016 ケツイが みなぎった

 ───痛い…。

 痛いし、冷たい…。

 暗闇の中、動かせない体に、ただその感覚だけが訪れる。

 全身を蝕む痛みと、それを包み込むような冷たさ。


 痛くて、冷たくて……苦しい。




 ────ぅ……ぁぁ……


 朧気な暗闇から、何かに引っ張られるかのように意識が覚醒する。


 ……ぅぁ……ここは………。

 なにが……。


 目が覚めて最初に感じたのは、全身を蝕む重く痺れるような鈍痛と頭痛、極度の疲労感、そして冷たさ。

 鉛でできているのかと錯覚しそうなほど重い体を少し動かして、自分の体を見る。


 私の半身は、水に浸かっていた。


 ……水………

 …いや…違う………川か。


 周囲を見て、理解する。

 私の今いる場所は、渓谷けいこくの底の川、のようだ。

 上を見ると暗闇の先まで続く広い亀裂が見え、周りは切り立った岩壁。

 私の今いる場所は、そんな渓谷の底にある僅かな範囲の川辺らしい。


 なんで……い"っ"!?


 未だ朦朧とする意識の中、ほぼ無意識的に立ち上がろうとして、体に走った激痛に阻止される。

 咄嗟に痛みの元と思われる足を見て、驚愕する。


 足…後ろ足……折れて……!?


 ──そうだ!私……。


 思い出した。

 思い出すと同時に、朦朧としていた意識が一気に覚醒する。

 エンペラービートルというバケモノそのものみたいな巨大な魔物に殺されかけて、それでもなんとか拠点の中に逃げ延びて、それから……


 あいつ、拠点の壁ごと私に突進してきたんだ!!

 無茶苦茶すぎるだろ!!


 それで私は意識を失って……ん?

 なんで生きてるんだ、私?


 あの狭い空間で周りの壁ごと吹き飛ばされれば、普通に考えて生き埋めか瓦礫の下敷きでは?

 なんで??


 そこでふと、川に目がいく。


 ………あっ、川かぁ。


 拠点の中は、広間の方から流れてくる川のすぐ横に面していた。

 おそらく、吹き飛ばされた衝撃で生き埋めになる前に川に落ちて、そのままここに流されたのだろう。


 ……奇跡だな。

 うん、奇跡だ。あまりにも幸運すぎる。


 再び、自分の体を見る。

 全身傷だらけで、川の水に濡れる中わずかに血が滲んで毛を染めている。

 意識がはっきりしたせいか、口の中にはじわりじわりと血の味が広がり、鼻の奥からも血の匂いがする。

 全身を蝕む痛みは、体の外というよりも内側から生まれていて、それが体内にどれだけのダメージが入っているのかを否応なく認識させてくる。

 そして、膝辺りから完全に折れた後ろの両足。


 正直、後ろ足に関しては見ていたくもない。見てると余計に痛みを意識してしまいそうだった。

 ただ不幸中の幸いというか、なぜかは分からないが今は逃げていた時より痛みがマシになっていて、そのおかげで冷静に考える余裕があった。


 こんなボロボロの体になって、なおも追撃されて、意識を失ったまま川に落ちて。

 どの状況でも、死んでいておかしくなかった。というか死んでない今の状況がおかしいくらいだろう。

 でも。


 でも!私は生きた!!

 アッハハハハハ!!あ~!!ざまぁみろクソ虫が!!

 お前が油断して私で遊んだりするから!すぐに殺さないから!!

 こうやって逃げられるんだ!!

 アッハハハハハハ!!!!

 アーッハッハッハッハッハッ!!!!


 …あぁ…はぁ……はぁ………


 ───怖かった。

 怖かったぁ…死ぬかと、本当に死ぬかと思った…。

 生きてて良かった……!


 もし、私が交通事故とか事件とかに巻き込まれて、あるいは被害者になって死んでいたら、ちゃんと自分が死んだって認識して経験した上で転生していたら、もっと死ぬかもしれないということに対して耐性が付いてたんだろうか。


 ……いや、無理だな。

 こんな気持ちに耐性なんか付かないだろう。

 死ぬという恐怖の中で私が動けたのは、それ以上に怒ったからだ。

 怒りが、一時的に恐怖を上塗りしただけ。


 多分みんなそうだ。

 小説の主人公も、伝説の英雄も、戦争の兵士も。

 死ぬかもしれないという恐怖に慣れるから、それを無視できるんじゃない。

 その恐怖以上の強い気持ちがあるから、それを無視できるんだ。


 ………この気持ちは、怒りは、忘れちゃいけない。

 忘れちゃだめだ。

 前世では持てなかった怒り。

 ただ逃げることしかできなくて、我慢して、心を潰して、逃避することしかできなかったあの頃は持てなかった、虐げられることへの怒り。


 この気持ちを、炎を、絶やさず生きるんだ。

 じゃないと……私はきっとまた、心が折れる。



 ……さて。

 となると、今後の方針も決まりだ。


 "とにかく魔物をぶっ殺して、強くなる!"


 うん。シンプルイズベスト。

 平和大国ジパング日本ならまだしも、こっちで虐げられないようにするなら力をつけるのが最適解だろう。

 向こうだと物理的に力付けたって弱者に成り得るけど、流石にこの環境で力以外に強弱を決める要素なんてないと思う。


 とりあえずあのカブトムシエンペラービートル以上には強くなって、やられた分だけアイツにやり返してやらねば。


 とはいえ、しばらくは何もできないだろう。

 こんなボロボロの体で魔物と戦っても、何もできずに餌になって終わりだ。

 ひとまず折れた後ろ足が治らないと、何もできないだろう。


『条件を満たしました。スキル〈自動回復Lv.4〉が〈自動回復Lv.5〉になりました』


 お??

 こんな時にスキルのレベルアップ?

 あー、自動回復か。


 このスキル、前に私自身のレベルアップの時に一緒にレベルが上がっていたので認識はしていたのだが、具体的になにを回復するのかが分からなかった。

 回復と言っても色々あるだろうし、一概には言えなかったのだが…。


 この状況でいきなりレベルが上がったってことは、やっぱり体の自動治癒ってことなのかなぁ。

 吹き飛ばされて川に落ちて流されて…って、どう考えても怪我が悪化しそうな状況だったのにむしろ痛みは治まってきてるし。


 深い傷を負うことがそこまで多くなかったから、これまではただ単に魔物の治癒力が高いだけだと思ってたけど、それ以上にこのスキルのおかげで傷の治りが早いと考えたほうが良さそうだ。

 超超大事なスキルだなオイ!!


 しかし、逆に言うとこのタイミングでレベルアップってことは、私自身のレベルアップを除けば深手を負わないとレベルが上がらないスキルということになる。


 ……かなりレベルの上げづらいスキルだなぁ。

 人とか…この世界にいるのか分からないけど、もしいたらこのスキルのレベルを上げるのには苦労しそうだなぁ。

 まぁアルカディア・オンラインとよく似てる部分もあるし、人間だっていると思ってはいるが。


 まぁしかし、ともかくこうなると今後の動きにもかなり安心感が出る。

 自動回復なんて名前のスキルだし、その回復能力はかなり期待していいはずだ。というか期待しないと、他に期待できる要素がない。

 このボロボロの足も治ると期待したい。


 となれば今私がやるべきは、足が治るのを待ちつつ、無理のない範囲でこの川辺を探索かな。

 何より、この川辺が完全に安全かどうかを確認する必要もあるだろうし。


 よし!そうと決まれば………


 ……休むか。今は。体痛いし。

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