8 「地下室」
クーパー家での最初の一週間が過ぎ、ニハマチは馬の世話や畑の手伝いを、ロサとグラスは婦人の手伝いを、キツツキはビール畑にも行って様々な仕事をこなした。
四人が揃って屋敷にいるとき、昼休憩は全員で庭に集まって、パントマが作ってくれたサンドイッチを食べたりした。
緑の生垣が囲むベンチで、隣り合うロサとグラスの間とニハマチとキツツキの間に木組みのバスケットがあって、女子の方はグラスの分だけのサンドイッチが二つ、男子の方はバスケットからはみ出すぐらいどっさりあった。
ニハマチがサンドイッチにかぶりついて延々と格闘を続けていると、
「ほんと野生児……でも、仕事は出来るのよねえ」と、一人だけ昼食をパスしたロサが頬杖を突きながら言う。
「エリーさんも褒めておられました」グラスもサンドイッチを小さくかじりながらそう言った。
「ロサは何故食べないんだい?」
ニハマチが口に物を含んだまま聞くと、ロサは頬に添えていない方の手で軽く脇腹を触り、
「あなたの食べっぷりに当てられて、ここに来てから晩ご飯を頂き過ぎてるのよ」
顔をしかめたロサだったが、それでも凄まじいニハマチの食欲旺盛ぶりに思わず視線を奪われている彼女は、「君も食べた方がいい」と差し出されたサンドイッチを受け取った。一口かじると、「おいしい」と言って心なしか不満げに咀嚼する。
他愛ない会話に興じている女子二人を尻目に食事に没頭するニハマチは、バスケットの残りが一個になったのを見て、それを無理やりキツツキに渡してから、
「なあ、皆は館に地下があるのを知っているかい?」
「いきなり変なことを言うわね。地下の部屋はいくつかあるんじゃない?」
「そうだけど、俺が言っているのは隠し部屋のことなんだ。壁の中に隠し部屋があったんだよ」
ロサが怪訝そうにグラスと顔を見合わせる。
ニハマチは続けた。「物置の隣の部屋に妙な壁があったから色々試してみたんだ。そうしたら地下へ行ける階段がでてきたのさ。皆で一緒に行かないかい? 今の間にちょっとだけ行ってすぐ戻れば、ばれないと思うんだけど」
「ニハマチ君、掃除もせずにそんなことをしていたのかしら?」
ロサがぎろりと睨む。ニハマチは慌てて釈明した。
「いや、掃除はちゃんとしたさ。きっちり、しっかりね」
腕を組んで目を細めるロサと対称的に、グラスは上品にくすりと笑って、
「ふふ。でも、面白そうじゃない? 隠し部屋を見つけて中に入ったからといって、そんなに悪いことをしているとは思えないわ」
「グラス……いいわ、私も行きましょう。でも、あんまりはしゃぎ過ぎないように。あなたの言う通り、ささっと行ってささっと帰るわよ」
「ありがとう、ロサ!」
ニハマチはキツツキの方を振り返った。
「キツツキも来ないか?」
キツツキはまだ半分以上残っている最後のサンドイッチを手にしながら、
「……そうだな。俺が見張りをしよう。誰か来たらすぐに知らせてやる」
「ああ、頼んだよ!」
かくして、彼らは揃って隠し部屋のある屋敷の角へと向かった。キツツキは部屋に入らず廊下で待機し、三人で階段を下りていく。
「ひええ……真っ暗じゃない」ささやき声のロサが体を縮こませる。隠し部屋をそれぞれの持つ明かりが照らすと、彼女は言った。
「なにこれ……けほっ、凄い埃」
恐る恐るといった様子でロサが壁を照らしてみたり、グラスが足元に気を付けながら机のガラクタを指でつまんだりしていると、ニハマチは比較的空間のある机の周りに二人を呼んで、古い紙を広げてみせた。
「これ、二人は何か分かる?」
ロサは腰に手を当てると思案げな顔で、
「何かの説明? 図があるわね。でも、こんな字見たことないわ」
「そうなんだよ。俺、二人の誰かがこれを読めるかなと思ったんだ」
すると、冴えて物憂げな彼女独特の眼差しで紙を見詰めているグラスの瞼が、緩やかに開かれていき――
「これ……」
不意に、階段を下りる足音が聞こえてきたので、ロサとニハマチはびくりと反応した。二人が固唾を飲んで身構えていると、降りてきたのはキツツキだった。
そして、キツツキの後ろからメイド服を着た一人の少女――パントマがゆっくりと現れた。
固まる三人に対し、キツツキはさも平然な様子で、
「彼女が突然来たんだ。でも、足音とかはしなかったんだが……」
「そうですか? 私、普通に廊下を歩いていましたけど」
パントマはそう苦笑交じりに言った。
ロサは慌て気味に、「ちょっと、いいのキツツキ? 彼女はマレーさんから信頼されているメイドなのよ」
気恥ずかしそうに目を泳がせる彼女に、パントマは優しく柔和な笑みを浮かべ、
「私もそう自負しておりますが、ここで起きていることは一切口外致しません。実はですね、私も、こういったものに興味があるというか」そう言って、照れくさそうに頬を掻く。
「そ、そうなの?」
「はい。私がこの館に務めていますのもまだ五か月ばかりで、何と申せばいいのですかね、その、秘密の古い館で出会えるミステリーなんかに憧れていたんです」
顔を赤らめるパントマに、ロサはほっとしたように肩を落とすと一転、何やら口角を緩めて、ニハマチに近づいて耳打ちした。
「ニハマチ君と相性良さそうなんじゃない? 大人しそうな顔して実はおてんばなんて、あなたそっくり」
「そうかい? まあ、仲良くなれるに越したことはないね!」
ニハマチがいつものように綺麗な歯を見せて笑っていると、グラスがおもむろに、
「みんな――パントマさんも、ここに来て」
全員が彼女のいる机の周囲に集まってから、グラスは話し始めた。
「紙に書いてある内容、私なら読めるわ」
「え、ほんとに?」
「うん。ぎこちないかもしれないけど……」
紙が全員に見えるように机に置かれる。
「まずこの紙……何かを作るためのレシピ――鉛、血液、沼の澱み、セオ、ルカ……『セオルカ』? ……これ……」
「グラス、何か分かるの? それに、血液って――」
「血液は、人の血液のこと」
グラスは紙から顔を上げると、伏し目がちに視線を彷徨わせた。
「人の血液……それを使うレシピってこと……? 気持ちが悪いわね」
「――ロサ、私が今から言うことに驚かないでね」
「え?」
突然、真剣な表情になったグラスは、右手の甲を左手でさすりながら、丁寧な口調で話し始めた。
「……まだここが古都と呼ばれる前の時代、南の古城、石造りの街を象徴するあの城に王族が住んでいた頃があった。古都は昔、立派な王国だったの」
「そう、ね。それは知っているけど……」
「そして、その一族の末裔はまだ、この古都に生きているわ。――その一人が私。……『グラス・フォンティーヌ・アラッド』、それが私の名前」
一同に暫しの沈黙があり、
「意味分からないよね。突然」グラスは申し訳なさげに目を細めた。
アーモンドのような瞳のロサのまつ毛が、動揺で微かに痙攣していた。
「王族の末裔……グラスが? ――待って、少し整理させてちょうだい。それが本当だとしても、何でこのタイミングで言おうと思ったのかしら、グラス?」
優しい声音でそう聞かれ、グラスが神妙な面持ちになる。そして、歴史の糸を辿るようにゆっくりと語り始めた。
「古都と呼ばれるようになった理由……王国が滅んだその理由は、『呪法』と呼ばれた存在こそが発端なの」
「呪法……」パントマが不安そうに手首を握りしめる。
「古の王国は、栄華を極めていたと言われるほど、その時代にあってはこれ以上ないほどに栄えていた。人も資源も何もかも、手に入らないものはないほどに。……なのに、彼らは見つけてしまったわ。不可思議な力の存在を」
(不可思議な力……壁の中に流れていた)
ニハマチは納得するように首を縦に振った。
「その力は万能で、人間の能力を限界以上に引き上げたり、物を自在に動かしたり、炎を出現させることさえ出来たと言うわ。彼らはその力に憑りつかれ、妄信し、果てには『呪法』というものを生み出した。呪いが王国に蔓延し、やがて国は滅びてしまった」
しん、と部屋が静寂に包まれる。ロサは訳が分からないといった様子の半笑いで、キツツキは腕を組んで考え込み、ニハマチは真剣に聞き入った。そしてパントマは、古都の過去を思いやるように痛ましい顔になった。
ニハマチは言った。「この部屋でその呪法を行っていたというのかい?」
グラスが頷く。「レシピにある血液は力の効果を高めるもの、鉛は多分、呪いを媒介し閉じ込めておくための器、『沼』……多分、沼のような意味の単語だと思うけれど、それが何を指しているかは謎。『セオルカ』は聞いたことのない文字の羅列だけど、呪文の類ではないかしら」
「凄いや! セオルカが何か分かれば、俺たちも呪法を使えるかもしれない」
「ふふ。みんなで探してみる?」
無邪気な二人に反してロサはぶるると身震いし、「駄目よ! それのせいで王国が滅んだんでしょう? ……というか、何だか寒くなってきたわ。ね、ねえ? もう帰ることにしない?」そう言って身を縮こまらせて両腕をさする。
しかし、ニハマチは閃いたような笑顔で、
「セオルカがあれば炎を出せるかもしれないよ!」
「あなたねえ……!」
すると、黙って聞いていたキツツキが組んでいた腕をほどき、
「この部屋の様子を見るからに、樽の製造で物を言わせていたというのも、呪いで生み出したものを保存するための技術だったのかもしれないな」
「この館は元々、そのために作られていたということ……」グラスがそのか細い声で静かに呟く。
ニハマチは首を傾げた。「うーん? それは違うんじゃないかな。こんなに大きな屋敷にしなくてもいいし、呪いが国で流行ったというなら、隠し部屋にする必要はない」
「それはそうか。……ニハマチ、お前って、意外と考える頭があるよな……」
キツツキは呆れたような感心したような顔で言った。
「そう? ふひひ!」
「変なやつ……」
嬉しそうな様子のニハマチとは対照的に、ロサは自らの肩を抱いて居心地悪そうにしている。
「ねえ、これ、秘密を知っちゃったら……ってことにはならないわよね?」
救いを求めるような目のロサに、グラスはくすくすと笑って、
「ロサ、怖がりすぎ。当代の人たちは知らないと思うわ。古都に詳しいご老人の方々でさえ、栄えていた王国のことを知っている人はいないもの。マレーですら知らないのよ」
「じゃあ、グラス、何であなたが知ってる訳? そうよ。王族の末裔がどうとかって、もっと詳しく――」
「それはまた今度ね、ロサ。もう帰らないと、見つかるかも知れないわ」
「うん! それがいいね」
ニハマチが元気よく同意する。
「あの……」
呟いたのはパントマだった。恥ずかしげにする彼女の手には、いつの間にか紙の束が握られている。
「グラスさん、あとで他の紙も読んでみせてくれませんか? 何だか気になっちゃって……」
グラスは淑やかに微笑んだ。
「ええ。いいですよ」
――ニハマチはそんなパントマの目をじっと見詰めていた。顔を赤らめてグラスと微笑み合う彼女の瞳の奥に、鮮やかな色が光ったように彼は思った。
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