ミノリのこと

『新たな“希望の地”へのパイオニア求む!』

 最近、手元の端末に現れるようになったこの派手でセンスのない宣伝を、ミノリはほとんど反射的に消していたが、何度もしつこく出てくるうちに、なかばあきらめたように表示させた。そこに書かれている文章は、学校で配られたチラシに書かれていたものと同じで、もうすでに何度も読み返していたのだった。

『新たな“希望の地”へのパイオニア求む!

 かつて宇宙一と自負するほど美しく、恒星間を航行するパイロットから希望の地と呼ばれたこの惑星は、今や目を覆いたくなるほど荒れ果て、ほとんどの動植物は絶滅しました。わたしたちは、宇宙へ出ることはおろか、宇宙線の降り注ぐ地上へ出ることすらままならず、地下で生きることを余儀なくされています。

 生きていくのに必要な資源は底をつき、子孫を残す力すらなくなりつつあります。それはみなさんが一番よく知っていることでしょう。

 もはや未来への希望はありません。わたしたちが滅びるのも時間の問題です。

 しかし、このまま何もしないで、ただ滅んでいくのを甘んじて受け入れるだけでいいのでしょうか。

 わたしたちはわずかな可能性にかけて、わたしたちの子孫が生きていける、新たな“希望の地”を探します。そのために、みなさんの頭上を覆っている壁、その先に広がるかぎりない宇宙をふたたび目指します。宇宙に輝く星々には無限の可能性があり、希望であふれています。

 未来は若いあなたたちの生命いのちを必要としています。どうか“希望の地”のパイオニアになってください。

 一度宇宙に出ると二度とこの星には戻れません。けれども、あなたたちの体の中に流れる、親や姉妹兄弟、友人や恋人の血が、その記憶が、そしてその想いが、新しい星で、新しい命となって生き続けるのです。

 ひとりでも多くの、みなさんの力が必要です。

 一緒に“希望の地”を目指しましょう!』

 ミノリには思い当たるところがあった。おおっぴらに取り上げられることはないものの、この文章に書かれているように、今の世界がさまざまな問題を抱えているのは真実だった。そして今は亡き親や友人が願った幸せのために、自分を犠牲にしてでも何か貢献できることはないかと、その若さが彼女を揺さぶり始めていた、ちょうどそんな時でもあった。

「わたしたちが滅びるなんて、大げさに書いているだけだと思うけど、でも、新しい“希望の地”なんていうのがあるとしたら…」

 ミノリは幼くして亡くした友人、アスカのことを思い出していた。流行はやり病にかかり、病院へ行ったものの、満足な治療は受けられず、薬はおろか、十分な栄養をとることすらかなわなかった。日に日に弱っていく様子は、幼かったミノリの心に深く刻み込まれ、今でも夢に見ることがある。アスカは最期には衰弱して息を引き取ったが、それまではずっと、よくなることを疑わず、けっして希望を失わなかった。少なくともミノリの前ではそうだった。

「ミノリちゃん。アスカね、きっと元気になるから、そしたらまた公園で遊ぼうね。それからね、こないだミノリちゃんに教えてもらった果物も食べてみたいな。あとね…」

 楽しそうに話す彼女のブルーに輝く瞳を、ミノリはよく憶えている。アスカが亡くなってからというもの、ただでさえ引っ込み思案だったミノリは活発さを失い、しだいにふさぎ込むようにもなっていった。周りからは「大人になった」のだといわれ、確かにそういうことなのかもしれないと自分を納得させることもあったが、アスカの死はミノリにとって、決して晴れることのない暗い影を落としたのは事実だった。

 そして続いて訪れた両親の死。

「希望、ね…。この世の中に希望なんてあるのかしら…」

 そう口にした時、ミノリはふとアスカの口ぐせを思い出した。

「アスカね、今日ミノリちゃんがくるって信じてたの」「わたし、ぜったいよくなるって信じてるから。だってパパが言ってたもん」

 幼いアスカがその意味を理解していたのかどうかは別として、“信じる”という言葉をよく使っていた。

「信じる…。ねぇ、アスカちゃん。わたしはいったい何を信じたらいいの?」

 ミノリは机の上に立てかけられた写真に目をやった。そこには幼いミノリとアスカが、濃い緑色の葉を茂らせた大きな木の前に並んで立っていた。ふたりとも屈託のない笑顔でこちらを見つめている。

「この頃はみんな元気で、まだ希望なんてものもあったのかもしれない。でも、みんな次々にいなくなって、気がついたら、わたしももうひとりぼっち。ねぇ、これからどうしたらいいのかしら」

『…ミノリちゃんの思うようにやったらいいんだよ。ね、パパそうでしょ? わたし、ミノリちゃんのこと信じてるから』

「え?」

 ミノリにはアスカの声がはっきり聞こえた気がした。確かな記憶はないが、ひょっとしてこんな会話を交わしたことがあったのかもしれない。

 写真の中のふたりは、相変わらずの笑顔でこちらを見つめている。この写真を撮ったのはアスカの父親だ。多忙をきわめていた彼の唯一のなぐさめは、娘との時間を過ごすことだった。仕事の合間の短い時間を見つけては、娘を連れて近所の公園に行くのが常だった。そこは空の壁から光が降り注ぎ、緑がとても豊かで、ミノリもよく一緒に連れて行ってもらった。しかし、アスカが病気になり、亡くなったあとは、ミノリは彼女の父親とも会うことはなくなり、疎遠になってしまった。

「そういえば、アスカちゃんのお父さんはどうしているのかしら。偉い技術者だって聞いたことがあったけれど、お元気なのかしら」

 ミノリはふたたび広告の宣伝文句を読みながら、さっき聞こえてきた言葉を思い返していた。

「わたしの思うようにやったらいい…」

 ミノリとアスカはいつも一緒にいて、アスカはいつもミノリを励まし、背中を押していた。それはアスカが病気になったあとも変わらず、見舞いに来たミノリを逆にいつも勇気づけていた。

「アスカちゃんはいつもわたしを元気づけてくれたわよね。そっか…。そうよね」

 ミノリの瞳は少女のころの澄んだ輝きを取り戻していた。

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