第10話 お姉様、これ以上事件を起こしてはいけません。

 応接間での話が終わり──


 水音みずね水面みなも、イーリスの三名は重鎮二人と別れ、雑然とした事務室(受付の奥にある部屋)に移動してきた。


 何時間も肺の底に溜まっていた空気を排出するかのごとく、長く深く息を吐き出すイーリス。


「なんですか今の話し合いは。肩がるってレベルのプレッシャーじゃなかったですよ。そもそもなんで私まで呼ばれたんですか」


「おっかない方々でしたわね。さすが大組織のトップですわ。不思議と肩がったりはしませんでしたけど」


「そりゃあれだけ紅茶風呂に浸かっていれば、肩凝りも腰痛も治るでしょう。さて、私は本来の仕事に戻ります。お二方は余計なことをせずここでじっとしていてくださいね。特にミズネさん、注意してください」


「承知した」


「承知ですわ」


 水音みずね水面みなもが返事をすると、イーリスは事務室を出ていった。


「さてと、お姉様」


 二人きりになると、水面みなもは目の奥に暗黒の炎をともしながら、お姉様どあほうに向かって話し始める。


「な、ん、て、こ、と、を、してくれやがったのですの!?」


 妹の凄まじい気迫に、さすがの水音みずねもたじろいだ。


「えっと、さきほどももうしあげたとおりふかこうりょくですしわたしはわるくない」


「ええいっ! ブラックホールも怖気づくほどのド真っ黒なド犯人のくせに無罪まっしろを語るんじゃねえっ! 江戸っ子ならいさぎよく罪を認めてジャンピング土下座でもしろってんだ!」


「横浜市民は江戸っ子じゃないぞ」


「じゃあ横浜市民らしく帷子川かたびらがわに沈んでしまいなさい!」


 帷子川かたびらがわとは、かつて大雨の際に横浜駅周辺を水没させたこともある、横浜港に流れ込む川の一つである。


「やめてくれ、ドブ川とまでは言わないがそこまで綺麗なものでもないだろう……」


「嫌なら反省してくださいませ」


「だって、わざとじゃないし」


「そ、も、そ、も、トイレの窓から逃げ出した時点で過失100パーセントの苦瓜ゴーヤジュースなのですわ! 勝手に建物から出たりしなければこんなことにならなかったでしょう!」


「うむ、そう言われると一理ある」


「一理どころか百でも千でもことわりがあるのはこちらなのですけど……不毛なのでこの話は終わりにしておきます」


「良かった、許された」


「許していませんし、どうしても反省しないというなら、お姉様が寝ているときにその鼻の穴にゴキブリの卵を詰め込みますわ?」


「…………」


 水音みずねは深々と頭を下げた。


「このたびは当方の不始末により多大なご迷惑をおかけ致しました。心よりお詫び申し上げます」


「やればできるじゃないですの……許しませんけど。ただ他に話さないといけないことがあるのでここまでにしておきましょう」


「うむ、話というのは飯をどうするかについてだな」


「違います……が、そういえばまだご飯を食べていないのですの?」


「いや、ダンジョンが壊れたあと、北部冒険者協会ノースユニオン施設内の小さな部屋で取り調べを受けながらカツ丼を食べた」


「お姉様、古き良き刑事ドラマの定番イベントを犯人サイドで堪能たんのうしてはいけません。でも……問題が一つ解決したのは良いことなのですわ?」


 何か間違っていることに気付きつつ、水面みなもは「うんうん」と納得するように頷いた。


「いや解決してないぞ。またお腹が減ってきた」


「自分の乳でも吸っていてくださいませ。そんなことよりも大事な話をがございます」


「飯より大事な話があるのか?」


「ある意味では飯の話なのですの。まずお姉様は南部冒険者協会サウスユニオンを除籍されます。理由は……分かりますわよね?」


「分かるぞ。さっき紅茶を飲みすぎたせいだろう」


「それは冒険者失格というより人間失格なのですわ!?」


「だって美味しくて」


「遠慮という言葉を覚えてくださいませ。話を戻しますわ。さっきボルケノ様とクロザック様が話しておりましたが、お姉様は南ユニに所属しながら北ユニに加入しようといたしました。これは規約違反に該当し、除籍されることになります」


「そうなのか?」


「お姉様の頭の中にあるのは脳みそではなく綿飴わたあめなのですわ。この点につきましてはイーリス様からバッチリ説明を受けております。そして北ユニ側も南ユニと同じく二重登録を禁しております。つまりそちら側の冒険者登録も無効」


「うん、なるほど」


冒険者協会ユニオンに加入していないということは、冒険者として仕事ができないという意味ですの。つまりお姉様には食い扶持ぶちがない」


「うん? それは困るぞ」


「こっちはお姉様の百倍困っておりますわ! というかボルケノ様とクロザック様はお姉様の百万倍は困っておりますわ!」


「悪いとは思っているし、彼らにはちゃんと謝罪をしようと思う。そうすれば除籍を取り消してくれるかもしれない」


 水面みなも水音みずねの頭に乗ると、思い切り髪の毛を引っ張った。


「痛いぞ!」


「このポンコツお姉様め! 教官を半殺しにしたりチュートリアルダンジョンを全壊させたりする爆発女と再契約する冒険者協会ユニオンがどこにあるというのですの!?」


「事務職採用も頼んでみる」


「二秒で採用不合格決定ですわ! このポンコツめポンコツめポンコツめポンコツめ!」


 髪の毛を引っ張り続ける水面みなもと、それを払い落とそうとする水音みずね。二人の戦いは小一時間ほど続いた。



***



 幸い、南部冒険者協会サウスユニオンはすぐに水音たちを追い出すつもりはないらしく、当面の間、朝昼晩の食事が提供されることが約束され、仮眠室で寝ることも許された。


 しかし前代未聞の問題を起こした張本人に対する扱いとしては、あまりにも厚遇すぎる。そのことに疑問を持った水面みなもは(仮眠室の利用許可などについて連絡に来ていた)イーリスに理由を尋ねた。


 水面みなもの質問に、イーリスは不機嫌そうに答える。


「チュートリアルダンジョンを破壊するような危険人物を野放しにするほど、私たちも馬鹿ではないですよ。いやだって、たとえばここであなたたちを追い出したとして、そのまま行方不明になって、その一年後くらいにどこぞやの橋が爆破されましたとか、どこぞやの塔がへし折られましたとか、犯人はミズネという人物でしたとか、そんなニュースを聞くことになったら、切腹を検討するレベルで寝覚めが悪いですよね」


 水面いもうとは複雑そうな表情で納得したような頷いたが、水音あねは複雑さのカケラもないような表情で納得できなさそうに首を傾げる。


「イーリス、わたしはそんなことしないぞ」


「あなたがそんなことをしなくても、かもしれないでしょう。とにかく、私たちはあなたたちに余計なことをさせないよう全力を尽くします。これが南部冒険者協会サウスユニオンの意思であり、代表ボルケノの意思です」


「なるほど。良く言えば三食昼寝付きのスローライフ、悪く言えば軟禁、ということですわね。まあ、餓死するよりかはマシですけど」


 水面みなもはあまり嬉しくない様子で言い、水音みずねも「働かないのに衣食住だけ提供されるのは申し訳ないな」と嬉しくなさそうに言った。


 イーリスは水音みずねの言葉に反応し──


「ミズネさん──あなたの場合、働いてもらっては困るんですって。いいですか、あなたのようなトラブルメーカーは、なにもしないことが仕事みたいなものなんです。あなたがなにかをすれば誰かが不幸になるんです。あなたがなにもしないことで世界が救われるんです」


 彼女はそう言ってから、「仕事があるので、私は行きますね。くれぐれも勝手な行動はしないように。まったくボルケノさんは都合良く私にミズネさん係押し付けて……」と愚痴りながら、その場を去っていった。


「なるほど、つまり」


 そして水音みずねはイーリスが去るのを見届けたあと、大きく頷いてから総括するように言う。


「わたしは今日から毎日、図書館に通いながら読書ライフを過ごすことが許されたわけだな」


「お姉様、イーリス様の話を聞いておりましたの? とりあえずなにもしないでくださいませ。重要な施設には行かないでくださいませ。もし図書館が火の海になったら、先人たちが泣きますわ?」


 一方水面いもうとは、ごく普通(?)の異世界ライフは堪能たんのうできないことを確信しつつ、この姉の行動をどうやってコントロールしようかと悩むのであった。

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