第4話 スライムさんの価値

 物凄い殺気だ。

 殺気がイケニエ女から俺に向けられる。

 攻撃に備え、俺は身構えた。


 ……。


 様子がおかしい。


 殺気だけは俺に向けて放たれているものの、瞳は閉じられ、口は半開き、身体は前後左右にゆらゆらと揺れている。


 コイツ、意識がないんじゃないか?


 おそらく生贄いけにえとして祭壇に捧げられる前に、眠り薬をがされたのではないか。だからまだ意識がはっきりしないのか。


 イケニエ女の身体が地面に向かって崩れ落ちる。


 危ない!


 俺はイケニエ女を抱きかかえた。


 重い。


 見た目はスラッとしているくせに、重い。どんだけ筋肉があるんだって話だ。


 俺は身体に傷がつかないように、ゆっくりとイケニエ女を地面に横たえた。

 完全に眠りについたのか殺気も無くなり、顔も穏やかな表情になっている。


 俺はとりあえず緊張を解いた。

 その途端、腹の痛みが復活してくる。

 腹を抑えると、出血はどうやら止まったようだ。筋肉が損傷しているだけで、内臓まで傷は達していない。


 この女が噛んだのか。


 こんな綺麗な顔をして、しかもあの朦朧もうろうとした意識の中、サファリシャツの上から俺の腹を噛んだのだ。


 美人だが恐ろしい奴だ。

 このままコイツを置いて立ち去っても良いのではないか?


 俺は辺りを見渡した。神殿での騒ぎのせいか人っ子一人いない。流石さすがガーファシステム。全員屋内避難か。

 確かここは街のメインストリートだろう。そういえばここを通ったことがある。

 そうだ、メインストリートだ。ここに置いておけば、誰かに発見してもらえるだろう。

 いや、見つからない方がいいのか。発見されると再び生贄いけにえになるかもしれない。


 太陽が地平線に沈み始め、辺りが夕焼けに染まる。オレンジ色の空だ。


 オレンジ色……。


 そうだ、アイオン。だいだい色のアイオン。


 アイオンは何処どこに行った。

 こういう時は始末に困る。電気信号で俺の所に戻ってこいと伝えてある。しかしちゃんと合流する場所を伝えておかないと、最悪はぐれてしまう。


 俺はチラッとイケニエ女を見た。


 このままそこに置いて良いものか。

 ちゃんとマントで大切なところは隠してある。


 迷う。


 俺は中折れ帽を取ると髪をかきあげた。

 ……常識人の判断として、イケニエ女の目が覚めるまで待つことにした。


 魔神もこちらに来る気配はない。

 イケニエ女の目が覚めても、事情を話せば分かってくれるだろう。


 俺は中折れ帽をかぶると、イケニエ女の方に歩み寄ろうとした。


 まただ。この殺気。


 まさか?

 イケニエ女がいない。どこに行った?


 俺は中折れ帽をおさえた。

 何かやばい。俺の勘だ。

 俺はとっさの判断でその場にしゃがみ込んだ。


 ヒュッ、と頭上を風が切る音。

 目の前には、イケニエ女。


  俺はしゃがんだ状態から右方向に地面の上を転がる。


 ガンッ!


 イケニエ女の攻撃によって石畳いしだたみが割れる音が聞こえる。


 俺はゴロゴロ転がってイケニエ女から離れる。そして中折れ帽を拾いながら立ち上がる。


 ……!


 俺の前にイケニエ女が立ち塞がる。


 速い! こいつなんてスピードだ。

 あっという間に俺を追い越して前に立つとは。

「お前か、生贄いけにえの儀式を妨害したのは」

 こんな美人さんにすごまれる経験は初めてだ。

「ああ、俺がお前を生贄いけにえの儀式から助けたんだ。感謝しろよな」

 ますますイケニエ女の顔がけわしくなる。


 そんなに怒るなよ。

 せっかくのきれいな顔が台無しだ。


「なんてことをしてくれたんだ」

 次の瞬間、俺はイケニエ女に胸ぐらをつかまれ、グイッと持ち上げられていた。

「なんてことをしてくれたんだ」

 イケニエ女は再び同じ言葉を繰り返す。

「私は神に生贄いけにえとして捧げられることで、人生の最高の終わり方を迎えられるはずだった」

 イケニエ女のこぶしが胸を圧迫する。俺の身体がますます持ち上げられる。


 くっ、苦しい。


「答えろ、なぜ私を助けた」


 くっ、苦しい……。こんな状況で答えられるか。


「なぜだ、答えろ」


 だから答えられないだろうが!


 俺は力を振り絞り、イケニエ女の身体に蹴りを入れる。


 スカッ、と壮絶な空振り。


 イケニエ女は俺を離し後方へ飛び退く。


「痛い!」


 ドスン、と俺はその場で尻餅をつく。


「かわいそうと思って助けたのに、この仕打ちはないぜ。お前のおかげでカスリーンが、デラが、ジュディスが、キティが、ジェーンが、ルースが亡くなったんだ」

「何! それは本当か」


 イケニエ女が狼狽うろたえる。


「私を助けるために、そんなに多くの人たちが亡くなったのか」


 イケニエ女の奴、明らかに動揺している。

 ここはたたみ掛けるチャンスだ。


「あーそうだ。お前を助けるために大勢亡くなったんだ」

 俺は身体を起こしてイケニエ女の目を見た。


 よし、効いているぞ。

 続けてこれはどうだ!


「そうだ、俺の大切なスライムさんたちが亡くなったんだ!」


 シーン……。


 なんだこの気まずい雰囲気は。

 もう一度言ってやる。


「お前を助けるために、俺の大事なスライムさんが犠牲になったんだ!」


 シーン……。


 今度は気まずいどころか、冷たい雰囲気だ。


「スライムさんだと……。お前の言っているスライムさんとは、あのスライムのことか?」

 イケニエ女が冷ややかに聞いてきた。

「あのスライムって、どのスライムさん?」

「泉や沼によくいる、低級な下等生物のことだ」

「スライムさんは下等生物じゃないぞ。ちゃんと人間とコミュニケーションが取れるんだ」

「スライムがいくら死のうが私には関係ない」


 言ってはいけない言葉がイケニエ女の口から発せられた。


「いくら死んでも関係ないだと。おのれ、俺の大事なスライムさんを……」

 スライムさんのことをしざまに言う奴は、俺が許さん。


 これではっきりした。このイケニエ女は敵だ! しかも人間とスライムさんを比べて、スライムさんを下に見るとんでもない奴だ。


 許せん!


 ボガッ!


 痛い!


 俺はイケニエ女の蹴りを食らって、露店の商品棚に突っ込んだ。とっさに蹴りをガードしたから致命傷ちめいしょうにはなっていない。


 駄目だ。いくら奴を許せんと息巻いても、この実力差。到底とうてい埋められない。このままでは確実にやられる。ここは魔弾まだんを使うか? いや、あれは奥の手だ。


 ドスン、ドスン。


 大地を揺るがす地響き。


 今度は何だ。


 ……あの魔神だ。魔神がこちらに迫ってくる。


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