21. 理由

 加藤さんは、石を抱える澤田さんへと声を荒げた。


「おい、澤田! どうしておまえ、そんなことをしたんだ!」


 澤田さんはびくりと肩を震わせて、


「す、すみません。ぼ、僕は……」

「あのな。その石は要石っていう、旧鼠を封じるための大切なものだろ? それを、なんでわざわざ、おまえが……」


 僕はあらためて、澤田さんの手にある石をじっと見つめた。うっすらと妖気をまといながら、さらにその芯に、輝く光のような力を感じた。たしかに、普通の石であるわけがない。


 するとそこに、黒が割って入った。


「ちょっと、すみませんが。まずはその、要石を元に戻しましょう。話はそれからだ」

「え、は、はい。そうですね……。わかりました」


 澤田さんはそう言って歩き出した。



 ビルの隙間の前までくると、澤田さんは要石を縦にして、体を隙間にねじこんで、さらに奥へと進んでいった。それから剥き出しの地面の上に要石を置いた。


「これで、元通りのはずです」


 そう言ってから、澤田さんは隙間の中を窮屈そうに戻ってきた。


 そこで僕はまた、要石を見た。


 剥き出しの地面から絶えずあふれていた妖気は、ほとんど消えた。周囲にはまだ妖気の残滓が流れていたが、それもわずかだ。



 澤田さんはそこで、加藤さんへと言った。


「僕のせいで、会社がメチャクチャになってしまいました。――本当にすみません」


 そうして澤田さんは、頭を深々と下げた。加藤さんは首筋を掻きながら、


「まあ、俺もいまだに信じられないが。あるんだな。こういう、祟りみたいなもんって」


 すると、澤田さんは顔をゆっくりと上げて、


「は、はい。そうみたいですね。僕も、まさかここまでのことになるとは思わず……」

「おい、それより。説明してくれるんだろうな。どうして、こんなことをしたのかを」


 すると、澤田さんはぎくりとしたように、また肩をふるわせた。


「わ、わかってます。まずですね。偶然、僕は旧鼠塚のことを聞いたんです。向かいの蕎麦屋で、常連のお客さんと、たまたま相席になったときに。それで、気になって調べてみたんです…………」


 そうして澤田さんは、ある伝承について説明しはじめた。



   *   *


 話は江戸時代までさかのぼる。


 ある場所に変わり者の年老いた住職が住んでいた。その住職は一匹のある鼠をたいそう可愛がっており、その鼠は『梁次郎』と呼ばれていた。


 住職は柱をかじられようと、食べ物をかじられようと、一向に構わずに梁次郎を大切にしていた。


 その鼠は驚くべきことに、十年以上は生きていたのだという。周囲の人々は、住職の思いやりが、鼠を長生きさせたのだと感心し、同時に畏怖していた。


 ある日、近くの住人が寺に立ち寄った際、住職のこんな声を聞いた。


「梁次郎や。おまえは、この寺にずっと住んでいるんだよ。そうして、この寺をずっと守っておくれ。ずっと長生きして、近くにいておくれ」


 やがて住職が亡くなると、領主はこの寺の取り壊しを決めた。


 そこでさっそく取り壊しがはじまったのだが、奇妙なことに、大工たちの間で事故が相次いで、死人までも出るようになった。


 そこで大工たちは、ある旅の僧に相談をした。そこで僧はこう言ったのだった。


「これは、寺にゆかりのある化け鼠――旧鼠が祟っておる。しかるに、丁重に祀らねばなるまい」


 こうして、旧鼠塚が建てられた。旧鼠塚には要石が置かれ、そこに僧が祈祷を施した。


 そして、何人なんぴとたりとも旧鼠塚に手をかけてはならないと、後世に語り継がれることになった。


 もし旧鼠塚を破壊したり、おろそかにしたりすれば、再び旧鼠が目覚めて、人に害をなすだろうと。


   *   *



 ひとしきり澤田さんが話し終えると、加藤さんは言った。


「なるほど。――わかったよ。その、要石のことはな。それで、肝心なことを、教えてくれよ」


 澤田さんは聞き返す。


「肝心な、こと……」

「そうだよ。なんで、こんな、会社に迷惑がかかるようなことをしたんだよ。旧鼠塚の封印を取り払うようなことを、なぜやったんだよ」


 すると、澤田さんは口を結んで、下を見つめた。



 夜の車道にはまばらに車が往来していた。風の音と遠い排気音のほか、耳に入る音はほとんどない。――そんな中、しだいに激しくなってくる澤田さんの息遣いが聞こえてきた。


 やがて、澤田さんは顔を上げると、その目に涙をためて、


「僕は。――か、加藤さんのプロジェクトを、壊してやろうと思ったんです」


 加藤さんは聞き返した。


「なんだって? 俺の?」

「――はい。僕は、加藤さんが推進する、マイネコシステムの開発と、リリースを、潰してやりたかった。あのプロジェクトを……」

「なに? なぜだ。澤田! なぜ、そんなことを?」


 すると、澤田さんは顔を赤くして、両手を握りしめて、振り絞るように言った。


「僕は、あ、相原さんが、好きなんです。けなげにがんばる、相原さんのことが。――でも、相原さんは、加藤さんばかりを見て……。だから、悔しくって。能力も、人望も、あなたにはとても、敵わないから。加藤さん。僕は…………」


 澤田さんは涙を流し、悲痛な表情で加藤さんを見ていた。加藤さんは面食らったように目を広げて、


「お、おい。――わかった。わかったよ。その想いはよ。それにしたって、澤田。――そうか。説明しなけりゃ、いけないよな」


 そこで澤田さんは尋ねた。


「説明? ですか?」




 そのとき、歩道の向こうから人影が現れた。それは人の姿をとった、リティだった。


 リティは腹の右側を押さえ、少しふらつきながら歩いてきた。旧鼠に噛みつかれた腹をかばいつつの様子だが、命に別状はないようだ。


 澤田さんはリティを見ると目を丸くして、


「あ、相原さん! こんな時間に、どうしたんですか?」


 すると、リティのほうも驚いたように、


「え、さ、澤田さん? なんで?」


 そこで黒はふう、と深いため息をついた。


「やれやれ。やっと話が見えてきたと思ったら。この様子だと、まだ帰れそうにないな。ッたく」

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