ステンドグラスの花模様

 科学博物館の脇、宇宙資料館とは逆の側に装飾のほとんどない白亜の建物がある。

 ナツヒサは背丈の倍ほどある大きな扉の前に立ち、その取っ手に手を触れると、ほとんど力を入れていないにもかかわらず、扉はすーっと奥へと静かに開いていく。

 入口から先には白い床が続き、そこには何人もの人が入ってもまだまだ余裕のある広い部屋がひとつだけある。

 床の上には虹色の模様がゆらゆらと動いている。部屋の中心に進み見上げると、ドーム型になった天井はステンドグラスで装飾され、そこには唐草模様と花のモチーフが一面に描かれている。そのステンドグラスをずっと見つめていても、決してまぶしく感じることはなく、空を覆う草花に包まれているような感覚は、なんともいえない幸せな感覚を呼び起こしてくれる。

 ナツヒサはその花の模様の中にハルの面影を見たような気がした。そして静かに目をつぶり、しばらくその暖かな光に包まれたまま立ちつくしていた。

 ここは、かつてヒトがとても大事にしてきた、自然との共存をテーマとした建物だ。しかし博物館の他の展示スペースなどとは違い、ここにはなにもない。ただあるのは、天井や壁のステンドグラスとそこからこぼれ落ちてくる光の彩りだけだ。

 子供のナツヒサにはこの空間はとても退屈で、いったい何のためにあるのかまったくわからなかったが、大人になってこうして来てみると、とても心が落ち着き、自分自身と深く向き合うことができる場所のような気がする。これが設計者の思惑なのだろうか。

 ナツヒサは床に座り、今度は壁のステンドグラスをぼんやりと見つめながら物思いにふけった。

『自分はこれまでどんな生き方をしてきたのだろうか。宇宙飛行士に憧れていた子供の頃、世の中すべてが輝いていた。しかし宇宙飛行士なんていうものはその頃にはもう存在しなくなって久しく、大人たちが抱いていたただの空想物語だといっても過言ではなかった。子供心に大きなショックだったが、今度は寝る間も惜しんで勉強をし、最先端の科学技術を持つと自負する職場へ入る。それなりに充実していたと思っていたが、どこかむなしさを感じ父親の町工場を継ぐ道を選び、そしてなぜか宇宙船カプセルの製作を任された。宇宙か…。まさかここになって宇宙と関わりを持つことになるとは考えもしなかったな。それにしても、カプセルはどのように改良したらよいのだろうか…』

「きれいなステンドグラスですよね」

 透き通った優しい声が部屋いっぱいに響いた。ナツヒサが振り返ると、開かれた扉の前にヒトの姿があった。外からの逆光でその姿は陰になり顔はよく見えなかったが、その声で誰だかすぐにわかった。

「ハルさん?」

 ハルは光に包まれ、そのシルエットは黄金の光で縁どられているように見え、栗色の髪は金色に輝いていた。

「邪魔しちゃったみたいでごめんなさい。ヨシアキさんからここにいるって聞いて、わたしも久しぶりにこのステンドグラスが見たくなって来てみたの」

 扉が閉じるにしたがって金色の光は薄れ、室内の淡い光でハルの顔がよく見えるようになってきた。

「きれいですよね。こんなにいろんな花があったんだなって、ついつい見とれてしまって」

 ナツヒサは立ち上がりながら言った。ステンドグラスの花の模様にハルの面影を見たような気がしていたナツヒサだったが、あれは幻想だった。やはりハルは花の模様なんかではなくちゃんと生きているヒトだ。しかもその花々のどれよりも美しいと感じ、横顔をじっと見つめた。

「ここに来ると、なんだか暖かい気持ちになって、昔を思い出すのよね」

「そ、そうですね。わたしもちょうど昔のことを思い出していたところです」

 ナツヒサはふいに話しかけられ、戸惑いながら答えた。

「ナツヒサさんの子供時代は、やっぱり勉強一筋だったんですか?」

「そんなことないですよ。子供の時は遊んでばっかりです。それからも、ただ好きなことをやってきただけですよ」

「ごめんなさい。ヨシアキさんから勉強をしている姿しか知らないと聞いて、勝手にそんなイメージを持っていたの」

「そうだと思いました。勉強しか知らない、つまらないやつだとも言ってませんでしたか? さんざん試験やレポートを手伝ってやったのにひどい言い草ですよね」

「ふふっ。仲がいいんですね」

「自分でもなんであいつと仲良くやっていられるのか不思議なんですよね。まあ、腐れ縁ってやつですかね」

「ちょっとうらやましいです」

 ハルはそう言うと軽くほほえんだが、ふいに真面目な顔になり話し始めた。

「わたし、今回の件で周りがいろいろと言うのを聞いてきて、ちょっと自信をなくしていたの。そんなことやってどうなるんだ。どうせ失敗するに決まってる。やる意味がない。何かあったら責任が取れるのか。ほんと、マイナス思考のオンパレードよ。そんなことわざわざ言われなくても、わたしだって身にしみて分かってる。みんな分かってる。けど、そういう言葉を聞き続けていると、わたしたちのやってることは自分たちのひとりよがりで、やっぱり間違ってるんじゃないかと思ってしまうの。だって、いくらわたしたちの子孫のためとはいえ、成功する確率はとても低いものだし、若者たちの尊い命を犠牲にしてまでやることなのかと…」

 ハルは天井のステンドグラスを見つめながらそう言った。

「それにナツヒサさんにもご迷惑を掛けてしまったんじゃないかって、一度ちゃんとお話をしようと思っていたんです」

「迷惑だなんて、そんなことありませんよ。ここに来て子供の頃の純粋な気持ちを少し取り戻せて、今回の話で心から打ち込める何かを見つけたような気がしているんです。だから、わたしのことは気にしないでください」

「ほんとですか? そう言ってくれると、少し気持ちが楽になりました。みんなが言うように、単なる自己満足なのかもしれないけど、でもやるからにはどうしても成功させたいんです」

「力になれるかどうかわからないけど、精一杯がんばります。あと、うまく言えないですが、それでいいんじゃないですか?」

「それで、とは、どういうことでしょう…?」

「ハルさんひとりだけで抱え込むものでもないし、真正面から自分の宿命と向き合っているような姿は好きです…あ、偉そうなことを言ってすみません」

「ありがとうございます。そういう風に見えているんですね。ナツヒサさん、いいヒトなんですね。職人さんだし、こわい人なのかと思ってました」

「あっはっは。ぼくってそんなにこわそうに見えましたか? ヨシアキとはずっとあの調子だから、誤解を与えてしまったのかもしれませんね」

「あ、またへんなこと言ってごめんなさい。わたし、もう帰ります。邪魔しちゃってごめんなさい」

 ハルは軽く頭を下げ、入口の扉の方へと足早に向かっていった。

 ナツヒサは彼女を引き止めるうまい言葉が見つからず、そのまま後ろ姿を見つめていた。

「カプセルができたら連絡します!」

 ハルは振り返り、ふたたび頭を下げ、そして扉に手をかけた。

 扉を引いて光の中へと消えていくハルを見送りながら、なぜだかわからないが、ナツヒサの頭の中には彼女がこのまま遠くへ行って戻ってこないようなイメージが浮かんだ。そして、それが頭から離れるまでいつまでもその場に立ちすくんでいたのだった。

 花々の咲き誇るステンドグラスの光に包まれながら…。

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