニハマチは、この場の空気に流されそうな雰囲気を感じて、背を向けた主人に大きな声をかけた。


「俺の酒は要らないよ! 肉をたくさんくれよ! 飯はいっぱい食えるからさ!」


(――勢いで言ってしまったけど、俺、飯を食いにきた訳じゃないよな)


「そうか。小僧はこう言ってるけど、酒はなしだな?」

「チッ。つまんねえこと言うなよなてめえ。まあいいぜ、酒は私のだけでいい」


 主人はニハマチに若干の憐れみの目を向けてから、奥のキッチンで準備に取り掛かった。 

 ニハマチは姿勢良く椅子に座りながら、ざっと酒場に目を通した。柱が二本立っている酒場の中は広く、今まで見かけたことのある酒場の中でも、特に賑わっている場所だということが分かった。

 ぐるりと見渡し、最後に一番隅の四角い四人がけのテーブルを見ると、酔っ払っている様子の男が一人で飲んでいた。ニハマチは顔を傾けて、男の隣の椅子に乗っているものをよく見た。それは、あの男が被っていたハンチング帽に間違いなかった。


「あ、あの人だよ! テリオン、ほら、あそこ」


 癖のある髪をした男は酒に酔っているせいか目が潰れており、ただ、焦点の合わないその目で前を見詰めている。


「だいぶ酔ってるおっさんだなあ」

「俺、行ってくるよ!」ニハマチが席から勢いよく立ち上がる。

「あんだよ、せっかちすぎるだろ。ここで見といてやるから、危なそうだったらすぐ逃げろよ」 


 テリオンは正直どうでもいいといった様子で、ニハマチを止めることはなかった。

 ニハマチは小走りに男の元へ向かいながら、考えた。


(あの様子なら、普段は喋っちゃいけないこともべらべらと喋りだすかもしれない)


 ニハマチが遠慮なく男の正面の席にどかりと座ったので、近くの席の二人組がちらりと彼を見た。


「ねえ、おじさん」


 一瞬反応のできなかった男は、「う?」と言って寝ぼけまなこのような目でニハマチをじっと見た。


「うん? なんか、見たことある顔……」

「ねえねえ。肉は好きかい?」

「ん? さっき食べたけど、まあ、ビールのつまみにはいいよなあ……」


 ニハマチはカウンターの方にいる主人に向けて、


「なあ、頼んだ肉をこっちに持ってきてくれよ、全部!」と大声で言った。


 その声が余りにも大きな声だったため、酒場の男たちが彼に注目して、笑ったり、怪訝に見たりした。カウンター席から聞こえてくるテリオンの笑い声が店に響いていた。

 男はげんなりとした顔で言った。


「でかい声だすな」

「ご、ごめんよ」


 男がぐったりと項垂れたので、ニハマチは体を伸ばして背中をさすってやった。


(まずいな……酒で、潰れると言うんだったか。そうなると話ができなくなる。肉をいっぱい食べれば眠気もまた覚めるはず)


 すると、酒場の主人が自ら、「状況はよく分からないが」といった感じで肉料理の大皿を三つ持ってきた。

 それを見て、ニハマチは当初の目的も忘れて涎が溢れた。一目散にフォークを手に取ろうとしたところ、咄嗟に理性で踏みとどまり、頭をぶんぶんと振った。


(駄目だ、食事をしにきた訳じゃないだろ。……でも、ちょっと食べてもいいよね?)


 ニハマチは結局、ステーキの乗った大皿を引き寄せてフォークを突き刺した。そして、残る二つを男の元へ寄せ、ステーキを齧りながら言った。


「おじさん、これ食べなよ。俺のおごりだよ」

「おお……まじかよ」


 食欲と意識はまだ残っていたようで、男は不安定な手付きでフォークとナイフを手にした。夢見心地といった様子で切り分け、口に運び、咀嚼している。


「おいしいね!」 

「うまい」

「ふひひ」


 呂律の回っていないのが少し心配だが、この様子なら多少喋ることはできるのではないかと期待を膨らませて、ニハマチも食事に集中した。その間に男のビールを自分の方に引き寄せて、男が更に酔ってしまわないようにした。肉を何度か口に運んだ男が自分の酒を探し始めたところで、ニハマチは言った。


「おじさん、養い所って知ってる?」

「ん? やしない、じょ……ああ」


 酔いが少し覚めたのか、それとも慣れ始めたのか、椅子の背もたれに体重を預けた男は、凭れ気味だった首を椅子のてっぺんに沿わせ、視線を宙に向けた。


「でかい屋敷だ。あそこで何十人の子供を食わせてるんだから、すごいよなあ。まさに養い所だよ」


 訥々とつとつと喋る男の口調は変わらないが、先ほどまでより呂律が回って、意識も覚醒している。


「おじさん、気持ち悪くないかい?」

「ちょっと飲み過ぎた」

「それはいけないね。おじさんが酔い潰れる前に聞きたいことがあるんだけど、答えられるかい?」

「まあ、答えられる」

「おじさんは養い所に用事があるのかい? よく、あそこの周りを歩いていると思うけど」

「……用事って言う用事はない。何なんだ……やけに聞いてくるな」

「俺、あそこで暮らしてる子供だからさ、おじさんが何をしているのか気になったんだよ」


 男はニハマチを怪訝に見たり睨み付けるということはせず、ただ宙をぼうっと見ていた。一瞬収まった酔いがまた回りだしたのかもしれなかった。

 ところでニハマチは既に、この男が人攫いに関わっている可能性は無いと思っていた。そう確信しているし、何か悪いことを企んでいる人物だとも思えなかった。ただ、養い所の周囲をうろつくこの男にどんな目的があるのかは気になっているし、現にとても怪しい人物であるのには間違いなかった。


「用事がないのなら、なんでおじさんはあの場所を気にしているんだい?」


 男はしばらく視線を宙にやったまま、黙り込んだ。そして、頭が痛そうに顔を歪めながら口を開いた。


「そりゃ、気になって当然だろう。自分の子供だ。気になって何が悪い」


(……子供?)

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