第3話 捜索

捜査の進捗によって、入口こそ違法ではないものの特殊詐欺も手掛ける知能犯から暴力団が収奪したという構図が明らかになると被害者への同情も薄れ、甚だ士気の上がらぬ停滞感が漂っていた。


拠点を管轄する警察署から捜査会議への出席者も目に見えて減少していた。


そのような弛緩した状況を打破する意味でも理事長によるSの捜索届は絶好の起爆剤となった。


後々のことを考慮してSが組織犯罪対策部の捜査協力者であることも隠し立てせずに開示したことにより、若干の反発もあったが、誘拐事件における報道協定と同様の措置であること及びSの在籍する証券を担当する経済犯罪を取り扱う刑事部捜査二課や拠点を重点的に洗った警察署にも花を持たせた配慮の賜物でもあった。


さらに暴力団事務所が集積するヤクザマンションへの強制捜査が実施されることで、其々の部門による思惑が交錯しており、熱気が上がって当然の状況であった。




餃子耳は他の追随を許さない柔道経験と屈強な身体を活かして、先遣隊及び重点箇所への遊撃隊に任命された。


実質的に一番乗りと自由行動が確約されているので、許される筈もない無謀な試みであるSの身柄確保を最優先に考えて行動し、危険を顧みずに実現することが自分の責務であると密かに誓っていた。


私は拠点のある警察署からの応援による混成部隊である十数名を率いて、突撃を指揮する重責をこの大舞台において、初めて担うことになった。


理事長は私に一つだけ嘘を言っており、餃子耳が公安委員会の苦情申出制度による監察官の査察対象には現時点ではなっておらず、要注意人物として名前が挙がっているだけだった。




「決行は翌日の早朝、集合は六時、飲酒その他捜査に支障を来す行動以外は各人の自由とする、解散」熱気によって固体から直接昇華するように各人が思い思いの場所へと飛び去った。


「珍しく早い時間に何かあったの」と妻が訝しそうに尋ねるので


「腹が減っているので飯にしてくれ」と不機嫌に答えた。


「秋刀魚の開きとお肉屋さんのコロッケしかないけど大丈夫」と妻が顔色を窺うように尋ねるので


「小さい時分からの好物だ」と吐き捨てるように答えると


「良かった、昔と変わらなくて」と満面の笑みを返してくれた。


「しょうもない小芝居に付き合わせるな」と照れ隠しで怒鳴ったが、何気ない幸せを噛み締めていた。




重圧に押し潰されそうな不安を抱えて、私は思わず理事長に連絡をすると


「こちらからお願いしたいことがあったので、ちょうど良かった」と前置きをして


「ヤクザマンションの管理人室で待っているので、今から来て下さい」と事もなげに言った。


強制捜査の前日に大胆不敵な行動ではあるが、事前準備をしないと不安になってしまう性分である私にとっては大変有り難い申し出であった。


管理人室では防災及び防犯対策の資料を閲覧させてくれただけでなく


「強制捜査開始の三十分後に指定された一室に一隊を率いて突入して下さい、当然部長の了解を得ています」と声を潜めているが、有無を言わせない口調であった。


無言で頷いて同意するしか私には選択肢がなかった。




風呂から上がると気を引き締めて


「俺は捜査情報を暴力団に漏洩していた」と正直に話すと


「身形や生活振りから薄々感付いていました」と落ち着いて答えたので


「以前は持ちつ持たれつである意味当たり前とする風潮もあったが、暴対法施行以降の流れを俺は完全に見誤ってしまった」と頭を下げたが


「言い訳は格好悪いよ、誰よりも稽古熱心で仲間思いのあなたが好きだった」と号泣したので


「俺の身勝手で罪もない人を巻き込んでしまった、命に代えても救出するつもりだ、入籍はしていないので、俺のことは忘れて幸せになってくれ」と切り出すと


「無事に戻って来て、逃げるのでなく罪を償うことこそ本当の勇気です、何があっても一緒に付いて行きます」と言って一歩も譲らなかった。


派出所勤務の頃は四交代制で不規則ながらも二人で向き合って今日のように食事をしながら他愛もない話をしていたが、念願のマル暴に配属されると


「夜の街で遊びながら情報交換するのも仕事だ」と昔堅気の先輩から言われ、最初は違和感を覚えたものの徐々に染まってしまい、裏金問題と暴対法の施行で潮目が変わっても一人取り残されていた。


朝帰りや深酒を責められることはなかったが、次第に妻との会話もなくなり、擦れ違いの生活が続き、最終的には目を合わせることさえ避けていた、寧ろ恐れていたのかもしれない。


麻薬や風俗営業に関する捜査情報を漏洩することも従来の慣行であり、罪の意識が薄れて当事者意識を失っていたが、坊やが警察に入った原因となった少年を殺したのも同然だと今更ながら自分の所業を恥じ入る思いに苛まれた。




出発時間になったので、身支度を整えていると後ろから妻が


「絶対に無事に帰って来ると約束して」と強く迫ったが、未練を振り切るように振り返らなかった。


こんな時に気休めや気の利いた科白を言える俺なら、このような苦境には陥っていなかっただろう。




時候の挨拶や訓示等は抜きで作戦概要だけ説明を受けると其々の所属によって編成された班単位で特殊車両に分乗して、一路ヤクザマンションを目指す手筈となっている。


私は若輩ながら混成部隊を率いるので、小部屋に集まって顔合わせをして、装備一式の点検と役割分担を決めた。


名ばかりの隊長であり、歴戦の強者揃いであったので、細かい指示は抜きにして現場対応として、一団となって出発した。




俺は誰とも口を利きたくなかったので、煙草部屋へ足を向けたその時


「先日は多忙で面談出来なくて申し訳なかった」と捜査本部長を兼任する部長が俺の背中を軽く叩いた。


その刹那に険しい眼差しで


「先遣隊も遊撃隊共に重要な役割なので、期待している、無謀な真似だけはするな」と穏やかな表情となり


「緊張を解しに来たのに野暮なことを言ってすまんな」と今度は背中を強く叩いた。


「期待に沿えるよう、鋭意努力します」と最敬礼で別れた。




午前八時、普段のガサ入れであれば、捜査情報の漏洩により、踏み込む段階で散発的な小競り合いが見られるが、今回ばかりは一切の混乱もなく、整然と大集団が続々とヤクザマンションに飲み込まれていった。


管理人室で捜査令状を示すと愛想の良い管理人が管理組合の名簿を提出して


「理事長には一報だけいれても大丈夫ですか」と責任を負いたくない抜け目なさを発揮した。


すぐに駆け付けた理事長は


「捜査令状もあるので、必要な協力は惜しまないようお願いします」とだけ言い残してから行動を開始した。


管理人の無責任によって呼び出されたことで、凡そ十分程度の時間を費消してしまったことで、初っ端から計画変更を余儀なくされてしまった。




「先遣隊は管理組合の名簿からマル暴の事務所と考えられる部屋を手分けして当たれ」と言い終えるや否や、俺は全速力で一室だけを目指した。


自分が蒔いた種によって、罪のない捜査協力者が行方不明となっており、自分自身の手で刈り取るには、直談判するしかないと腹を括っていた。


突入するや否や


「行方不明の捜査協力者は何処に隠しているんや」と縁なし眼鏡に激しく詰め寄ると


「手荒な真似は止めて下さい、何のことだか私には全く理解出来ません」と縁なし眼鏡は、落ち着いて答えた。


「五分前にヤクザマンションに強制捜査が開始された」と手短に事情を説明すると


「思っていたよりも早くなりましたが、例の作戦を実行しろ」と周囲を促すと拳銃を手にした男が


「何の恨みもないが、申し訳ないけど首謀者として死んで頂きます」と言って、拳銃を餃子耳の蟀谷に押し付けた。




管理人の呼び出しにより、十分遅れで理事長がSを連れて現れた。


「無駄な抵抗は止めて、拳銃を捨てろ」と一喝するや否や、餃子耳の蟀谷周辺の冷たい異物が取り除かれて床に転がった。


旧態依然の体質で経済的にも困窮していたので


「餃子耳を処分して、二人で共謀したが仲間割れで殺害した罪を被ることで悪いようにはしない」という甘い言葉に心が傾きかけていたが、理事長に逆らう無謀だけは本能的に感じ取った。


餃子耳はSの元に駆け寄り


「ご無事で何よりでした、理事長にも大変ご迷惑をお掛けしました、洗い浚い話して罪に服する心算です」と晴れやかな顔をして、理事長に話した。


「勝手なことをさせません、拳銃を拾って全員始末して下さい」と縁なし眼鏡が、男に促したが


「冷静になれ、強制捜査の真っ只中にいることを忘れるな」と一顧だにされないので、金の力だけを過信していた縁なし眼鏡は、臆病者の本性を剥き出しにして、拳銃を拾い上げると銃把で男を殴り、昏倒させると餃子耳を狙って銃爪を弾いた。


使い慣れていないので、反動によって銃口が微妙に撥ね上がったことで、大きく頭上に逸れた。


「冷静さを見失っているので、一先ず退散しましょう」と扉の方を目指すと二発目は扉に命中した。


狂ったように餃子耳は銃口を目指すように突進した。


「無謀な真似はよしなさい」と理事長が静止するのにも耳を貸さなかった。




一団を率いて私が到着した時には、時既に遅く、目の前で起こっている事態を止める手段は何一つ残っていなかった。


三発目が餃子耳の肩口に命中して鮮血が飛び散ったが、怯むことなく縁なし眼鏡の襟首を掴んだ瞬間、至近距離から四発目の銃弾が餃子耳の胸部に命中した。


衝撃で後方に倒れる力を利用して、渾身の巴投げで縁なし眼鏡を仕留めたが、大の字に倒れたまま身動き一つしなかった。


「救急隊を至急要請して下さい」と指示すると、この部屋で為すべきことは最早何もないと悟ったので


「私一人で残りますので、指揮権はあなたに委譲します」と予め決めていた副隊長に後事を託した。


救急隊が到着して、止血処理だけ施してから餃子耳の巨体は二人係りで担架に乗せられて搬出された。


「想定外の出来事として、一つ目は餃子耳が直談判をしたことで、二つ目は管理人室に呼び出されてしまい初動が遅れてしまったことで、三つ目は追い詰められて自暴自棄になってしまったことであり、不運が重なってしまったが、何れにしても全ては私の責任だ」と理事長は沈痛な面持ちで搾り出すように語った。


強制捜査は午前中には完結し、三十億円収奪事件の解決のみならず、特殊詐欺や銃器及び違法薬物の摘発だけでなく、賭場開帳、風営法違反、不法就労等多岐に亘る成果を得ることが出来たので、組織犯罪対策部にとって面目躍如この上なかった。




作戦終了後、再びヤクザマンションを訪問して理事長と共に餃子耳が緊急搬送された病院へ向かった。


集中治療室には妻と談笑している餃子耳の姿があった。


狐に撮まれたように自分の目を疑ったが、頭部及び銃撃を受けた左肩こそ包帯で覆われていたが、最後の銃弾の痕跡は見当たらなかった。


不思議に思い率直に尋ねると


「俺の不祥事によって深刻な事態を招いてしまい、死に場所を探していたが、妻の助言で心が揺れていた時、部長は俺が防弾チョッキを着用していないことを叱責してくれたので、左肩と後方に倒れた際に軽い脳挫傷で済んだ」と経緯を説明すると


「懲戒解雇は止むを得まい、下手すると懲役の可能性もあるが、生きて帰れたことを喜んでいる」と淡々と述べた。


「私の手違いで危険な目に合わせて、申し訳ない」と理事長が頭を下げると


「理事長、どうか頭を上げて下さい、全て自分の不徳の致す処です、金や勝敗ばかりを追い掛けて、本当の幸せに気が付かずに逃していたことに漸く気が付きました」と吹っ切れたように語った。


「ここにいる人間限りだが、情報漏洩に関しては警察の不祥事でもあり、不当に問われることを部長にも確認した、恐らく誰も供述をしないだろう、万が一縁なし眼鏡が自分可愛さに供述した場合も四発も銃撃した容疑者の戯言として、無視されることが予想されるので、採用されることは十中八九ないでしょう」と理事長が事もなげに話すと


「有り難い配慮ですが、自分の矜持が許しません、退職の意志は変わりません、それに心底死ぬことが怖くなりました」と餃子耳が強弁すると


「柵もあり、それが賢明な考えですが、依願退職であれば、退職金も満額支給されるので、第二の生活にとっても望ましいだろう、他にも借金があるだろう」と詰問すると


「お察しの通りです、ご配慮ありがとうございます」と頭を下げた。




「柔道選手が多数所属する警備会社の関西支社への再就職と一つ頼まれごとをお願いしたいのだが」と理事長が提案すると


「重ね重ねのありがとうございます、自分の出来ることであれば粉骨砕身させて頂きます」と背筋を伸ばして答えると


「出身校である名門柔道部が体罰の常習化によって廃部の危機に晒されていることは承知しているだろう、再建を担う監督を引き受けてくれないか」と畳み掛けるように提案した。


西高東低であった柔道界も近年は特待生制度による弊害で東京一強の様相が顕著となっており、箱根駅伝の存在による陸上界と同様に選手層の問題及び競技人口の低迷に喘いでいた。


「父の道場も厳しい状況なので、夫婦で梃入れをしましょうよ」と何時になく妻も声を弾ませた。




小学校から入門する者も多数いたが、俺の入門は中学二年生と遅く、巨体を持て余して喧嘩に明け暮れる毎日を危惧した母親が義父の道場に無理矢理入門させたことが切っ掛けであった。


腹這いや蟹歩きといった基礎だけでなく、打ち込み稽古も人の三倍を日課として熟し、中学時代は無名ながらも将来性を買われて、名門校に入学することが出来た。


義父の教えは徹底して礼に始まり、礼に終わるであり、心技体の充足を訴え、相手に勝つのではなく、自分に克つこと、究極的には柔道を通した人格形成を重視していた。


名門校は打って変わって、勝利至上主義の根性論が罷り通り、俺もドップリ浸かってしまい、道場にも次第に顔を出さなくなってしまった。




「汚れてしまった俺を先生は、今更受け入れてくれるだろうか」と弱音を吐くと


「父は自慢の弟子だと今でも胸を張っています」と妻は自信を持って答えた。


「理事長、本当に俺なんかで良いのでしょうか」と念を押すと


「挫折の経験が貴重です、今回改めて適任であると確信しました、期待しています」と太鼓判を押してくれた。


「道場の名札には師範代として掲示されており、父もあなたの帰りを心から待っています」と妻は感涙に浸っていた。


理事長の前では付け焼刃の共通語で話す餃子耳が少し可笑しかったが、それにも増して餃子耳の顔に生気が漲っていくことに心を動かされていた。


「おい坊や、陰では俺のことを餃子耳と呼んでいるそうだな」と私の心を見透かすように恫喝したので


「申し訳ありません」と素直に謝ると


「謝ることはない、俺の勲章だ」と胸を張って断言した。


「俺にはなれなかった子供が憧れる警察官になってくれ」と後事を託すように握手を求められた。


「理事長、約束の証人になって下さい」と餃子耳が、依頼すると


「二人とも紛れもなく掛替えのない同志です、餃子耳を関西支部長に任命する」と穏やかに宣言すると


「一度は死んだこの身体です、安心安全を維持する市民として当然の務めを担い続けさせて頂きます」と最敬礼を取って、高らかに誓いを立てた。

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