ふたりの出会い
その日は暑かった。
地下の都市でも夏と冬とでは気温が違い、都市を照らす光からも季節を感じ取ることはできた。
ミノリはひとり、連邦政府から指定されたビルへと向かっているところだった。
街を歩いていると、周りの景色や行き交う人々はこれまでの日常と何も変わらず、近い将来ヒトが絶滅するということは嘘ではないかと思えてくる。
街の中心部にある連邦政府の建物の存在はよく知っていたが、間近で建物を見上げるのは初めてで、中に入るのも当然初めてだった。
受付で案内されたエレベーターに乗り、上層階へと向かった。20人ほど乗れそうだが、今はミノリただひとり。
エレベーターを降りると正面に大きなガラス窓があり、街並みがよく見渡せた。ミノリの家の方もよく見えた。見慣れた風景も視点が変わるとずいぶん違った印象になる。
「ミノリさんですか?」
名札をぶら下げている女性に名前を呼ばれた。
「はい」
「お待ちしていました。どうぞこちらへ」
案内された部屋はベージュの色調で統一され、かすかに甘い花のかおりが漂っていた。
奥の机にいた女性が立ち上がりあいさつをした。栗色の長い髪の整った顔立ちの美しいヒトだったが、どことなく寂しそうな表情をしているのが印象に残った。
「こちらへどうぞ。わたしはハルよ。お名前をお聞かせください」
「はい。ミノリです」
「ありがとう、ミノリさん。どうぞそちらへお掛けください」
「はい」
ふたりは向き合ってソファーに座り、お互い目を合わせた。ハルはやさしくほほえんでいる。
「このたびはとても大きな決心をしてくれて、ほんとうにありがとう。わたしたち全員を代表してお礼いたします。それでさっそくだけど、“希望の地”計画の説明はもうお読みになりましたか?」
「はい」
「びっくりするようなことが書いてあったと思うけど、これから少しずつ説明していくから、質問があったらなんでも聞いてね」
「はい」
それからゆっくり時間をかけてふたりは話し合った。
ミノリはいくつも質問をして、ハルはそのひとつひとつに丁寧に答えた。
ひととおり説明が終わると、そのあとは好きな食べ物や音楽の話など他愛もない会話を続けた。まるで姉妹のように。
澄んだ瞳をして、優しい声で語りかけてくるハルのことを、ミノリはとてもステキなヒトだと思った。
『わたし間違っていなかったんだ』
正直を言うと、今回の計画に参加することについて、ミノリにまったく不安がなかったと言えば嘘になる。けれどこうしてハルと話をして、そんな不安もどこかへ消え去っていった。こんな短い時間で初対面のヒトを信じるのに何も根拠はなかったが、ある種の直感、強いていうならばひとめぼれと同じような感情が湧いたのではなかっただろうか。
『ミノリちゃんの思うようにやったらいいんだよ』
頭の中でアスカの声がよみがえってくる。このヒトなら信用できる。ミノリはそう強く思うことができた。
「…それじゃ、もう一度よく考えて、後日あらためて考えをお聞かせください」
「いいえ、そんな必要はありません。わたし、もう決めました」
「ほんとうに?」
「はい」
「まだ時間はあるんだし、ゆっくりでいいのよ」
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。それでは、よろしくお願いします」
ハルは深くお辞儀をし、そしてにっこりとほほえんで右手を差し出した。
「今日からあなたもわたしも同じチームの一員よ」
「……!」
ミノリは誰かと握手をするという慣れない状況に少しためらいつつも、遠慮がちに右手を差し出し、ハルの手にそっと触れた。細く柔らかい手だった。ハルに両手で右手をやさしく包み込まれると、まるで全身を真綿にくるまれるように感じた。
「よろしくね。それから、ミノリさん。きれいな声をしてるのね」
「えっ…」
ミノリは思いもしなかった言葉をかけられ、顔を赤くして、ありがとうございますと返すのが精一杯だった。
「あ、そうだ。ちょっと待っててね」
ハルはそう言うと、机の上にあった通信機を手に取りボタンを押した。
*
「ナオキくんだね」
「はい、そうです」
「わたしはヨシアキです。今回はよく決心してくれて、ありがとう」
「いえ、どうも」
「“希望の地”計画の説明は読みましたか?」
「はい」
「じゃあ、もう一度最初から説明するから、何か質問があったらその都度聞いてくれ」
「はい、わかりました」
ヨシアキは話をしながらナオキの表情を何度も見ていたが、説明がひと通り終わってもまだ何か悩んでいるような様子だった。
「ナオキくん大丈夫かい? やめたくなったらやめてもいいんだよ。それとも、今日はここまでにしておこうか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが…」
「気になることがあったら何でも言ってくれ」
「…計画のことじゃないんですけど、母親とお姉ちゃんのことがやっぱり気になってしまって」
「そうだったな、確か君のお父さんも事故で亡くなったんだったね。たいせつなヒトを心配するその気持ちはよくわかる。お母さんとも話をしたが、ずいぶん君のことを心配していたし、さみしい気持ちも隠しきれていなかった。けれど、それでも君の決意を尊重したいと言ってくれた。君のお母さんやお姉さんはわれわれが責任を持って面倒をみるから、そこは安心してもらいたい」
「そうですか。ありがとうございます。少し安心しました」
「ところで、君のお父さんは地上の調査隊員だったって聞いたけど、仕事の話をしたことは?」
「はい。いろいろ聞かされて育ちました」
「一緒に調査に行っていた他の隊員の話なんかは?」
「それはあんまり聞いたことはありません」
「そうか…」
「けど」
「けど?」
「性別も体格も関係なく同じ仕事をするからたいへんだと言っていました」
「そうだよな。たいへんそうだよな。それで、調査隊員の仕事をどう思った?」
「とても楽しそうだと思いました」
「楽しそう?」
「はい。父親からは楽しそうな話しか聞きませんでしたから」
「あっはっは。楽しそう、か。やっぱり調査隊員は違うなぁ」
「何がおかしいんですか?」
「あ、いや、すまない。調査隊の仕事はそれはもうたいへんな仕事で、おれなんか考えただけでもぞっとするよ。けど、それを楽しいと思えるのは、さすが調査隊員だと思ってね。みんな尊敬しているよ。彼らのおかげで科学技術もずいぶん進歩しているし、この世界への貢献は計り知れない。毎日でもお礼を言いたいくらいだよ」
「ありがとうございます」
その時、机の上に置いてあった通信機の呼び出し音が鳴った。
「ちょっとそこで待っていてくれ」
そう言ってヨシアキは部屋を出ていき、ナオキはひとり残された。
『あのヒトぶっきらぼうだけど、悪いヒトじゃないんだな』
部屋の中を見回すと部屋は淡いグリーンを基調に統一され、爽やかな香りが漂っていた。
部屋の様子がわからないくらい緊張していたのかと、ナオキはそんな自分にびっくりした。そして先ほどまでの会話を思い出しながら、母親や姉のことも考えていると、ヨシアキが戻ってきた。
「向こうの部屋に、先ほど話をした相手のミノリさんが来ているそうだ。ちょうど説明も終わったし、もしよかったら、これから会いに行こうと思うんだが、大丈夫かい?」
「今からですか?」
「ああ、急な話なんだけど、どうだい?」
「分かりました。行きます」
*
ミノリとナオキはお互いの顔を見つめ、あいさつを交わした。
「はじめまして、ミノリです」
『この感覚はいったいなんなの? このヒト前にも会ったことがあるかしら。とても懐かしい感じがする。どんなヒトなのか知りたい』
「ナオキです。はじめまして」
『母さんやお姉ちゃんとは雰囲気がぜんぜん違うけど、昔から知っているような、とても懐かしい感じがする。それにしてもきれいな声だな。その声をもっと聞きたい』
ハルはミノリとナオキの様子をみて、この組み合わせがうまくいっているのを確信した。これまでにも何組か見てきたが、みんな同じような反応だった。そしてヨシアキに目配せをしてからふたりに言った。
「もしよかったら、ふたりだけでお話をしてみる? どうかしら?」
「はい」「はい」
ミノリとナオキは同時に答え、びっくりしてお互いの目を見つめ合った。
「あの、変なことを聞くようなんですけど、前にどこかで会ったことありますか?」
先に話を始めたのはハルだった。
「ぼくも同じことを聞こうと思ってたんだ。どこかで会った気がするなって。でも住んでいる場所も学校もぜんぜん違うし…」
「わたしたち同じことを思っていたのね」
「うん。そうだね」
「変なの…」
ハルとヨシアキはそんなふたりの
「あのふたり、うまくいきそうね」
「ああ、まったくだ。こわいくらいだな」
「わたしはここに残るから、ヨシアキさんはどうぞ仕事に戻ってください。相変わらず忙しいんでしょ?」
「そうしてくれると助かる。それじゃまたな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます