館の使用人には、一週間に一日、多いときは二日、休みが設けられている。ニハマチたちも同様だった。

 ある休日、ニハマチはキツツキを連れて近くの町へと出かけて、思いっきり遊び疲れてから館へと戻った。その町には屋台があったので、彼は川魚をカラカラに干してスパイスをまぶしたおやつを買っていった。まだ遅くない晩、屋敷の裏庭の花壇を囲む石ブロックに腰を下ろし、二人はそれを食べていた。

「うま~」頬を膨らませたニハマチが顔を綻ばせる。

「確かに、旨いな。辛そうな見た目だと思ったけど、意外と甘い」

「『辛そう』? 俺は辛いものは食べたことないな」

「辛いものはだいたい、こういう赤い色をしているんだ」

「ふ~ん。どんな感じなんだ?」

「口の中がひりひりして……ひりひりってのは、痛い感じだ。食べると痛くなるんだよ、舌が」

「ひりひりは分かるよ。舌がひりひりするものをわざわざ食べるんだ。なんか変だね」言って尻尾の最後を食べ終える。

「お前は気に入りそうだけどな」

「そうなのか?」

 キツツキはそこで言葉を切ると、夜空を見上げた。そんな彼の横顔をニハマチは不思議に思って、

「キツツキはよく空を見ているな。君と初めて喋った日も、そうやって夜空を眺めていなかったか?」

「ああ」

 ベンチに深く背を凭れるキツツキ。夜空に見入る彼の青緑色の瞳に、銀光の弧が煌めいている。

「星が気になるの? 俺も、あれに届くにはどれだけの距離がかかるのか、よく考えているよ」

 空に手のひらを伸ばす。ほんの数えるばかりの星と、三つの月が輝いていた。

「星か……俺は、そっちの方にはそんなに、興味はないかな」

「ふーん」

「なあ、ニハマチ。なぜ月は三つあると思う?」

「うん?」

 ニハマチはキツツキの横顔を見ながら目をぱちくりとさせた。

(森にいた時から空に登る月は三つだ。そんなの、当たり前のことじゃないか?)

「それは、地上に近い星が三つあるからだよ。月は星と同じで、ただ、他の星よりも、近いところにあるから、大きく見えてしまうんだ」

「……それがお前の答えか?」

 キツツキが「ふっ」と嘲笑うように笑む。

「お前は他の子どもたちとは違うと思っていたけど、意外と普通なんだな」

 ニハマチは何だか馬鹿にされた気がして、彼は基本、どんなことがあっても怒ったりすることはないのだが、この時ばかりはむっとする気持ちが胸に沸き上がり、

「君のように『斜に構えた』やつには言われたくないよ」

 大きな目で避難がましくキツツキを見る。

「はははっ。なんだ、毒づけるんだな、ニハマチ」

 キツツキには珍しく、腹を抱えて笑っていた。ニハマチは自分にしか見せないようなその様子にむしろ嬉しくなって、ほんの少しの怒りがもう何処かに吹き飛んでしまった。

 キツツキは腰を起こすと、息を吐きながら空を見上げた。

「――『世界を疑え。疑うことで本当の姿が見える』。いつか、誰かにそんなことを繰り返し言われた記憶がある。俺には、空に輝くこの三つの大きな月こそが、まさに、そういうものだという気がするんだよ」

 ニハマチは歪で小さな三角形の関係にある三つの星を観察した。彼はそれをじっと見ているうちに、その三つがどれも同じような姿をしているのに気が付いた。

「確かに、たまたま近くにある三つのものが、こんなに近しい姿をしているのはおかしい」

「どういう意味だ?」

「俺たち人間だって、同じ場所に生まれても全く違う姿をしている。地面にある石ころだってそうだ。彼らが兄弟でもない限り、あんなに瓜二つな訳がない」そう言って月の模様を視線でなぞる。

「それに、兄弟という気はしない。あれは全く同一のものだよ――そうだ。全く同じ『力』を感じる……」

「そんな神秘的なことを言っている訳じゃないが。むしろ、俺が言いたいのは実際的な――」

 不意に、がさりと音がして、二人はその方に首を向けた。

「誰だ? 隠れずに出てこい」立ち上がったキツツキが凄んだ声を出す。

 草を踏む音と共に植え込みの向こう側からそそくさと現れたのは――メイドのパントマだった。

 パントマは、申し訳なさそうな恥ずかしそうな表情でぺこりとお辞儀をした。

「ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったんです」

 キツツキがため息を吐く。

「どうしたんだ? 用があって来たように見えるけど」

 パントマはこくりと頷いた。「ニハマチさん。今、お時間はありますか?」

 きょとんとした表情で、ニハマチが自分の顔を指差す。

「俺?」

 ――キツツキに軽く謝ってから、パントマはニハマチを自室へと連れて行った。

 しっかりと鍵を閉めたのを確認したパントマが、ベッドの上で正座を組む。彼女はなるべく声を小さくするように口に手を当てた。

「あなたに協力して欲しいことがあります」 

「そうなのか! 何でも言ってくれ」

 ニハマチが朗らかに笑うと、パントマの瞳は潤んだように光った。

「そうおっしゃってくれると思っていました。――ニハマチさん、お願いがあるんです……!」

 ニハマチの上着の裾が彼女の細い手できゅっと引っ張られる。パントマの顔は悲壮に歪み、いつもの余裕ある柔和な笑みは消え、不安で切羽詰まっているようにも見えた。

「何があったんだ? ゆっくりでいいから、聞かせてくれよ」

「はい……この前、先週の休みの日に、町にいる私の友達と遊んでいたんです。私たちは、町にある薄気味悪い廃墟で遊んでいました。冒険気分でそこを探索しているうちに、いつの間にかその子とはぐれてしまったのです。どこを探してもいなくて、私は、突然用事を思い出して一人で帰ってしまったんだと思いました。昨日の休みにその子の家に行ったら、帰ってきていないということです。廃墟を再び探しましたが、彼女が見つかるはずもありませんでした」

 パントマが俯く。ニハマチにも負けない彼女の大きな瞳から、涙が一滴零れていった。

「心配なんです……最近、子どもが人攫いに会っているという噂が古都に広がっていますから、その可能性もあるんじゃないかと、本当に心配で……」

 嗚咽と共にぽろぽろと涙が零れる。

 ニハマチの目が憐憫で細まり、彼はなるべく優しい声音で、

「そうか……それは、すぐに見つけなくちゃならないな。パントマ、その子が何処に行ったか、少しでも分かることはないか?」

「全くないんです……もう、どうしたらいいか分からなくて」

「うーん……」

 ニハマチは眉を潜め、一つ疑問に思った。

(何故、俺だけに相談するんだろう?)

「みんなで協力した方がいいね。エリーさんには相談したのか?」

「いえ」

「すぐに話して、俺たちで集まって、養い所にも頼った方がいい。もちろん、パントマも一緒だ。養い所のみんなとマレーの力があれば、俺たちだけよりは上手くいくよ」

 するとパントマがまた、ニハマチの裾をぎゅっと掴む。

「それは駄目……あなたに協力して欲しいの」

「何故だい?」

 パントマは涙を堪えるために一つ深呼吸してから言った。

「彼女のために、あまり大ごとにしたくないんです。それに、彼女、墓地の向こうに消えていったように見えました」

「消えた?」ニハマチは目を丸くした。

「その墓地、凄く濃い霧があるんです。彼女の姿が見えなくなる少し前、霧に彼女が隠れていくのを見た覚えがします」

「へえ……」

「私があなたに協力して欲しいのは、あなたがあの隠し部屋を発見したから。普段の仕事ぶりや観察眼を見ていて、あなたに来てもらうのが良いと思ったんです。ニハマチさん、力仕事も何なくこなしているでしょう。もし誰かに襲われても、あなたなら助けてくれそうだから……」

 すると、ニハマチはぱっと花が開いたように笑った。

「任せてくれ! 俺は負けないよ。相手が大人でもね!」

 パントマが安心したような泣き笑いを浮かべる。少しだけ戻った彼女の柔らかい表情は、幼くも強かった。

「うん! お願い……!」

 はきはきと頷きながら、ニハマチは思う。

(……この人、芯が強いな。この館には一人で働きに来たという話だし、まあ、当然ではあるのかな?)

 そして翌日、パントマはエリーに追加で二日の休暇を申し出た。ニハマチを連れて行きたいところが出来たと言って、エリーは快くそれを許可した。

 出発の時、居間にいたロサが、

「あら……やっぱり相性良かったのね。せいぜい楽しんできなさい」そう言ってニハマチの髪をくしゃくしゃと撫でた。

 キツツキもやれやれと首を振ってから言った。

「つくづく隅に置けないやつだ」

 みな、一様に何かを勘違いしているらしく、ニハマチにはそれが何なのかは分からなかったが、その方がパントマにとって都合が良いだろうと思ってはぐらかすように笑った。

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