第29話 ひそかなやり取り 7
しかし、翌日、確かに掃除の仕事が入っていたのだが、作業中はずっと昨日のやり取りが間違っていたのではないのかと、疑心暗鬼になっていた。
でも、今は忙しいという言葉を残しているので、その気になればいつになっても会えるはずだ。
そう、最終的には楽観的な気持ちに切り替えて掃除を行っていた。
ジョセフはそんなマイナスな気持ちはあったが、掃除の仕事はここに来て実力を発揮していったのか、メキメキと上達していた。
その帰り、ジョセフは夕方ごろに家路に着くと、ドアの前にマムともう一人男性が話をしていた。
ジョセフはすぐにもう一人の男性が誰だか分かった。自分の父親のクリスだった。
近場まで行くと、マムはこちらを見てジョセフに気づいた。クリスもそちらの方向に視線が行く。
「ジョセフじゃないか。元気だったか?」
ジョセフとは違って、どちらかといえば筋肉質なクリスは、手を広げて嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
「もちろんだよ」
ジョセフはこの状況をどうしたものかと、思っていた。
「ジョセフ、寒かったでしょう。家に入った方がいいわよ」
マムは慌てた様子で、ドアを開けた。
「ありがとう」
ジョセフはマムに少し頭を下げて、入ろうとしたのだが、クリスは言った。
「しかし、久しぶりだな。もう、三年くらいあってないな。大分大きくなったな」
そう言って、クリスはジョセフの腹部を触った。
「何しに来たの?」
ジョセフは睨みながらクリスに言うと、
「おいおい、そんな目はしないでくれよ」
と、クリスは両手を顔の前に突き出した、
「俺は、ジョセフとマムとの三人での生活を、もう一度やり直したいと管変えてるんだ。ジョセフもお父さんともう一度やり直ししたいだろう」
これには、ジョセフは困惑していた。クリスがマムとケンカをして別れた原因、そして、この家を出た原因を、マムから幾度も聞いていた。その為、あまりいい気分ではなかった。
「別に……。僕はどっちでも」
そう言って、ジョセフは玄関の中に入っていった。すぐさまマムは自宅のドアを閉めた。
「おい、ジョセフ。俺が帰ってきて嬉しくないのか!」
そう、ドア越しに大声で言う、クリス。ジョセフは聞いていたのだが、取り合えず、リビングの方に入っていった。
クリスがやってきたのは、先程彼が言った通り、もう一度三人でやり直しをしたいのだろう。
しかし、浮気性で、当時の女性と一緒に去っていったクリスを許すわけにはいかなかった。ジョセフもマムがひどく泣きながら落ち込んでいた、あの時……。小学生にもなっていなかったあの時を、今でも思い出す。
初めて、憎しみという気持ちが芽生えた時だった。
大変な遊び人だったクリス。それまでも何度も他の女性のところに行っていたようで、その都度、マムは家庭のこともあり渋々許していたのだが、それでも止めなかった彼に対して堪忍袋の緒が切れたのだろう。
幼いジョセフは、クリスが出て行ったという記録でしか分からない。それまではケンカをしていなかったので、ずっと、自分の目線からは幸せな気分だったという記憶しかなかった。
もし嫌な記憶があったのであれば、クリスの笑顔だった。誰だから知らない女性と一緒に遊んだ記憶もある。しかし、その女性はクリスの浮気相手だと思うと、ゾッとする。
クリスが来たことで、マムは外に出て、追い払おうとしたのだろうか。
ジョセフは程なくして、部屋にこもっていた。
ジョセフは疲れていて、思わず二時間ほどベッドで眠っていた。その後、リビングの方に向かうと、マムが笑顔で食卓の椅子に座り、テレビを観ていた。
「あら、起きてきたの? ご飯、出来てるわよ」
そう言って、彼女は椅子から立ち上がった。
「あの、クリスはどうなったの?」
「どうなったって、帰っていったわよ」
「そう」ジョセフは椅子に座った。「何で、あの人、家に来たの?」
「まあ、もう一度、三人でやり直そうって言ってきたのよ。ジョセフはどう思う?」
ジョセフは即答で言った。「嫌だね」
「そうよね。確かに、ジョセフはお父さんがいないから、もしかしたらって聞いたんだけど、もういいわよね」
もういい……。という言葉に、ジョセフはしばし考えた。そういえば、十年ほど母親と二人だけの生活をしてきた。これまでそれが当たり前だと思っていた。確かにジョセフはそこの部分では虐められたことはなかったし、同じ境遇の生徒もいたので、大して気にしてはいなかった。
その為、参観日など、別の生徒の両親が来た時も、何も思わなかった。確かに少々寂しい気持ちにはなったが、それでも、仕事から返ってきたマムに対して、“今日参観日”だという言葉が出てこなかった。今となれば、言わなかった方が正解だ。
そういった、時たまに寂しい気持ちはあったが、もう中学二年、もうすぐ三年生だ。自分は父親が欲しいと思ったことはなかった。いや、あの引きこもっていた時や、不登校の時期も父親がいたら、ケンカになっていたことも考えられるし、クリスだとしても、彼は楽しい場所に連れて、結局自分が学校に登校することや、マムの苦労も考えられなかったのかもしれない。
「うん、もういらないよ。僕はお母さんだけで充分だ」
そう言うと、マムは涙を溜めて、カレーライスが入ったお皿を持ってきた、
「ありがとう。嬉しいわ」
その涙目を溜めている、そんなマムもジョセフは見たくはないが。
そう彼はそっぽを向いていた。
「それで、クリスって仕事をしてるの」
ジョセフは言った。実の父親に対して、名前で呼ぶのは失礼なのは分かっていたが、マムが嫌っていることも知っている。敢えて、自分は血のつながっていない父親だと装いたかった。
「今はしてないらしいわよ。でも、ちょっと前までは、建築会社で日雇いみたいなことをしてたらしいわ」
「そんなんじゃ、生活できないじゃん」
ジョセフはスプーンでライスをすくって、口に入れた。
「だから、ハローワークに行って、真剣に探してるって言ってたわ。まあ、あの人のことだから、もしかしたら嘘を言っている可能性はあるけどね」
「嘘つきだからね」
「ねえ、ジョセフ」
「うん?」
ジョセフはマムがそう言ったので、少し警戒した。
「話は変わるんだけど、サーベルさんの家あるじゃない?」
「ああ、あのゴミ屋敷サーベルのこと?」
「うん」マムは頷いた。「あの人の家、キレイにならないかなあ」
「何で、僕に?」
「実はね、この前、町内会で町長さんが、ジョセフが掃除用具をホームセンターで買ってたのを見てたのよ。それで、その時どうしてジョセフ君が買っていたのかという、話になってね。お母さん、ついついジョセフがしてる清掃業務のことを言ってしまったのよ」
「……まあ、いいけど」
ジョセフのスキルマーケットを了承してくれたのはマムなので、ジョセフは母親をとがめることはしなかった。
「それで、ジョセフ君にサーベルさんの家に、足を運ぶことによってサーベルさんも掃除に協力してくれるんじゃないかという話になったのよ」
「ふーん」
サーベルのことはある程度ジョセフは知っていた。とはいっても、マムから聞いた話ばかりなのだが。
サーベルは十年以上前に、たった一人息子を事故で亡くしたそうだ。それから親戚もいなくなった彼女は何かを埋めるように、ゴミ屋敷を作った。それがみんな非常に迷惑しているという話はマムから聞いていた。
過去今まで、サーベルのゴミ屋敷のことで、町長をはじめ、近所の住人、ゴミ収集車もサーベルからの了承も得ていないまま、トラックを家まで付けたこともある。
サーベルはもちろん怒って追い払ったという話は有名だ。それが、五年前のことだった。
それから、市役所も彼女の家に訪問したのだが、彼女は話もせず、挙句の果ては、何年前かのゴミが入った袋を、役所の人間に投げつける始末。
そんなんだから、誰も彼女に話しかけることは出来なかった。話しかけると何をされるかも分からない。
ただ、一人息子を可愛がっていただけだって、彼女は子供が好きなのは意外な一面だった。何年前だろうか、ジョセフは棒付きのキャンディーをもらった。
彼女の中ではキレイなものだったのかもしれないが、ゴミクズが付いていて、しかも、サーベルからもらったという事で、即、家に帰ってから捨てたのだが。
他の生徒たちにも、何かもらったという情報はあった。どういった意図なのかは分からないが、もらったほうは気持ち悪いとみんな同じ言葉を発していた。
「どう、難しいよね」
マムは言う。彼女自身もジョセフには掃除して欲しくない気持ちでいっぱいだった。
「まあ、僕はあんな気持ち悪い、掃除はごめんだね」
ジョセフはそう言いながら、カレーライスを平らげた。
「ごめんね。こんな話を、食事中にして」
「いいよ。別に、気にしてないから」
ジョセフはそう何気なく言ったのだが、マムは気を悪くしたのではないかと、しばらく心の中のモヤモヤが消えなかった。
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