第3話 お姉様、異世界で事務職を探してはいけません。

 空腹を解消するにはお金を稼ぐ必要がある。早急さっきゅうにお金を稼ぐにはモンスターを狩る必要がある。モンスターを狩るには正式に冒険者になる必要がある。冒険者になるには『北部冒険者協会ノースユニオン』または『南部冒険者協会サウスユニオン』の事務所に行き、窓口で手続きを済ませて冒険者登録をする必要がある。


 水音みずねはこれを一つずつ妹からさとされ、渋々だが妹の助言に従うことに同意していた。


 というわけで妖精いもうとの先導に従い見習い剣士おねえさまが歩く。現代日本であれば人集ひとだかりができてスマホでパシャパシャと写真を撮られること間違いなしの格好をした二人であるが、この世界では和室の掛け軸のごとく風景に馴染んでおり、彼女たちを注視する者は誰もいない。


「お姉様。この街──アルルハートは南北いずれの冒険者協会ユニオンにも肩入れしない、中立都市なのです。だから双方の事務所がありますの」


「なるほど」


「わたくしは北部冒険者協会ノースユニオン──通称側の方がゲームでは慣れているので、そちらに向かっておりますわ」


「南北でどう違うのだ?」


「北ユニ側に参加すればいずれ北に向かうことに、南部冒険者協会サウスユニオン──南ユニ側に参加すればいずれ南に向かうことになりますの。それ以外に大きな違いはございません」


「む、北は寒いのではないか? 寒いところは嫌だぞ」


「ここは異世界ですのよ? 北が寒くて南は暖かいなどという価値観はお捨てになって」


「そうなのか。北は寒くて南が暖かいなんてことはないのか」


「はい。まあ、北は寒くて南は暖かいのですけどね」


「?」


「ここは異世界ですの。元々いた世界の気候帯のことなどお忘れになって。その上で新しく覚えて欲しいのですわ。『この世界では北に行けば行くほど寒く、南に行けば行くほど暖かい』と」


「その無意味な忘却アンインストール再記憶再インストールの手続きになんの意味があるんだ?」 


「人生とはすなわち無駄の積み重ね……」


「つまり無駄なのだな──あと無駄にしかならない無駄の積み重ねは無駄にしかならないと思うぞ。で、要するに北は寒いのだろう。それならばわたしは北のやつじゃなくて南のやつに入ることにする」


「南には砂漠とかございますけど、大丈夫ですの?」


「寒いのよりはマシだ」


「分かりましたわ。まあ、北でも南でも大きな差はないですし、なんとかなると思います。南部冒険者協会サウスユニオンの事務所に向かいましょう」



***



 入り口のドアを開けると、カラカラと音が鳴る。水音みずねは少しだけ反応を待って(なんの反応もなくて)、それからエントランスに足を踏み入れた。


 南部冒険者協会サウスユニオンの事務所は、水音みずねが想像していたものよりずっと大きかった。三階建ての建屋。日本にあったものでたとえれば──学校の校舎くらいの広さはあるだろう。


 ただエントランスの先にある部屋は小ぢんまりしていて、受付カウンター(冒険者登録窓口?)と椅子付きの小さなテーブルがいくつかあるだけで、十人も来客があれば手狭になってしまいそうなほどのスペースしかない。


 なお現在は無人。受付カウンターにも各テーブルにも人がいない。


「もっと賑わっていると思ったが、閑散かんさんとしているのだな」


「冒険者がここの受付に用事なんて、最初の冒険者登録のときくらいしかないですし。ただ協会の職員さんたちは暇をしているわけではないのですわ。他のお部屋やフロアでは組織運営に関わるあれこれでせわしなくお仕事に励んでいるはず」


「そうなのか?」


「そういう設定のはずですし、実際、仕事は多いと思いますわ。この建物内外には試験場や訓練場、冒険者商店、冒険者食堂などもあるので、その運営も必要ですし、討伐依頼やアイテム採取依頼などの仲介、紹介、掲示なんかも冒険者協会ユニオンのお仕事ですし」


「そういえば今更だが、ユニオンってなんだ?」


「冒険者の育成やサポートをしつつ、今言った──仲介系のお仕事の他、冒険者向けの物品の販売、冒険者より買い取ったアイテムを大口顧客に販売するなど、そういったことを生業なりわいにしている組織が冒険者協会ユニオンなのですわ。さらにその組織が集まって、北部冒険者協会ノースユニオン南部冒険者協会サウスユニオンという組織ができあがっておりますの」


「ふむ、なるほど」


「とにかく冒険者登録をいたしましょう。受付カウンターのベルを鳴らせば、人が来て応対してくれるはずです」


 水音みずね水面みなもの言葉に従い、受付カウンターに向かう。それから銀色のベルを持って軽く振った。


 すぐにトタトタトタと足音。奥の部屋から金髪の若い女性が出てきて、受付カウンターの向こう側に立った。


「すみません、ドアの音に気付いておりませんでした。御用でしょうか……あ、初心者丸出しのダサい冒険者装備、さては──」


 金髪の受付さんはくるりとターンしてから水音みずねを指差した。


「この南部冒険者協会サウスユニオンで冒険者登録をしようとしている新人冒険者さんですね!」


「いや違う」


「違うの!?」


「違うのですの!?」


 水音みずねが答えると、受付さんと妖精さんが同時に叫んだ。


「お、お姉様。にわとりは三歩歩くと忘れると言いますが、もしかしてお姉様もここに来るまでの道のりですっかり目的を忘れてしまったのですの?」


「いや覚えているぞ。冒険者登録をしに来たのだろう」


「ほ、良かった。お姉様の頭の中には絹ごし豆腐ではなく脳みそが入っていたのですわ」


「でも冒険者登録はしない」


「馬鹿ですの?」


 水音みずねは妹を捕まえると、その羽根を指でつまんだ。


「あまり人のことを馬鹿だ馬鹿だと言ってはいけないぞ、水面みなも


「だって馬鹿ですもの! 論理的思考ロジカルに喧嘩を売っているとしか思えない言動なのですもの! 馬鹿お姉様に馬鹿お姉様と言ってなにが悪いのですの!」


「この羽根全部ぶっこ抜いて、モグラの穴に頭から突っ込んであげようか」


 ジタバタしていた妖精の動きがまる。それから彼女は打算的ロジカルに笑顔を浮かべつつ、言った。


「お待ちください。そんなことされたら、わたくしもモグラさんの一員になってしまいます……ごめんなさい。謝るので許してください。物理パワー(ちょっと本気)で妖精の羽根ファンタジーを分離させようとしてはいけません」


「うむ。謝るなら許そう」


 水音みずねは妖精を放すと、決めポーズで固まったままの受付さんに視線をる。


「受付さん、待たせたな」


「イーリスと申します。で、あの……。冒険者登録でいらしたのでないとすれば、どのような御用件でしょうか」


「仕事がたくさんあって忙しいはず……と聞いたのだが、ここで雇ってはくれないか? できればデスクワークの仕事がしたい」


 それを聞いて──姉の意図を理解した妖精はふらふらゆらりと揺れたあと、ぽとりと落ちてしまった。動かなくなった彼女に哀れみの視線を送りつつ、受付さんイーリスが答える。


「はあ、まあ、その。私の裁量ではお答えしつらいですが、たぶん雑用係であればいつでも募集はしていると思います。ただデスクワークというか、力仕事を含めてのお仕事になりますが」


「構わない──おい水面みなも。寝てるんじゃない。無事に就職が決まりそうだぞ」


「はい、心よりおのろい申し上げますわ」


「怖いことを言うな」


「異世界に来て、どうして夢も希望もない事務職員になんてなろうとするのですの? そんなの、わたくしが許しても──許しませんけど、『ゲーム知識を活かして異世界で無双することに憧れる百億人のヒキニート』たちが許しませんわ……」


「百億人のそいつらに抗議されると物理パワー(声による振動)で死にかねないからめてくれ、というか百億人って世界人口超えていないか? まあともかく、わたしはここで働くことにする。これは決定事項だ」


 腕を組んで一歩も引かぬ様子の姉。しかし妹は諦めない。羽根を振るわせて飛び立つと、受付カウンターを越えてイーリスの耳元にまで移動した。


「イーリスさん、悪いことは言いません。この人を雇うと面倒なことになりますわ。不採用にした方が南部冒険者協会サウスユニオンのためになりますの」


「はあ。しかし私の裁量ではお断りすることも難しいのですよ、妖精さん」


「簡単な試験テストでもすればお分かりいただけます。お姉様に冒険者協会ユニオンのお仕事が勤まるとは思えません」


「テストですか……」


 イーリスは一度舐めるように水音みずねの全身を見て、それから言葉を続けた。


「分かりました、そこまで言うのなら……。というわけで採用希望者さん。簡単なテストをするので、口頭でご回答いただけますか」


「分かった。なんでも答えるぞ」


 腕を組んだまま答える姉。ごくりと唾を飲む妹。そして出題者イーリスの口が開く。


座右ざゆうめいは?」


「ゴキブリと黒ニキビと正体不明アンノウンは速やかに処分するに限る」


「採用!」


 妖精が受付さんの耳に噛みついた。


「痛い! なにをするのですか、この妖精ムシケラめ!」


「イーリスさん! その質問じゃなんのテストにもなっていないのですわ! 薬草の種類とか法律についてとか、もっとこうありますわよね!?」


「新人冒険者さんなら常識がないのも当然ですし、知らないと分かっていることを訊くのもおかしいですよね。知識的なものはこれから教えれば良いのですし」


「正論は正論ですけど、この場合、教育係がゲロ吐くほど苦労するだけの未来しか見えませんの……」


「決めつけるのは良くないですよ」


「いえ、ナビゲーターのわたくしが現在進行形でゲロ吐きそうなほど苦労していますから間違いございませんの。この災厄に南ユニの皆様を巻き込むわけにはいかない。お姉様が問題を起こして追放処分なんてことになったら、永久に冒険者登録ができなくなってしまうかもですし──」


 妖精の瞳に、決意の赤色がともる。


「もしお姉様をおやといするのであれば、寝ているあなたの鼻の穴に大量のダンゴムシ(ローリングモード)を詰め込んででも妨害してやりますわ!」


「私もダンゴムシさんも迷惑ですし、万が一にもみつかれたら鼻からダンゴムシを出し入れする名物受付嬢になってしまうのでおめください……。というか、あなたが問題行動起こしてどうするのですか。実際、ブラックリストはございますし、永久追放もあり得ますよ」


「だからそうならないようにご配慮いただきたいのですの。まあでも本当に追放されたら、『冒険者協会ユニオンのブラックリストに載って仕事ができなくなったけど、ゲームの知識を活かして野良で強敵を狩りまくっていたら、いつの間にか最強ギルドのギルドマスターになっていました』という路線もアリかもしれませんわ」


「なにを言っているのか分かりませんが……ただ正直、ここまで強硬に反対する羽虫フェアリーがいる状況では、採用しづらいというのが本音ですね」


 それを聞いて、水音みずねが眉をひそめる。


「反対意見は気にしなくて良い。そいつは羽根を全部抜いて逆さに吊るしてやれば大人しくなると思う」


「なるほど」


「同意しないでいただけますの!」


「冗談です──耳の穴に頭を突っ込んで鼓膜を食べようとするのはおめください妖精さん。で、ミズネさんと言いましたっけ。私個人の意見ですが、問題の火種を抱えたまま事務所の仕事をするより、当初の予定通り冒険者になられた方が良い結果になるような気がします。もし冒険者として上手くいかなかったら別のお仕事を探せば良いのですよね。そのときはこの妖精さんも反対しないでしょう」


「む」


「イーリスさん、素晴らしいご意見ですわ。お姉様が『確かにその通りだラーメン食べたい』って顔をしております」


「後半のは妖精さんの体臭が豚骨醤油のせいだと思います。私もお腹が減ってきました」


「幻想的で可愛いらしい見た目をした妖精がラーメンの匂いで女子たちを魅了するファンタジーって、カオスすぎますわ……。早く服に付いたラーメン汁を洗い落として、トイレの芳香剤のようなフローラルな香りを漂わせる存在になりたいのですの」


「今度はトイレ妖精って呼ばれそうですけど大丈夫です? で──ミズネさん。どうなさいますか? とりあえず冒険者登録をしておくのが上策かと思います。無料ですし会員費もかかりませんし個人情報は流出しまくりですし」


「流出しまくりなのか」


「名前を売ってなんぼの仕事ですし、登録プロフィールは誰でも閲覧可能です。でもスリーサイズや性癖はバレないからご安心ください」


「まったく安心できないが……でも分かった。早く金を稼がないといけないことは理解している。わたしは冒険者登録をして、モンスターとやらを狩ることにするぞ」


 それを聞いて水面みなもは(抱きつこうとして)姉に突進し、見事にはたき落とされた。

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