Regain

翔ゆら

第1話 覚悟

あの頃の幸せが取り戻せるなら、俺はなんだってする。


そう誓ったのは、俺が一〇歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。


仕事でなかなか家に戻ってこない父親の暁(あかつき)が帰ってきて、母親の光(ひかり)と弟の春(はる)と家族一緒に夕ごはんを食べていた。

「翔、誕生日プレゼントは何が欲しい?」

父親はカレーライスを平らげると、一か月後にある翔の誕生日プレゼントを聞いてきた。

「望遠鏡が欲しい! そしたら、家族で星を観たい!!」

一〇歳の誕生日だから今までよりも値段の高いものを言ってみた。

「翔は本当に星が好きだな。そしたら、夏休みにどこか旅行に行って翔の望遠鏡で星を観に行こう」

父親はカレーライスを平らげ、快く承諾した。

「久しぶりの旅行ね。よかったね」

母親は、翔と春に微笑んだ。

「やった! 家族一緒に旅行に行けるなんて七歳の誕生日以来だよ!!」

翔は久しぶりの家族旅行にとても心が弾んだ。

「旅行だ! やった!!」

弟の春は嬉しさのあまりに食事をやめて旅行の準備をした。

「春! まだ食事中よ。ちゃんと食べてから準備しなさい。そしたら、一緒に旅行の準備をしましょう。旅行まで時間はあるんだから」

光は、春の目を見て、優しく注意をした。

「うん!」

春は笑顔で返事をして、椅子に座り、残っていたカレーライスを食べ始めた。

そのやり取りを見た翔は、叱った後に笑顔になれる言葉をくれる母親の強さと優しさが大好きだと心の底から思った。

翔は父親と母親、春と楽しく話す空間、笑顔あふれる空間がなによりも大好きだった。


二〇二二年七月四日、翔の一〇歳の誕生日になった。翔は起きると蚊に刺されたのか、左手の甲が少し赤くなっていた。

「おはよう。兄ちゃん。誕生日おめでとう」

「おはよう。春、ありがとう」

寝ぼけた顔で話しかけてくる春の左手の甲にも蚊に刺されたような跡があった。

「春も俺と同じところに蚊に刺されたのかな」

「本当だ。兄ちゃんと一緒だ!」

おかしくて翔は笑った。春は嬉しそうに笑った。

七瀬翔一〇歳の最初の笑いは春にとられた。



翔は春と一緒にリビングに向かうと、パンッとクラッカーが鳴った。クラッカーを鳴らしたのは父親と母親だった。

「翔! 一〇歳の誕生日おめでとう!!」

父親と母親は息を合わせて、大きい声で祝った。

「……びっくりした」

「僕も……」

翔は目を丸くして、驚きすぎて反応ができなかった。春も翔と同じ反応をしていた。

父親と母親は、翔と春の反応を見て笑った。

「翔、誕生日おめでとう」

母親からボールくらいの大きさの箱のプレゼントをもらった。

「開けてもいい?」

「いいわよ」

開けると、自宅で観賞する用のプラネタリウムだった。

「ありがとう! これずっと欲しかったんだ!!」

「喜んでもらえてよかった」

「今日の夜、家族で見ようよ!」

「そうね。家族で観ましょう」

「うん!」

翔は母親に感謝をした後に、父親を輝かしい目で見て望遠鏡を渡されるのを楽しみにしていた。

「ごめん、まだプレゼントを用意できていないんだ。今日の夜には渡すから」

父親は少し困ったような顔をして翔の頭を撫でた。

「分かった。待ってるからね! お仕事いってらっしゃい!」

翔はおそらく誕生日プレゼントの望遠鏡が貰えるのを楽しみに、父親に笑顔で手を振った。

「行ってきます」

父親は頬を緩め、笑顔で手を振りながら大きな歩幅で家を出た。

「あっ、もうこんな時間! 早く学校に行きなさい」

母親は、慌てて翔と春に声を掛けた。

「本当だ。春、行くぞ!」

「うん!」

「行ってきます!! お母さん」

「お母さん! 行ってきます!!!」

翔と春は元気よく家を出た。

翔は、春と昇降口で分かれて、自分の教室に入ると早くも友達に囲まれた。


「誕生日おめでとう!」

「翔くん、おめでとう」

翔は男女からも祝われた。翔は、学校からも家族からも愛されているのだと感じた。



学校が終わり、翔は父親が家にいるのではないかと思い、少し早歩きで春と一緒に帰った。

「……ただいまっ!」

「…………ただいまっ!!」

翔は少し息を切らしてから言い、春は翔よりも息を切らしてから言った。


「おかえりなさい。こんなに暑いのに走って帰ってきたの!?」

「うん! 父さんが帰ってきていると思って」

「本当に楽しみなのね。だけど、暁はまだ帰ってきてないよ」

「そっか。それじゃあ、今から三人で料理を作ろう!!」

翔は少し残念そうな顔をしたが、切り替えて料理を作ろうと提案した。

「えっ、今から!? まだ四時なのに」

驚いた母親は、思わず時計を二度見た。

「うん! 父さんを驚かしてみたいんだ。それにいつも料理作らないし、春は器用だけど俺は不器用だからこの時間からじゃないと間に合わないよ」

「兄ちゃん、自分の誕生日なのに料理するなんて変なの」

「誕生日だからこそ作るんだよ。成長したところをみせてやるんだ」

「兄ちゃんらしいや」

翔と春のやりとりを見て、母親は幸せそうに微笑んだ。

「さあ、三人で美味しい料理を作るわよ!」

翔と春は母親の顔を見て笑顔で頷いた。

翔と春と母親の三人は夕ごはんのカレーライスを作って、父親の帰りを待っていた。

「お父さん、まだかな。僕、お腹すいてきたよ」

「春、家族みんなで食べるともっと美味しくなるから待とうな」

翔は一〇歳になったという少し浮ついた気持ちでお兄ちゃんらしく振舞った。


「翔ったらお兄ちゃんしちゃって、まだ一〇歳なのよ。今からお兄ちゃんしていたら疲れるわよ」

母親は、翔の成長を喜ぶとともに無理をしていないか心配そうに、少し困った顔で笑っていった。

「大丈夫だよ! そういえば、父さんって何の仕事をしているの?」

「それはね……」

母親が答えようとした時、会話を遮るように電話が鳴り響いた。

母親は後で教えるね、と言って電話に出た。

「はい、七瀬です。はい、私です。えっ…………はい、分かりました。これから向かいます」

母親は電話を切った途端、膝をついた。

翔は母親の顔がこわばり、呼吸が乱れ、身体が震える様子を見て不安になった。春も同じ気持ちなのだろうか、母親をじっと不安そうな顔をして見ていた。

「お母さん、どうしたの?」

翔は震える手で母親の手を握って聞いてみた。

翔が手を握ってきたことに気づき、深く息を吸い込んで呼吸を整えてから話した。

「暁が……車に轢かれたの。今から病院に向かうよ!!」

母親はそう言って、翔と春の手を震えた手で強く引っ張って車に乗せて、少し荒い運転で病院に向かった。


車の中で、翔は春の不安そうな顔をして震える身体を見ても、大丈夫だよと言って手を握ることができなかった。

翔は、父親が帰ってきて”誕生日おめでとう”と笑顔で望遠鏡をプレゼントする姿を想像していた。


だが、それはパズルのように一瞬で崩れた。


翔は父親が無事であること精一杯祈った。

だが祈りは届かず、病院に着いた頃には父親はすでに亡くなっていた。

頭から血が流れ、傷だらけの身体が事故の凄まじさを物語っていた。


「暁……まだ、あなたには翔と春がいるのよ。お願いだから、いなくならないで」

父親の手を握って泣き続ける母親の姿はとても脆く、励ます言葉すら掛けられそうになかった。

翔は父親がもう帰ってこないという事実が受け入れ難く、それでも受け入れなくてはいけないと思うと心が崩れそうになった。


「お父さあぁぁぁぁぁん」

春は翔の手を強く握って大きな声で泣いた。


翔はもう父親に会えないのだと、もう二度と家族で一緒に星を観に行くことができないのだと、もう二度と家族で一緒に話すことも食べることも出かける日がやってこないのだと思うと、春の手を振り解き、父親の身体に顔を埋めて泣いた。

「家族で星を観に行くって約束したのに何で死んじゃったの! まだ父さんと一緒にいたいよ!!」

叫び声が病室に響き渡るとともに、もう戻ることないあの楽しい日常だけが翔の頭の中に流れた。



父親が亡くなって一週間が経った。翔と春は父親が亡くなったショックで外に出られなくなっていた。翔と春は仏壇に飾ってある父親の遺影写真を見るのが辛くて、仏壇のある和室に入れなくなっていた。

母親は父親が亡くなってから泣かなくなった。翔と春とは違って毎朝仏壇の前で手を合わせている。そして、今は翔と春の心配をするようになり、旅行に誘うようになった。

「翔と春は、どこか行きたいところある?」

「ない」

翔と春は抑揚のない声で答えた。

翔はそっけない態度で朝ごはんを食べ終えると、すぐに二階の自分の部屋に戻った。

春は黙り込んだまま、翔に続いて部屋に戻った。


翔は、何でお母さんにもあんな冷たい態度をとってしまうのだろう、こんなことしたくないのに、この気持ちをどこにぶつけていいのか分からなくなっていた。苦しくもがいていると、静かな部屋にインターホンが鳴り響いた。

翔と春は階段を途中まで下りて、誰が来たのか覗いた。


母親がドアを開けると、引き締まった身体をした二人の男性がいた。

「朝から突然すみません。以前、前の職場で七瀬暁さんと一緒に仕事をしていた松岡と橘と申します。早く伺いたかったのですが、遅くなりすみません」

松岡は深々とお辞儀をした。橘も松岡の動きに合わせて深々とお辞儀をした。


「来てくださってありがとうございます。天国にいる主人も喜ぶと思います。ぜひ、お茶でも飲んでください」

母親は、笑顔で家の中へ案内した。

翔は驚き、ただ茫然と立ち尽くした。

母親は翔と春が覗いていることに気づき、翔と春を呼んで紹介した。

「息子の翔と春です」

「君たちが暁さんの息子さんか、暁さんはいつも幸せそうに奥さんと息子さんたちの話をしていましたよ」

松岡は父親のことを優しい声で話した。橘は、翔と春を懐かしそうに泣きそうな目で見た。


翔は、父親が前の職場の人に慕われていることを知って嬉しくなった。前の職場では父親はどんな仕事をしてきたのかさらに気になった。また、なぜ今の職場の人は来てくれないのか疑問に思った。


「翔と春は二階のお部屋で待っていてね」

母親は笑って言っていたが、翔には辛そうに笑っているように感じた。

翔は、一緒に話を聞きたかったが母親を困らせたくなかったため、春の手を繋いで二階へと向かった。


「兄ちゃん、お父さんってどんな仕事していたのかな」

春は、椅子に座わると翔に聞いてきた。

「実は俺も気になっているんだ。今度お母さんに聞いてみよう」

「うん。そういえばお腹すいてきたなー」

「じゃあ、兄ちゃんがお菓子を取りに行ってくるよ」

「でも、二階で待っていてってお母さんに言われてるから行っちゃダメだよ」

「大丈夫! 取りに行くだけだから」

翔はちょっとだけなら平気だと思い、母親と松岡と橘のいるリビングへ向かった。

一階のリビングにはお菓子ボックスというお菓子がたくさん詰まっている箱がある。そこからお菓子を取るため、翔はドアを開けようとドアノブを握った。その時、母親の声がドア越しから聞こえた。


それは耳を疑う話だった。

「…………暁は…………事故ではなく殺されたのですか?」

 母親の声は震えていた。

聞き間違いだろうか。翔は少しだけドアを開けて耳を澄ませた。


「はい。防犯カメラのない場所かつブレーキ痕が残っていなかったので、殺意による犯行の可能性が高いです。人通りが少ないところでしたので目撃情報もなく……暁さんは誰かに何か恨まれるようなこと、ここ最近気になる動きはありませんでしたか」

橘は、真剣な態度で母親に尋ねた。

「前の職業なら主人は恨まれることもあったと思いますが、今の職業ではないと思います。ここ最近は、翔の誕生日の準備をしていたことしか分からないです。……今頃、翔に誕生日プレゼントを渡して、家族で祝っていたのに……犯人も捕まらず、何も手掛かりもないなんて…………」

母親は、ショックで顔を手で覆った。母親の手から涙が溢れているのが見えた。


翔は、父親が殺されたのかもしれないということに驚き、一瞬だけ呼吸をすることさえ忘れていた。また、母親が翔と春の前では泣かないようにしていたこと、本当はまだ悲しくて仕方がなかったことを改めて感じた。


「暁さんの近くにこれがあったのですが、今回の件とは関係がなかったのでお返しします」

松岡が袋から出したものは、ボロボロになった望遠鏡とバースデーカードだった。バースデーカードには”翔へ、一〇歳の誕生日おめでとう。今度、この望遠鏡で翔の好きな星を観に行こう。いつまでも愛してる。父、七瀬暁より”と書いてあった。

翔は、父親は車に轢かれる直前どんな気持ちでいたのか。考えると涙が溢れだした。

母親はボロボロになった望遠鏡とバースデーカードを抱きかかえて泣き崩れていた。


あの時、望遠鏡が欲しいだなんて言わなければ父親は生きていたかもしれない。プレゼントを買いに行ったために亡くなったのだと思うと、翔は自分の行動を悔やんだ。


「兄ちゃん、お菓子まだ?」

春が翔の後ろから声を掛けてきた。

翔は、驚いてバランスを崩してドアを勢いよく開けてしまった。

母親と松岡と橘は、翔を見て驚いた。

翔は母親の言うことを守らなかったことに罪悪感を抱いたが、しっかりと目に映った望遠鏡をみて母親に飛びついて大声で泣いた。

「俺が誕生日プレゼントを欲しがらなければ父さんは生きていたかもしれない!!」

今まで抱えていた思いを母親にぶつけた。

春はボロボロになった望遠鏡を見て、父親が車に轢かれた時の凄まじさを感じたのか、母親に飛びつき、声を上げて泣いた。

「翔、そんなことないわ。お父さんは、翔のプレゼントを買えなかったら絶対に後悔していたもの。春も怖かったね、大丈夫よ。お母さんがいるからね」

母親は、二人の悲しい気持ちを溶かすように背中を優しく撫でた。

翔は、母親の腕の中の温かさと優しくも芯のある強い声に安心して疲れて寝た。

春も同じような気持ちなのだろうか、次第に泣き止み、静かに寝た。


翔は、本当はお母さんも泣きたかったはずなのに自分と春が泣いたから、お母さんは弱さを見せなくなってしまったのだろうと後になって思った。


二〇二二年七月一八日、父親の前の職場の松岡と橘が来てから一週間が経った。


翔と春は学校に通えるようになったが、周りの友達は、よそよそしい態度で話し掛けてくるようになった。翔の一番仲の良い友達は、翔の顔色を窺(うかが)うだけで話しかけてこなかった。今まで通りに接してほしかった翔にとって悲しいことだった。

春と一緒に家に帰る時、春は沈んだ表情で気力なく歩いていた。翔は、春に学校に行ってみてどうだったか聞くと、春は沈んだ表情をしたまま口を開いた。

「学校の友達から『お父さん死んじゃったって本当?』って言われた。みんな、僕を珍しいものを見るような目で見てきて嫌だった。…………友達がそういう言葉をかけてきたことが一番嫌だった」

春は今にも泣きそうな目で泣くのを我慢しながら前を向いて歩いた。


「……それはひどいな。でも、その子に仕返ししてやろうとか思っちゃダメだ。父さんから人を傷つけちゃダメって言われてるから、父さんとの約束は守ろうな」

「……うん。僕、強くなるよ。兄ちゃん」

「春は強くなるよ。それに、僕たちにはお母さんがいるから大丈夫だ」

「そうだね! 久しぶりにまた三人で料理しようよ!」

「いいね! そうしよう!!」

翔は、久しぶりに三人で料理をすることが嬉しくて笑顔で返事をした。

翔と春は、自宅まで駆けて行った。



家に着くと、春は真っ先に玄関に入った。

「ただいま! お母さん、夕ごはん一緒に作ろう!」

「ただいま、お母さん。久しぶりに春とお母さんと俺で作ろうよ!」

翔と春は笑顔で帰ってきた。だが、母親からの返事がない。

いつもなら「おかえりなさい」と笑顔で来てくれるのに来ないなんておかしいと翔は思った。

「出かけているのかな。お母さん、帰ってきたよ……っあぁ!」

翔はリビングに入ると叫んだ。それは目が眩むような光景だった。

母親はうつ伏せになって倒れ、綺麗なショートヘアが乱れ、近くには薬が大量に散乱していた。


「お母さん!」

翔は自分の震える足を叩いて、すぐに駆け寄って母親を仰向けにしようとしたが重くて動かせなかった。

「春も手伝って!!」

翔は、やっとの思いで声を出したが春は固まってその場から動かなかった。

「春! お母さんを助けなきゃ!!」

「お母さん、死んじゃったの?」

春は震えた声で言った。


翔は、認めたくなかったことを言われた途端、力が抜けた。

翔は、母親に駆け寄った時には息をしていないことに気づいていた。心のどこかで母親は生きているのではないかと思いたかった。


「お願いだから、俺と春を置いていかないで」

翔は、母親の背中を見つめながら消えそうな声で言った。

翔は救急者を呼び、母親は病院に運ばれたが、医者から薬の大量摂取で亡くなったと言われた。


「何でなんだよ!! 母さん、どうして俺と春を残して亡くなるんだよ」

翔は、病院のベッドに横たわる青白い顔をした母親の胸に泣き崩れた。

春は翔の姿を見て、翔の隣で一緒に泣き崩れた。

その後、警察の調べで母親は父親が亡くなったショックで精神科に通っていたことが分かり、自殺ということで処理された。



翔と春は、母親が亡くなってすぐに児童養護施設に入居することが決まった。荷物は、母親から誕生日プレゼントでもらったプラネタリウムと父親が事故の時に持っていたバースデーカードを持って行った。ボロボロになっていた望遠鏡は見るのが辛くて置いていった。児童養護施設は職員が一〇名、入居者は幼児から高校生まで合わせて二〇名で、職員も入居者も優しく、家族のように温かい場所だった。


翔は、これからはここで幸せを築いていくのだと強く生きることを決意した。

しかし、その決意はすぐに崩された。



同年七月二四日、母親が亡くなった六日後に、世界中に原因不明のウイルスが発生した。

ウイルスの感染経路は不明で、感染力は強く、症状は熱、咳、血痰、呼吸困難を起こし、食欲が低下し、体重が減少していく特徴があった。そして、感染すると必ず死ぬという残酷な結末しか迎えないウイルスであった。


その恐ろしいウイルスの名前は、”ゼノ“と名付けられた。


”ゼノ“によって、生活はがらりと変化した。対面の授業、仕事、娯楽はオンラインで行うようになり、買い物もネットショップで済ますようになった。テレビ番組もリモート出演になり、人々は外出をする必要がなくなった。また、オンラインに対応できない会社は経営ができずに倒産した。解雇された人々に失業手当を国から出せないほどであったため、支給されるまで時間がかかった。生活ができない人々が増えた。生活ができない人々はデモ活動をするようになった。


そして、感染はどんどん拡大していき、七日後には翔と春の元までやってきた。

翔と春を除いた施設の入居者、職員全員が感染して亡くなった。

「やっとここの生活に慣れて、みんなと楽しく過ごせるようになったのに、何で俺と春だけ生き残ったんだよ! なんで俺と春だけがこんなに失わなくちゃいけないんだよ!!」

翔はこれ以上悲しいことは起きないと思っていた。だからこそ、こんなにも辛く酷い現実が起きたことに嘆いた。

「こんなの酷すぎるよ……うわあぁぁぁん」

春は翔よりも大きな声で泣き喚いた。その声は、静かな施設全体に響き渡った。






二〇二四年九月一〇日、二年の時を経てウイルスのワクチンが完成した。ワクチンは利き手の甲の親指と人差し指の間の合(ごう)谷(こく)というところに打ち込むものだった。早急に国民全員がワクチンを打った。感染者が〇人になった頃には、すでに人口は三〇〇人になっていた。ニュースによると、外国の人口も同じくらいに減ったとのことだった。

国からの命令により、生存者は東京に集められた。割合は、子どもが多く、大人は少ないということが分かった。

国からの支援で学校に通うことができるようになり、俺は六年生、春は四年生として、二年ぶりに小学校に登校することとなった。

早速、国からの命令により、小学生、中学生、高校生はグラウンドに集められた。

グラウンドに着くと、多くの小学生、中学生、高校生の子どもたちが集められ、泣いている子、不安そうな表情を浮かべた子で騒がしかった。

不安な気持ちでいっぱいだが、春が右手をぎゅっと握って泣くのを我慢する姿を見て、不安な気持ちを抑えて春の手をぎゅっと強く握り返した。

すると、突然、左手を誰かがぎゅっと強く握ってきた。左隣を見ると、いちごのヘアゴムを付けたツインテールの同い年くらいの少女が左手を握っていた。少女は唇を噛みしめて春と同じように泣くのを我慢していた。


このとき、俺は春とツインテールの少女を笑顔にさせたいと思った。


「俺の名前は七瀬翔っていうんだ。よろしくな」

少女の手をしっかりと握り、目を見て笑顔で話しかけた。

少女は驚いて、パッと目を見開いた。少女は口を動かすが、喉に物が詰まったかのように声を出すのが苦しそうだった。

「…………私、帆士(ほし)桜(さくら)」

俺の目を泣きそうな目で見て、精一杯声を出した。桜はこれ以上話さなかったが俺の手を強く握り返した。

桜の涙が溢れるか溢れないかくらいの泣きそうな目をしつつも真っ直ぐな強い目をしていた。


周囲は騒がしいままであったが、それは一瞬で収まった。

「静かに!」

マイクを使っていないのに大きな声がグラウンドに響いた。その場にいる全員が静かになり、声のする方へ向くと、スーツを着た顔の整った三〇代前半くらいの男性が朝礼台の上に立っていた。

静かになったのを確認してから、男性は落ち着いた声で話した。

「俺は今日からこの学校の先生になった早乙女だ。生き残った君たち二〇〇名にお願いがある。工藤さん、お願いします」

早乙女先生は朝礼台から降りると、容姿端麗な三〇代前半くらいの男性が朝礼台へ上がった。

「俺の名前は工藤隆(たかし)、科学者だ。君たちにお願いがある。過去へ行って国民全員にウイルス“ゼノ”に対抗できるワクチンを届けてほしい。そして“ゼノ”で亡くなった人たちを救ってほしい。研究を続けた結果、タイムマシンを完成することができた。君たちにはタイムマシンに乗るために鍛える必要がある。これは、俺の頼みであり、国からの命令である」

工藤科学者は、平然とした態度で生き残った子どもたちに頼んだ。


タイムマシンがこの時代に作れるわけがない。希望なんてどこにもないと思っていた。


そんなことを急に言われても動揺することなく、一人の少年が口を開いた。

「それはウイルスが広まる前の時代に行って、みんながワクチンを打てばいいということですか?」

同い年くらいの少年が、落ち着いた態度で話した。


「そうだ。ただし、タイムマシンに乗るためにはいくつか条件がある。荷物はリュックの中に入る分だけしか持っていけないため、たくさんのワクチンを持っては過去へいけない。だから、君たちは過去へ行ってワクチンを作れるようにしないといけない。それと…………」

工藤科学者はタイムマシンに乗ることにあたっての条件を話した。


一つ目は、ワクチンを作れる技術があるほどの成績優秀者であること。

二つ目は、タイムマシンに乗る際に規定の重量を超えてしまうとタイムマシンに影響が出るため、荷物はリュックに入るくらいのものであること。

三つ目は、時間を光の速さで超えるため、それに耐えられる丈夫な身体であること。

四つ目は、大人になってしまうと乗れなくなってしまうため、丈夫な身体かつ身体が成長し過ぎていないこと。

五つ目は、過去へ行けるのは一〇年前までである。そのため、あと八年以内に、二〇三二年までにタイムマシンに乗らないといけない。

この五つの条件は俺ら子どもにとって厳しいものであった。

けど、タイムマシンに乗って過去へ行けば父親と母親を救うことができると思うと、なんとしてでもタイムマシンに乗ると誓った。

「これから、君たちはタイムマシンに乗るために授業を受けてもらう。何か聞きたいことがあったら研究室まで来てくれ」

工藤科学者は早歩きでグラウンドを後にした。


その後、学校の先生と思われる人たちが来た。

「これからは私たちがここの学校の先生です。今からクラスを伝えるので、自分の教室に集まってください」

先生が大きな紙を広げて説明した。

クラス分けは次のようになっていた。小学生は、一年生から二年生は一組、三年生から四年生は二組、五年生から六年生は三組と二年ごとにクラスを分けられた。

中学生・高校生は人数が少なかったため、中学生は一年生から三年生は四組、高校生は一年生から三年生は五組と分けられた。


「俺たちも教室へ行こう。桜は何年生なんだ?」

翔は春と桜に一緒に教室へ向かおうと声を掛けた。

「六年生だよ。手、繋いだままだったね。ありがとう」

桜は落ち着きを取り戻すと、お礼を言って手を離した。

「よかった。俺も六年生! 春は四年生だから違うクラスになるけど、休みの時間になったら遊びに行くから大丈夫だ」

春をチラッと見ると、黙っていた春の口が開いた。

「クラスは違うけど、一緒にタイムマシンに乗ってお父さんとお母さんを救おうね」

真剣なまなざしで俺を見つめた。

「そうだな。頑張ろうな」

春と桜の顔を見て真剣に応えた。

春と桜は真剣な表情をしてうなずいた。


春の教室は俺の教室の隣だった。

近くでよかったと俺と春と桜は声を揃えて言った。俺と桜は、春が教室に入っていくのを見届けた後、自分のクラスである三組の教室に入った。教室に入ると、すでに四〇人くらいが席に着いていた。

一番後ろの窓側の席が二つ空いていたため、教卓側から見て右に座り、桜は左に座った。

「よろしくね」

桜はニコッと嬉しそうに笑った笑顔はとても眩しかった。約二年間、春以外の人と関わることがなかったからなのか、とてもドキドキした。

「よろしくな!」

ドキドキする気持ちが何なのか分からないが、その気持ちがバレないように笑顔で返事をした。


少し時間が経つと、先ほどグラウンドで話をしていた早乙女先生が教室に入ってきた。

「全員いるな。まず初めに自己紹介から始める。俺は早乙女遙。君たちには、小学生だからといって優しく教えるつもりはない。中学生と高校生との差が開かないように徹底的に教える。以上」



前に通っていた学校だと、先生は好きな食べ物や趣味とかを言って、楽しくなる自己紹介になるはずなのに、今回の自己紹介には一切なかったので今は楽しくなることは必要ないのだと思い知った。


「それでは前に立って、黒板に名前を書いて自己紹介をしてくれ」

早乙女先生の目線の先は、一番前の端に座っている少年に向けられた。

「何を話したらいいんですか?」

「自分で考えて話すんだ。過去へ行っても親切にどうしたらいいのか教えてあげる大人はいないからな」

早乙女先生は表情を変えず、少年に視線を向けた。少年は戸惑いながらも、自ら立って自己紹介をした。


自己紹介はどのクラスメイトも名前、学年、住んでいたところといったごく普通の自己紹介をした。

順番が進んでいき、桜のひとつ前に座っている少女の番になった。後ろ姿しか見えないが堂々と黒板の前へと歩き、綺麗な姿勢で綺麗な字で名前を書いた。

「私の名前は神崎(かんざき)燈子(とうこ)。これからここで色んなことが学べると思うと嬉しいです」

燈子は無表情ではあるが、顔は小さく、透明な肌に透き通った綺麗な瞳をしており、クラス全員が綺麗だと思うくらい美少女であった。凛とした態度で話した後、サラサラな黒い髪の毛をなびかせて席に着いた。


これが噂のクールビューティーだと思った。この状況で誰も言わなかったポジティブな発言がとても印象に残った。

燈子の自己紹介を聞いたクラスメイトたちは目を丸くしていた。


次は桜の番となった。桜は緊張感を漂わせてゆっくりと前へ歩き、震えた手で可愛い字で名前を書き、足がガクガクと震えたまま前に立った。

「私の名前は、帆士桜です。えっと……住んでいたところは神奈川県で、好きなことは絵を描くことといちごを食べることです。よろしくお願いします」

桜は、誰が見ても緊張していると分かるくらい石のような固い表情をして話した。

それを見たクラスメイトたちは、先ほどまで表情が強ばっていたが自然と笑顔になり、拍手をした。

桜は、嬉しそうに少し早歩きをして席に着いた。

「よかったな」

俺は無事に自己紹介を終えた桜に笑いかけた。

「うん。次、頑張って」

桜は、安心した表情して微笑んだ。


自分の番がくると、緊張しながらも勢いよく立ち上がり、一歩一歩大きく前へと進み、黒板の前に立ち、大きな字ではっきりと自分の名前を書いた。

「俺の名前は七瀬翔です。必ずタイムマシンに乗ってみんなを助けます! よろしくお願いします!!!」

目を輝かせ、堂々と大きい声で言った。

すると、クラスの雰囲気は一気に明るくなり、クラスメイトたちから拍手という期待の音が教室に響いた。

俺は安心して、自分の席についた。


次は俺のひとつ前の席に座っている少年の番になった。先程、工藤科学者に落ち着いた態度で話した少年だった。俺とは正反対に落ち着いた足取りで黒板の前に立ち、一字一字を丁寧に名前を書いた。

「僕の名前は流(る)川(かわ)真(ま)宙(ひろ)です。僕もタイムマシンに乗れるように頑張ります」

真宙はブラックホールのように暗い黒髪で、星のような輝く瞳をしていた。まさに宇宙の“宙”の名前が入っているのに相応しいと思った。


クラスメイトたちの自己紹介が終わり、早乙女先生が再び話を始めた。

「次は、ここの町での生活について説明する。ここの町の名前は“宇燈逢籠(いぇひおうる)”といい、これからはITとAIを生活に取り入れて暮らすことになる。買い物も、ドアの鍵を開けることも、この学校に入ることもすべてITとAI が必要になる。使い方は簡単だ。利き手の親指、人差し指、中指を水平に出して、そのまま上に挙げると目の前に画面が出る。こんな感じだ」

早乙女先生は、説明した動きをした。すると、早乙女先生の目の前にプロジェクターのような画面が出てきた。

クラスメイトたちは目玉が飛び出るくらいに驚いた。

早乙女先生はそのまま説明を続けた。

「画面に表示されるメニューに従っていけば簡単に生活ができる。また、自分の好きなようにカスタマイズすることもできる」

早乙女先生は簡単に説明しているがクラスメイトたちにとっては信じがたい内容だった。


真っ先に早乙女先生が説明した通りに利き手である右手の指を説明通りに動かしてみた。

「うわっ!」

思わず声が出た。なんと、目の前に早乙女先生が表示したのと同じ画面が現れたのだ。

それを見たクラスメイトたちは、次々と指示通りに指を動かし、画面を出しては驚き、目がキラキラと輝き出した。

「見て! これで電話もメールも送れるんだって!!」

「調べものもできるよ!」

クラスメイトたちは画面を操作し始めては、発見したことを共有して楽しんだ。

「ここから買い物ができる! 残高六〇〇〇円? なんだろう?」

桜は不思議そうに呟いた。

「それは、君たちの一日分の給料だ。君たちは、国からの命令で学校に通うことになるため、一時間授業を受けたら千円もらえることになる。今日は最初だから特別に先に振り込んである。残高はさっき教えた画面で確認することができる。それと、一万円札、五千円札、五〇〇円玉、一〇〇円玉といった紙幣と硬貨は使わなくなり、買い物は全て電子決済で行われる。したがって、君たちが今まで使っていた紙幣と硬貨はただの紙切れとコインでしかない」

早乙女先生はとてもすごいことを淡々と、クラスメイトたちに理解できるように説明した。


「そういえば、なんで僕たちにそんなことができるのですか?」

真宙が、真剣な顔をして質問した。

「それは、国民全員が受けたワクチンが関係している。あれは、ただのワクチンではなく、マイクロチップが搭載されたワクチンだ。国は一切説明しないで国民全員にワクチンを打たせたからな」

クラスメイトたちは驚き、ワクチンを打ったところを見つめた。

「ワクチンがマイクロチップ!? マイクロチップは集積回路…………電子部品ですよね。それがなぜワクチンになるのですか?」

真宙は驚きながらも冷静に質問をした。

「マイクロチップにはAIが搭載されている。そのマイクロチップを作った研究所“ゲネシス”がゼノに対抗するワクチンをマイクロチップから作るようプログラムしたんだ」

「この時代はこんなにも医療が進んでいたんですね。ですが、国民に説明をしないで勝手にこんなことをしてしまってはいけないのではないでしょうか」

「それはそうだな。だが、それがなかったら君たちはここにはいないだろう」

早乙女先生は、目線を下にして冷たい声で言い放った。

その発言を聞いて、真宙を含むクラスメイトたちがこのようなことが実在するのだと言わんばかりに驚いた表情をして唾を飲んだ。


「そういえば、こんなに凄い技術があったのに何故使わなかったんですか?」

疑問に思ったため質問をした。


「一〇年くらい前から研究をしていたそうだ。人体に影響はないか、正しく動作するのか等の実験して成功しないと使用できなかったそうだ」

「なるほど。俺たちはこんなにもすごいマイクロチップを作らなければいけないんだな」

俺の言葉にクラスメイトたちが反応した。

タイムマシンに乗るにはまずワクチンを作らなければいけない。つまり、子どもたちはマイクロチップを作らなければいけないのであった。



「こんなすごいの作れるわけないよ!」

クラスメイトの日下部が嘆いた。

「それでも作れるようにしないといけない。たとえ無理だと思ってもやるしかないんだ」

早乙女先生はクラスメイトたちにはっきりと言った。

クラスメイトたちが静かになると、早乙女先生は話を続けた。

「次は学校の説明に入る。ここの学校の名前は“君が代高校”という。校歌は全員を知っている日本の国歌である“君が代”だ。それは、毎日歌うようにと指示が出ているから今から歌うぞ。全員立て」

早乙女先生は、画面を表示して画面をタッチすると演奏が流れた。

クラスメイトたちは国歌……校歌を歌った。


歌い終わると、早乙女先生は席に座るよう指示をして、クラスメイトたちは座った。


「全員、しっかりと歌えていたな。ここまでで何か質問はあるか?」

「はい! この町の“宇燈逢籠”と“君が代高校”の名前ってどうやって付けたんですか? 俺たちは高校生じゃないのに高校って名前なのも気になります!」

そのことが気になって、真っ先に手を挙げて聞いた。

「それはAIが付けたから理由は分からない」

「AIって喋るんですか?」

「ああ、喋るぞ。画面の右上にマイクのアイコンがあるだろ。それを押して話しかけると答えるぞ。こんな感じにな。宇燈逢籠と君が代高校の名前の由来はなんだ」

早乙女先生は、画面を表示してマイクのアイコンを押して質問をした。


すると、画面に文字が表示されるとともに、女性の声が画面からしてきた。

「はい。宇燈逢籠は、この街を守るために必要でしたので名付けました。君が代高校は君が代という言葉に深い意味があるので名付けました。また、以前この場所は高校であったため、そのまま高校にしました」

AIは、答えているような答えていないような内容で答えた。

「意味がわからないだろ。他に質問はあるか?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

俺は、よく分からなかったがぺこりとお辞儀をした。

「場所の案内をする。二列に並べ」

クラスメイトたちは急いで二列に並んだ。



 早乙女先生にとっては普通なのだろう。早乙女先生は早歩きで学校の案内を始めた。

 クラスメイトたちは必死についていった。

「まずは四階の化学室。ここでは、医薬品づくりやAI人形に薬を投薬をすることができる教室だ」

早乙女先生に案内された化学室は小学校にあるような化学室ではなく、実験台や数多くの薬、注射器などが置いてあり、まさに研究室そのものだった。

「凄い。まるで研究室みたいだね」

桜は化学室を見ながら、隣にいる翔に囁いた。

「そうだな。これからどんなことを学んでいくんだろうな」

化学室にあるAI人形や化学室に並んである薬、注射器などを見ながら言った。


「AI人形に薬を投薬するとはどういうことですか?」

真宙が真剣な目をして質問をした。

「今までなら人間や動物に投薬していたが、人間の安全を守るためにゲネシスはAI人形という実験体を造った。投薬をすれば、どういう症状になるのか、子どもや高齢者に投薬しても人体に影響はないのかなどを答えてくれる優れものだ」

早乙女先生は淡々と説明をした。

その後も早乙女先生は、職員室や体育館、グラウンド、更衣室、トイレなどのどこの学校にもある場所と一組から五組までの教室を案内した。

次の場所は、山の上にあると言い、早乙女先生とクラスメイトたちは外履きに履き替えて、山を登った。急な山であったため、翔と桜を含めたほとんどのクラスメイトたちは息が上がっていた。それでも早乙女先生の歩く速さは変わらなかった。


二〇分ほど登った先に、真新しい大きな施設があった。外観はプラネタリウムのように球状で銀色に輝いていた。

「この山は六道山という。そして六道山の頂上にあるのは工藤科学者の研究室ゲネシスだ。みんなの体内に埋め込められているマイクロチップを開発した場所であり、タイムマシンがあるところだ」

早乙女先生は疲れた表情を一切せずに息を切らさずに話した。

建物の中に入ると、一〇名ほどの研究者がパソコンを操作していた。そして、目の前には人間が一人分入れるぐらいの大きな円柱型の機械があった。


「ここにいるのはゲネシスで働く研究者たちだ。そして、これがタイムマシン。君が代高校の誰かが乗ることになるだろう」

工藤科学者が研究室の奥にある部屋から出てきた。

「タイムマシンって乗り物じゃないんですか?」

翔が不思議に思い、質問をした。

「そうだね。物理的には乗り物とは言わないかもね。上を見てごらん」

工藤博士は優しい声で答えた後、上を見上げた。

上を見ると、タイムマシンの上にはたくさんの茶色い石が積まれていた。

「あれは時間を操る石シャーマンストーン。これがタイムマシンの原動力なんだ。シャーマンストーンによって時空のエネルギーを身体に注ぐ。そうすることでエネルギー分の時空を操ることができる。光の速さに乗ることができる…………そういう意味で“乗る”ってことさ」

工藤科学者はまるでこの質問がくることを想定していたかのように嬉しそうな顔をして説明した。

「土みたいな色の石にこんな力があるんだ」

俺は初めて見る光景にわくわくした。


「とても素敵」

桜は頬に一滴の涙を流していた。涙を流すほど、桜の中ではタイムマシンは神秘的でとても感動しているようだった。


「ここでは、他にどんな研究をしているのですか?」

燈子は白くて綺麗な手を挙げて質問をした。

「他には、AI、IT、プログラミング技術の向上と、タイムマシンに乗るために今と過去が繋がる時空の日の特定を研究している」

「今と過去が繋がる時空の日とはどういうことですか?」

「タイムマシンに乗るには、時空が今と過去が繋がる波動を見つけないといけないんだ。時空の流れは、その日によって違うから日々測定して見つけないといけないんだ」

「では、その期間が来たら誰がタイムマシンに乗るか分かるのですね」

「そうだな」

「分かりました。ありがとうございます」

燈子は、興味津々に工藤科学者の説明を聞き、嬉しそうに微笑んでお礼を言った。


「質問があります。こんなにすごい施設を二年で作ったんですか?」

 ふと気になり、咄嗟に質問をした。

「ここは何十年も前からAI、IT、プログラミング、宇宙などについて研究している施設なんだ。一見、ここしか見る場所はないと思うけど、地下に降りると数多くの研究室があるんだ。私の研究室を案内する」

工藤科学者は、地下へ降りるエレベーターへ案内した。

エレベーターは六〇名まで乗れるようになっており、一度に全員エレベーター乗ることができた。地下六階まで行けるようになっており、工藤科学者は地下六階のボタンを押した。揺れもなく、静かに地下六階へ下がったのが翔はとても不気味に感じた。クラスメイトたちも同じことを思ったのか誰も喋らなかった。そんなことを思っているとあっという間に地下六階に着いた。エレベーターを降りると、大きな長方形の機械がずらりと並んでいた。

「これは何ですか?」

またまた気になり、工藤科学者に質問をした。

「これはスーパーコンピューターといって、パソコンの数十万倍の速度で計算処理を可能とする優秀なコンピューターのことだ。例えば、人間が一日以上かけて計算する問題をスーパーコンピューターは一秒で答えることができるんだ。スーパーコンピューターは、気候の変動予測や地震や水害などの災害予測したり、ウイルスを含めた生物学における高度な計算による新しい医学的知見の発見などで役立っている。もちろん、タイムマシンに乗るための時空の日を特定するのにもね」

「こんな凄いコンピューターがあるんですね」

 大きなコンピューターで人間が一日以上かかる計算をたったの一秒で計算してしまうということに感心するとともに、知らない間に凄いものがたくさんできていることを少し怖く思った。


五分ほどまっすぐに進むと頑丈な扉があり、工藤科学者はピタリと立ち止まった。

「ここが私の研究室だ。ここで研究をしている。もし、何か聞きたいことがあれば、ここへ来るように。それでは、私が研究があるのでここで失礼する」

工藤科学者は微笑み、お辞儀をして研究室へ入って行った。



「今日はここで解散する。明日は、朝八時半から授業を開始する。それと、画面にある家のマークを押すと指定された場所が表示されるだろう。そこが今日から君たちの家だ。みんな気を付けて帰るように」

「えっ、パパとママもここにいるの?」

 日下部は心配そうな顔をして聞いた。

「指定されたところに家族はいない。大人たちは違うところに住むことになった。君が代高校の生徒たちは決められた場所で生活をしてもらう。家族に会いに行ってもいいが、家族と一緒に住んではいけない。そして、この町から決して出てはいけない。これは国からの命令だから守るように、以上」

早乙女先生は、仕事が終わるとスタスタと歩いて山を下りて行った。

日下部は、家族と暮らせないことが悲しいのか声を上げて泣いていた。


「家族がいるのに一緒にいられないって悲しいね」

 桜は、泣いている日下部を見つめながら悲しそうに呟いた。

「桜の家族は?」

「……おばあちゃんとお母さんと一緒に住んでたの。でもゼノに感染して亡くなったの。だから私は一人なの。翔くんは?」

「そうだったんだ。一人は寂しいよな。俺は、父さんは事故で亡くなって、母さんは父さんが亡くなったショックで自殺したから俺と春の二人だけ。だから、俺は春を守らなくちゃいけないんだ」

 自分のせいで父親と母親が亡くなり、春に寂しい思いをさせて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。春までいなくなってしまうのではないかと、不安な気持ちで過ごしていた。

「翔くんも春くんも辛いよね」

「……うん。だから、絶対にお父さんとお母さんを助けるんだ。もちろん、桜のお母さんとおばあちゃんもみんな助けるから」

 自分の気持ちと向き合うと悲しくなり、ゆっくりと頷いた。そして、悲しい気持ちに囚われないために気持ちを切り替えて前向きな言葉を桜に言った。

「ありがとう」

 桜は俺のことを涙目で見て微笑んだ。

 クラスメイトたちは、次第にゆっくりと山を下りて行った。

「そういえば、早乙女先生ってスーツなのによくあんなにスタスタと歩いていけるよね」

「確かにそうだな。あの先生、実はとんでもんなくすごい先生なんじゃないのか」

「明日の授業が恐ろしい…………」

俺と桜は、お互いの顔を見て同時に同じことを言った。

「被ったね」

桜が少し頬を赤くして目をそらした。

俺は桜の照れた横顔を見て微笑んだ。

「一緒に下りよう。下りは登りよりも危険だから俺の手に掴まって」

桜に手を伸ばした。

夕陽の明かりに照らされた翔の笑顔はとても輝いていた。

「うん」

桜は頬を赤くしたまま、小さい手で翔の手を掴んだ。


山を下りると、春が画面を開いて翔が下りてくるのを待っていた。

「春!」

「兄ちゃん!」

春が俺の声に気づき、満面の笑みで駆け寄った。

「ねえねえ、兄ちゃん! タイムマシンすごかったね!!」

「春もタイムマシンを見たのか」

「うん! 僕のクラスが一番最初にタイムマシンを紹介されたんだって」

「そうなんだ。本当に今日はすごいものを見たな。春は画面で何を見ているんだ?」

「うん。僕と兄ちゃんのおうち!!」

春は嬉しそうに俺と春の家の場所を見せた。

「そういえば、自分の家がどこか見てなかったな。学校から二〇分くらいかかるのか、ちょっと遠いな。桜はもう自分の家がどこか見た?」

「私もまだ見てないや。えっと……ここかな」

「どれどれ」

 桜の画面をのぞき込むと、どうやら見たことある場所が出てきた。

「春! ここって俺たちの家じゃないか」

「本当だ! 僕と兄ちゃんのおうちだ!!」

「ということは、他にも誰かいるんじゃないか?」

「そうかも! みんなと仲良くなれたらいいな。桜……お姉ちゃんも一緒に帰ろう!」

 春は、言いづらそうに桜のことを呼んだ。


「私のことは桜って呼んでね。よろしくね」

「分かった! 僕のことは春って呼んでね」

「うん。春くん、翔くん一緒に帰ろう」

桜は嬉しそうな表情をして春と手を繋いで家の方へと向かった。


二人が楽しそうに歩く後ろ姿を見て、明日も楽しい日になれると感じた。

「待って! 俺も!!」

春の隣を歩き、手を繋いだ。

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Regain 翔ゆら @lily_kid

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