第5話 お姉様、マッチョな教官さんを壊してはいけません。

 チュートリアルダンジョンの中には、灰色の薄暗い空間が広がっていた。


 照明設備がないのに暗闇くらやみでないことは、なかなか不思議な感覚である。この光はどこからいて出てきているのだろう……。


 しかしゆっくりと物見をしている場合ではない。水面みなも水音みずねが余計なことを始める前に、ひらひらとその姉を先導するように飛行する。


「お姉様、よろしいですの? 勝手に物に触れない、叩かない、壊さない。わたくしに任せておけば、なにも問題は起こりませんの。確定したサクセスストーリーですの──聞いておりますの? お姉様……」


 当然のことと言うべきか、水音おねえさま水面いもうとの話を聞いていなかった。姉は真っ直ぐに妖精のいる場所──ではなく、付近をうろうろしているモンスターへと向かっている。


「お姉様。ここにいるモンスターさんは手出しさえしなければ攻撃してきません。放っておいて大丈夫なのですわ」


「ん、これはモンスターなのか?」


「はい。スライムグミという、ラグラムオンラインにおける最弱の雑魚モンスターですの」


「なるほど」


 水音みずね水面みなもの忠告も聞かず、モンスター(スライムグミ)に近寄る。スライムグミはバスケットボールくらいの大きさの、黄色いグミのようなゼリーのようなモンスターだが、水音みずねはそのモンスターをつかまえて──


 食らいついた。


「お姉様! 突然になにをなさって!?」


「グミなら食えるかなと思って」


「チュートリアルダンジョンでいきなりモンスターを生きたまま食べ始めるとか、前代未聞の狂気ですわ!」


「ん、殺してから食えばいいのか?」


「生きたまま食うだの、殺して食うだの、どうして冒険開始早々にこんな猟奇的な会話をしなければいけないのですの!? まずはモンスターを食べるという発想からお離れになってください! この世界にはモンスターを食べるという文化はございませんの!」


「空腹で困っている人間の目の前に巨大なグミが現れたら、そりゃあ食うだろう」


「いやだからそれは巨大なグミキャンディではなくて、グミキャンディをモチーフにしたモンスターですの」


 やはり忠告を聞くはずもなく、再度、スライムグミに食らいつく水音みずね──だが、その肉片を口に含んだ瞬間、彼女の顔がさっと青ざめる。


「お、お姉様。大丈夫ですの……? まさか毒が……」


 姉を心配し、水面みなもは姉のいる場所まで移動する。水音みずねは妹の質問に首を横に振って、それから口に含んだスライムグミの肉片を


 そして吐き出したものが水面みなもに直撃する。


「…………」


「ああ、すまない」


「お姉様。口からスライム汁を吐き出して可憐な妖精をデロデロにしてはいけません……。いやまじで、なにをしてやがるんですの。わざとですの?」


「わざとじゃない。吐き出そうとしたところにお前が飛んできたんだ」


「我慢という言葉をご存じない?」


「ちょうど限界だったんだ。これ、すごく不味まずい……」


「なるほど、モンスターは不味まずい。この世界でモンスターを食べる習慣がないのはそのためですのね……。勉強になりましたが、どうしてわたくしが体を張って勉強料をお支払いしないといけないのでしょうかね……」


 ぶつぶつと文句を言いながらも姉の誘導を再開する水面みなも水音みずねはその妹に導かれ、少しは反省したのか──大人しくダンジョンを進む。



***



 ナッツ教官な逆立さかだった赤毛の筋肉隆々なヒャッハー系ファッションのお兄さんだった。水音みずねが正面に立つと、ナッツは自分から彼女に話しかける。


「ヒャッハー、君は新人冒険者だね。名前は?」


「ヒャッハー、水音みずねだ」


「お姉様。部族のしきたりとかではないので、わたくしたちは『ヒャッハー』と言う必要はございませんの」


「そうなのか。おはよう的な意味かと思ったぞ。ヒャッハー」


「ヒャッハー。なかなか面白いね君は。よし、早速だが、基本的な戦い方を教えよう」


「かたじけない。ヒャッハー教官殿、よろしくお願いいたす」


「お姉様。教官の名前はヒャッハーさんではなくナッツさんです。でも、まあ、あまり変わらないかもしれませんけど」


「よおし、ミズネ。剣を取れ。そして構えるんだ」


「承知した」


 水音みずねさやから剣を抜き、それを両手で構える。水面みなもはなんとなく嫌な予感がして、浮上して姉から距離を取った。


「全力で振りかぶって、全力で振り下ろすんだ。それができれば免許皆伝だ」


「教官殿の教え、しかと心得こころえた」


 水音みずねは言われた通りに全力で剣を振りかぶる。そして全力でその手から剣がすっぽ抜け、全力で頭上に剣が飛んでいった。


 ちょうど、水面みなもが避難しているあたりに。


「ふおっ! おおお……あ、あぶねえですわ! お姉様! 妖精いもうとに向かってスローイングソードをしてはいけません! あと数センチずれていたら首にぶっ刺さって見事に散っておりましたわ!」


「すまない、不可抗力だ。あとそのざまは見事というより無様な気がするな」


「冷静に言ってないで、剣の素振りくらい何事もなく平和に終わらせてくださいませ!」


 水面みなもは叫びながら、ナッツ教官の背後に移動した。水音みずねは地面に落ちた剣を拾うと、もう一度剣を構える。


「ヒャッハー、全力で振りかぶって、全力で振り下ろすんだ」


「うん、今度こそ大丈夫だ」


 水音みずねは全力で剣を振りかぶって、全力で剣を振り下ろし、全力で剣をぶん投げた。


 その剣がナッツ教官の脇腹にぶっ刺さる。


「ぎゃああああああ!」


 眼前で起きた血みどろの惨劇に、妖精が絶叫する。


「第一の殺人ですわ!! お姉様! 唐突にノンプレイヤーキャラクターさん──NPCを殺してはいけません! というかモンスターを倒したこともないのにNPCは殺したことはあるとか、冒険者の軌跡ヒストリーがクレイジー過ぎておハーブが絶滅しますわ!?」


「いや妖精さんよ、俺は大丈夫だ。新人の一撃で死ぬようなやわな鍛え方はしていない」


 しかし片膝をついていたナッツ教官は、脇腹の剣を抜くと、何事もなかったかのように立ち上がった。


「ヒャッハー」


 それからぶっ倒れた。


「みぎゃああああ! ナッツ教官! お気を確かにですわ! お姉様、すぐにイーリスさんのところに行って助けを呼んでくださいませ! 一刻を争いますわ!」


「う、すまない。せめて止血をしてから行こうか」


「ここ──ナッツさんの道具袋に大量の回復薬ポーションがありますし、わたくしがこれで応急手当しておきますわ!」


「うん、分かった。急いで助けを呼んでこよう」



***



 わたしは階段を上り、イーリスのいるエントランスまで戻ってきた。


 ベルを鳴らして、イーリスを呼ぶ。


「はい──あら、ミズネさん。もう戻ってきたのですか?」


「ちょっとトラブルが起きてしまって。わたしたちじゃ対処できないから、イーリスに助けて欲しい」


「ふふ、チュートリアルダンジョンなんかで困ってしまって助けを求めにくるだなんて、可愛らしいところがあるんですね」


「ナッツ教官の脇腹にわたしの剣が突き刺さってしまった。彼は今、生死の境を彷徨さまよっている」


「全然可愛らしくなかった! なにそれ見たことも聞いたこともない事件なんですけどチュートリアルダンジョンってそんなことが起こるような殺伐とした場所でしたっけ!?」


「落ち着け。急いで助けないとまずいんだ」


「そうですね! 対処できそうな人を呼んできます! ミズネさんはチュートリアルダンジョンに戻って、余計なことはせずに腹筋でもしていてください!」


「邪魔者扱いするな、できることはする。止血に使えそうなものはないか?」


「邪魔者どころか元凶なのですけどね! ええっと、奥の部屋に布っぽいものがあるので好きに持っていってください!」



***



 イーリスに言われた通り、受付の奥にある部屋に入る。


 部屋の中は雑然としていた。ファイリングされた書類のたばがあちらこちらに積まれており、事務用品やら衣類やらも散乱しており、とても綺麗とは言えない。


 しかしわたしの部屋よりかは綺麗である。少なくともごみ袋は散乱していないし、城のように積み上がったペットボトルと空き缶が雪崩なだれを起こしたりもしなさそうだし、片割れの靴下たちが切なそうに放置されてもいない。歩くスペースがあるだけ立派なものである。


「うん、興味深いな」


 机に置いてあったノートを開いてみる。内容は南部冒険者協会サウスユニオン──南ユニの仕事に関するものだった。


 問題点、またそれに対する解決策の検討案など、ざっくばらんに記載されている。おそらく公式な議事などではなく、個人的なメモであろう。


「ナッツ教官は水面みなもとイーリスがどうにかしてくれるだろう。少し読んでみるか……」



***



 ドアが開いた。


 部屋の中にイーリスと虫みたいな生き物──ああ、水面みなもか──が入ってくる。


「二人とも。神妙な顔をして、なにかあったのか?」


「お姉様……こんなところにおりましたのね」


「うむ」


 水面みなもがわたしの目の前まで飛んでくる。目が死んでいる……いや、目の奥では赤い炎がともっている。


 怒っているらしい。


じゃないですわ! ナッツ教官の治療が終わったら今度はお姉様の姿が見つからなくて大騒ぎだったのですわ!」


「そうなのか? いやでも、ここにいることはイーリスも知っていたはずだし」


「ここには立ち寄っただけのはずですわよね!? こんな場所に引きこもっているなんて予想外すぎて逆に見つかりませんでしたわ! チュートリアルダンジョンやら施設内やらで迷子になっているのではと思ってさがしまくりましたわ!」


「半日……そんなに経っているのか」


「ええ……そんなに経っておりますの。本当にお姉様は……疲れる」


 そう言い残し、ぽとりと落ちる妖精さん。わたしはそれを拾い上げ、頭をでてやる。


「む、ラーメンの匂いが消えているな。入浴したのか」


「はい、私が綺麗に洗ってあげました」


「イーリスも疲れた顔をしているな」


 金髪の受付嬢は大きくため息。


「そりゃあ疲れますよ。ナッツ教官は無事でしたが、重症でしたね。それなのに、犯人であるあなたはこんなところで読書ですか……」


「ナッツ教官殿は無事だったか、そうだろうな」


「ええ、無事でした──分かっているような口振りですね。分かっていたのですか?」


水面みなもとイーリスがなんとかしてくれると信じていたからな。私がのんびりしていても問題ないだろう」


「どれだけ図太いんですか。まあ百歩譲ってその無神経さを許したとしても、行方不明になって新たな問題を起こすのは許容できません」


「次からは気をつける。ところで」


「はい」


「業務改善の方法について話を──あ、うん。そうだな」


「はい?」


 わたしはノートやら資料やらを読んで、冒険者協会ユニオンの職務上の問題点についていろいろ考えていた。特にアイテム採取の依頼対応は、頻度の多さ、物量の多さ、会計の複雑さ、付随業務の多さから職員たちを苦しめていることを理解していた。


 しかしわたしが大学で学んだことを活かせば、多少は役立てることもあるだろう。サプライチェーンマネジメントなどの物流論の基礎は学んでいるし、ロジックツリーなど汎用的な問題解決の手法なども学んでいる──が。


「いや、なんでもない。イーリスたちの仕事は大変なのだな」


 でも話すのをめた。素人が好き勝手に話しても迷惑なだけだろう。


「はい、大変なので仕事を増やさないでください。とりあえず今日はお休みくださいね。緊急事態なので、仮眠室をお貸しします」


「うん。助かる」


 わたしは水面みなもを掴んだまま、イーリスに従ってその部屋を出た。


「お姉様……現代知識を生かして活躍するフラグをへし折ってはいけません……むにゃ」


 水面みなもは眠ってしまったようだ。そしてよく分からないことを寝言で言っているが、気にしなくて良いだろう。

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