希望を作るもの

 ハルとヨシアキは研究所を抜け出し、町の裏通りを歩いていた。地下通路がこんなところに通じているとは思いもしなかった。そもそも地下に通路があるとは思ったこともなかった。

 ここには小さな工場がいくつも立ち並び、それぞれの軒先から金属を加工する音が響いてくる。

「他の部署に相談もなしに独断で決めちゃっていいの?」

「仕方ないだろ。緊急事態なんだし、かといって計画を止めることは出来ないだろ。あとで何とか説得する。設計図があれば誰でも作れるが、あいつなら信用に足りる仕事をやってくれるはずだ」

「そのナツヒサさんってどんなヒトなの?」

「おれの学生時代の同級生で、ちょっと根暗だけど成績優秀のいかにも優等生って感じだな。名のある企業に勤めて力を付けていたんだが、何を思ったのか、あるときスパッとその仕事をやめて、親の町工場を継いでいる変わり者さ。いまじゃ腕利きの職人になって、みんなから一目置かれる存在になっていて、おれもたまに仕事を頼んだりしてるのさ」

「へぇ、すごいのね。でも職人っていうとなんだか気難しそう」

「おれは昔からのなじみだからなんとも思わないけど、普通のヒトはそう感じるかもしれないな。ほら、ここだ。おーい! ナツヒサ、いるか?」

 入口から少し入った場所で溶接作業をしていた男が振り向き、防護用のバイザーを持ち上げ顔を現した。

「またお前か。今日は何しに来たんだよ」

 ナツヒサは立ち上がりながらそう返した。

「まあ、そう言うなって。今日はのっぴきならない相談に来たんだ。まず紹介しよう。こちらは、植物学者のハルさん」

「はじめまして。ハルといいます。学者といわれると気恥ずかしいんだけど、よろしくお願いします」

 ナツヒサはハルの澄んだ瞳に吸い込まれるようにしばらく見とれていたが、はっと我に返り栗色の長い髪に目をやりながら言った。

「あ…。は、はじめまして。ナツヒサです。こんなむさ苦しいところへようこそ。おい、ヨシアキ、お客さんがいるなら先に連絡してくれれば…」

「まあ、そんな余裕もなくてな」

「ヨシアキさんから話を聞きました。とびきりの職人さんなんですってね」

 ハルにまっすぐ見つめられると、ナツヒサはひとことも言葉を返せなかった。

「あ、いえ、ははは…」

「さて、と。ひと通りのあいさつがすんだところで、あまりのんびりとしてもいられないので、さっそく本題に入ろうか」

 ヨシアキはいつの間にか作業場とひと続きになった部屋の奥にあるソファーにどっかりと座っている。

「おい、おれはまだ相談にのるとは言ってないぞ。お前はいつもそうだな」

 ナツヒサとハルも部屋の奥に進みソファーに座った。ヨシアキはハルを促すと、カバンの中からカプセルの設計図を出させた。そして、テーブルの上に置いてある何の部品かわからないものを脇に寄せ設計図を広げた。

「これを見てくれ。今おれがかかわっているある計画で使う宇宙船カプセルの設計図なんだが、これをもとにした原型プロトタイプを作ってほしい」

「今どき紙の設計図なんて、なかなか古風だな。ふーん。この図面はお前が引いたのか?」

「それはちょっと事情があって明かせないんだな。さる有名なお方とでもしておくか」

「だろうな。これほどの設計図を描けるヒトはそうそういないだろう。少なくともお前には無理だ」

「そんなことがわかるのか?」

「そりゃわかるさ。何年この業界にいると思ってる。お前だって設計図くらい描いたことがあるからわかるだろ。ほんとに学生のときからどうしようもないな…」

「まあまあ昔話はよしとして、それでだ。このカプセルの原型プロトタイプを作ってほしいんだが、できるか?」

原型プロトタイプを作るだって? お前が関わっている例の何とか計画のやつか? てことはユキトさんの設計図だな」

「まあそうだ。計測機器やエンジン、プログラムなど多少完成しているものもあるが、まだまだ設計段階のものもたくさんあるにはあるが、大雑把なものでもいい」

「うーん…」

 ナツヒサはしばらく図面を眺め、そのあとは目をつぶって考え込んでいた。部屋の中は静まり返り、カンカン、キーンという金属の加工音が外から聞こえてくる。

「ナツヒサさん、どうでしょう。できそうですか?」

 しばらく経ってハルがそう切り出すと、ナツヒサはようやく口を開いた。

「できないことはなさそうだけど、そうだなぁ…。ユキトさんは作らないのか?」

「それが、ついさっき作れない事情が出来てしまってな」

「機嫌でも損ねたのか?」

「まあ、ちょっとな」

「うーん…」

「お願いします」

「おれからも、この通り」

「おいおいヨシアキ、やめてくれよ。お前が頭を下げるなんて調子が狂うじゃないか。わかった。なかなかハードルが高そうだけど、とりあえずやってみるからまた相談させてくれ」

「ほんとですか? ナツヒサさん、ありがとうございます!」

「そうこなくっちゃ! さすがおれが見込んだだけはある。で、いつできる?」

「ちょっと待ってくれよ。こっちにも都合があるんだから。また明日連絡する。それと、この設計図は預かってていいのか?」

「それは構わないが、その設計図を狙ってる奴らがいるようだから、くれぐれも気をつけてな」

「なんだか物騒だな。じゃあちょっと待ってくれ。コピーをとってくる」

 ナツヒサは奥の小部屋へいき、戻ってきた。ヨシアキは設計図を受け取ると小さくたたみ、服の内側のポケットへしまい込んだ。

「それじゃ、連絡待ってるぞ。詳細はその時に詳しく教える」

「ナツヒサさん、よろしくお願いします」

「はいはい、毎度ありがとうございます」

 ふたりは手を振り帰っていった。

 ナツヒサはふたたびソファーに腰を下ろすと、先ほどまでやっていた仕事のことを忘れ、設計図のコピーを眺めはじめた。よくもまあこんな無駄のない美しい設計図を考えられたものだ。まだまだ一流の技術者の足元にも及ばないと、自らの力不足を実感する一方、ユキトの設計図で仕事ができることにわくわくしていた。

「こんな巡り合わせもあるんだな」

 そう呟いて、ナツヒサは目をつぶった。

 ふとハルの澄んだ瞳、そして長い髪を揺らしながら歩いていく後ろ姿が思い浮かび、頭から離れなくなった。

 油のにおいと外から聞こえてくる金属の加工音が耳に心地よかった。

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