22. 優しい鳴き声

 僕はリティへと近づいて、澤田さんのことを説明しはじめた。澤田さんの想い。要石を動かしてしまったこと。


「なによそれ? 信じらんない! 意味わかんないよ!」


 そんなふうに憤慨ふんがいするリティだったが、僕が同じことをもういちど説明しはじめると、いくらか落ち着いてきたようだった。


「そっか、澤田さんも、エミのことが、好きだったんだね。――でもさ、やっぱりダメだよ。旧鼠塚みたいなものを、利用しようなんて」


 僕はうなずいて、


「ああ。まあね、それについては、僕もそう思うよ。旧鼠――あの鼠だってさ。ちょっと、可哀想だなって。僕は、そう思ったんだ」


 そう言って僕は自分の右手を見た。まだ、鼠を刺したときのざらついた感触が残っていた。それに、あの赤い目の光も。



 澤田さんは加藤さんから説明を受けていた。やがて、澤田さんはリティを見て、


「そ、そんなの、信じられませんよ……」


 そう言って、リティへと近づいてきた。


「あ、相原さん。あなたは、相原さん、ですよね? な、亡くなった? ――なんて。そんなことって。ハ、ハハッ。あなたが、リティとかいう、猫だって。そんなのって…………」


 澤田さんのメガネの奥には、焦点の合っていない二つの目玉の黒目が、ふらふらと揺れていた。


 リティはうつむきかげんで、澤田さんを見ていた。


「ごめんね。あたしは、エミじゃないんだ」

「嘘だッ!」


 澤田さんはリティに詰め寄る。リティは、ひっ、と小さく叫んだ。黒が澤田さんの肩に手をかけた。


「おい。あんたは、これだけのことをやっといて、まだ、現実を見れねえのか。あんた、人間として、恥ずかしくねえのか? リティが、こんなに真摯に、人間たちに向きあっているってのにさ」


 すると澤田さんは黒を見て、


「う、うるさい! おまえみたいなガキに! なにがわかるんだよ。相原さんは、相原さんだろ!」


 そう言って、黒の両肩を突き飛ばした。黒はよろめいて、後ろに退がった。


「おいおい。こりゃどうしようもねえな。クソ……」


 黒はそうぼやいて、澤田さんを睨む。


 そのとき、リティが言った。


「いいよ。証明してあげる」


 すると、リティはその場で、右回りにくるりとジャンプした。一瞬、閃光がまたたいたかと思うと、服がアスファルトに落ちた。


 服の上には、二又の尻尾を垂らす、茶色い猫がいた。


 澤田さんは、あっけにとられた様子で、口をぽかんと開けていた。


 それから、壊れたロボットみたいに膝を曲げて、へたりこんだ。


「ま、まさか…………」


 そう言って、澤田さんは目の前のリティを見つめた。


「相原さんが、死んだ…………」


 そう呟くと、がくりとうずくまった。肩を細かく震わせて、両手で顔を覆った。詰まった涙声が、両手の中から聞こえてきた。



 そのとき、リティの鳴き声がした。


「ナーア」


 リティはそうひと鳴きして澤田さんへと近づくと、赤い舌を伸ばして澤田さんの手を舐めた。


 きっと、僕だけが気づいていた。このときのリティの鳴き声は、いつになく優しく、憂いをふくんでいた。





 一週間後の金曜日の夕方。僕と黒はまた、ネコテック社へと向かった。


 駅を出るとリティもいた。――待ち合わせをしていたのだ。茶色い髪が太陽をあびてきらきらと輝いた。白いTシャツに、デニム生地のスカートを穿いていた。


「リティ、ひさしぶりだね。元気だった?」


 そう尋ねると、リティは複雑そうな表情で、


「んー、どうかな。あれからさ、会社には行ってないから。お掃除とか、手伝うべきなんだろうけど。あんなに暴れちゃってさ……」

「いや、それは仕方がないよ」

「んー。とにかくさ、足が向かなかったんだね、これが。――もうさ、猫又だって、完全にバレちゃってるとさ。どうしていいか、わかんなくってね」


 そう言ってリティは、ふっ、と笑った。


 その横顔に思わず、僕の胸がずきりと傷んだ。リティが絵美さんから手に入れたものは、きっとその姿だけではない。人間みたいな、心の揺らぎや繊細さ。そんなものを受け継いだのだろう。


 そのとき、黒は言った。


「なんの役にも立ってねえな。人間なんて」


 その言葉に、僕はぎくりとした。『人間みたいな心を持った妖魔』。その言葉の欺瞞に、僕は気持ちが悪くなる。だから僕は、黒に言った。


「そうだね。リティのほうが、人間なんかより、優しくて、よく考えてるよ」


 すると、リティは僕に近づいてきた。


「え? なになに? あたしのこと、なにか褒めた? なでてあげよっか?」


 そうしてリティは手を伸ばしてくる。


「……や、やめてよ。そういうの」


 すると黒は先を歩きながら、


「ほら、さっさと行くぞ」

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