第6話 お姉様、唐突に行方不明になってはいけません。

「ふわぁ。うん、よく寝た」


 チュートリアルダンジョンで大騒ぎを起こした翌日、水音みずね南部冒険者協会サウスユニオンの仮眠室で目を覚ました。


 クッションの効いていない簡易ベッドはあまり寝心地が良いとは言えないが、借りている立場で文句は言えない。木の上でも石の上でも平らな場所ならどこでも眠れる水音みずねにとっては、このベッドでも熟睡するには十分な環境であるが。


「お姉様。おはようございますですわ」


 水音みずねの目の前に虫のような生物が現れる。彼女はそれを躊躇ためらいもなく両手のひらで叩いて潰そうとした。


 虫っぽい生物はその一撃をかろうじて避ける。


「ぬおっ、危ねえですわ! お姉様! 朝の訪れを爽やかにげにきた妖精いもうとを出会い頭に殺そうとしてはいけません!」


「ん、その声は水面みなもか? ああ、そうだった、そういえば蚊とんぼに転生したんだったっけ」


「蚊とんぼじゃなくて妖精ですけど、妹と認識していただけただけでも良しとします」


「うむ、起こしにきてくれたのだな。感謝する」


「感謝の前に謝罪を……まあいいですわ。それで起こしにきたのは、イーリスさんから伝言を預かってきたからですの」


 水面みなもは水音の頭に着陸する。ぴょんと跳ねた寝癖を操縦桿そうじゅうかんのように握ると、言葉を続ける。


南部冒険者協会サウスユニオンの代表がお呼びとのことですわ……」


「代表?」


「この組織で一番偉い、社長みたいなものですわ。呼び出しの理由は不明ですけど、どう考えても現時点での印象は最悪です。どうか粗相そそうをなさらないよう……」


「大丈夫だ。礼節はわきまえている」


「どの口が言うのですの?」


 水面みなもは寝癖を引っ張ってみる。もちろん操縦できるはずはなく、水音みずねは自律走行を続ける。



***



 仮眠室のある建屋の最上階。南部冒険者協会サウスユニオン本部の代表執務室はそこにある。


 冒険者協会ユニオンの各支部には支部長がいるが、本部であるアルルハートには本部長という役職は存在しない。代わりに本部およびすべての支部を統括する『代表』という役職が置かれている。


 つまりこの部屋にいる男こそ、南部冒険者協会サウスユニオンの最高権力者なのである。


 代表の名はボルケノという。中肉中背の中年男性、表情こそにこやかだが、無論、腹の中までそうとは限らない。


 時に冷徹に判断を下し、時に平然と相手を策略にめる。そんなことばかりしていれば腹黒くなるのも必然であるが、性格が根っこから悪いわけではない──と本人は思っている。


「遅いな。どこで道草食っているんだ……ああ、でも来てくれたか」


 ドアの前に人が立ったことを察する。それは気配を読んだなどと大層なことをしたわけではなく、僅かな足音、僅かな空気の変化から、経験則で分かってしまうだけであった。ボルケノのような立場だと、それだけこのようなシチュエーションに置かれることが多いということである。


 ノックののち、執務室の扉が開く。そして噂の新人冒険者が部屋に──入ってこない。


「…………」


 職員のイーリスと妖精。現れたのはだった。ボルケノは少し考えて、とりあえず推測できたことを言う。


「なるほど。新人冒険者というのは、イーリス君。君だったのか」


「いえ、違います。その、説明はミナモさんから」


「ミナモ?」


「この妖精さんです」


 この妖精。それはもちろんのことだろう。


 ナビゲーション妖精フェアリー。黄緑色の服を着た、小さくて人の形をしたもの。冒険者たちをサポートする役割の彼女たちだが、冒険者本人以外も視認できて、会話までできるというのは珍しい。


 その妖精がパタパタと羽根をばたつかせながら、おおよそ人間の二歩分くらいの距離を前に出てくる。


「せんえつながら」


「僕は国王でもなんでもないからね。あまりかしこまらなくて良いよ、妖精さん」


「はひ。いえ、しかしどうにもお伝えしにくいことをお伝えするべくお伝えしなくてはならず」


「単刀直入に言ってごらん」


「姉のミズネが、そのですね」


「姉?」


 妖精の姉妹というのは聞いたことがなく、本題ではないと分かっていても──つい反応してしまう。


「あ、それは説明が面倒なので聞き流していただいて。その、くだんの冒険者たるミズネのことですが」


「うん」


「逃亡しまして」


「逃亡?」


「はひ。逃げるにせると書いて逃亡ですの」


 頷きながらも、内心では首を傾げる。


「僕に怒られるとでも思ったのかな。それは勘違いだし、そうだとしても思っていた人物像とだいぶ印象が違うね」


「ちなみにどのような印象を?」


「ナッツ君に大怪我をさせたというのにその対応を人に任せっきりにして、許可もなく事務所内にある資料を読み漁っていたと聞いている。とんでもなく図太い神経をしていると思うし、僕に怒られる程度のことで逃げ出すとは思えないね」


「まあ、それはその通りでして。ただその一方で姉──ミズネは、なんですの」


「あがり症?」


「ボルケノ様のイメージ通り、図太いことは正しいのですわ。ただ、なんて言いますか、特定の条件でとても緊張してしまう性質たちなのです。たとえば──たくさん練習して臨む劇の本番だとか、たくさん勉強して挑む筆記試験だとか。今回もボルケノ様に謝らせようと思いまして、少しばかり彼女にをさせたところ、ここに来る途中で緊張のあまり腹痛を起こしてしまったようでして」


「なるほど。つまり今、彼女はトイレにいるわけか」


「いえ、それが。トイレの窓から逃げ出してしまったようでして」


「仮病だったということかな?」


「腹痛は本当のようでした。でも逃げたという事実の前ではどちらでも良いような気がいたします」


「はっはっは」


 ボルケノはつい声を出して笑ってしまった。こうして本心から笑うのはいつ以来だったか。


「想像以上に面白い人だね。しかし放っておくわけにもいかない。イーリス君。すまないが──本来の業務でないことは分かっているが、ミズネをさがしてきてくれないか」


 金髪の受付嬢はおそらくこう申しつけられることを覚悟していたのだろう。彼女は諦めきった心境を無理矢理抑え込んだような笑顔で「はい、承りました」と返事をした。


「それじゃあ、この場はこれで終わりとしよう。ミナモさん。君のことも少し訊きたいが、今度にしておくよ」


 ボルケノは小さな妖精レディに恐怖を与えないよう、優しく微笑ほほえんだ。しかしミナモは警戒心を隠しきれない様子で、ぎこちない笑みを返してきた。


 そんなに怖がる必要はないのに。その気もないのに相手をおそれさせてしまうのは、強権者ボルケノにとってちょっとした悩みの種である。



***



 しかし想像以上に。様々な歓喜と窮地を経験してきたボルケノにさえそう思わせるほど、ミズネの起こす騒動トラブルは予想の遥か斜め上にぶっ飛んでいく。


 丸一日が過ぎた。ミナモという妖精と話をして、ミズネという冒険者が逃げ出したことを聞いて、イーリスという職員をミズネをさがしにって、その後、イーリスからミズネを見つけたという報告はまだ聞けていない。


 それにもかかわらず、


 場所は南部冒険者協会サウスユニオン内の応接間。彼女の隣に立っているのは、なんと、クロザックである。


 クロザックは恰幅かっぷくの良い、常に笑顔を絶やさない大男である。しかしそのいつも笑顔の男が、今日は笑っていない。


 この状況にあるというだけでボルケノは笑いを抑えることができない。


「はっはっは」


「笑い事じゃねえぜ、ボルケノの旦那。こいつがなにをしたのか聞いているだろうに」


「いや、聞いてはいない。ただ貴殿をここに案内した者の顔が死人のように青ざめていたから、いや、そもそも貴殿直々じきじきにここに来たということから、その黒髪の女性がなにかとんでもないことをしでかしたのであろうことは察しているよ」


 応接間にクロザックがいる。これが意味することはなにか。


 たとえばの話、クロザックを──言い換えるとライバル関係(というより敵対関係)にある組織のトップを、正規の手続きを踏んでこの場所に連れてこようとした場合、その調整には最低でも数ヶ月はかかる。手間取れば一年以上かかる可能性もある。


 その手続きと調整をすっ飛ばして、直々じきじきに彼がここに来た。それを実現させたミズネ嬢の手腕には、驚きを通り越して笑いしか起こらない。


 彼女がなにをしたのか。窓ガラスを割ったとか、服に染みをつけたとか、その程度の不始末でないことは間違いないだろう。


「聞いていねえのか。でもここで俺から言うのも悪くねえな。なあ、なにをしたと思うよ、この嬢ちゃんがよ」


「まあ、とりあえず座りたまえよ。一番良い茶をれた。北では採れない茶葉だ、楽しめると思う。まずはそれを飲んで──話の続きはもう二人の同席者が到着してからにしよう」


「同席者?」


「その女性を血眼ちまなこになってさがしている関係者だ。一緒に話を聞いた方がいろいろと手間が省けるだろう」


「関係者か。それなら待つことにするぜ。しかしマジで洒落しゃれになってねえぞ。茶じゃなくて酒が欲しいくらいだ」


 柔らかな素材の椅子にドスンと腰掛ける彼。そしてその隣にいたミズネは「失礼する」と言って、堂々と椅子に腰掛ける。


 緊張で腹痛を起こした末にトイレから逃げ出した女にはとても見えない。ボルケノと何度も会話したことのあるイーリスでさえ、この場に来ればカチコチに固まってしまうことだろう。


 ミズネが事の重大さを理解していないだけの可能性もあるが……。


「このお茶、わたしもいただいて良いのか?」


「ああ。毒も睡眠薬も入っていないから安心したまえよ」


「うむ」


 やはり緊張など微塵みじんも感じさせず、女性はティーカップを口元に運ぶ。まあまあ背が長く、まあまあ髪も長く、まあまあでもなくスラリとした体型をしており、所作しょさは優美というより機能美といった様子。装備がもっとまともで──あとは頑固そうな寝癖さえなければ、クロザックの有能な護衛に見えたかもしれない。


「良い茶だな」


「最高級品だよ。口に合ったかな?」


「うん、すごく美味しい」


 量産品の百倍はする値段の紅茶を飲みながら、淑女トラブルメーカー微笑ほほえんだ。ボルケノは不覚にも──何杯もおかわりを求められたらどうしようと思ってしまい、ぎこちない笑みを返してしまった。

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