第4話 お姉様、綺麗な受付嬢さんを壊してはいけません。

「お姉様。祝福ハグしようとして飛んできた妖精をはたき落としてはいけません」


 床に落ちてスリープモードになっていた水面みなもは意識を取り戻し、ふらふらと再浮上する。


「目を覚ましたか、水面みなも。すまないな、お前の姿はぎりぎり虫の範疇はんちゅうだからな、向かってくるとつい反射的に……」


「ぎりぎりでも虫でもないのですけど。で、状況はどうなっておりますの?」


「うむ。お前がいなくてもとどこおりなく冒険者登録手続きは進んでいるぞ」


「そうなの……ですの?」


 水面みなもは受付嬢のイーリスを見る。その視線の先の彼女は──なにか大切なものを失ったかのような、哀しい笑みを浮かべていた。


 彼女は口元以外を微動たりともさせず、水面みなもの質問に答える。


「モンダイアリマセン」


「今後のことについて一通り説明していただいたという理解で正しいですの?」


「モンダイアリマセン」


「本当に……?」


「モンダイアリマセン」


「…………」


 今度、水面みなもは姉に視線をる。イーリスの反応を見る限り、おそらく状況はよろしくない。


「お姉様」


「なんだ?」


「冒険者登録はどこまでお済みになって?」


「うむ、冒険者名というやつを登録したぞ。登録名は本名じゃなくても良いと聞いたからな。縁起の良い名前で登録した」


「嫌な予感が確定演出付きで脳裏によぎっているのですが……。ご参考までに、どのようなお名前にしたのかを教えていただけますの?」


寿限無寿限無じゅげむじゅげむ


「察しました……。続きは結構ですの……」


「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」


「だから続きは結構ですの! 落語でも始まってしまいそうな名前を登録しようとして受付嬢さんを困らせてはいけません! イーリスさん、こんなくだらない要望には応じなくて結構ですわ。普通に『ミズネ』でご登録ください!」


 イーリスは相変わらずの笑顔で、水面みなもに返事をする。


「ポンポコピー」


「尋常じゃない壊れ方をしているようですけど、なにがございましたの……」


「ポンポコナー?」


「お姉様。彼女になにをした」


 水音みずねは首を傾げながら、妹の質問に答える。


「変なことはしてないと思うが。ああ、登録名が長すぎるから考え直してくれと言われたが、断固として拒否した。名前の長さが登録の障壁となるようでは、昨今の多様性尊重ダイバーシティの流れに反するだろうし、実際、海外にはかなり長い名前も存在する。システムが対応していないならシステムを対応させるべきだと思うし」


「お姉様。ダイバーシティを言いがかりの根拠に使ってはいけません。略称や愛称でも登録できるように『本名じゃなくて良い』という仕組みにしてあるのに、わざわざ長大な名前を用意して『登録できないのはシステムが悪い』だなんて、クレーマーのかがみですの?」


「クレームのつもりはないし、困らせるつもりもない。今だって、その名前では呼ぶのが大変だと相談を受けたから、頑張って暗記させようとしていたところだぞ」


「…………」


 水面みなもは、物理パワー(フルスイング)ではたき落とげきついされた程度のことで意識を失ってしまった自分を恥じた。


「イーリスさま」


「ハイ、モンダイアリマセン」


「登録名はミズネでお願いいたしますわ。システム改修は不要ですし、寿限無寿限無じゅげむじゅげむは記憶から抹消まっしょうしていただいて問題ありません」


「おい、水面みなも。勝手に決めるな」


「お、ね、え、さ、ま! こんなことをしていたら本当にブラックリストに載ってしまい永久追放されてしまいますわ! ずっとご飯食べられませんですのよ!」


「む、空腹が満たされないのは困るな。よし分かった。水面みなもの言う通り、ミズネを登録名としよう」


「その素直さは問題が起きる前に発揮していただきたいのですが……。というわけでイーリスさん。お姉様に汚染された記憶をお捨てになって、正常な脳活動を再開していただけますの?」


「ハイ、モンダイアリマセン」


「…………」


 水面みなもはイーリスの耳元に移動すると、そっとささやいた。


「これよりダンゴムシの投入を開始します」


「ハイ、モンダイアリマ……あります! ダンゴムシとの共生は嫌ですって……あれ? 私、なにをしていましたっけ」


「これからお姉様の冒険者登録をするところですわ」


「そうでしたね、妖精さんありがとうございます。というわけでミズネさん、これより冒険者登録をいたします。まずは登録名をお決めになってください」


「ミズネ」


「はい、承知しました。ミズネジュゲームですね」


「イーリスさん。悪しき記憶がまだ残っていますの。ミズネだけで結構ですわ」


「あ、そうでした。あれ、じゃあジュゲムはどこに付ければ……?」


「付けなくて大丈夫ですの!」


「そうですね、そうでした。そうでしたっけ?」


「そうですの」


「そうなんですね。では引き続きプロフィール登録を開始します。ミズネさん、いくつか質問させていただきますね」


「うむ」


 この後、冒険者登録手続きは(水面みなもとイーリスの頑張りもあって)なんとか進行した。



***



 冒険者登録が完了すると、水音みずねはイーリスの案内で別の部屋に移動した。


 その部屋には階段だけがあり、彼女イーリスの説明では、それは地下に繋がる階段とのことである。


「ここから先は教官のナッツさんに聞いてください。階段を下りた先におりますので」


「うむ」


 地下には『チュートリアルダンジョン』というものがあるとのこと。それは新人冒険者に戦い方や依頼任務ミッションのやり方などを教えるために、南部冒険者協会サウスユニオンが用意した擬似ダンジョンとのことである。


「イーリスさん、ありがとうございました。本当にお疲れ様でした」


「妖精さんこそ、ありがとうございました。これからも頑張ってください」


 冒険者登録の手続き中、水音みずねに冒険者のいろはを教え込むため多大な心理的な負担を強いられていた二人みなも&イーリスは、別れ際に熱い抱擁ハグを交わした。


水面みなも、いつまでイーリスにくっついているんだ。置いていくぞ」


「お姉様。わたくしたちは今、ラスボスを倒したかのような感動の最中さなかにありますの。邪魔しないでいただきたい」


「分かった、それならずっとそうしていてくれ。わたしは先に行く」


「お待ちください。お姉様が単独行動をすれば教官のナッツさんを困らせること確実なので、先に行くことは許しません」


「じゃあ早くイーリスから離れてくれ。というかこの街にいる者同士だし、会いたければいつでも会えるだろう」


「確かにいつでも会えますけれども、この感動はこの瞬間にしか無いものなのですわ」


「分かった、置いていく」


「分かっていないのですわ……しくしく。イーリスさん、名残なごり惜しいですが、どうやらここでお別れのようです」


つらいことがあったらいつでも会いに来てくださいね。私たちでしか分かち合えない苦しみもあるでしょうし」


「はい、それでは……お姉様。行きましょう」


「うむ。では行くとしよう。イーリス、さらばだ」


「ミズネさんも頑張ってくださいね」


 別れの挨拶を終え、水音みずねたちは階段を下り、チュートリアルダンジョンに突入する。

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