第4話 真相
餃子耳は特殊公務災害も認められて退職すると実家のある関西に戻り、道場に隣接する住居に母親及び義父と夫婦四人での新たな生活を始め、来春には待望の子供が生まれるとの吉報が齎された。
私も既に常連の域に達している歌舞伎町にある御用達の喫茶店で理事長宛の手紙をSと一緒に見せて貰った。
「終わり良ければ全て良しと胸を張れる大団円に終わりましたが、私にも真相を教えて下さい」と理事長に懇願すると
「舞台は役者や裏方よりも観客として純粋に楽しむ方が良いと思うが、君の意見は」とSに水を向けると
「理事長の叱責を受けているのを見て、我慢しきれずに真相を話そうとして、理事長にガラス越しに×を出された時から気持ちは全く変わりません」と断言したので
「あの段階では、私のことを信じるに足りないと理事長は考えていらっしゃったのですか」と質問すると
「三か月間も二人だけで内偵を続けていたのに、信頼して下さいとは随分と虫の良い話です」と切って捨てられたので、二の句を継ぐことも出来なかった。
「それだけではありません、あの時点で真相を知っていたら、組織と個人の柵で却って辛い思いをしていた筈です」と打って変わって穏やかに
「現時点では二人の意見が一致しているのであれば、仕方がありません」と言って説明を始めた。
公安委員会の苦情申出制度による監察官の査察対象にはなっていなかったが、要注意人物として名前が挙がっており、部長も対応に苦慮していた。
派出所勤務の頃は、真面目だった夫が念願のマル暴に配属されるや否や、身形や生活振りが激変したことに奥さんが心を痛めて、何よりも心配していた。
餃子耳に纏わる二つの相談を受けた理事長は、先代の秘蔵っ子であり、謎の転落死をした昔気質で筋の通った最後の博徒に肩入れをしており、金の力だけで増長する縁なし眼鏡のことは、悪評が数多く届いており、苦々しく思っていた。
「骨董市を通じて親しくなったSから新規公開株を巡る不穏な噂を聞いて、計画の青写真が出来上がった」と事件の背景について説明してくれた。
「リストはSが作成したのですか」と気になっていたことを尋ねると
「個人情報の漏洩は過敏になっており、六十名も持ち出すことは不可能です」とSが否定すると
「総元締めの専横に不満を持っていた片腕の離反から手に入れた内部資料です」と理事長が情報元を明らかにした。
「餃子耳が私達二人の動向を監視していたのは、何故でしょうか」と再度尋ねると
「申し訳ありません、池袋の喫茶店に年配の店長と女性従業員も捜査協力者であり、餃子耳に情報を逐次提供していました」とSが申し訳なさそうに答えた。
内偵後に餃子耳が矢鱈に私に噛み付く理由もこれで明らかなった。
「頭が混乱して、何もかもが信じられなくなってしまいそうだ、失踪中は何処に居たのですか」とSを詰問すると
「Sを責めるのはお門違いだ、私の指示に基づき、ヤクザマンションにある理事会の共有部分で密かに生活しており、不自由且つ負担を掛けてしまった」と理事長が代わりに答えた。
「情報漏洩の事実がないのだから、姿を消す必要も最初からないでしょう」と食い下がると
「証券の調査によって、情報漏洩の事実はありませんでしたとなると何かと辻褄が合わなくなってしまうので、姿を消して貰う必要がありました」と議論を打ち切るように宣言した。
「一言だけ付け加えさせて頂きますが、途中で何度も秘密を共有したいと理事長にお願いしましたが、今となっては正解だったと確信しています」と控えめなSが珍しく強弁した。
強制捜査の前日に味わった罪悪感と孤独感を思い返すと秘密を共有すべきでなかったことは明白だった。
「理事長、本当に申し訳ありません」と深々と頭を下げると
「謝る相手を間違えているよ」と厳かに言うので、慌ててSの方を向くと、×のサインを示して
「理解して貰えて良かった、これからもよろしくお願いします」と握手を求めたので、渾身の力で握り返した。
餃子耳と縁なし眼鏡は象徴的な存在であったが、理事長の狙いは個人ではなく、組織及び制度の問題が主眼であった。
「餃子耳にとって躓きの石となったのは、暴対法及び警察の裏金問題であり、大多数の警察官は狡賢く立ち振る舞ったが、実際問題としてはどうだろうか」と理事長は、私達二人が答えを出すように問い掛けた。
暴力を肯定はしないが、暴対法で暴力団を徹底的に締め上げたことによって、外国人犯罪や半グレが勢力を拡大したことで、犯罪が地下に潜伏して補足出来なくなり、国際的な薬物や金塊の密輸が横行して凶悪化の一途を辿っている。
裏金問題については、幹部によるお手盛りであり、現場を担う警察官にとっては負担以外の何物でもなく、士気の低下は当然の帰結であろう。
「餃子耳が入門した義父は指導者として、本来あるべき姿だろうが、実際には名門校の監督のように勝利至上主義や根性論が蔓延しているだけでなく、金銭に纏わる噂も後を絶たない、一握りの成功者でなく、多くの挫折者の人生にこそ寄り添うべきではないだろうか」と理事長は、私達二人に対して同様に語り掛けた。
スポーツは健康的な筈であるが、行き過ぎた商業主義によって、競技団体幹部による不正、指導者のパワーハラスメントや競技者のドーピング等が頻発しており、夢と感動を与える存在として、岐路に立たされており、原点に立ち戻るべきである。
これらの悪弊に対して、身を持って経験しているのが餃子耳であり、だからこそ理事長は名門校の再建を餃子耳の手に託したのであろう。
「縁なし眼鏡にとって力の源泉こそ、豊富な資金力であり、彼にとって追い風となったのが、皮肉なことに暴対法であり、表裏一体の両輪であった非合法と合法の二派であったが、次第に武闘派よりも経済派が有利な状況になっていった」と裏事情を説明した。
餃子耳の処分を教唆された男のように汚れ仕事や資金回収のように走狗として扱き使われて、利用されるしか生きる残る術がなくなってしまった。
「利息制限法によって、サラ金が淘汰されてしまい、闇金が跋扈する表裏一体として、個人情報保護法がある」と示唆した。
利息制限法は債務者を救済するのが趣旨であるが、多重債務者が正規業者で借入が出来なくなり、地下に潜ってしまった。
個人情報保護法も個人情報の悪用を防止するのが趣旨であるが、自治会や同窓会等の活動が制限されてしまい
「大都会隣は何をする人ぞ」を実現してしまった。
「三十億円収奪事件の被害者も時代の徒花であり、雨後の竹の子のように模倣犯が出て来ないように牽制する意味もあった」と事件の趣旨について説明した。
「安全安心を維持するのは市民にとって当然の務めだから」と言って、一切の捜査協力費を拒否する理由として
「お上意識が連綿と続いており、目付=監察、奉行=検察、同心=警察、岡っ引き=捜査協力者の構図が続いており、利害得失に絡んで行動しない矜持です」と断言した。
片親であるが為、進学や就職で辛酸を舐め尽くした理事長は二十代前半の成績で人生が決まる官僚制度に批判的もあったが、枠組みを超えて部長を初めとする幹部との交際を続けていた。
次世代を担う若者の代表として、部長に相談を持ち掛けて、私とSを引き合わせてくれたのだった。
「これだけ説明すれば、納得して頂けたかな」と理事長が私に確認すると
「最後に一つだけ、質問させて下さい」とSが私に断って
「傷口に塩を擦り込むようで、申し訳ありませんが、教育実習先で出会った少年の死について教えて下さい」と有無を言わさず畳み掛けた。
東京近郊の小学校に教育実習に行くとクラスに馴染むことの出来ない関西弁の少年がいた。
父親が夜勤明けの帰宅途中に飲酒運転のトラックに轢き逃げされて亡くなってしまったたので、母親の実家に転校して来たばかりだった。
最初の自己紹介で
「将来は正義の味方であるフケイさんになりたいです」と熱く語ったが、大阪出身の彼は大阪府警を頭に描いていたのだが、1999年の男女雇用機会均等法以前の女性警察官呼称であった婦人警察官の蔑称である婦警と勘違いされ、冷やかされたことで自尊心を気付付けられて、心を閉じてしまったと担任から聞いた。
「孤独だったのでしょう、私には最初から甘えて職員室にも頻繁に訪ねて来ました」と思い出しながら
「ある日、通学路にガードレールが無くて危ない場所があると指摘するので、登下校には黄色い旗を持って、私が誘導をしていました」と目を落とすと
「教育実習終了後、彼は私に代わって下級生の誘導をしていましたが、恐れていたように暴走車が小学生数名を薙ぎ倒し、逃げ遅れた彼は心肺停止のまま息を引き取り、重軽傷者を多数出す大惨事となってしまいました」と涙を浮かべて
「職務検問を振り切ったばかりの麻薬中毒者でした、教員に業務を引き継がなかった私の責任です」と肩を落とした。
告別式で母親に謝罪すると
「先生頭を上げて下さい、東京に来てあんなに嬉しそうな顔はありませんでした、私に心配を掛けないように黙っていましたが、寂しかったのでしょう、大阪ではヤンチャな子でしたから」と声を詰まらせながら
「親の欲目かも知れませんが、優しい子でした、先生と会ってからは毎日楽しそうに目を輝かせて、学校に行っていました、本当にありがとうございました」と反対にお礼を言われました。
「私は彼の夢を奪った理不尽と戦う為、その時に初めて、警察官になることを決意しました」と背筋を伸ばした。
「辛い話を思い出させてしまい、申し訳ありません」と声を搾り出すと
「ありがとうございます、これからもよろしくお願いします」と先程とは明らかに異なり、心の籠った握手を求められた。
「これで納得して貰えましたか」と理事長がSに確認すると
「はい、勿論です、理想通りの人物です」とSは興奮気味に返答した。」
「今までの説明は半分本音で、半分は建前であり」と前置きをして語り始めた。
金銭の授受は断じてなかったものの、岡っ引きである博徒や的屋等の裏社会に通じた人物による旧態依然の馴れ合い関係の延長線にあった。
再就職先も餃子耳が入社した警備会社やパチンコ業界が地方公務員の受け入れ先で、交通安全協会等の外郭団体が国家公務員は天下り先の定番になっている。
縦割り行政とそれに伴う縄張り意識の弊害により、効率性が損なわれるだけでなく、安全が脅かされている。
具体的には組織暴力対策部では麻薬関連で厚生省の通称麻取、外国人関連でも法務省の通称入管と協力でなく対立構造で鎬を削っており、警察庁内部でも都道府県で異なる為、遺失物だけでなく徘徊改めひとり歩き老人の身元不明者が続出する有様である。
「このような問題を内と外から変革する提案をSから相談されて、手始めに動き出したのが真相です」と理事長が説明した。
恥ずかしい話だが、理事長の傀儡であると判断していたが、実際には首謀者だった。
「新規公開株も本当は川下でなく、川上に狙いを定めたかったが、理事長は信頼出来る内部の人間と信頼関係を築く為、実績が必要だと諭してくれました」とSは声を弾ませて
「犯罪の発生を未然に防止することは、理事長の提唱する「安全安心を維持するのは市民にとって当然の務め」であり、地域社会を見守ることで、初めて正直者が報われる社会を実現すること出来ます」とSは目を輝かせて語った。
リストの作成がSでないと聞いた時、理事長の傀儡と侮ってしまったが、実際には構想を描いて理事長を動かしたのだった。
「二人とも紛れもなく掛替えのない同志です、餃子耳を関西支部長に任命する」と理事長が宣言したことの理由も明らかになった。
「舞台は役者や裏方よりも観客として純粋に楽しむ方が良いと思うが、君の意見は」と理事長はSに尋ねたことも納得出来た。
Sが書いた脚本を理事長が監督し、私と餃子耳は主演若しくは助演俳優であり、観客ではなかった。
この事実を突き付けられても不愉快な気持ちは全く起こらず、寧ろ日進月歩で高度化する犯罪に対して、警察が対応出来ずに翻弄されている忸怩たる思いがあった。
具体的には特殊詐欺は知能犯を取り扱う刑事部第二課の所管であるが、背後関係には暴力団の影が付き纏うので、組織犯罪対策部も関わるが、特にハッカー等の専門知識を持った警察は限られており、圧倒的に供給不足となっている。
前時代的な同心と岡っ引きのような上下関係ではなく、専門知識を持つ民間人の協力を仰がなければ行き詰っており、対等若しくは遜って教えを乞う必要さえある。
新規公開株だけでも私には未知の世界であり、Sの説明なしには理解することは到底出来なかった。
何処の管轄であるか、誰の手柄であるかではなく、犯罪を摘発することが目的であり、未然に防止出来れば尚更良いことは言うまでもない。
個人の能力は些細なものであるが、何もせずに手を拱いて組織に埋没するのではなく、積極的に行動することで賛同者及び協力者の輪が拡がり巨大な力を発揮することを改めて、実感することが出来た。
行動を起こす、それ以外の選択肢はない。
私刑執行人 糸田三工 @itodathank
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