第8話 ジョナン、再び逃げる
イケニエ女はゆっくりと家の中に入ってくる。
本日のイケニエ女は真っ赤なプレートアーマーを装着している。動きやすさを重視してか、腕や腰回り、太ももの鎧は外されている。
この赤色になにか意味はあるのか?
……あまり考えないでおこう。
「スライム使い。お前、子連れだったのか」
イケニエ女の顔に広がる動揺の色を、俺は見逃さなかった。
こいつ、意外とこういったパターンに弱い奴か。要は家族持ちを倒せない。そういう思いやりのある奴ってことだ。
それならこの状況を利用しない手はない。
「この子たちは俺の娘だ」
「そうなのか……」
俺の言葉を真に受けて、イケニエ女の殺気が引いていくのが分かる。
いいぞいいぞ。この調子だ。
「そうだ。娘に免じて、このまま見逃してくれ」
イケニエ女の殺気が完全に無くなった!
「違うよ、うち達はおっちゃんの子どもじゃないぜ」
俺は驚いて振り返る。俺の後ろからミルポがひょっこり顔を出している。
声の主はこいつだ、ミルポ。
俺は慌ててイケニエ女を見る。
明らかにイケニエ女の顔が険しくなっている。
「お嬢さん、この男はお嬢さんの父親かい?」
イケニエ女は丁寧な口調でミルポに尋ねる。
「違うよ。だっておっちゃんとは今日会ったばかりだぜ」
ミルポの奴、聞かれたことに反射的に答えている。バカ正直は子どもの美徳とはいえ、ここはもう少し場の空気を読んでくれ。
イケニエ女は再び拳を振り上げた。
この子たちの父親という設定はもう無理だ。違う方法でイケニエ女を説得しなければ。
「確かにこの子たちとは会ったばかりだ。だけどスライムさんを通じて、俺たちは友達になったんだ。俺たちはスライム友達、いわゆるスラ友だ。俺が傷つけば、この子たちが悲しむぞ」
俺は状況を素早く理解し、イケニエ女が攻撃するよりも前に早口でまくし立てた。
イケニエ女は振りかぶった拳を再び下ろした。
「お嬢さん、この男とスラ友というのは本当なのか」
ミルポは俺の顔を見た。
そうだ、いいぞ。
今回は場の空気を察してくれたか。
俺は祈るような気持ちでミルポを見た。
「違うよ、スライムだって今日初めて触ったし、別にそれでおっちゃんと友達になったわけじゃないぜ」
……こいつは何でこんな馬鹿正直なんだ。これだから子どもは嫌いだ。
イケニエ女が再び拳を振り上げる。
こうなりゃ三度目の正直だ。
「やめろ、この子たちが怖がってるだろ。この場で戦うのは止せ」
だがイケニエ女の拳は止まらない。俺に向かって振り下ろされる。
駄目か〜。
目をつむり、そのあとの衝撃に備える。
……何も起こらない。
俺は恐る恐る目を開けた。
目の前におかっぱの女の子がいる。エスティだ。
俺をかばってくれたのか。
イケニエ女は、エスティの前で拳を止めていたのだ。
「おい、エスティ」
そう言って俺はハッとした。エスティの身体が震えている。怖いのを我慢して、俺をかばってくれたのか。
そのエスティの態度は嘘偽りないだろう。
イケニエ女は拳を納め、1歩2歩と後ろに下がった。
「確かにこの子たちの前で戦うのは良くないな。表に出ろ」
なんとかこの場は納められそうだが、結局イケニエ女とは戦うことになるのか。
俺は中折れ帽をおさえた。
諦めかけて表に出ようとした、その時。
バコッ!
壁が壊される衝撃音。
おい、誰だ。俺の家が……。
そして、ゆっくり現れてきたのはヨーコだった。ヨーコは腰から鉄製のムチを取り出すと、イケニエ女に向かって放つ。イケニエ女は避けもせず、ムチに身体をぐるぐる巻きにされる。
ヨーコはムチを
ヨーコの怒りがこちらに伝わってくる。沸騰したヤカンのように、殺気が身体から湧き立っているようだ。
元がきれいなお顔立ちをしているので、怒った顔がさらに怖い。
しかしヨーコの奴、イケニエ女に何をされたのか……。この怒り方は異常だ。
「よくもアタシをトイレに閉じ込めてくれたね」
ヨーコの怒声が部屋中に響く。
えっ、トイレ?
「おかげで大恥をかいちゃったじゃないか!」
「フッ、お前のような
イケニエ女はぐるぐる巻きの状態なのに、妙に格好良く言った。
しかしイケニエ女の奴、ヒドイことをしたものだ。ヨーコが怒るのも無理はない。
このままではヨーコとイケニエ女は戦うだろう。ヨーコの実力は分かっている。イケニエ女にも引けを取らない強さだ。しかもヨーコの怒りはマックス状態だ。
一方のイケニエ女はぐるぐる巻き状態だ。それなのにこの余裕……。口元に笑みまで浮かべちゃっている。
だが俺には分かる。イケニエ女の内面にフツフツと煮えたぎるマグマのような怒りがあることを。それが俺に向いていることを。
怒りを外面に発しているヨーコ。
怒りを内面で熟成させているイケニエ女。
これは二大怪獣の激突だ。
……待てよ。激突はいいが、この二人が戦ったら、周りの被害も物凄いことになるんじゃないか? ここは俺とスライムさんとの憩いの
俺は中折れ帽をおさえた。
「おい、ヨーコ」
俺はヨーコに呼びかけた。
応答なし。
「ヨーコ」「ヨーコってば」「ヨーコさーん」
「うるさいな」
やっと答えてくれた。
「ここで戦うのは危険だ。外で戦ってくれますか?」
「安心しろ、この女は私が止める。お前はさっさとその子たちを連れてここから逃げろ」
「いやそれはいいんですけど。ここで戦って欲しくないんですけど」
「アタシのことは心配するな。お前たちは早く逃げろ」
「いや、だからね。ここで戦って欲しくないんだけど」
「アタシのことは心配するな。早く行け!」
なにか話がかみ合わないんですけど。頭に血が上って、知能レベルも怪獣並みになったか。
「嫌だ、俺は行きたくない。もう見捨てるのは嫌なんだ」
「あら、嬉しいことを言ってくれるね。そんなにアタシのことが心配かい」
うん、ヨーコの奴、嬉しそうだな。
でも、違う、そうじゃない。
「勘違いするなよ、俺が心配なのはスライムさんだ」
「アタシの心配よりスライムさんの心配かい。いいよ、わかったわかった。早く行きな」
「俺はスライムさんを置いて行きたくない」
そうだ、ガーファでの失敗を繰り返すな。
「分からない奴だね。サッサと行きな」
ヨーコの怒りがイケニエ女から俺に向いてくる。
だがここで怯む訳にはいかない。
ガーファでの失敗を繰り返すな。あ、さっきも同じことを思ったな。
「何度も言わせるな。俺は残るぞ」
やったぜ、ヨーコの怒りを俺は跳ね返した。
俺の普段とは違う強硬な態度にびっくりしたのか、ヨーコはまじまじと俺を見る。
そして「フッ」と鼻で笑った。
その態度に、俺はムカッとして、
「何がおかしい」
「いや、ジョナンも言うようになったね。だけど、ここはアタシの言うことを聞いてもらうよ。実はあの二人は『神殺し』だ」
ヨーコから驚きの言葉が発せられた。
「神殺し」
「神殺し」は、文字通り神を殺すほどの実力を備えた者――。最もそんな奴は滅多にいない。
……自慢じゃないが、俺もその「神殺し」の一人だ。
「この二人が『神殺し』なのは本当か」
「嘘じゃないよ。アタシが助けたんだから」
ヨーコがごま塩コンビをチラッと見る。
「この子たちにケガをさせたくないのさ。分かるだろう?」
ウム、ヨーコの言葉は常識人としてもっともな発言だ。
それにしてもこの子たちが神殺し……。この子たちをガーファに連れて行くことが出来れば、俺を含めて神殺しが三人。これならアイオンを助けられるんじゃないか?
どうする。
このままこの二人が戦えば、我が家に被害が及ぶのは必至だ。
しかしイケニエ女からはとりあえず逃げられる。
でもスライムさんと離れるのはどうか。
スライムさんは培養液に入っている。取り出すのには少々時間がかかる。
どうする。
俺にその決断をしろというのか。
「わかった。だが相手はイケニエ女だ。くれぐれもスライムさんたちを傷つけるなよ」
「俺はスライムさんを置いて行きたくはないんだ。分かるよな。スライムさんをよろしく頼むぞ。それから例の場所で合流だ。分かったな」
ヨーコからの返答はない。その代わり早く行けとの無言の圧力。
仕方が無い、無事でいろよ、ノーラ、オーラ。
俺はごま塩コンビを連れて、ヨーコが壊した壁の穴から外に出た。
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