第3話 孤独

「はい。防犯カメラのない場所かつブレーキ痕が残っていなかったので、殺意による犯行の可能性が高いです。人通りが少ないところでしたので目撃情報もなく……暁さんは誰かに何か恨まれるようなこと、ここ最近気になる動きはありませんでしたか」

 橘は、真剣な態度で母親に尋ねた。

「前の職業なら主人は恨まれることもあったと思いますが、今の職業ではないと思います。ここ最近は、翔の誕生日の準備をしていたことしか分からないです。……今頃、翔に誕生日プレゼントを渡して、家族で祝っていたのに……犯人も捕まらず、何も手掛かりもないなんて…………」

 母親は、ショックで顔を手で覆った。母親の手から涙が溢れているのが見えた。


 翔は、父親が殺されたのかもしれないということに驚き、一瞬だけ呼吸をすることさえ忘れていた。また、母親が翔と春の前では泣かないようにしていたこと、本当はまだ悲しくて仕方がなかったことを改めて感じた。


「暁さんの近くにこれがあったのですが、今回の件とは関係がなかったのでお返しします」

 松岡が袋から出したものは、ボロボロになった望遠鏡とバースデーカードだった。

 松岡がバースデーカードの内容を読み上げた。

『バースデーカードには”翔へ、一〇歳の誕生日おめでとう。今度、この望遠鏡で翔の好きな星を観に行こう。いつまでも愛してる。父、七瀬暁より”』

 翔は、父親は車に轢かれる直前どんな気持ちでいたのか。考えると涙が溢れだした。

 母親はボロボロになった望遠鏡とバースデーカードを抱きかかえて泣き崩れていた。


 あの時、望遠鏡が欲しいだなんて言わなければ父親は生きていたかもしれない。プレゼントを買いに行ったために亡くなったのだと思うと、翔は自分の行動を悔やんだ。


「兄ちゃん、お菓子まだ?」

 春が翔の後ろから声を掛けてきた。

 翔は、驚いてバランスを崩してドアを勢いよく開けてしまった。

 母親と松岡と橘は、翔を見て驚いた。

 翔は母親の言うことを守らなかったことに罪悪感を抱いたが、しっかりと目に映った望遠鏡をみて母親に飛びついて大声で泣いた。

「俺が誕生日プレゼントを欲しがらなければ父さんは生きていたかもしれない!!」

 今まで抱えていた思いを母親にぶつけた。

 春はボロボロになった望遠鏡を見て、父親が車に轢かれた時の凄まじさを感じたのか、母親に飛びつき、声を上げて泣いた。

「翔、そんなことないわ。お父さんは、翔のプレゼントを買えなかったら絶対に後悔していたもの。春も怖かったね、大丈夫よ。お母さんがいるからね」

 母親は、二人の悲しい気持ちを溶かすように背中を優しく撫でた。

 翔は、母親の腕の中の温かさと優しくも芯のある強い声に安心して疲れて寝た。

 春も同じような気持ちなのだろうか、次第に泣き止み、静かに寝た。


 翔は、本当はお母さんも泣きたかったはずなのに自分と春が泣いたから、お母さんは弱さを見せなくなってしまったのだろうと後になって思った。


 二〇二二年七月一八日、父親の前の職場の松岡と橘が来てから一週間が経った。


 翔と春は学校に通えるようになったが、周りの友達は、よそよそしい態度で話し掛けてくるようになった。翔の一番仲の良い友達は、翔の顔色をうかがうだけで話しかけてこなかった。今まで通りに接してほしかった翔にとって悲しいことだった。

 春と一緒に家に帰る時、春は沈んだ表情で気力なく歩いていた。翔は、春に学校に行ってみてどうだったか聞くと、春は沈んだ表情をしたまま口を開いた。


「学校の友達から『お父さん死んじゃったって本当?』って言われた。みんな、僕を珍しいものを見るような目で見てきて嫌だった。…………友達がそういう言葉をかけてきたことが一番嫌だった」

 春は今にも泣きそうな目で泣くのを我慢しながら前を向いて歩いた。


「……それはひどいな。でも、その子に仕返ししてやろうとか思っちゃダメだ。父さんから人を傷つけちゃダメって言われてるから、父さんとの約束は守ろうな」

「……うん。僕、強くなるよ。兄ちゃん」

「春は強くなるよ。それに、僕たちにはお母さんがいるから大丈夫だ」

「そうだね! 久しぶりにまた三人で料理しようよ!」

「いいね! そうしよう!!」

 翔は、久しぶりに三人で料理をすることが嬉しくて笑顔で返事をした。

 翔と春は、自宅まで駆けて行った。



 家に着くと、春は真っ先に玄関に入った。

「ただいま! お母さん、夕ごはん一緒に作ろう!」

「ただいま、お母さん。久しぶりに春とお母さんと俺で作ろうよ!」

 翔と春は笑顔で帰ってきた。だが、母親からの返事がない。

 いつもなら「おかえりなさい」と笑顔で来てくれるのに来ないなんておかしいと翔は思った。

「出かけているのかな。お母さん、帰ってきたよ……っあぁ!」

 翔はリビングに入ると叫んだ。それは目が眩むような光景だった。

 母親はうつ伏せになって倒れ、綺麗なショートヘアが乱れ、近くには薬が大量に散乱していた。


「お母さん!」

 翔は自分の震える足を叩いて、すぐに駆け寄って母親を仰向けにしようとしたが重くて動かせなかった。

「春も手伝って!!」

 翔は、やっとの思いで声を出したが春は固まってその場から動かなかった。

「春! お母さんを助けなきゃ!!」

「お母さん、死んじゃったの?」

 春は震えた声で言った。


 翔は、認めたくなかったことを言われた途端、力が抜けた。

 翔は、母親に駆け寄った時には息をしていないことに気づいていた。心のどこかで母親は生きているのではないかと思いたかった。


「お願いだから、俺と春を置いていかないで」

 翔は、母親の背中を見つめながら消えそうな声で言った。

 翔は救急者を呼び、母親は病院に運ばれたが、医者から薬の大量摂取で亡くなったと言われた。


「何でなんだよ!! 母さん、どうして俺と春を残して亡くなるんだよ」

 翔は、病院のベッドに横たわる青白い顔をした母親の胸に泣き崩れた。

 春は翔の姿を見て、翔の隣で一緒に泣き崩れた。

 その後、警察の調べで母親は父親が亡くなったショックで精神科に通っていたことが分かり、自殺ということで処理された。

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