第6話 お姉様、唐突に行方不明になってはいけません。
「ふわぁ。うん、よく寝た」
チュートリアルダンジョンで大騒ぎを起こした翌日、
クッションの効いていない簡易ベッドはあまり寝心地が良いとは言えないが、借りている立場で文句は言えない。木の上でも石の上でも平らな場所ならどこでも眠れる
「お姉様。おはようございますですわ」
虫っぽい生物はその一撃を
「ぬおっ、危ねえですわ! お姉様! 朝の訪れを爽やかに
「ん、その声は
「蚊とんぼじゃなくて妖精ですけど、妹と認識していただけただけでも良しとします」
「うむ、起こしにきてくれたのだな。感謝する」
「感謝の前に謝罪を……まあいいですわ。それで起こしにきたのは、イーリスさんから伝言を預かってきたからですの」
「
「代表?」
「この組織で一番偉い、社長みたいなものですわ。呼び出しの理由は不明ですけど、どう考えても現時点での印象は最悪です。どうか
「大丈夫だ。礼節はわきまえている」
「どの口が言うのですの?」
***
仮眠室のある建屋の最上階。
つまりこの部屋にいる男こそ、
代表の名はボルケノという。中肉中背の中年男性、表情こそにこやかだが、無論、腹の中までそうとは限らない。
時に冷徹に判断を下し、時に平然と相手を策略に
「遅いな。どこで道草食っているんだ……ああ、でも来てくれたか」
ドアの前に人が立ったことを察する。それは気配を読んだなどと大層なことをしたわけではなく、僅かな足音、僅かな空気の変化から、経験則で分かってしまうだけであった。ボルケノのような立場だと、それだけこのようなシチュエーションに置かれることが多いということである。
ノックの
「…………」
職員のイーリスと妖精。現れたのは二人だけだった。ボルケノは少し考えて、とりあえず推測できたことを言う。
「なるほど。新人冒険者というのは、イーリス君。君だったのか」
「いえ、違います。その、説明はミナモさんから」
「ミナモ?」
「この妖精さんです」
この妖精。それはもちろんその妖精のことだろう。
ナビゲーション
その妖精がパタパタと羽根をばたつかせながら、おおよそ人間の二歩分くらいの距離を前に出てくる。
「せんえつながら」
「僕は国王でもなんでもないからね。あまりかしこまらなくて良いよ、妖精さん」
「はひ。いえ、しかしどうにもお伝えしにくいことをお伝えするべくお伝えしなくてはならず」
「単刀直入に言ってごらん」
「姉のミズネが、そのですね」
「姉?」
妖精の姉妹というのは聞いたことがなく、本題ではないと分かっていても──つい反応してしまう。
「あ、それは説明が面倒なので聞き流していただいて。その、
「うん」
「逃亡しまして」
「逃亡?」
「はひ。逃げるに
頷きながらも、内心では首を傾げる。
「僕に怒られるとでも思ったのかな。それは勘違いだし、そうだとしても思っていた人物像とだいぶ印象が違うね」
「ちなみにどのような印象を?」
「ナッツ君に大怪我をさせたというのにその対応を人に任せっきりにして、許可もなく事務所内にある資料を読み漁っていたと聞いている。とんでもなく図太い神経をしていると思うし、僕に怒られる程度のことで逃げ出すとは思えないね」
「まあ、それはその通りでして。ただその一方で姉──ミズネは、あがり症なんですの」
「あがり症?」
「ボルケノ様のイメージ通り、図太いことは正しいのですわ。ただ、なんて言いますか、特定の条件でとても緊張してしまう
「なるほど。つまり今、彼女はトイレにいるわけか」
「いえ、それが。トイレの窓から逃げ出してしまったようでして」
「仮病だったということかな?」
「腹痛は本当のようでした。でも逃げたという事実の前ではどちらでも良いような気がいたします」
「はっはっは」
ボルケノはつい声を出して笑ってしまった。こうして本心から笑うのはいつ以来だったか。
「想像以上に面白い人だね。しかし放っておくわけにもいかない。イーリス君。すまないが──本来の業務でないことは分かっているが、ミズネを
金髪の受付嬢はおそらくこう申しつけられることを覚悟していたのだろう。彼女は諦めきった心境を無理矢理抑え込んだような笑顔で「はい、承りました」と返事をした。
「それじゃあ、この場はこれで終わりとしよう。ミナモさん。君のことも少し訊きたいが、今度にしておくよ」
ボルケノは小さな
そんなに怖がる必要はないのに。その気もないのに相手を
***
しかし想像以上に面白い。様々な歓喜と窮地を経験してきたボルケノにさえそう思わせるほど、ミズネの起こす
丸一日が過ぎた。ミナモという妖精と話をして、ミズネという冒険者が逃げ出したことを聞いて、イーリスという職員をミズネを
それにもかかわらず、ミズネはここにいる。
場所は
クロザックは
この状況にあるというだけでボルケノは笑いを抑えることができない。
「はっはっは」
「笑い事じゃねえぜ、ボルケノの旦那。こいつがなにをしたのか聞いているだろうに」
「いや、聞いてはいない。ただ貴殿をここに案内した者の顔が死人のように青ざめていたから、いや、そもそも貴殿
応接間にクロザックがいる。これが意味することはなにか。
たとえばの話、クロザックを──言い換えるとライバル関係(というより敵対関係)にある組織のトップを、正規の手続きを踏んでこの場所に連れてこようとした場合、その調整には最低でも数ヶ月はかかる。手間取れば一年以上かかる可能性もある。
その手続きと調整をすっ飛ばして、
彼女がなにをしたのか。窓ガラスを割ったとか、服に染みをつけたとか、その程度の不始末でないことは間違いないだろう。
「聞いていねえのか。でもここで俺から言うのも悪くねえな。なあ、なにをしたと思うよ、この嬢ちゃんがよ」
「まあ、とりあえず座りたまえよ。一番良い茶を
「同席者?」
「その女性を
「関係者か。それなら待つことにするぜ。しかしマジで
柔らかな素材の椅子にドスンと腰掛ける彼。そしてその隣にいたミズネは「失礼する」と言って、堂々と椅子に腰掛ける。
緊張で腹痛を起こした末にトイレから逃げ出した女にはとても見えない。ボルケノと何度も会話したことのあるイーリスでさえ、この場に来ればカチコチに固まってしまうことだろう。
ミズネが事の重大さを理解していないだけの可能性もあるが……。
「このお茶、わたしもいただいて良いのか?」
「ああ。毒も睡眠薬も入っていないから安心したまえよ」
「うむ」
やはり緊張など
「良い茶だな」
「最高級品だよ。口に合ったかな?」
「うん、すごく美味しい」
量産品の百倍はする値段の紅茶を飲みながら、
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