希望を阻止するもの

 ミノリとナオキのふたりが出会う前まで、時間を少し戻そう。

 “希望の地”計画がおおやけになると、ニュースは連日この話題で持ちきりとなり、世の中にはさまざまな意見が飛び交った。ただし、発表された計画とは、希望する若者をヒトが住める可能性のある新しい惑星に向かわせるという大雑把なものであった。

 計画に対しては反対の意見が大多数を占めたが、なかでも声が大きかったものは、計画そのものに対する意見ではなく、連邦政府やそのやり方、または公的なものに対する誹謗中傷であった。

 一部のヒトと企業のみが利益を得るのではないかという陰謀論、特権階級にいるヒトだけが新たな惑星に逃げのびるといううわさ、研究への税金の使い方や研究のあり方そのものへの批判が主なものだった。しかしそれのみにとどまらず、この計画に関係する研究者に対する人格攻撃にまで話が及び、過去のわずかな失敗が徹底的に叩かれた。果ては愉快犯による連邦政府関係者や研究者への殺害予告が行われ、警察が出動する事態にまで発展した。惑星の環境は荒廃して久しいが、無機質な街の造りと同様に、ヒトの心もすさみきっていた。

 計画そのものに対して異を唱える学者もいたが、その主張の根拠となる研究は、計画への反論としてはまったく的外れな結論を導くもので、少しでも知識のあるものにとっては容易に間違いを指摘できるものであったが、けれども多くのヒトの感情に訴えかけるにはそんな研究が存在するというだけで批判の根拠として十分だった。内容はどうでもよかった。

 候補者に選ばれる若者がかわいそうという感傷的な声も多くあったが、そのほとんどが有名人であるような声の大きい誰かの意見に同調しているだけでしかなく、またこの計画に何の興味ももたないヒトが意見を求められたとき、当たり障りなく答えるための常套句でもあった。

 世間からさまざまな意見が出てくることは当然ながら予想されたが、世の中の声を受け、あるいは力と財力を持った団体からの反発を目の当たりにし、彼らに迎合する形で連邦政府内でも異論が出てきた。そんな計画は了承していないと公然と否定するものも出てきた。ここで計画は振り出しに戻るかと思われたが、連邦政府内で再度意見の集約とあらゆる関係者や関係機関との調整が行われた結果、当初の計画を変えることなく進めることが統一的な見解となった。

 計画の発表は世の中にさまざまな混乱を引き起こしたが、この計画はヒトが住んでいる環境にとくに変わりがあるわけではなく、無謀とも思える計画に若者の中から応募者が出てくることもないだろうという考えが多くを占め、また個々のヒトへの影響もあるわけではないため、世間の関心も急速に薄れていった。


 *


 技術者ユキトが勤務する研究所も、この反対運動の影響を受け、連日建物の周りにヒトが集まっていた。はじめのころに比べれば参加者の数も減り、穏やかになったが、一時期は石が投げ込まれたこともあり、研究責任者の立場にあるユキトはいまでも人目を避けるようにして建物を出入りしていた。

 今日はハルとヨシアキが研究室に来ている。

「まったく、この騒ぎはいつになったら収まるのやら。君たちは騒動に巻き込まれなかったかい?」

 ユキトは窓の外の様子にちらりと目をやり、ふたりに話しかけた。

「おれは顔は知られてないので、今日もただの業者扱いでした。世間じゃもうほとんどニュースにもならないっていうのに、あいつらよっぽど暇なんですかね」

「わたしも大丈夫でしたけど、ユキトさんはずっとたいへんなんじゃないですか?」

「まあそれなりにいろいろあったけど、この立場も長いから慣れたもんさ」

 ユキトはテーブルにつくと大きな紙を広げた。

「これが先日みんなに説明したカプセルの設計図の原図だ。あの時のものよりさらに改良してある」

「今どき紙なんて珍しいですね」

「最終的にはデータにするんだから、二度手間なのはわかってるんだが、どうも紙じゃないといいアイデアが浮かばないし、そもそも気分が乗らなくてね。あと、いざというときのためにはこれが最善なんだよ。燃やしてしまえば証拠もなにも残らないだろ?」

「ずいぶん昔のスパイ映画みたい」

「ハル、その例えがずいぶん古くさくないか?」

「悪かったわね」

 ユキトはふたりのやり取りをみて心底楽しそうに笑った。

「はははは、若いヒトたちは元気があっていいねぇ」

「ユキトさんだってまだ若いじゃないですか」

 ヨシアキはなぜそんなことをいわれたのか理解できなかったが、精一杯気をつかったつもりで答えた。

「そう見えるなら嬉しいけど、最近は疲れもなかなかとれないし、実際はそうでもないんだな」

「お疲れなんですよ。この仕事が終わったらゆっくりお休みください」

「ありがとう、ハルさん。ヨシアキさんから許可が出たらそうさせてもらうよ。その前に、この設計図をデータにして、それをもとに原型プロトタイプを作って手直ししなくちゃな。それさえできてしまえばカプセルの量産は時間の問題だし、この計画も半分終わったようなものだ。もうひと仕事だな」

「わたしたちもがんばります!」

「期待してるよ」

「まかせてください!」

 ハルはなんとなく目線を移すと、机に置かれた写真立てを見つけた。どこかの公園だろうか、大きな木の前でふたりの女の子がこちらへ屈託のない笑顔を向けている。

「その写真の女の子たち、娘さんですか?」

「ああ、左が娘で、右がその友達。娘はこの写真を撮ったあとほどなくして病気で亡くなってしまったんだけどね。もう何年も前の話さ」

 ハルは驚いてユキトの顔を見たが、先ほどと同じ笑顔で受け入れてくれた。

「なんだか、悪いことを聞いてしまったみたいで…。ごめんなさい」

「いや、いいんだよ。とても前向きな娘でね、わたしがひとりで悩んでいるとき、娘にはいろいろ助けられたんだよ。今でもそれを思い出すようにこうして写真を飾っているんだ。それに、忘れてしまったら娘がかわいそうじゃないか」

「いい娘さんだったんですね。もうひとりの女の子はどうしているんですか?」

「わたしもちょっとそのことが気になっていてね。娘が亡くなったあと彼女とも会う機会を失ってしまったんだ。おまけにちょうどわたしも仕事が忙しい時期と重なって、今ではどこでどうしているか、もうさっぱりなんだよ」

「名前はなんていうんですか?」

「確か、ミノリちゃんだったかな」

「ミノリちゃんといえば、確か彼女も…」

「どうかしたかね?」

「いえ、ミノリちゃん、元気だといいですね」

「そうだね。きっと元気でやってると思ってる」

 ユキトは昔を思い出すように写真を見つめた。

「ところでユキトさん。ユキトさんはこの“希望の地”計画を聞いてどう思われましたか?」

「今さらの質問だな。そりゃあ、最初ヨシアキさんから聞かされた時はびっくりしたよ。あまりにも現実離れした話だったからね。ただ若いきみたちが一生懸命考えて出した答えだから、それに賭けてみようと思ってね」

「ひと筋縄ではいかなかったと聞いてます」

「そうだな。平坦な道ではなかったな。けどいろいろ言うヒトはいるけれど、結局のところただ自分の言いたいことを言っているだけなんだよな。自己満足と言うかなんと言うか。だから、きみたちも周りのヒトの意見に煩わされ過ぎないで、思うようにやったらいい。大丈夫、わたしもできる限りのことをやらせてもらうし、きみたちならきっとできると信じてるから」

 机の上の通信機が鳴り、3人はいっせいにそちらを見た。

「はい、ユキトです」

『ユキトさん、たいへんです! 侵入者です! 何人かそっちへ向かっているようです。気をつけてください!』

「なんだって!」

 ハルとヨシアキのふたりはユキトのただならぬ様子をいぶかしんで見た。

「やつらだ。建物の中に入ってきたらしい。ふたりとも早くこの奥へ! 地下の通路に繋がっているからそこから逃げろ! これも持っていてくれ」

 ユキトが机の下のボタンを押すと、棚の脇から隠し扉が現れた。

「とうとう強硬手段に出てきたってところか」

「そうだ。ここにいたら危険だ、早く逃げろ!」

 ユキトはヨシアキにカプセルの設計図を渡すと、扉を開けハルとヨシアキを押しやった。ふたりはユキトのただならぬ様子に気おされ、無我夢中で階段を駆け下りた。

 数十秒の差で研究室のドアが開き、複数のヒトが足音を立てながら入ってきた。彼らは迷わずユキトをぐるりと取り囲んだ。

「なんだお前たちは、騒々しいな。面会許可はとったのかね」

「うるさい、カプセルの設計図はどこにある!」

「カプセル? 何のことだ」

「お前たちが企んでいる計画の話をしている。知らないふりをしても無駄だ、早く出せ!」

「そんなものは知らない」

「あんな計画をやらせるわけにはいかないからな。おい、みんな探せ!」

 男たちは棚という棚の引き出しをすべてひっくり返し、部屋の中を荒らしに荒らしたが、設計図はどこにも見当たらなかった。

「おいユキト、もう一度聞くが、カプセルの設計図はどこにある?」

「だから、そんなものは知らないと言っただろ」

「そうか……わかった。じゃあ悪いが一緒に来てもらおうか。おい」

 ユキトはさるぐつわをはめられ後ろ手に縛られ、男たちに囲まれながら部屋を出ていった。

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