015 必死で、決死
痛い痛い痛い痛い痛い!!
全身が引き裂かれるような強烈な痛みを歯を食いしばって耐える。
体に力を入れたくないと絶叫する心を無視して足に力を込める。
私はいま、逃げていた。
"死"から。
エンペラービートルの突進で吹き飛ばされたあと、私は死にたくない一心で必死に立ち上がり、その足を動かした。
とはいえあの一撃で私の体はボロボロ。多分骨も内蔵も酷いことになっているはずで、生きているのはまぁ、魔物で身体が頑丈だったからとかそんなところだろう。
こんな体でまともに走ることなんかできる訳もなく、全身の痛みで意識が飛びそうになるのを怖さで無理やり我慢しながら、歩くよりも遅い速度で体を引き摺った。
はっきり言って、死ぬと思った。
死にたくない恐怖で逃げながらも、心のどこかで自分は死ぬんだと思っていた。
そりゃあそうだよなって。最初が順調だったから勘違いしてただけで、ただの女子高生がいきなりバケモノだらけの環境に、それも人ですら無くなった状態で放り込まれれば普通に考えれば生きていられるわけがない。
私はここで死ぬんだと、そう思っていた。
だが───私は死ななかった。
一向に死ななかった。いつまで経っても私の体は動かせて、いつまで経っても二度目の突進は来なかった。
なんで生きてるんだろう。
そう思った私は後ろを振り返って、そして気が付いた。
こいつっ……こいつ私をいたぶってやがる!!
私を追っているはずのエンペラービートルは、あろうことか私の移動速度に合わせてゆっくりと歩いていた。
こちらを睥睨し、距離を離さず、しかし近付きもせずに、ゆっくりと。
この状況でそれは、その行動は、どう考えてもいたぶっているとしか思えない。
それを理解した時、私は、わたしは震えた。恐怖じゃない。
怒りだ。
怒りで震えた。
ふざけるなよっ!!こっちはっ…!こっちは必死で痛みに耐えて!!必死で身体動かして!!必死で逃げてるのに!!
お前から!!お前から逃げてるのにっ!!
そのお前は!!
ここはお前の縄張りじゃないのかよっ!私はお前の獲物じゃないのかよっ!
ただの虫のクセに!!
こっちが必死に逃げてるのを見ていたぶって!
楽しいかよ!面白いかよ!!私はなにも楽しくない!なにも面白くない!!!
ただ痛い!!ただ苦しい!!怖い!!
お前にこの気持ちは分かんねぇだろうな!!
これほどの恐怖を感じるのも初めてだったが、これほどの怒りを覚えたのも初めてだ。
でも覚えはあった。
狩られる側。獲物。一方的な搾取。理不尽な力。
ただそれに恐怖して、憤怒して。
でもなにもできなくて。
本当にふざけてる。クソったれだ。
なんで転生して人ですら無くなってまで、
クソっ!クソっ!クソっ!!
いいよ!やってやるよ!!せっかく転生したのに!全てがリセットされたのに!!
こんなところで死んでたまるか!!
油断してやがれクソ虫が!絶対生き延びて、必ずお前から逃げてやる!!
だから今、私は逃げている。
痛みに歯を食いしばって、飛びそうな意識を怒りで繋ぎ止めて、血を吐きながら逃げている。
あと少し。あと少しだ。この広間を突っ切って川が見える壁際まで行けば、そこに拠点がある。
拠点の入口は小さい。そこに入ることさえできれば、コイツは手出しできないはずだ。
そしたらあとは、コイツが拠点の入口から離れるタイミングを待ってここから離れる。
それで私の勝ちだ。
見てろよクソったれ。せいぜい油断してろ。
とはいえ、今の私にできることは少ない。
というか拠点目指して必死こいて走る以外できない。
攻撃が通用するかどうかは分からないが、移動速度的に、もし反撃しようとしてもその前に殺されるのがオチだろう。
あの時の突進の速度は凄まじかった。速度は明らかに私の方が劣っているだろう。
まぁ、他に私の優っている部分があるのか疑問だが。
ちらりと背後を振り返る。
それだけの動作でも痺れるような痛みが走るが、全力で無視する。
エンペラービートルは依然として私を睥睨したままゆっくりと追いかけてきている。
必死に逃げる私の姿がそんなに面白いのだろうか。反吐が出る。
その油断が命取りになるって思い知らせてやる。
『条件を満たしました。スキル〈痛覚耐性Lv.3〉が〈痛覚耐性Lv.4〉になりました』
ほんとにこのスキル機能してるのかよ!
痛すぎて、今の今まで存在を忘れてたわ!!
ただ、レベルが上がったおかげか、若干痛みがマシになったような気がする。
それでも、少し体を動かすたびにあり得ないほどの痛みが体を走るのだが。
痛覚耐性というからには、痛くても抑えてくれているのだろう。となると、このスキルがなければそれだけ痛かったのだろうか。
ちょっと想像したくない。
気持ち程度でも痛みがマシになった体を動かし、走る。
反応の鈍い脚を引きずって、全力で。正直、反応が鈍いとかいうレベルではなく動かしづらい足はほぼ折れているんじゃないかと思えてくる。
実際、足を動かすたびに走る痛みは、足の中から何かが突き刺さしてきて焼けるような、とにかく強烈な痛みだ。
それでも、動かせるから、とにかく動かす。
───!!!
その時、私の視界の先、柱の樹木の一本向こう側に、壁が見えた。
それを意識すると同時に聞こえてくる、川の流れる微かな音。
あとっ!あと少し!!
『条件を満たしました。スキル〈恐怖耐性Lv.1〉を取得しました』
今更過ぎる!
でも!!
僅かに抑えられた恐怖を、怒りと、何よりも拠点が近いという"希望"が埋めていく。
この先!!こいつが油断してる隙に!
速く!!
痛みが、動かないからだがとにかくもどかしい。
見えた!!川!
それに……拠点のいりぐぢぃ"!!?
体が浮いた。
いや、浮かせられた。
エンペラービートルのツノの先で、
はぁっ!?
ヤバい!!こんな体で受け身なんて!!
───ぐあ"ぐぅ"!!!
痛みでまともに体を制御できないまま、地面に激突。
一瞬トンだような気がする意識が、吹っ飛ばされた勢いのまま転がる痛みで引き戻される。
勢いをわずかに殺すことすらできず、私はそのまま川に落ちた。
回収するつもりで、ただ遊び半分で投げたモノが、そのまま近くにあった穴や池、川とか、まぁとにかくそういう"落ちたら拾うのが面倒そうな場所"に落ちれば、誰だって落ちた場所を覗き込むだろう。
犬や猫ですらそうするのだ。
弱者をいたぶって遊べる程度には知能のあるこのカブトムシだって、当然覗き込むだろう。
実際。
私が落ちた場所を。
飛沫を上げて、川から飛び出す。
踏ん張り、力をこめた後ろ足から変な音が鳴り、今まで以上の激痛が走る。
私はそれを怒りのままに無視して、
「─────────ッ!!!!!???」
私に反撃されるとは思っていなかったのか、驚きのあまりひっくり返りそうになりながら後退するエンペラービートルを、しかし私は見ない。
見る余裕がなかった。
うあああああああぃぃいいぃぃいぃいいったぃぃいいい!!!
ただでさえ動かしづらく痛みも酷かった後ろ足が、半ばから変な方向に曲がっていた。
さっき川底で力を入れたときに、ぎりぎりだった骨が完全に逝ったのだろう。
水辺の近くで水深はかなり浅い場所だったから飛び出すぐらいなら何とかなると思ったが、そうでもなかったらしい。
でも!!
反撃はできた!!
あとは…逃げるだけ!!
拠点の入り口、蔓草で半分ほど覆われた小さな穴はもう目と鼻の先だ。
前足を使って、動かない後ろ足を必死で引きづって動く。
後ろを振り返る余裕すらないが、軽い地震のように揺れる地面と凄まじい音から、エンペラービートルの暴れる気配を察する。
まだ目つぶしは効いてる!!
いける!!
逃げれる!!
蔓草をくぐり、私より一回りほどしか大きさがない穴に這って入る。
そのままさらに少し進み、私はそこでどさりと倒れた。
………逃げ…れた……。
…もう無理だ……。
拠点の外からは、相変わらず地響きのように暴れる音が聞こえてくる。
だが、もはや関係ない。
私は勝った。
自分には絶対に勝てないとこちらを侮ってくるくそったれな虫野郎から、反撃まで加えて逃げ延びてやった。
響く地響きが、今は凱旋の鐘の音のようだ。
フハハハハ!!どうだ見たかクソ虫が!!
油断するからだよぉ!!!
アッハハハハハハ!!!!
……ふぅ…。
それにしても、いつまで暴れてるんだろう。
なんか地響きも大きくなってるし、目を潰されただけでそんなに暴れまわるって……。
ん?
地響きが…大きく……なって………
──まさか!!
そのとき。
私は、何が起こったのかすぐに理解することができなかった。
ただ、耳を劈くような破砕音と、全身を打つ強烈な衝撃に襲われて、吹き飛ばされて………。
私の意識は、そこで途切れた。
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