第二章 アルカナ、夜の大脱走

第6話 依頼人、その名はヨーコ

 俺は寒さで目が覚めた。

 身体は川の水で濡れている。

 だいぶ流されたようだ。

 あたりは暗くて現在位置がよくわからない。

 遠くを見ると、明るく輝くガーファの城壁が見える。


 あれから俺はどうなった。城壁から飛び降り、爆風に飛ばされ、お堀の川に飛び込んだ。それから流されてそれから……。


 だめだ。記憶が曖昧あいまいだ。確かなのは、俺は無事逃げられた、ってことだ。


 そうだ、アイオンは?


 俺は身体中を点検した。中折れ帽を取り、レザージャケットを脱ぎ、サファリシャツを脱ぎ、カーキ色のズボンを……脱ぐまでもなかった。


 アイオンはどこにもいない。


 そうか、そうだった。俺がイケニエ女に襲われ、魔神や敵兵士トルーパーに囲まれ、為すすべもなく殺られそうになったところを、アイオンは駆け付けてくれたんだ。


 アイオンはその後どうなった?


 ……。


 俺はアイオンを見捨てて逃げてきたんだ。


 ……ここは態勢を立て直さなければ。

 俺のアジトがある「アルカナ」に戻って残りのスライムさんと合流し、また「ガーファ」に戻って来る。


  待っていてくれ、アイオン。


 カスリーンとルースは熱光線で殺された。

 デラとジュディスは敵兵士トルーパーもろとも熱光線で……。

 キティとジェーンはガレキの下敷き。


 みんなのことは忘れない。




 懐かしのわが街が見えてきた。

 疲労が身体中を食い尽くすようだ。「ガーファ」からわが街「アルカナ」まで断続的だんぞくてき敵兵士トルーパーに襲われている。

 やはりこちらの居場所が判るのか。

 そうとしか思えない。

 ただ不思議なのは、イケニエ女がその中にいないことだ。

 

 俺のことを諦めたのか?

 まさかね……。

 イケニエ女が追ってくることに、俺は確信的な自信を持っていた。


 辺りは薄暗くなり、間もなく本格的な夜の街となる。

 俺は城壁の門が閉まるギリギリのタイミングで街中に滑り込んだ。

 これで敵兵士トルーパーも城壁の中には入れまい。


 城壁を抜けるといきなり大通りに出る。

 まっすぐ進めば神殿が。

 右手には同じような家が連なる住宅街。

 左手にはこれまた同じような家が連なる、でも年季の入った古い住宅街。

 俺は左手に足を向け歩き出す。

 街は錬金術師が作り出した魔光石によって、夜でも石畳いしだたみの道路を明るく照らす。

 やがて道は練金工場、そして飲み屋街へと繋がっていく。


 飲み屋街などは明々あかあかと魔光石が光り輝き、まるで昼間かと思うばかりの明るさだ。

 俺は光さす方ではなく、闇深き方へと疲れた身体を鞭打むちうって歩いた。


 町はずれにやってきた。

 

 へいを巡らせた大豪邸。これぞわが家。

 俺はへいの一角にある小さな扉のカギを開け中に入った。へいの中には大きさはそこそこだがボロ小屋が一軒。


 訂正、このボロ小屋がわが家です。


 この大豪邸がわが家ならなー。

 いつもそう思う。

 この豪邸の庭先を借りているのだ。


 いくらボロ家とはいっても、そこは我が家。俺を待っていてくれる、ノーラ、オーラの顔を思い浮かべた。いや、スライムさんに顔は無いな。

 まあいい。


 会いたい、今すぐに会いたい。会ってプリンプリンとした体の中に埋もれたい。

 いや、駄目だ。俺の居場所は奴らに筒抜けだ。俺が家の中に入れば、奴らが襲ってくる可能性もゼロではない。でもここは城壁の中。敵もここまでは追って来ないだろう。


 でも、もしかしたら襲ってくるかも……。


 ノーラたちを危険な目に合わせるわけにはいかないよな。


 でも……。


 俺はどうしようか必死になって考えた。そして出した結論は……。


「おお、ノーラ、オーラ、会いたかったよ」

 俺はスライムさん飼育部屋、通称「スライムさんの部屋」に入ると、筒型水槽のフタを開け茶色のノーラを出す。そしてノーラにほおずりをした。

「このプリンプリンとした肌触り、最高だ。そしてこのニオイ」

 俺はノーラのニオイを思いっきり吸い込んだ。おひさまの匂いが鼻孔びこういっぱいに広がる。


 オーラの水槽も開けなければ。

 俺は桃色のオーラを水槽から出す。

「おお、オーラ。元気だったか」

 さっそく電気信号を交換する。


 ごめんな、長い間留守にして。



「おお、やだね。気持ち悪いったらありゃしない」

 憩いの時間を邪魔する声。この声には聞き覚えがある。


 女だ。見知った顔だ。俺に取って、女難じょなんとはこの女のことだろう。


 こいつはヨーコ。


 俺に色々な面倒ごと――いや、仕事を紹介してくれるエージェントだ。


 この女はとにかくでかい。

 態度がでかい。胸がでかい。お尻がでかい。

 しかも俺より背もでかい。


 年齢不明、住所不明、経歴不明……。ただ一つ言えることは、この女とはビジネスで繋がっているだけ、ということだ。


「なんだお前、どうやって入った」

「嫌だ、合鍵もらったでしょ」

 隣の部屋から現れたヨーコは、意味ありげに笑った。

「それはお前が契約をたてに、無理やり作ったんだろ」

「でもこうやってアンタに仕事を回してやってるだろ。そうじゃなきゃね……」

 ヨーコはスライムさんに近づいた。

「この可愛い子ちゃんたちも飼っていけないよ」

「仕事を回してくれるのは感謝しているが、今回の仕事はちょっとやばいぜ」

 俺は中折れ帽をおさえた。


「その様子じゃあ、失敗したみたいだね」

「いや、お前の依頼……生贄いけにえの儀式は阻止した。だがイケニエの女に襲われて……このざまだ」

「魔神は? アンタまさか魔神と戦ってないでしょうね」

 魔神との戦いはヨーコの依頼には含まれていない……。


 どう報告したものか。


「魔神と戦った。生贄いけにえの儀式を阻止するには仕方がなかったんだ」

 多少事実とは違うが、これくらいの誤差はあっていいだろう。

「魔神と戦ったのかい? アンタの透明なスライムを使えば、隠密おんみつ生贄いけにえの儀式を阻止できたと思うけどね……」


 ギクリ。やはり鋭い。


「それで? 魔神は倒せたのかい?」

「あと一歩のところで討ちもらした。惜しいな〜。あともうチョットだったのに」

 正直に言えない、男のプライド。


 これが男の弱さか……。


「そのまま魔神を倒してくれれば良かったのに。アンタのスライムたちには、その実力があるよ」

 嬉しいことをおっしゃる。態度がデカイ割に、男のプライドを守ってくれる優しさがこのヨーコにはある。

 

「ああ、分かっているさ。悪いがすぐにでもガーファに向かいたい。金がいる」

「そうなのかい? しょうがないね。ほれ」

 ヨーコから小切手を手渡された。俺は小切手の金額を確認する。


 10万ピアか……。


「もう少し貰いたいところだな。敵兵士トルーパーの数が多いとは聞いていたが、あの魔神は厄介やっかいだ」

「そんなこと言って良いのかい? 渡したお金はアンタの借金になるんだよ」

「なにっ、経費で落ちないのか?」

「当然でしょ。さっきの10万ピアもアンタの借金だからね」

「そんな……こっちはスライムさんを……」

 失った、と言いかけて俺は口をつぐんだ。


 危ない危ない。


 コイツに弱みを見せてはいけない。弱みを見せた途端に報酬を下げられる。

 それにしても、これ以上借金を増やすわけには……。でもアイオンを救う必要がある。


 俺は中折れ帽を取り、髪をかきあげた。


 そうだ、ここは必要経費を精算せいさんして借金をわずかでも減らそう。


「ヨーコさん、ちょっとこれを見てくださいよ」

 俺は着ているレザージャケットを指さした。

「今回の戦いでボロボロになっちゃいました。さらに、イケニエ女に逆恨みされて付きまとわれているんです。ガーファからアルカナまで毎日のように襲われています。これも経費で請求したいんですけど」

 俺はわざとらしく丁寧な口調で言った。

 イケニエ女に毎日襲われてはいないが、少しばかり話をおおげさにしてもよいだろう。


「で、いくらだい?」

 ヨーコが呆れながらも聞いてくる。

 待ってましたとばかりに、

「俺の装備一式、10万」「イケニエ女に襲われた肉体的苦痛と精神的苦痛に、100万」「ガードマン付き豪華VIP用ホテル代、一泊30万」「そのホテル代を七日分」「まあそんなところでしょうかね」


 俺は一気にまくし立てた。


「アンタ、敵に襲われた割には豪華旅行を満喫まんきつしているじゃないか」

 ヨーコがツッコミを入れてくる。

「違うぞ! これは必要経費だ。夜くらいグッスリ寝かせてくれないと、満足に戦えないだろ?」

「はいはい、まあ大変だったね。それじゃあ計算して、と。今回でアンタの借金は20万ルピ増えたね」


 おかしい、借金が増えている。


「なんで借金が増えるんだ」

「アンタ、私にスライムを世話させたでしょ。私の時給は高いんだよ」


 くっ、スライムさんを失った上に、借金を増やしてしまうとは……。


 俺は中折れ帽をおさえた。


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