「今日はようこそおいでくださいました。私、メイドのパントマと申します。奥様から仕事の指示役を頂きましたので、僭越ながら努めさせて頂きます」

 パントマと名乗った少女は深いお辞儀をした。顔を上げてにこりと微笑した彼女はグラスのように全体的に細身だったが、肩甲骨に届くぐらいのふわりとうねる銀の髪とおでこを見せた前髪、物腰の感じ、そして豊かな表情に柔和な印象があって、か弱いという風ではない。

 女は、パントマの横に並ぶと言った。

「改めて、よくおいでなすったわ、可愛い子供たち。私はエリー、ここの主人の妻です」

「よろしくお願いします、エリーさん。改めまして、僕はコリンです。左から紹介しますね――グラス、ロサ、ニハマチ、キツツキ。まあ、名前はおいおい覚えて下されば良いでしょう。ところで、僕らがこんなに素晴らしいお屋敷に呼ばれた理由を軽く知りたいのですが、単に人手不足だからということではありませんよね」

「ええ、その通りですわ。私はそちらのマレーさんと親交がありますの。交易や使用人たちとの付き合い方等々、それこそ何から何に至るまで、あの偉大なマダムに助言を頂きまして、今まで何度も力になってくれましたわ」 

「なるほど! マレーは古都を知り尽くしている人ですから、エリーさんと面識があるのも頷けます」

「ええ、あの方ほど顔の広い人はおりません。それでこちらの話ですが……半年ほど前まで働いていた使用人が三人も辞めてしまいまして、同時期に入った者たちだったのですけれど、もう皆さん30歳にも差し掛かるということで、新たな人生を歩みたいというようなことで、10年以上続けていた使用人を辞めて旅立ってしまったの。それからというもの、辺ぴな森の中にある屋敷には人も呼びづらく、良いお方も見つからず、私と残っている使用人たちで何とか頑張っているのですわ」

 エリーは、おっとりと丁寧に話した。

「事情は飲み込めました。彼らはとても使える子供たちですから、どうぞどんどん仕事を与えてやって下さい――では、僕はこれで。みんな、頑張って働くんだぞ!」

 そう言って会釈すると、コリンは館を帰っていった。

 婦人は子供たちの顔を見渡しながら、

「今は十三時です。これから四時間ほど掃除をして貰いますわ。お願いね、パントマ」

 婦人はパントマに知的な笑みと優しい視線を送り居間を後にした。

「では、ついてきて下さい」

 パントマはまず、迷路のように入り組んだ館の中を四人に案内した。

 館は城の一画と遜色ないぐらいの広さがあって、麦畑の近くにあるビール工場や、屋敷の勝手口に繋がる木造品の製造所で働く人たちの一部も、この館に住んでいるということだった。

 四人はパントマに従って広々とした居間とその周辺を掃除し、四時間きっかりで居間の掃除を完了させた。晩になると、主人と長男がビール工場から帰ってきて、十四歳の次女も交えてクーパー一家と共に食事にありついた。

 それから一週間ほどかけて、広い館の掃除、点検、炊事の手伝いなどをした。ニハマチはある日、壁を濡れたぞうきんで拭いていると、そこに不思議な違和感を見つけた。

 一階にある物置部屋の隣の客室は、滅多に使われることのない、普段掃除される機会もないという空き部屋だった。ニハマチが拭いている壁は物置側にあり、側にはタンスがあった。

(色が違う……? というより、風化しているんだ)

 彼が凝視する壁にはうっすらと境界線で色が分かれたところがあって、それはタンスに隠れているところまで続いているらしかった。

 ニハマチはタンスを壁からどかし、部屋の掃除をしっかり終わらせてから、それを注意深く観察した。

(やっぱり、この四角い部分だけ色が違う。材質は同じようだけど、何でだろう? 家具が壁を擦っただけでこうはならないはずだ)

 それは白色の石壁だったが、ニハマチが注視している部分は真四角の領域がごくわずかにくすんだ色になっていて、その部分だけ風化していることを示唆していた。続いて、こんなにくっきりと四角いのはおかしい、と彼は考えた。

(昔、何か別の大きな物を置いていたのだろうか? ……いや、人が触れていなければこうはならない。それに、相当の年季が入っている――あっ、壁が薄い。ちょっとだけ周りより削られているんだ。やっぱり、何百回、何千回も人の手がこの壁に触れ続けたんだろう。でも、なぜ……?)

 彼はふと、森で読んだ本を思い出した。それは冒険小説や遺跡探検の紀行で、城などの大きな建物ではよく隠し部屋というものが登場した。

 ニハマチは躍起になって、どうにかしてこの壁を動かせないものかと奮闘した。白い壁は、形の違う四角い石が組み合わさって出来ている。その一ブロックの石ごとに押したり、横に力を入れてみたりするが、そう上手くいく気配はない。

 しかし、粘り強い気性の彼が諦めずにブロックを思いきり押していると、石が奥に押し込まれるような手ごたえがあった。

(部屋の間にある壁に空間があるはずはない。内側に何かがありそうだ)

 気になったニハマチは隣の物置に入って、壁の反対側を確認してみた。壁際に物は無く、のっぺりとした石の壁がそこにあるだけだ。また向こうの部屋に戻り、次はまた物置に行ってを反復すると、廊下でその壁にあたる部分を見詰めながら思った。

(壁が分厚い。物置が広い部屋だから気付きにくかったけど、普通の壁の三倍以上はあるぞ)

 脱兎の速さで客室に戻り、また壁に手を押し当てる。

(子供の俺じゃ、いくら全力を込めても動かない。『力』を使おう)

 ニハマチは全身にある力の渦を意識すると、それがゆっくりと手の方へ流れるように操作した。

 途端、皮膚の内側から青白い血管が浮かび上がり、彼の小さくて細い手が引き締まったかと思うと、ずん、と石の一ブロックが壁にめり込んだ。

(よし、いいぞ)

 更に力を入れると石は奥に入っていったが、三分の一はめり込んだかというところでみしりと軋む感触を壁の奥に捉えて、そこで力を入れるのをやめた。

(駄目だ、これ以上は押せない。ここは間違っているんだ)

 次々に違う石を押して遂には全ての石を試し終えたが、期待する反応はなかった。試行錯誤をやめずに順番を決めて押してみたり、同時に二つ押してみる。

(必ず何かがあるはずだ)

 壁の中に奇妙な空洞を感じたニハマチは、そこに隠し部屋のようなものがあることを確信していた。

 そして、同時に押すというのを色々な組み合わせでやっていくうち、手ごたえがあった。彼の頭上の右にある石と腰より左下にある石、それらを押す両手にぐっと力を込めると、石がより奥深くへと沈んでいく。

(半分以上入ったけど、ここでまた止まってしまうな。さらに別の石を押してみようか?) 

 ニハマチは足の裏や爪先や膝を駆使して、さっき一つだけ押した時に他よりも手ごたえがあったように思われた石を試してみた。そして、右手を置いている石よりもっと右上の方に反応のいい石があったのを思い出して、そこに右手を置き直し、左手を右手のあったところへ、左足の靴の裏を左手のあったところへ押し当て、体内の流れを器用に操作した。

 なるべく三つの部位に均等の力が伝わるように強く押し込むと、石は噓のようにするりと壁にめり込んでいく。不意を突かれて壁に顔を衝突し、鼻の頭にじんと痛みが走る。かと思うと、石は勝手に顔から離れ、見れば色の違う領域の石が一斉に奥へと沈んでいた。

 ニハマチは驚きと喜びに満ちた表情で目を輝かせた。壁は独りでに沈んでいくと途中でぴたりと止まり、今度は重々しい音を立てながら右へスライドしていく。そして、壁のあったはずのところにぽっかりと四角い空洞ができて、左下へと降りていく地下階段が厳かに現れた。

「おおっ……!」

 思わず大きな歓喜の声を上げてしまったニハマチは、周囲に人がいないか耳をそばだてた。彼は気配のなさそうなことを確認してから階段へ足を踏み出して、ふとそこで思い留まった。

(地下へ行っている間に誰か来たらまずい)

 そう思ったところで、表情に焦りが浮かぶ。

(……これ、どうやって戻すんだろう)

 階段が現れたのはいいものの、元の壁に戻す手段がさっぱり分からない。壁が動いたとき、どうやら普通ではない力が働いていたことにニハマチは気付いていた。

(壁の中に「力」を感じた。俺の体の中にこれがあるように。操作できるだろうか……難しい、てんで分からないや)

 ニハマチは森での修行の日々を思い出したが、この壁の中に流れているものほど複雑な操作をしたことはなかった。

 壁を戻すことは一旦諦め、タンスを元の位置からずらして隠す。階段が現れるまでに一時間以上経ってしまっている。

「よし、また明日にしよう」

 翌日、朝食を終えてからいつもの日課で居間へ集合し、分担を決めたあと、ニハマチは真っ先に件の部屋へ向かった。

 タンスを素早くどかすと、なるべく音を立てないように気を付けて階段を下りていく。闇をランプで照らしながら進んでいくと、埃っぽさと湿気、そして微かな刺激臭がニハマチを迎えた。階段を下りるとすぐに地下の一室になっており、地下空間だけあって一室にしては相当な広さがあった。

 部屋には作業台らしき机が十分な間隔を持って六つあり、そこらじゅうに樽のような木組みの容器が散乱し、壁際にきっちりと置いてあるものもあれば床に転がっているものもあった。それらはどれも風化していて、更に、机の上は用途不明のがらくたでごった返している。

(何百年も前に使っていた部屋のような気がする。何をしていたんだろう)

 机にあるがらくたのほとんどが何かの道具で、注ぎ口の付いたガラスの容器や錆びた刃物まであった。ニハマチは面白いものが見つかりはしないかと部屋を隈なく探した。すると、古ぼけて茶色になった紙がいくつも床や机の上に見つかった。紙には図や文字が書き付けてあるが、文字は記号じみていて、読めるものではない。

(知らない字……古い言語か?)

 別の紙を見てみたり、また隠し部屋が無いか調べてみたりしたが、特に目ぼしいものはなかった。ニハマチは早々に探索を止めることにした。

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