ナオキのこと
『新たな“希望の地”へのパイオニア求む!』
学校からの帰り道、ナオキは友人を待っている間、街角の交差点に据え付けてある掲示板でこの貼り紙を読んでいた。
『…わたしたちが滅びるのも時間の問題です』
「滅びるって…?」
「おいナオキ、何見てるんだ」
「うわっ、驚かすなよ…」
ナオキはヒトの気配をまったく感じないほどに、その文章に集中していた。
「お前が驚きすぎなんだ。あははは」
「なあ、これなんだけどさ。どう思う? 新しい星を目指すヒトを募集してるんだって」
「ふーん、なになに。希望の地? 二度とこの星には戻れません? なんだこれ。地上に出ることすらできないのに、こんなのに応募するやつなんているのか? お、さてはナオキ、ひょっとして応募しようと思ってたりしてたのかな。臆病なくせに冒険話とか好きだからな」
「いや、お前が来るまで暇だったし、ただちょっと気になって見てただけだ。それと、臆病はよけいだろ」
「あははは。そんなことより、早くカードやりに行こうぜ。せっかく早く授業が終わったんだからさ。そこが今のおれたちの希望の地だ」
「ああ、そうだな」
ナオキはその貼り紙に後ろ髪を引かれる思いをしながらも、友人とともに街角にあるゲームショップへと向かった。壁のガラスケースの中には隙間なくカードが並べられ、奥にあるテーブルの周りにはいつものメンバーが集まっていた。今は大人の間でもカードが流行っている。
「やっときたな、早くやろうぜ!」
名前は知らないが、彼らはとても気の合う仲間だ。
カードを1枚めくると空を飛ぶ真っ赤な竜が現れ、2枚目は大地にそびえ立つ大樹の絵柄だった。ナオキは目の前のバトルに熱中し、さっき見た貼り紙のことなどは、もうこれっぽっちも頭には残っていなかった。
「ただいまー」
「お帰りナオキ。ママ、今日は用事があるから遅くなるって」
「うん、わかった」
「おやつテーブルに出しとくからね」
「うん、ありがと」
ナオキは部屋に荷物を置き、リビングに戻ってきてソファーに寝そべりながら本を読んでいると、いつの間にかうとうととして、そのまま眠ってしまった。
「ただいま」
「あ、ママお帰り」
ナオキは母親と姉の声で目を覚ました。
「ナオキ、ちょっと話があるんだけど。今いい?」
「構わないよ。なに?」
母親はナオキの横に座り、膝に手をおいて話し始めた。
「お姉ちゃんも一緒に聞いて。実はね、今日は役所に寄ってたから遅くなったんだけど、あのね、よく聞いて」
「うん」
「ナオキは知っているかどうかわからないけど、“希望の地”計画っていうのがあってね、その候補にナオキが選ばれたのよ」
「え!?」
驚いて声を上げたのは姉の方だった。
「“希望の地”計画って、こないだ持って帰ってきたチラシのやつでしょ? だってナオキはまだ学生じゃない」
「そう。それでね、ママもびっくりしちゃって、その場で断る事もできたんだけど、ナオキももう子供じゃないし、自分でよく考えて答えを出してもらおうと思うの。パパは今のナオキと同じ歳で、地上の調査隊に志願したのよ。いろんな話をしてくれたわよね。ふたりとも憶えてるでしょ。あの事故でもう戻ってこれなくなってしまったけど、パパは決して後悔してはいないと思うの。ママもそんなパパのことは誇りに思ってる。だから、ナオキも自分で考えて悔いのない生き方をしてほしいのよ」
ナオキは事情が飲み込めていなかったが、昼間見た貼り紙のことなのだろうと察しがついた。『“希望の地”へのパイオニア求む』『かぎりない宇宙をふたたび目指します』『二度とこの星には戻れません』ナオキの頭の中にはそれらの文字がとぎれとぎれに浮かんでは消えていった。
「ママ、そんなの断った方がいいに決まってるじゃない。二度と戻ってこれないとか、死にに行くようなものでしょ。ねえ、ナオキ」
「わかったよ母さん。ちょっと考えてみたい」
「ちょっとナオキ…」
「これがもらった資料よ。この“希望の地”計画に名乗り出たヒトがいて、その相手としてナオキが選ばれたみたい。あとで話をしましょ。行くにしても断るにしても、どんな考えでもママは尊重するわ。ずっとあなたの味方よ」
ナオキは母親から『“希望の地”計画について』と書かれた冊子になっている資料を受け取り、自分の部屋へ入っていった。
「ママ、ほんとにいいの?」
「ええ。ナオキがどういう答を出すかわからないけど、あなたもナオキの考えを尊重してあげてね」
「そんなことできるかなんてわからないわよ」
「ママだって、もしパパに続いてナオキもいなくなったらと思うと、とても耐えられるものじゃないわ。けど、わかって」
「でも…」
「まだ行くって決まったわけじゃないんだから、今はナオキの返事を待ちましょう。さあさあ、ご飯作らなくちゃね。あなたも手伝って」
ナオキはひとり自分の部屋で机に向かい、赤茶けた砂の入った小さな瓶を手にしていた。
壁のボードには父親が撮った地上の写真が何枚も貼り付けられ、とりわけ大きく印刷された1枚は、巨大な芸術作品のような建造物に囲まれた真っ暗な空に星がいくつも輝いている、ナオキのお気に入りのものだった。いまだに空を覆う塵が、まるでこの一瞬だけ消えてなくなったかのように、突如として真っ暗な空が現れ、星が瞬き始めたという。
父親からは地上の話をいくつも聞いた。調査の内容はほとんどが極秘のものだそうだが、父親は長期の調査から帰ってくるたびに、見たこともない形状をした機械の部品、ヒトが何千人も収容できそうなおそらく乗り物だと思われる人工物、信じられない複雑な構造をした建造物がたくさんあるということなどを、興奮冷めやらぬ調子で語って聞かせてくれた。それはまるでおもちゃの山を見つけた子供のようで、生命の安全が保証されない危険な調査だということは微塵も感じさせなかった。
いつしかナオキの心の中を地上の調査隊への憧れが占めていったのも当然の成り行きだった。そして父親が何らかの事故に巻き込まれ音信不通となった今も、悲しいという感情はまったく湧いてこなかった。そればかりか、自分も父親と同じその道を進むのだろうと思っていた。早く大人になりたいとさえ思った。
ナオキは母親から手渡された冊子をぱらぱらとめくった。頭の中では地上の様子は何となく想像できていたのだが、“希望の地”計画ではそんな地上を飛び越えて、宇宙へ行くという。
「かぎりない宇宙へ…」
ナオキは本当の空を見たことがなかった。それは他の大多数のヒトもそうだった。地上への調査隊員を除けば、空というものは写真や映像で知識として持っているだけで、ましてや星などというものを想像することは難しい。宇宙となると漠然としたイメージしか湧いてこない。
冊子をさらにめくっていくと、宇宙船について書かれたページがあった。それを見つけた途端、ナオキは体の中心がじんわりと温かくなるのを感じた。宇宙に行くというのだから当然なのだろうが、地上へ出ることすら困難な状況で、宇宙へ行く手段があることがまず衝撃だった。具体的なことは書かれていないが、現実的な計画が進められているということのようだ。
「こんな話、父さんも知ってたのかな」
ナオキは窓の外に目をやり、壁に遮られて生まれてから一度も見たことのない空に、そしてその向こうに広がる宇宙に思いを馳せたのだった。
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