第三章:浸食
翌日、実験室の空気は前夜の緊張感から解放され、静かな落ち着きを取り戻していた。
ヴィクトールは期待と興奮に胸を膨らませながら、再び装置を起動する準備をした。
前夜の出来事は、彼の科学者としての論理的思考と、哲学的探求における意識の拡張とを統合する、画期的な瞬間であった。
彼は再び、異なる宇宙間の交差を経験し、さらなる知識を得ることを望んでいた。
しかし、装置を起動しても、空間は歪まず、光は現れず、静寂がただただ広がるのみだった。
繰り返し試みても、前夜のような現象は一切起こらなかった。
彼の理論に基づいて計算された条件はすべて満たされているはずだったが、何の変化も起きなかった。
ヴィクトールは、混乱と失望を感じながらも、その意味を理解しようと論理と直観を働かせた。
彼の科学的な理解は、観測されない現象は存在しないと断言するが、哲学的な探求は、観測されない現象こそが真実を隠している可能性を示唆していた。
彼は理解した。
彼の前に現れたもう一人のヴィクトールは、彼が家族との時間を選んだ別の宇宙からの訪問者ではなかった。
それは、彼の望む理想的な自己像の投影であり、彼自身の存在と選択の深い部分から生じた幻影だったのだ。
この認識は、彼にとって衝撃的なものだった。
彼は、自らの内面と外界との関係に新たな洞察を得た。
宇宙は彼の観測に依存するものではなく、彼の内面の状態が彼の現実を形作るという、量子力学の観測者効果と類似した結論に至ったのである。
彼は、自分の心の中に閉じ込められた後悔が、彼の実験に影響を与え、その結果を左右しているという事実に直面した。
ヴィクトールは、装置のスイッチを切り、実験結果の記録を静かに眺めながら、彼の科学的探求が彼自身の内面と密接に結びついていることを受け入れた。
彼は、自分の過去の選択が現在の自己を形作り、その自己が未来の選択を決定するという、時間と存在の連続性に思いを馳せた。
これは、彼の実験が単なる物理現象を超えて、彼自身の生き方と直面する哲学的な問いを提示していることを示していた。
ヴィクトールは、家族の写真を手に取り、深い愛情とともに彼らに語りかけた。
彼の実験は終わったが、彼の内なる旅は新たな意味を帯びて続いていくのであった。
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